第148話 我儘の味を知らない
「アリ……ッ」
『オーッホホホホホ! ごきげんよう、我が妹!』
――カンカンカン!
「……」
大金を叩いたスポンサーが万感の思いを込めて発した呼びかけは、けたたましい高笑いにかきけされた。
絢爛たる存在感で皇太子を下したセレスティーネは、『……ん?』と吊り気味の目をぎゅっと細めると、『な、なに? その首から下に見えているズタ袋は?』と細い指を震わせながら妹を指さした。
『まさかそれが……服だとでも言うんじゃないでしょうね?』
『ふふっ、お姉ちゃんったら! ズタ袋には襟も袖もないわよ~!』
対する妹のほうは平然とした顔で『ご明察、これがわたしの普段着よ!』と、なぜか誇らしげに胸を張った。
動きやすいので重宝している、海辺のチンピラたちとお揃いのツナギであった。
『イヤアアアーーー!』
頭を抱えた鏡の少女から、甲高い悲鳴が迸った。
『信じられない! 泥を固めた生地にクソみたいなツギハギ! カラーリングは煮締めたドブ! 着心地もシルエットのこだわりも一切皆無のズタ袋……! そこらへんの庶民だって、女の子はもっとマシな服を着てるじゃないの!』
「失礼、セレス。あの」
『前々から思ってたけどお前、乙女のおしゃれ心をどこに落としてきたのよ!? よりにもよってわたくしの目の前でそんなボロ切れを着てるなんて、我慢ならないわ!』
『あはは! だって、こんな夜遅くに通信がつながるなんて思わなかったんだもの! いつもならお楽しみ読書タイムじゃない?』
――メリメリメリッ……ガシャァァァン
「すみませんっ! ここにっ、ここに皇太子がいます! あとこの音は何!?」
『あっ! そのフューシャピンクのドレス、もしかして新しいやつ!? 素敵、薔薇のお姫さまみたい! 最高によく似合ってる!』
『当たり前でしょ! わたくしをだれだとお思い? お前の分も色違いで作ってあるから、今年の誕生日はそれを着るのよ! いいわね?』
『うれしい! ありがとうお姉ちゃん、大好きよ!』
『ふふん、知ってるわ!』
──キキーッ、ドゴン! ドゴン! バキャッ!
双方、異常によく口が回る姉妹によるマシンガントークと、得体の知れぬバカでかい騒音。
「アテンションッ、プリィィーズ!! ご令嬢方!!」
『ん?』
幾度めかの必死の呼びかけを経てようやく、朝焼けの瞳は鏡の向こうを向いた。
そこには存在に気付かれないまま、祈るようなポーズで佇む銀髪の皇太子。
『……あら!』
太陽のごとき曇りなき笑みが、パアッと放たれた。
『テセウス! き、気が付かなかったわ~! 元気だった?』
「ああああ~~~!」
好きな女の子の笑顔という高熱消毒により、少年の背中にとり憑いた悪霊が塵になって消えていく。
そのままドッと膝をついたテセウスは、グスグスと鼻を啜りはじめた。
「うっうっうっ! おれもきみとっ、きみたちと一緒がいい! ヘドロの塊が徒党を組んでいるような場所で暮らすのはもういやだ! たとえネフシュタンから嫌味を言われようと、ティルダから毎日刃先を向けられて脅されようと、きみたちの傍にいるほうが一万倍健康によい! 隙あらば言質を取ろうと付け狙ってくる魔獣に囲まれているくらいなら、無礼な野蛮人から毎日バカにされている方が、ずっとずっと文化的だ……!」
『二人とも、テセウスのことそんな扱いしてるの?』
アリアが鏡の奥を振り向くと、左右からニュクスとティルダがにょきっと顔を出した。
『まさか。きみのカッコよくて紳士なオルフェンがそんなことするわけないでしょう?』
『アッハハハ、もう姫君ったらお人聞きが悪い! かわいがっていますとも!』
いけしゃあしゃあと肩を竦めてみせた野蛮人たちに、『了解。相撲部屋のかわいがりと同じ意味ねこれは』と、野蛮人のボスは頷いた。
『よしよし苦労してるのね、かわいそうに』
「はあぁああ~~~」
推しに慰めてもらったテセウスは空気が漏れるような音を立て、さらにぐんにゃりとへたり込んだ。
主君を尊敬してやまない侍従が目にしたら、不整脈を起こして昏倒すること間違いなしの光景である。
『ユスティフの貴族どもに囲まれた暮らしだなんて、想像するだけで鳥肌が立ちます。気の毒ですから写し絵を10枚セットで送ってやりましょう』
「じゅ、10枚!? 大盤振る舞いではないか! 恩に着る、兄!」
『構いませんよ、布教です』
『やだ堂々としてるわ、この隠し撮り犯』
思いがけないおこぼれを預かり、いくぶん血色を取り戻したテセウスは、フラフラ立ち上がると微笑んだ。
「アリア……いつも、素敵な手紙と写し絵をありがとう。きみの生き生きとした姿を見るだけで、おれも元気になれる」
春の雨のような銀の髪、切れ長のコーンブルーサファイア。
やつれてなお星々の精霊を思わせる、麗しい貴公子の笑み。
『ウッ! 目がやられたっ!』
視界を焼かれて悶絶するアリアをよそに、テセウスはそっと視線を落とした。
「だが本当は、……本当は、本物のきみに会いたい」
思わずポツリと零した本音に息を飲んだのは、当の本人であった。
「もっもちろん! おれの立場では無理だとわかっている! 言ってみただけ、言ってみただけだ! どうかっ、気にしないでくれ!」
慣れないワガママを口にした瞬間アタフタしはじめた皇太子に、鏡越しのアリアは『ウグウッ!』と心臓を抑えた。
(いっ……いい子すぎる~~!)
つつましすぎるお願いに、こちらの小さな君主もまた、日ごろの疲れを浄化されていた。
(右を向いても左を向いても猛獣みたいな人たちに囲まれてるから、余計に沁みる……! ほんとにあのド畜生からこの天使が生まれてきたの!? お母さまが女神とかに違いないわ!)
正直にいえば、テセウスのお願いならなんだって叶えてあげたかった。
このおねだり下手で孤独な少年が、子どもらしくしょうもないワガママを平然と口にできるようになるまで、全力で甘やかしてあげたかった。
(でも……まだできない。準備が終わってない)
アリアは唇を引き結ぶと、手のひらの下で朝焼け色の瞳を悔しげに歪めた。
白金の脳裏に描き出されているのは、皇都ミオゾティスの白百合──エポカ宮。
華麗な古典様式で建てられた巨大な宮殿は、ただの人間が見上げれば麗しき天上の楼閣に過ぎないが、魔法使いが感知魔力を漲らせた知覚で探ると、幾重にも張り巡らされた巨大な魔術式であることに気付く。
ネメシスが解析したところによれば、それは精緻極まる魔力捕捉装置。
身に魔力を宿すもの――イリオンの魔法使いたちはもちろん、魔法の痕跡が残った物品を持ち込むだけでも反応し、蜘蛛の巣のように対象を捕らえることができる罠。
ゆえに、ただ話をするだけでもこうして皇宮の手が及ばない大地下まで下りて来ねばならず、せっかくもらった写し絵も皇太子宮に持ち込めずに、万華鏡屋の二階に貯めておいて時折見に来ることしかできないのだ。
持って帰ってもひっかからないのは、ニュクスが解呪のついでに剥がした呪いを詰め込んだ、ブサイクな守護人形だけである。
プランケット家の半獣が行方不明となってから一年半、敵は一度も捜索の手を緩めていない。
(大地下での繋がりがバレたら最後。皇帝は容赦なくテセウスを捕まえて、……潰してしまうに違いないわ)
空いた後継者の位には、他の息子を据えるだけ。
『ほんと、我が父ながら見る目のない人……』
「え?」
思い出の写し絵と白金貨の横顔でしか知らない実の父を思い浮かべ、虚空を見据えた瞳に険が滲んだ。
『今に見てなさいよ、加虐趣味の変態ナルシスト! 粗末に扱ったらほえ面かくことになるんだから!』
「どこ!? どこに加虐趣味の変態ナルシストが!?」
『あっ、ごめんなさい! わたしったら、あなたの目の前で悪口を言うなんて……! ──いくら皇帝とはいえ、テセウスのお父さまなのに』
可憐な仕草で口元を抑えたアリアの言葉に、皇太子の明晰な脳は、しばしフリーズした。
「コウ、テイ……? おれの、父? つまり……」
二か月前のノルデン戦没者追悼式典以来見ていない清雅な顔が、脳裏を通り過ぎていく。
「へっ陛下が……変態ナルシスト!?!?」
改稿したら長くなりすぎましたので分割しました! 申し訳ありません!(2023/10/1)




