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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第149話 麗しの下僕どもによる仁義なきマウント

『ほんとにごめんなさい! 言葉が過ぎたわ!』


「……」


 ペコペコと詫びる白金色の頭を見つめる夜空の瞳が、眩しそうに細められた。


 変態ナルシストが妥当かどうかは措いておくとしても……他でもないこの少女には、自分の父親を罵倒する権利がある。


「そこまでにしてくれ。おれ相手にその頭を下げさせては……きみの友に、申し訳が立たない」


 おのれの父が彼女とその友人たちに何をしたのか、少年は忘れていなかった。


 壁に掛けられた無数の鏡を見て、薄暗いランタンに照らされた顔が小さく笑う。 


「それにしても、おかしいな。あの方はきみの父親でもあると聞いたはずなんだが……どこもかしこも、似ているところなんてひとつもない」


 笑う少年の眉がかすかに下がっているのは、──いいなあという自嘲のためだった。


『なんとまあ、お父上の生き写し!』


 皇太子に拝謁した貴族たちは、誰もが決まってそう言った。


『才覚もお振舞いも、陛下のご幼少のみぎりにそっくり』


『長じればきっと、精霊眼にもなられることでしょう』


 宮廷カラスたちは何度だって同じ内容を(さえず)り、そのたび少年は微笑みを返しながら、気づかれないようにこぶしを握った。


(……似てたまるものか)


 テセウスは、自分の育った皇宮が嫌いだった。


 同じ血をひく帝室の者どもが嫌いだった。


 人外じみた父親であっても、似ていると言われれば無邪気に喜んだ時期も確かにあったが、そんな幸せな子ども時代は四つの時には取り上げられたし、実際父には人の血など通っておらず、鬼畜の所業を数多積み上げてきたと知った今となっては単なる侮辱に過ぎない。


 似てたまるものか。


 同じ道など歩んでたまるものか。


 おれは獣が食い荒らした全てを、一生かけて直していくのだ。


 だがテセウスが望まなくても事実、壁一面にこちらを見る顔は……何度見直したって、白金貨の表面に掘られた横顔にそっくりだった。


『ふふっ、気が合うわね!』


 しょげたような少年が映る鏡の中にあって、その金の六角形だけは、相変わらずピカピカの笑みを浮かべていた。


『ちょうどわたしもおんなじことを思ってたのよ。テセウスって、ほんとにあの人に似てないなって! もしかしたらわたしたち、橋の下から拾われたのかもしれないわね。あはは!』


「……!」


 笑いながら言われたことに少年は息を止めて、──ドッと崩れ落ちた。


 立ち上がって二分。再度の崩壊である。


『あの、大丈夫? 膝の皿にダメージ蓄積してない?』


「……そっくりじゃないか?」


『え? 何が?』


「おれは皇帝陛下に……そっくりだと思わないか?」


『……』


 鏡の中で、三人は赤い目を見合わせた。


『それ、顔貌(かお)の話ですよね? まあ正直、気持ち悪いくらい似てますけど……仕方ないでしょう、親なんですから』


 ニュクスは呆れた表情でため息を吐いた。


『骨格整形なら三十白金貨(シル)で引き受けますよ。すみませんがいま手元にあるのはカバの頭蓋骨だけなので、カバ似になってしまうことは承知してください』


『姫君、もし中身まで似たらどうします?』


 ティルダは、からかい混じりの笑みを浮かべながら傍らの主人に尋ね、アリアは『テセウスの中身が、アレに? ……やだあ、あはは!』とカラカラ笑った。


『片付けなきゃいけないゴミが増えちゃう! そうなったら引導を渡すわ!』


『との仰せだ。よかったな、安心していいぞ。お前にブタの片鱗のかけらでも見えれば、このクレイモアがキッチリ介錯してやる』


 三者三様、遠慮ひとつないコメント。


「ひ、人の深刻な悩みをおちょくって……! きみたちときたら……!」


 床に突っ伏したまま、プルプルと震えるテセウスの顔に浮かんでいるのは、しかし怒りでも悲しみでもなく──途方もないものを見上げる、憧れだった。


 頬に集まる熱は見られたくないので、両腕で顔を隠している。


 千年王国の血が流れる人々は、人間であって人間ではない。


 そのことをどうしようもなく理解させてくるのは、資材を費やさずに恐るべき御業を使いこなせる力でも、尋常ではない身体能力でも、激怒とともに黄金色へ変わる赤い瞳でもなかった。


 それは、こうした時。


 国を滅ぼし家族を奪った首魁の息子相手に平然と軽口を叩いて親愛を示してみせる、曇りのない魂に触れた時だった。


(ああ……。おれも、彼らのようになりたい。彼らのようでありたいなあ……)


 この赤い目をした少年少女たちと話すたび、浴びたことのない熱い日差しが、肌を焼くような心地になる。


 テセウスは皇宮で過ごしながら、生まれ育った国では見つけられなかった憧れを、後生大事に握りしめていた。


「……なあ、ネフシュタン。どうにかしておれがそっちに行く方法はないだろうか? ほら、この鏡をポートにするなどして。あっちにはおれの代わりにポメラニアンでも置いとけば大丈夫だから」


『う〜ん。組み方にもよりますが……やってやれないことはなさそうですね。そっちで崩壊してこっちで組成したテセウスが、果たして本当に崩壊前と同じテセウスなのかということは、まあ、神々のみぞ知るところですけど』


「ああーーっ! ほんとに橋の下の子だったらよかったのにーーー!」


『テセウス……』


 倒れ伏して頭を抱えた少年を見るアリアの眉が、しょげしょげと下がった。


 この皇太子、実は今に至るまでニュクスの名を教えられていない。


 ニュクスは皇帝レクスと面識がある唯一のイリオン人であり、そしてイリオンの生き残りにおいて、圧倒的最高戦力である。


 年齢が十八年ズレた上、当のレクスが覚えているとは思えないが、万が一にも切り札の存在に気取られることがないよう、ユスティフ人に対してニュクスは偽名で通しており、つまりテセウスは、兄と慕う相手のことを『ウィペル・ネフシュタン』なのだと信じているのだった。


(わたしの場所がバレるより最終破壊兵器の存在がバレる方が致命的だから、仕方ないといえば仕方ないことなんだけど……。そうなんだ、けども……)


 こんなにも自分たちに心を許している少年が知れば、どれほどがっかりするだろうか?


 どんどんと眉尻を下げていくアリアの右から、『いい加減にしろ。駄々をこねる暇があったら筋トレでもしたらどうだ』と、恋敵には毛ほども同情しない騎士の冷たい声が投げられた。


『気持ちはよくわかりますが……本来この通信も、アリアにとって危険極まりないことなんですよ』


 左に控える魔法使いもごくわずかに気の毒そうな表情を浮かべながら――下手(したて)に出て自分を慕う者には甘いのである――たしなめた。


「……すまない。おれとしたことが」


『ちなみに昨夜、アリアは初めてハンバーグを食べて、想像を超えたおいしさに感動して涙ぐんでいました』


「……?」


 藪から棒に話し出した、全く関係のない近況報告。


 怪訝な顔をしたテセウスに向かって、ティルダもまた『ああ。一昨日は、最近購入した牛の乳を搾り、一生懸命バターを作られた……』と急に語り始めると、ガーネットを愛おしげに細めて、主人を見つめた。


『この華奢な御手で、必死になって(きね)をつく愛くるしさときたら……! 出来立てのバターをパンに塗って食べた瞬間、美味しさのあまり走り出し……全天の星座が、そのあとに続いた』


「……」


 いったい、何の話を始めたのか。


 そもそも自分が呼んだのはアリアだけのはずなのに、横のやつらは何をしに出てきたのか。


『ああ、そうそう。この指先の包帯』


 ズバン! と鏡を割ろうかという圧を以て、ニュクスがおのれの左手の人差し指を示した。


『五日前……錬金炉(アタノール)に直接触れてしまった時に、アリアが巻いてくれたんです。ふふ。こんなの、ぼくなら秒もかからず治せる火傷だというのに血相を変えて。まったくこの子ときたら……』


 ──ギュイーーン! キュルキュルキュルキュル!


 やれやれ仕方がない……と言いたげな声音でありながら、端正な顔面に浮かぶのは正反対の得意満面な笑み。


『わたしの腕にある、この湿布』


 ガッ! と腕相撲でも挑むのかという勢いで、ティルダも自分の右腕を鏡の前面に掲げた。


『七日前……父と打ち合いをしてできたアザに、我が君が貼ってくださったものだ。ああっ、半泣きで薬箱をひっくり返すあのお顔の愛くるしさと来たら……! 思い出すだけで、ベヒモスすら一太刀で首を落とせる自信がある。もう一生取らない』


 夢見る笑みを滲ませた怜悧な美貌にうっとりと手を当てながら、無茶苦茶な決意を断固とした口調で述べる。


 ──バキバキバキッ……メコッ!


「……!」


 二人そろってこの上なく自慢げな笑みで見下ろされて、──テセウスは涙目になった。


 やつらが顔を出したのは、ほかでもない。


 推しと一緒に暮らしているぞと、マウンティングするため。


 ろくでもない理由でありながら、モンスターの群れで孤軍奮闘する少年の心に致命傷を与えるには、十分な攻撃であった。


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