閑話 祝福あれ聖餐日3
聖ヤヌアリウスの次なる目的地は、ユスティフ西南部の壮麗なる城。
西方国境伯、プランケット邸。
「……ああ、やっと来た。待ちくたびれたわ」
「ふっ……ふふふ……! 本当に暖炉から出てきた! 変な子だねえ、きみは……!」
「!?」
三軒分の灰を被って大理石の暖炉から顔を出した不法侵入者は、とっくに火が落ちているはずの居間が煌々と明かりに満たされていることに、大きな目を見開いた。
ビロード張りのソファーでワインを片手にくつろぐのは、シルクの夜着を纏った国境伯夫妻。
「おっ、お母さまとお父さま!? どうして!? この時間はお部屋にいるはずじゃあ……!?」
「あなたが来るからに決まってるじゃない。そうでもなければ、なぜわざわざ年に一度しかない聖なる夜に、こんな男と一緒にいなくてはならないのよ」
「あの〜、わたしの記憶違いでなければ、たしか……ご夫婦だった気がするんだけど……?」
忌々しそうにあごで示された『こんな男』と養母を二度見すると、フレデリクは「ぼくも心配になって時おり結婚証明書を確認しているよ」と遠い目をした。
不憫である。
「去年はよくも、何も言わずに贈り物だけ置いて帰ってくれたわね……?」
ピシリ!
「ヒッ!」
華奢なワイングラスに亀裂が入るのを目にし、アリアは恐怖で後ずさった。
「朝起きて、あれほどかわいがってきた養女にまんまと虚仮にされたと知った時……。絶対に、目にもの見せてくれると誓ったわ」
「こ、虚仮!? 何が!? しっ新年の宴でも、何も仰ってなかったじゃない!? お怒りだったならそう言ってくれれば、すぐ謝ったのに……!」
「言ったらあなた、去年とは別の手口で犯行に及んだでしょう。ノコノコ同じ手を使ってやってくる不法侵入者を確実に捕まえるため、一年泳がせていたのよ」
「くっ! 飛んで火に入る冬の不審者ってワケ……!」
『ふわあ~……もう、うるっさいわね~。お母さま、だれか来ているの?』
「!」
ガラスのサイドテーブルから上がった眠たそうな誰何に、アリアは目を見開いた。
薔薇を模った、コンパクト型の手鏡。
侵入者を待ち構えるようになぜか暖炉に向けて全開になっているそこから、氷色の瞳をした少女が目をこすりながらこちらを覗き込んでいた。
(い、いけない!)
アリアは慌ててひげと帽子を整え、低い声が出るように咳払いをした。
「ン゛ッンンッ! ……これはこれは、起こしてしまったかな、お嬢さん。わしは聖ヤヌアリウス。一年いい子にしていたお友だちへ贈り物を配る、愛の不法侵入者じゃよ」
『えっ!? 聖ヤヌアリウス!?』
重いまぶたがパッと開き、キラキラとした瞳が赤い小人を映し込んだのもつかの間。
『……アリアじゃないの!!』
(秒でバレたわ!)
パチモンはぎゅっと目をつぶって下唇を噛み、フレデリクとエミリエンヌはワイングラスを持ったまま、無言で肩を震わせた。
「……何のことかな? 正真正銘、わしが聖夜のお楽しみプレゼント配りおじいさんじゃよ。ほれ、たくさんのよいこを回ってきたこの灰が証拠」
『いやそれで誤魔化されるバカがいたら逆に尊敬するわ。幼女が老人に扮するってのがまず高難易度だっていうのに、目はピンクのままだし顔面は少女漫画だし、絶望的に低クオリティ。地面に落ちて踏まれた犬のクソみたいな出来。お前、コスプレを舐めてるの?』
「へ、へぐぅ」
『というかド直球に『バレた』って考えたわよね。わたくしにはお前の心の声が聞こえてるってこと、しばらく会わないうちに忘れておしまいかしら?』
「そうだった。わたしのプライバシーゼロなんだった」
ここに至って、アリアは老人のふりをすることをようやく諦めた。
……しかし、セレスティーネは聖ヤヌアリウスという存在を、十一歳の現在に至るまで信じているらしい。
『どうして、お前がその格好をしてプレゼントを配ってるの? ま、まさか……本当は、聖ヤヌアリウスなんて……』
わなわなと唇を震わせた姉の表情を目にして、妹は──覚悟を決めた。
「あれは……たしかそう。去年の、今ごろだったかしら」
パチパチと爆ぜる暖炉に遠い目を向けて、突然、神妙な顔で語り出す。
「北方山脈で翼竜狩りをしていた時、吹雪で一晩ビバークしなくちゃいけなくて……さまよった末、偶然見つけた洞窟に、火を焚いて休んでいる先客がいたの。金の角を持つヤギと……ひとりのご老人」
『!』
──心の声が丸聞こえの相手に、大嘘をぶちかます。
無謀すぎる挑戦の火蓋が、切って落とされた。
『も、もしかして、それは……ヤヌアリウスさま、ってこと……!?』
「しーっ!」
アリアは慌てて人差し指を立てながら、窓の外に目を走らせた。
雪の降り積もった窓に映りこむ、暖かな光に家族が照らし出された華麗な室内の向こうには、濃紺に澄んだ冬の星空が音もなく瞬いているだけだ。
「……よかった、聞こえてないみたい」
『ア、アリア?』
「お姉ちゃん、これはトップシークレットなの。はるかな昔に隠された、世界の秘密に関わる大きな宝箱……。でも、そうね。たしかにその人は、念じれば何でも出てくる不思議な皮袋も、黄金の橇も持っていたし、世界中のどんな地の果てのことも、見てきたようにご存じだったわ。まるでおとぎ話で語られたように……ね」
『なんてこと……!』
真面目くさった顔をして語る内容は、もちろん……一から十まで、真っ赤なウソしかない。
人跡未踏の北方山脈で人喰いの魔獣ども以外に出会ったものがあるとすれば、気合いの入ったストーカーくらいである。
「そのご老人……なんだかひどく、お疲れのご様子で。金角のヤギさんもヤギ界でいえば高齢者。一晩中橇を走らせることができなくなっていて、足りない分はおじいさんが徒歩で回ってるんですって。大変でしょうね、素手で煙突を上るのは……。でも、近頃はどこの国もいいこが多すぎて、とうとう配り残しが出るかもしれないって、気に病んでいらしたの」
だから荷運びのお手伝いを申し出てね――とつなげる前に、『格好は?』と質問が挟まれる。
「え?」
『どんな格好をしていらしたの?』
「……あ~~っと。たしか~……し、白いふわふわのついた赤い服に、とんがり帽子……うん! 間違いない! よく絵で見かける姿どおりのお洋服、だった気がするわ!」
ややしどろもどろになりながらも、自分がコスチュームを用意するにあたって参考にした絵本の表紙を思い出しながら、何とか答えた。
嘘を信じ込ませるコツ、その1。
少しだけ、真実を混ぜること。
夜空を駆けるバラマキおじさんなどというおとぎ話の幻想生物、真実も何もないところではあるが、アリアの頭の外から拝借したイメージを添えることで、ほんのわずかなりともリアリティが付与されるはずだ。
そう願っている。
「きっと、一着しかないんでしょうね。妖精じゃあ定職にもついてないでしょうし、現金がないんだと思うわ……」
ついでに物憂げな顔で、悲しい情報も付け加えておいた。
少しでも気をそらすためである。
生まれながらにして大貴族の一人娘は、『ふーん、お気の毒だこと』と、全く響いていない様子の冷たいリアクションを返した。
『目の色は?』
知らない。
赤い服を着た小太りの老人であること以外、何の情報もない。
(目!? 何それ!? 目なんてある!? いや普通あるか……。くっ、唸れ! わたしのイマジネーション!)
もうグラスは完全に置き、下を向いて小刻みに震えているフレデリクとエミリエンヌを、アリアはぎゅっと唇を噛みながら見上げた。
「エメラルッ……いやっ! 氷みたいな……澄んだブルーだったわ!」
『まあ、わたくしやお父さまと同じ色! 見どころがあるやつね。それなら、お顔立ちは? お綺麗だった? それとも凛々しかった?』
「え!?」
(綺麗!? 綺麗なおじいさんって何!? いえ、お姉ちゃんは美男子がお好き……! 夢を壊さないようにしなくっちゃ!)
嘘を貫き通すコツ、その2。
荒唐無稽なくらい、でかい嘘を吐くこと。
「……ええ! め、目が潰れそうなくらいの、美男子だったわ! もし学校にいたらどんな女の子だって好きになっちゃうこと、間違いなし……! きっと、学園のプリンスね!」
『やだ、素敵! ねえそれじゃ、身長は? わたくし、お父さまみたくスラリと背が高い殿方が好きよ』
ポッと頬に手を当てたセレスティーネのうるわしい微笑みに、――アリアは、完全に油断した。
(えっ嘘みたい、うまく行きそう……! よしっ! 今度は真実をひとつまみのターン!)
「ええそりゃもう、とんだモデル体型! 頭からつま先まで、全長5ヤルク超え! この部屋なら、ちょうど天井あたりが腰かしら? もちろん腕は身体の二倍! ……あっそうそう! ついでに言うと肌は緑で、脚は四本だったわ!」
……長き夜を股にかける聖者、ヤヌアリウス。
どれだけ弾圧しようとも決して消えない民間信仰の火によって、今でこそ小太りの好々爺として正教会に列聖されているが、その正体は、──二千年前の冬至のころ、日の昇らない極夜を迎える最果ての地で誕生した異形の怪物であったことが、今もわずかに残る古い歴史書には記されているのだった。
『…… どこに着地するかと思って聞いていれば……』
「なーにお姉ちゃん」
『最終的にとんでもないバケモンを爆誕させてんじゃないわよ! このテキトーこきがっ!!』
「ヒッ!」
ギャンッ! と跳ね上がった鏡に噛みつかれて、アリアは涙目で頭をガードし、フレデリクとエミリエンヌは「「ぽふうっ」」と空気の漏れるような音を出して、二人揃って床に崩れ落ちた。
失敗した。
ひとつまみのつもりで入れた真実だったが、少々……クセが強すぎた。
半泣きでプレゼントを受け取り、自分もお手製の贈り物を渡したアリアが――エミリエンヌとフレデリクにはクッキー、セレスティーネにはやけに味のある鳥の刺繡を施したリボンである――、ヨロヨロと使用人宿舎へ回る後ろ姿を見送りながら、セレスティーネは腹を抱えて笑った。
『……アーッハハハハ! あ~、楽しかった! あの女の頭をのぞき見してたわたくしが、ヤヌアリウスなんて馬鹿げたおとぎ話、信じてるはずないのに! あんなに必死になっちゃって! くくっ……ふふふふ!』
「あんまりいじめたら可哀想じゃないか、セレス」
やんわりとした父からの窘めには、『いじめてなんかないわ、お父さま』と、彼女の母によく似た、美しくも尊大な笑みが返ってきた。
『世界一かわいい、わたくしの妹ですもの。──わたくし抜きで楽しい冒険をたあ~くさんしてる、生意気でかわいい妹……!』
「……」
(つくづくエミリー似だよねえ……。ぼくの遺伝子、カラーリングしか見当たらないくらい……)
リボンを愛おしそうに見つめながら双眸に炎を燃やす愛娘の表情に、フレデリクはおのれの妻の若き頃を思い出し、遠い笑みを漏らしたのだった。