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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
― 2章 8000回目の朝に目覚めよ ―
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第141話 糸紡ぎ姫と七人の舎弟たち

 初夏の(かすみ)漂う、逢魔が刻。


 昼間はテラコッタの煉瓦屋根が目に鮮やかな南部の花、城塞都市ミュールといえど、霧深い日没時の街並みは灰色に沈み、戦火を免れた壮麗な尖塔郡も今はただぼんやりと陰影を浮かび上がらせるのみ。


 ガーゴイルの意匠は霧に隠れ、果たしてそれが雨樋なのか獰猛な捕食者なのか、地上からは判断ができなかった。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」


 裏路地を駆けるのは、白衣を纏った壮年の男。


 重そうな往診鞄を抱え、血走った目で背後をしきりに振り返りながら、ひた走る。


 日中の激しい往来で摩耗した石畳で、よく磨き込まれた革靴が滑った。


「……くッ!」


 何とか転倒はこらえたが、膝が笑っている。限界が近い。


 もうとっくに、若いと呼べる年齢は通り過ぎた。


 いや、若い時分から、こんなに駆けたことなどなかった。


 ましてこのように、獲物として追い込まれることなど。


「!? ……ぅべッ!」


 腐った角材に気づかず踏み抜き、したたかに地面に顔を打ち付ける。


 慌てて身を起こすが、目前にそびえるのは見上げきれぬほど高い、切り石と煉瓦の壁。


(ミュールの城壁……ッ! 道を(たが)えたか……!)


 気づけば都市の端、音に名高い城塞にたどり着いていた。


 つまり、行き止まりである。


「……ッ!」


 足音などしないが、わかる。


 やつらは、追ってきている。


「わ、わ、わっ……わたしが悪かった! この通りだッ!」


 男は振り向きざま地面に跪いて、額を石畳に擦り付けた。


「――ですって。どうする?」


 公園のケーキワゴンでメニューを選ぶような、明るい澄んだ声。


 それは男が予想した背後からではなく、はるか頭上から落ちてきた。


 城塞の縁に危なげなく立つのは、一人の小さな少女と幾人かの男たち。


 昇りかけた月を背負い、細い肩口に月光が滲んでいる。


 表情は影に浸されて見えないが、風になびく癖のない淡い金髪と、左肩から伸びる凶悪なライフルの輪郭は男にも視認できた。


「う~ん。……う~~~~~~ん。どうしたもんかねえ。おれあ別に、自分の命が助かる分の金をもらえりゃあ、それでいい気がしてきたな……」


「おーーいおいおい、マッジかお前!?」


 少女の隣に立つ青年が考えあぐねたようにクシャクシャとおのれの赤毛を掻き混ぜると、他の青年たちは唖然と口を開けた。


「なあーに寝ぼけたこと言ってんだ!? すんげえ大金詐欺(さぎ)られたくせに!」


「それでエンマさんが治りゃあお前がアホで済むけども、寿命をさらに縮めるような祈祷を打ち込まれたんだぞ! 極悪人だろ!」


「こんなヤツ、簀巻(すま)きにして牡蠣の餌にする一択だ!」


「んんん~~。でもなあ。こうして謝ってるところを見るとなあ。母さんに祈祷が効かなかったのは、運が悪かっただけかもしれねえし。先生も、教会と板挟みになって辛かったのかもしれねえし」


「「「ハアアア〜〜〜〜ン!?」」」


「あっ、連絡。ちょーっと静かにしててね~」


 少女が右耳に手を当てると、うるさく騒いでいた男たちは途端に直立不動の姿勢を取り、「「「はい、アリアさん!!」」」と、自分たちの腰ほどの背丈しかない小さな女の子に対して、勢いよく頭を下げた。


 角度は直角である。


「ふむ、ふむ……そう。そうなの、わかったわ。報告ありがと、ボア」


 少し斜めに傾き、首元の何かを引き上げながら頷く少女の声音は優しげだったが、話を終え、手を下ろして地面の男を見下ろすその瞳は、凍てつくような冷たさに満ちていた。


 荒い息をして見上げる男の、片眼鏡の奥の眼は灰青色。


「家宅捜索の結果が出たわ。ギヨーム・サルヴェール……帝国衛生審議会、南部委員。上級階位でありながら、貧しい人々への往診も欠かさぬ医師の鑑」


 細い指が頬に当てられる。


「――と、こんなご立派な評判の影で、ならず者の司祭どもと手を組んで治癒祈祷を売り物に金を巻き上げてきた、血も涙もない業突(ごうつ)()り。ダヴィドに渡したものと同じ証文が、あなたの書斎から山ほど出てきたわよ」


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」


 冴え冴えと見下され、反論のための声を出すことすらできない。


(家宅捜索? ま、まさか……、邸を荒らされたのか……!? 警備は何をしていた!?)


 地面に膝をついたまま、見開いた角膜が乾いていく。


「あなたは、祈祷が効かないことを知っていた。だって……始末してきたのよね。祈祷を受けたにも関わらず、大事な人が亡くなってしまったって訴えてきたお手紙の送り主を……何人も、何人も。地裁にも訴状がたくさん届いてたけど、全部握り潰されてた。せっせと賄賂を贈ったおかげね。……ふふっ! どおりで、貧しい人たちの往診を欠かさないわけよね!」


 唇から零れたのは可憐な笑い声だったが、大きな瞳は細めてもなおひたと見据えたまま、男の手足を縫い止めて、身じろぐことを許さない。


「無学で、力なく、巻き上げるだけ巻き上げたあとは簡単に消せる獲物を見定めるための、絶好の狩り場なんだもの!」


 小さな頭がこてんと傾げられ、笑みの形を作ったままの朝焼けの瞳が、不意に黄金の炎を滲ませた。


「本当に、働き者のお医者さんだわ!」


 少女のかたわらに控える青年たちの双眸にも、煌々と澄んだ怒気が宿る。


 鍛えぬいた上腕が山の稜線のように盛り上がり、片手で掴んだ城壁をミシリと軋ませた。


「そうか……」


 赤毛の青年から漏れたのは、風のようなつぶやきだった。


「あんたにとって、おれたちは食い物でしかなかったんだな……」


「ま、待て! ……わたしも! わたしも被害者なんだ! 教会に脅されて、金を巻き上げられていた! お前たちを騙そうなんてこれっぽっちも考えていやしなかった! 信じてくれ! 邸にあった証文もだれかに嵌められて――」


「聞く必要はないわ」


 地から張り上げる男の大声も、たやすく上書きしてしまう明瞭さ。


 人の耳を惹きつける声。


「この大地の上には、取り返しのつくことと、つかないことがある。……ねえ、あなた。そうして許しを乞う人のお願いを聞いてあげたこと、一度でもあった? 何度、二度と元のようには直すことができないものを、壊してきた? これまで奪ってきた命を戻せるというのなら、戻してみなさい」


 少女は背中の施条銃を引き抜くと、男の額にピタリと照準を当てた。


「拘束が必要なら手を貸すわ」


 横顔を向けたまま、青年に言う。


「けれど、カタをつけるのはあなたよ、ダヴィド。落とし前は自分自身でつけなくちゃ、虚仮(こけ)にされた過去の自分との約束を、果たせないもの」


「ああ、アリアさん。あんたの言うこと、……よーく理解してますよ」


 一人が城壁から飛び降りると、他の青年たちもそれに続いた。


 少年時代から知っている浅瀬色の瞳が、微動だにしない怒りと――貫くような悲しみを込めて、堕ちた医師を見下ろした。


「手を貸してもらうにゃあ及びません。泥を(すす)って地を這って生きてきた、この二本の腕があるんでね」


 ゴキリ。

 大きく隆起した僧帽筋を回し、骨が太い音を立てる。


「ひっ……な、何をする気だ……!? げっ下賤な底辺どもが! 貴様らごときたとえ五十人集まろうと、わたしの一年の収入にも届かぬくせに!」


 城壁の縁に腰を下ろした少女は、ポケットから小さな鳥籠を取り出すと、口元に近づけて春の吐息のような歌を奏でた。


人知らざりし(クレーピス・トゥ) 籠よ(エリミトゥ) 秘密を(クリュプソン) 覆い隠せ(トゥ・ミュステリオン)


 空中に浮いた鳥籠から無数の柵が伸び、男たちの周囲の石畳に突き刺さる。


 肩を怒らせた七人の男たちが白衣の獲物に一歩ずつ近づくさまを、頬杖をついた黄金の双眸は、まるで子犬が戯れるのを眺めるようなくつろいだ眼差しで見下ろした。


「イッ……イヤアアアアアーーー!!」


 悲鳴は、ぬかりなく施された隠匿の魔法により霧の中に消えた。




 大衆新聞『シアン・ド・ギャルド』の片隅に、小さな記事が載った。


『神聖歴607年 4月

 南部ミューラ市において医師襲撃事件が発生。

 帝国衛生審議会南部委員が、正統教会の尖塔部分に宙吊りにされているのを見回りにきた夜警が発見した。

 医師は暴行を受けた様子だったが、命に別状はない。

 なお発見時、被害者は全裸であった……』


 ――聞いた? あの粗末な全裸医者、かわいそうな被害者じゃあなくて悪質な詐欺犯だったって。


 ――ああ聞いた聞いた。いま留置所に入れらてるんだろ。何通もの訴状が国家憲兵隊と議会守衛官に届いたもんだから、もみ消せなかったらしい。


 ――新聞は報道しないねえ。


 ――衛生審議会からの圧力だろ。それと、……もっと、ヤバいところからの。


 ――家にも泥棒が入って、有り金ぜーんぶ盗まれたんだって。


 ――は~。組織的な犯行だねえ。


 ――それだけ恨みを買ってたってことよ。いいことじゃあないか。クズが一匹、お天道さまの下から消え失せたんだ。財産を失ったんじゃあ、釈放は絶望的。これからの人生、暗くて寒い監房の中、かってえパンを食いながら、一銭にもならねえ重労働に従事する人生が待ってるぜ……。






 +++++++++






「ノッテビアンカ?」


 大衆紙(タブロイド)にすっぽりと隠れてしまう白金の小さな頭が、誌面からひょいと上げられると、朝焼け色の瞳の瞳孔が興味深そうに大きく開く。


 そのくるくると変わりやすい表情に微笑ましく目を細めて、ダヴィドは「ああ」と頷いた。


「毎年初夏の三日三晩、夜通し祭りを行うんすよ。夜中もずっと真昼のように明るい様子を指して、白夜祭り(ノッテビアンカ)って呼ばれてきました」


 この街がこうなっちまってから、もう十年以上はやってねえなあ――と、ブルーグリーンの瞳は遥かな水平線を遠く眺めた。


「おいッ若造! 手が止まってるぞ!」


「姫さんに話しかけられたからって鼻の下伸ばしてんじゃねえ!」


「すんまっせん!!」


 イリオンの荒くれ者たちから一喝を喰らい、ダヴィドは慌てて(はり)鉋掛(かんなが)けに戻った。


 仲間の青年たちからは「怒られてやんの~」と楽しげな野次が飛ぶ。


 ここは海辺のゴーストタウン、メリディエス。


 朝日が上る東南の高台、イリオン村の広場。


 ダヴィドを筆頭とした若者たちは、先だっての人狩り(マンハント)襲撃事件の責任を取り、全壊したイリオン村の復興作業の人足として、タダ働きに従事していた。


「邪魔してごめんなさいね」とアリアが眉尻を下げると、「「「とんでもねえっす!」」」とすかさず野太い応答、そして礼が返ってくる。


 頭の角度は、常に直角である。


「あっ舎弟さんたち、チーっす」


「熱中症には気を付けてなー」


「おっ少年たち! よっすよっす!」


 通りすがりのニコスとボアネルジェスが声をかけ、青年たちからも二本指を掲げた賑やかな返事が飛び交う。


「……」


 この七人の青年。


 いつの間にか、「アリアの舎弟」として認知されてしまっているのだった。




お読みいただきありがとうございます!


襲撃事件のあとの、メリディエスでの様子です。

血の雨降って地固まる!

ゴリラの力技のせいでどんな妙なかたちに固まったのかお伝えしつつ、新しい冒険の導入をしていきます!


もしお好みに合いましたら、下部の★5やブックマークを頂けますと、作者の励みになり更新頻度が上がります! よろしくお願いします!

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