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第133話 脳筋たちのブラッド・コード

 一瞬で岬の家の二階から法典を持ってきた騎士が、「どうぞ姫君」と片膝をついて恭しく差し出した。


「ありがと! わたしがほしいものにいつも気づいてくれるわね、ティルダ!」


「えへへ……!」


 ちなみにこの脳筋騎士は、文字を読むと速やかに眠りにつく体質のため、ただの一文も読み終えていない。


 さも当然の顔をして何十人もの人狩りを叩き切っているが、全て雰囲気とバイブスで押し通している。


「えーと、第十六条! 市民の頭部、四肢、体幹部を故意に損傷させた場合、同程度の復讐を認める。第二十条! 子をさらう者、殺しても適法たるべし! それから~……第三十二条! 集団で武器を持たぬ市民を強襲し、死傷せしめた者は、一人残らず八つ裂きにして、獣に肉を与えること! ……というわけで、狩人たちは死あるのみ。わたしたちが受けた分と同じだけの苦痛を与えたうえで、奈落行きなんです。だって、法がそう定めてるんだもの!」


 ニコッ!


 花の笑みで告げられた刑法は、実際のところ――相当に、過酷であった。


 ユスティフの市民たちは、満場一致で悟った。


(いやいやいや。……蛮族の法だわ、これ)


 奇跡の千年王国、イリオン。


 鉄の塊がレールに乗って大陸間を走ろうというこの近代において、超常の力の庇護のもと、古代の伝説さながらの暮らしを続けてきた海上の島々。


 その地は王権や風土だけでなく、法もまた、千年前の面影を色濃く残したものを運用し続けていた。


 そして古代法というものはたいていの場合、近代人の目から見れば、正気の沙汰とは思えない程度には、血なまぐさいものである。


 いわゆる、血の法典(ブラッド・コード)


 かつてイリオンと海上貿易をしていた商人たちは、他国民であっても情け容赦なく裁くこの法を、心底恐れていたことを思い出していた。


(このゴリッゴリに攻撃的な刑罰……! 盗人は腕を切り落とすとか覗きは目を潰すとか、そういう類のやつ……! ど~~~考えてもダヴィドは死刑! 運がよくて、腕の三本や四本で済むかどうかってところ……!)


「あんた、よくて四肢切断。悪くて八つ裂き」


「楽に死ねるよう祈っとけ……」


「ウッ!」


 諦めの境地で遠い目をした友人たちの言葉に、ダヴィドは胸を押さえて涙ぐんだ。


「で、わたしを売り払ったダヴィドさんはというと~、……えーっとね~」


 必死で分厚い法典をめくるアリアの視界には入っていない。


「あった! 第三十八条! 市民を他国に奴隷として売り払い、金銭を得た者……タコ殴りのうえ袋詰めにして、崖上から海に投棄するものとする!」


(やっぱりな~~~!)


 ビアンカたちは天を仰いだ。


「ただし! 市民を無傷で取り返し、賠償金を支払って和解が成立した場合に限り、タコ殴りで済ませてよいものとする! 賠償額は……八百デヌス! 先輩、これっていくらくらいですか?」


「ユスティフの現在貨幣で換算すれば二千シル程度ですね」


「……!」


 莫大な金額に、跪いたままの市民たちは青ざめたが、アリアはパッと明るい笑みを浮かべた。


「よかった、首の皮一枚繋がったわね! 二千万払えば、エヴァンタイユの牡蠣の餌にならないで済むわよ!」


「い、いや……! しかし、そんな金、どこにも……」


「おれが払う」


「!」


 不意に後方から上がった声に市民たちは振り向いて、――訝しげに眉を寄せた。


(誰?)

(誰?)

(いや……誰?)


 そこには、──どの市民にとってもまるで見覚えのない、山男がいた。


 顔を覆うのは、白髪混じりの長い髭。


 キノコが生えたよれよれのバケツ帽を目深に被り、大きなリュックの上にさらに大きな薬鑵(やくかん)を背負う姿はさしずめ、万年を生きた亀の化身。


 恐ろしく汚れた背負い袋──こちらも謎のキノコが生えている──から吊るされたやけに年代物のランタンとコッヘルが、風に吹かれてカランと音を立てた。


 山男は荷物を下ろすと、パンパンに詰まったリュックの中身を大鍋にドサッと開けていった。


「……うっ!」


 強烈な、あまりにも強烈な薬草の匂いが、人々の鼻腔を殴打する。


 薬鑵(やくかん)の中に晒されたのは、ほの青く明滅する蕾、死肉のような腐臭を放つ水玉模様の球根、牙の生え揃った花弁、開花と落花を繰り返す小花、──その他、奇々怪怪な植物類。


 いずれも希少性の高い、生薬の原材料であった。


「十三年間、採り続けてきた。マンドラゴラ、シロヤナギ、ヒソプ、バーベナ、花の咲いたシダ……! 大森林の奥深くで、ずっと、ずっと」


「おいあんた……いったい、誰だ?」


「ここにあるのは金持ち連中にとって、喉から手が出るほどほしい妙薬の(もと)揃い。全部製薬して売れば、賠償金の三割にはなるはずだ。残りも必ず支払う。惜しいものなんて、あるわけねえ。……息子を救えるのなら、なにひとつ」


 山男は帽子を外すと、──万感をこめた浅瀬色の瞳で、青年を見下ろした。


「遅くなってすまなかった。エンマ、ダヴィド」


「……!」


 母と息子は、……一攫千金を狙うと言い残したまま、実に十年以上も失踪していた一家の大黒柱を、唖然と口を開けて見上げた。


 すっかり青年となった息子を見つめて、浅瀬色の目はにわかにじわりと歪み、父はごまかすように横を向いて瞬きをした。


「あのちいちゃな坊やが、いつの間にか、こんなに大きくなったんだな。おっ、おれの背丈をとっくに超えた、立派な男に……ウッ! グスッ! も、もう安心していいぞ、ダヴィド。何もかも全部、父さんに任せ――」


「すまなかったで済ませてたまるかああああ!」


「おべしっ!」


 息子に対する数倍の威力の鉄拳が、感涙にむせぶ横っ面に打ち込まれた。


 ギンギンに目を血走らせ、両足で力強く立ちあがったエンマが、地面にひっくり返った夫の胸倉を掴み上げた。


「このっクソ男ーーー! あんたが急に消えて、どれだけ! わたしたちが! 苦労したと思っているんだーーーー!」


 頸椎がねじ切れるのでは……という勢いで前後左右に激しく揺さぶられながら、ダヴィドの父は「ダッハハハ!」と涙まじりの笑い声を上げた。


「だっだって! 大森林の奥、すっごくて! 伝説の材料が山ほどあって、テンション上がってどんどん奥へと入り込むうちに、でっ……出られなくなっちまったんだ! ナハハハハハ! ほら見てくれエンマ、貴重なマンドラゴラがこーんなに!」


「笑うなああああ!」


 硬く握ったこぶしを夫の顔面に連打していくエンマを――賢者の石が完全にキマっている――、息子も含めた一同は、ただ呆然と見ることしかできなかった。


「……あの、あちらの方は」


『ダヴィド青年の御父上。インゴルフ殿が連れてきたんだよ』


 アリアの問いに答えたのは、ピアス越しのゴーレムだった。


「えっ三人いたってことですか? でも、そんなこと一言も」


『わたしも途中で気が付いたんだよ。だってねえ、荷物に載せて運搬してたものだからさ』


「荷物に」


「そうそう! キノコ先生!」


 インゴルフはニカッと邪気のない笑みを浮かべた。


「大森林に迷い込んだおれたち夫婦に、あそこでの生き方を教えてくれた御仁なんです。いや~、木の股から生まれた妖怪だとばっかり思ってたんだが、おれがメリディエスって町に行くと告げたら、自分も行くって言いだすものですから。足の遅い同行者がいるより、荷にくくった方がずっといい! 筋トレにもなりますしね。けどまさか、先生も迷ってて出られなかったたあ思わなかったけどな! ワッハハハハハ!」


(……さすがティルダのお父さま。確実にこの濃厚な脳筋DNA、娘にコピーされてるわ)


 偶然に偶然が重なって、ダヴィドの父は家族のもとに帰還することができたらしい。


「あっ! じゃあ、ティルダのお母さまも?」


「ええ! もう敵は一人残らず死体になりましたから、出てきてますよ。ほら、あそこに」


 太い指が指すほうを見ると、プラタナスの根本、背の高い女性と抱き合うティルダの姿が見えた。


 彼女のサラサラとした癖のない灰色の髪は、母譲りらしい。


「母さん……!」


 胸元に顔を押し付けてくぐもった涙混じりの小さな声も、耳に届いた。


「……素敵。あるべきものがあるべき場所に、やっと帰ってきたのね」


 アリアは眩しそうに微笑みながら、施条銃を背負いなおした。


「やっぱりこうでなくちゃ。愛は愛のもとに、思いは思いのもとに。そして、……ゴミはゴミ箱に、ブタはブタ箱に。家族はずっと幸せに暮らして、悪人には裁きが下される。よしっそれじゃあ! 100点満点の完膚なきハッピーエンド、掴みにいきましょうか!」


 粉々に砕かれたモザイクタイルを軽やかに踏みしめながら、アリアは「キノコ先生。薬草はいりません」とあっさり告げた。


「そ、そんな!?」


「ああ~違うの! これからお金は入り用だから、大事にしまっておいてってことです。――取り立てるべき場所、他にあるじゃない?」


 青あざで腫れた二対の浅瀬色の目を覗き込むと、「そう、詐欺師!」と天使の顔がウインクする。


「!?」


 からかうような可憐な笑みだったが、双眸の獰猛な輝きは、それが冗談ではないことを示していた。


「いやっ……! 医者と……司祭だぞ!? たぶんやつらはグルだ! 司祭のほうは師って言われてたから、下っ端じゃねえ! きょ、教会に楯突くなんてそんなこと、そんな……!」


「腑抜けた返事はいらないのよ」


 編み上げブーツが、白大理石の破片をガッ! と蹴飛ばした。


 火砲で打ち壊された海の生き物たちの残骸を踏みしめて、瓦礫の上に立った朝焼けの瞳は、膝をついたままの人々を睥睨した。


「負け犬たち」


 衆耳を惹きつけて止まない音色が言い放つのは、尊大な罵倒。


 しかし眩しそうに細めた眼差しも、笑みも、その反対の意思を雄弁に表していた。


「わたしはあなたたちに会いに来たの」


 東からの強い風に白金の髪は大きくあおられているというのに、巨大な施条銃(ライフル)を左肩にかけ、分厚い法典を右脇に抱えた華奢な身体は小揺るぎもせずに、気楽そうに小首を傾げた。



お読みいただきありがとうございます!


薬鑵…魔女が薬を煮たりするあのでかい鍋

エヴァンタイユの牡蠣の餌にするぞ…海のヤカラどもがよく使う脅し


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作者ピクシブアカウントはこちら→「旋律のアリアドネ」ピクシブ出張所
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