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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第146話 華麗なる花、全員悪女

 皇都ミオゾティスの白百合、エポカ宮。


 皇帝の居所にして、ユスティフ帝国の政治機構の中枢。


 天を()くほど高く(そび)える大礼拝堂を中心として放射状に道を伸ばし、雷鳴宮殿トニトルス、大審問所、高等法院、財務省、王立文書館、地下宝物庫、その他いくつもの離宮を備えた、巨大な五芒星(ペンタグラム)である。


 主要な建物から建物までは高貴な身分の者が歩く距離ではないため、玉石を敷き詰められた道を四輪馬車がひっきりなしに行き交う音が、朝から晩まで響き渡る。


 東側の大円塔のほど近くに(そび)えるのは、皇太子宮。


 およそ2000平方ヤルクのこじんまりとした造りながらも、壮麗なドーム型の屋根、小川が流れ込む泉、多言語の書物に精通した小図書館、猫足の柱廊、地下には人口の洞窟と、変化に富んだ機能を擁する。


 国を負って立つ御子のため、七代前の国王が(あつら)えた、古き良き絢爛な古典様式の城。


「……はあぁあ~~……」


 その今代の主はしかし、青ざめた顔で胃をさすりながら、足早に列柱廊を歩いていた。


 風も温くなってきた、稲穂星(スピカ)輝く春の夜。


「テセウス殿下!」


「!」


 背後から飛び出した可憐な声に、皇太子はギクリと背筋をこわばらせた。


「……ラクルテル令嬢。ごきげんよう」


 息を切らして駆けてきたのは、シルクサテンを幾重にも重ねた、目に眩しいチェリーピンクのドレス。


 顔の横には高い位置で二つ結びにされた(とび)色の髪が、大ぶりの縦ロールとなって揺れている。


「ごきげんよう! こんな時間までお勉強ですの? 精が出ますわね~!」


(ああ、そうだとも……。きみ()()に出会わぬよう、こんな時間まで図書館にこもりきっていた……!)


 夜更けというには早いが、宵の口と呼ぶには遅すぎる。


 子どものディナーはとっくに終わり、大人の夜会が始まる刻限。


 当然、素行の正しい令嬢であればとうの昔に帰宅済みに間違いなく、万が一にも捕捉されることはあるまいと当て込んで――それでも万全に万全を期してとっぷりと日が暮れてから――テセウスはやっと、外に出てきたのだった。


(なぜだ……! なぜまだ、皇宮(ウチ)にいる……! 夕飯はどうした!?)


 頭痛の種の一つと出くわしてしまった皇太子は、額を押さえたい手をぐっと握りしめて、いつもの貴公子然とした笑みを浮かべた。


「ああ。少し……政治経済要議論について、知見を深めておきたくてね。需要共有の法則、賃金の平等、富の適切な再分配、失業者の拾い上げ……ルフォール博士の論は理想主義の傾向はあるが、たしかに最下層を引き上げることを後回しにしていては、いずれ足を救われるだろうとわたしも思う。有意義な時間だった」


 図書館で読んでいた書物の(つまび)らかな内容まで伝えたのは、別にミュリエンヌと経済議論を交わそうというわけではない。


 むしろその逆で、興味を失わせて早々に立ち去ってほしいという願いのあらわれである。


 案の定、勉学の成績は芳しくないと聞く令嬢は「ふうん……」と気のない相槌を打ったものの、一瞬で思考を切り替えて「お散歩でしたらあたくしもぜひ!」と隣に並び始めたので、脳内テセウスはぎゅっと下唇を噛んだ。


「いや、これから部屋に帰るだけだ。寝るまでに手紙をしたためようと思っていて――」


「いま、白鳥庭園のナルキッソスが満開ですのよ! 明るい昼間じゃなくて残念ですけれど、二人きりで夜の花々を見るのも、ロマンチックですわ! ああっ……素敵! ずっとサロンで残っていた甲斐がありましたわ!」


 まるでこちらの話を聞いていない。


「ラクルテル令嬢」


「さあさあ殿下! 早く早く!」


 いや、聞いてはいるのだ。


 だから決して逃がさぬようにガッシリと腕を組み、どこからその力が出るのかという勢いをもって、皇太子を庭園へと連れて行こうとしている。


(や、やめてくれ……! 早く、早く帰ってくれ!)


 相変わらず完璧な笑みを口元に張り付けて引きずられながら、少年は脳内で懇願した。


(そんなふうに大声ではしゃいでいたら、来てしまうだろう……! ほかにもまだ居残りしているに違いない、モンスターたちが!)


 ――カツ!


 高らかなヒールが、大理石を叩いた。


「レディ・ミュリエンヌ!」


 怒気を含んだ居丈高な声。


 恐る恐る振り向いたテセウスは、――遠い目をした。


「いつもいつもそうやって殿下のご都合もお聞きせずに押しかけて……恥を知りなさい!」


 蛾が集まる魔術灯の下、咲き誇るのは三輪の美しき花。


 絢爛たるダリア、可憐なヒナギク、気品と儚さを讃えたアネモネ。


(モンスターが全員、揃ってる‥…)


 常ならば穏やかな知性を湛えている切れ長の瞳は、白目を剥いた。


「いやだ、お邪魔虫のおばさんがいらしたわ。そんなにガミガミしてたら化粧がシワに入りますわよ」


「おばっ……!? なっ、なんて下品な!」


 潔ぎよいまでに真正面からケンカを売ってのけたミュリエンヌの振る舞いに、一人はキリリと柳眉(りゅうび)を震わせて扇を握り締め、一人は困ったような笑みを浮かべ、一人は大声に怯えて瞳を落とした。


「ここをどこだとお思いですか! 口を慎みなさい!」


「まあソフィアさんったら! あたくしのことを下品だなんて言えたご身分かしら? あらあら、セレスティーネさんもアンジェリーヌさんも、さもご自分はな~んにも下心なんてありませんってお顔をなさって! キャハハハハ! ……笑いが止まりませんわ!」


 哄笑を上げたかと思えば突然、嚙みつくような怒りの形相に変わる。


 レースのグローブを嵌めた指が、ビシッ! と三人の少女たちに向かって突きつけられた。


「あなたたち全員! とっくの昔に授業が終わってるのに、今の今まで皇太子宮の近くで待ち構えていたくせに!」


「うぐうっ!」


 ラクルテル侯爵家ミュリエンヌ。

 カルパンティエ侯爵家ソフィア。

 シャレット伯爵家アンジェリーヌ。

 そして、プランケット国境伯家セレスティーネ。


 一昨年の秋の終わり、皇太子妃候補として突然選出された四人の娘たちは、週に三度皇宮に参内し、マナーレッスン、語学教育、帝国典範、歴史、法律といった皇家教育を受けていた。


 扇を握りしめてプルプルと震えているのは、ソフィア・カルパンティエ。


 赤みがかったブロンズの髪に菫色の瞳をした、華々しい美貌の少女である。


 テセウスの二つ上の十三歳で、すでにカントループに入学している彼女は、その高潔な人柄から『碇星(いかりぼし)の聖女』という美名で、学生たちから慕われていると聞く。


 ――だが。


「ひ、人聞きの悪いことを仰らないでちょうだい! わたくしは父の帰宅を待っているだけですわ! あなたなんかと一緒にしないでくださる!?」


「あ~そう、へえ~。じゃあ財務省のほうにいらっしゃるべきじゃなくて? どうして皇太子宮の前にいるのかしら? ああっ、カルパンティエ閣下がおかわいそう……! 家族のために頑張ってお仕事をなさっているというのに、男に目が眩んだ娘の言い訳のダシに使われるだなんて……!」


「おっ男に目が眩んだ!? よ、よ、よ……よくもわたくしを侮辱してくれたわね! このアバズレの恥知らず!」


「……」


 ミュリエンヌの挑発に乗って扇をへし折っている形相を見る限り、人格的には横の性悪娘とどっこいどっこいである。


「……あっ。じゃあ、こういうのはいかが?」


 パンと小さな拍手が鳴り、笑みを含んだ明るい声が立つ。


「せっかくお揃いになったことですし、お散歩にはみんなで行くのがいいと思うの! ほら、白鳥庭園はすぐそこですし、お花を見たらわたくしたち、すぐ帰りますもの。ね!」


 小首を傾げて覗き込んできたのは、ゆるくウェーブした淡い金髪に、澄んだアクアマリンの大きな瞳。


 春の小花のように愛くるしい少女は、アンジェリーヌ・シャレット。


「……お許しを、殿下。お二人とも引っ込みがつかなくなっているんです。お付き合い頂けない限りは、ずっとああしてケンカされていると思いますわ」


 申し訳なさそうに眉を下げて小さな声で言い添えた内容は、テセウスの都合を(おもんばか)ってくれたもので、たしかによく目端が利き、下の者にも優しく、使用人から『ひだまりの天使』と慕われている彼女らしかった。


 だが、テセウスは見抜いていた。


 ミュリエンヌが抜け駆けをするたびに、ソフィアにそれとなく告げ口をして火種を燃え上がらせているのは、ほかならぬこの天使であるということを。


(調停者としての自分を演出するには、醜くいがみ合う存在が必要不可欠だもんな……)


 アンジェリーヌと初めて話した時。


 その気遣いに溢れた朗らかな振る舞いに、少しだけ──ほんの少しだけ、()()に似ていると思ってしまったが、(……いや、勘違いか。ただの人間だった)と察するまでには、小一時間もかからなかった。


 魔窟で生き抜いてきた結果、野生動物並みの危機察知能力を身に着けた皇太子である。


 どれだけ巧みに覆い隠そうと、自己愛と虚栄が芯を為している人間には必ず気づく。


(ははは。まったく、自分の不明を恥じるしかないな。こんなことを考えたと知られたら、怒られてしまうだろう)


 むろんテセウスの至高の推しは、24時間窃視されるどころかその上で好き勝手に写し絵を作って流通させられてもまるで気にしない剛の者なので、こんなもの些事中の些事に過ぎない。


『お前の目はボタンホールか?』と怒気を向けてくるのは、彼女の横に(はべ)る、脳が焼き切れてしまった魔法使いと騎士のほうである。


「テセウスさま……」


 鈴を鳴らすように控えな声とともに、冷たい手がそっと袖口に触れた。


「遅くまで残ってご迷惑をおかけして、申し訳ございません……。どうしても一目、お顔を見たかったものですから……」


 ──セレスティーネ・プランケット。


 青く艶めく黒髪に、アイスブルーに澄んだ切れ長の瞳。


 淡雪の化身のような美貌は長じるにつれてますます冴え渡り、その上品で控え目な振る舞いは、幼いながらも令嬢の鑑とされている。


 宮殿の者たちからも憧れを込めて『風花の妖精姫』と呼ばれていた。


お読みいただきありがとうございます!


間が空いてしまいすみません…

仕事と他作業を抱えてしまったため、2月中は空きがちとなってしまい大変申し訳ないです…

プロットはできてますので、なるべくお待たせせず出せるよう作ってまいります!


正統派貴公子(けどLUCK値最弱)のテセウス視点で、セレスティーネ周辺の状況説明をさせていただきます。

相変わらず運が悪い皇太子をお楽しみいただけますと嬉しいです!


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