第121話 鉄の獣
小さな王と側近たちは、二百のゴーレムたちとともに人狩りを迎撃していた。
前も見えない土砂降りの中、ティルダとゴーレム剣槍部隊を前衛、アリアとゴーレム施条銃部隊を後衛とし、ニュクスがあたり一面に張り巡らせた魔力回路で即時回復させながら、断続的に撃ち込まれる火砲に対処する。
損害を避けるために、敵を半減するまでは他のイリオスには岬の家でじっと身を潜めるよう命じていた。
「オラアッ!」
「ぎゃッ!」
ティルダの右腕でうなりを上げるのは、籠柄のクレイモア。
本来両手持ちであるはずの大剣を軽々と片腕で振るって敵のみぞおちを抉り取り、身を翻しざま、左腕に持つ盾でまた別の敵の顎を砕く。
「ようこそ、狼の巣へ!」
額から頬まで一直線についた返り血を拭いもせずに、鋭い犬歯を剥き出しにして、爛々と赤眼を光らせた猟犬の裔の少女は大きく笑った。
「今夜狩られるのは貴様らの方だ!」
黒煤色の濡れた革鎧が鈍く光るハンターどもの中にあって、灰色の髪をした騎士は、誰にも手のつけようがない獰猛な鉄の獣だった。
体格で劣ることを逆手に取って地を這うように敵中を縫い、視界の範囲外から革鎧の隙間を過たず貫いていく。
ゴッ!
「あがッ!」
古めかしい凧型盾が鍋フタのごとく傍若無人に振り回され、顔面を潰された狩人の歯が弾き飛ぶ。
この騎士の場合、盾は防具ではなく鈍器であった。
「あ゛あ゛あああッ!」
「痛え! 痛えよおッ!」
「こっこんなバケモンがいるなんて聞いてねえよ!」
「クソッ、怯むなあ! 寄って押し潰せ! まだガキじゃねえかッ、まとめてかかりゃあひとたまりもねえ!」
五人の男たちがスクラムを組み、少女の身動きを封じて息の根を止めようと圧しかかる。
ティルダは腰を落とし、息を止めた。
足裏の三点を起点に身体の各関節の位置を整え、鍛え抜いた筋肉に爆発的な司令を下す。
「……フンッ!」
「「「うおおおッ!?」」」
複数の成人男性が組んだ円陣を当然のごとく弾き飛ばし、そのまま勢いを殺さずに、返す刃で手近な敵の首を跳ねた。
「あ、あ、ああ……っ」
「ひえぇ……!」
ボールのように飛んできた仲間の首を身体に受け、狩人たちは涙目で腰を抜かした。
涼しい顔で剣の血を振り落とした騎士は、男どもに直接触れた肩を手で払い、よじれたサスペンダーをパチンと直して、──呆れきったような、長い長いため息を吐いた。
「ハアァア~~~……」
死を目前に凍り付いた男たちを睥睨するのは、傲然と軽蔑を隠さないガーネット。
「クソみたいな筋肉。クソみたいな剣技。おまけに、クソにたかるハエのようなツラ揃いと来た。貴様らいったい……これまでの人生、なにをして生きてきたんだ?」
白刃が容赦なく走る。
まだ幼いとすら言えるほど年若い騎士は、敵の血潮を真正面から浴びて、高揚した笑い声を上げた。
「ヒャハハハァッ! 泣くほど嬉しいか醜い豚どもが! 我が君の御前で、そのクソまみれの人生に引導を渡してくれる!」
(……めっっっちゃくちゃ、楽しそうだわ~~……)
銃撃部隊とともに援護射撃を行いながら、アリアは遠い目をした。
猟犬の血をひくハーゼナイゆえの知覚能力。
人類として規格外の怪力。
何より、英雄譚の騎士を目指して幼い頃より脇目も振らず鍛錬し続けた技能を前に、単身で歯が立つ敵はいない。
状況を音声で聞いているニコスたちからも『こっわ』『敵かわいそう』『こっちが悪の組織じゃん』『まあテロリスト集団みたいなもんだし妥当な民度でしょ』と、諦念まじりのコメントが寄せられた。
『敵は背後の林にも分散したよ。挟撃を狙っている。気をつけて』
「了解!」
ネメシスは地の露にいながらにして、遠隔で戦場巡視を行っていた。
数歩離れれば相手の顔も見えぬほどに深い闇夜。
視界も聴覚も塞ぐ激しい風雨。
敵味方入り乱れて見分けもつかぬような状況で、いったい何をどのようにして探知しているのか定かではないが、現地のアリアたちが察知するよりも早く敵の動向を伝えてくれた。
返事をした瞬間、早くもニュクスが操るゴーレムの手で林に手榴弾が投げ込まれ、真昼のように濃い光と影が、木立の輪郭をにわかに露わにした。
一呼吸置いて、爆風と熱がこちらまで届く。
(大丈夫! いつもどおりやればいい……!)
したたかに瞼を打つ雨を拭いながら、アリアは胸中で言い聞かせた。
人狩りを狩るのは、すでに四度経験している。
いずれの時も同じ体制で戦い、こちらには大きな怪我もなく敵の殲滅に成功するという完勝を収めた。
だがこれほどの人数を相手にするのも、聴覚を塞ぐほどの荒天を強いられるのも、背後にイリオスたちを背負って戦うのも、初めてのこと。
「十億シルちゃあああん!」
「!」
ハンティングソードを構えた男が、前衛のゴーレムの壁を突破して接近した。
ガラ空きの胴体に雷撃弾を打ち込むが、わずかに軌道が逸れて致命傷を免れる。
「ハッハハァッ! 効かねえよおお!」
雷撃弾が肉を抉るついでに半身を感電させ、口から血泡を吹いているというのに、果てのない欲に侵された目だけは爛々と獲物を見据え、動く方の腕で襲い掛かってきた。
「姫君!」
首を切り落としている最中のティルダが青くなって叫んだが、アリアは敵から目を離さず、素早く腰の短剣を引き抜くと銃口の右に滑らせた。
着剣。
同時に、撃鉄を倒す。
腰を落とし脇を絞め、槍と化した施条銃を渾身の力を込めて下から打ち込んだ。
(狙いは――喉!)
ズドッ!
「ごえ゛っ!」
肉を貫く重い抵抗、骨に当たる手ごたえ。
喉下から脳幹を貫かれた男は鼻と口から血を噴き上げ、雨よりもずっと熱い血潮が顔にかかった。
生ぬるい体液が襟元に伝い落ち、鎖骨に溜まっていく。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……!」
敵は舌を出して絶命し、アリアは荒い息をつきながら、成人男性の体重がこちらへ圧しかかる前に死体を前方へ蹴飛ばした。
人を刺し殺すのは、初めてだった。
だがこれくらい対処できなくては、話にならない。
「よし」
小さく頷いたのは、敵を無事屠ったことだけではない。
銃も魔法もなしで初めて人を殺した自分の心が、相変わらずヒビ一つ入ることなく凪いでいるのを感じたから。
ひそかに危惧していた。
勇ましいことを言っておきながら、いざ実際にこの手で人間の血を浴びたら、心折れるのではないかと。
少なくともショックのあまり嘔吐くらいはするだろうと思っていたが、緊迫感でわずかに手が震えるだけで動揺はその片鱗すら見せずに、胸中にはただ、ピンと張った水面のように静かな怒りがあるばかり。
(いや。……いやいやいや。さすがにどうかしてるわ)
ドロドロになった白金の頭を押さえながら、地獄絵図を映しこんだままの朝焼けの瞳は、呆れ果てたようにぐんにゃりと据わった。
(あの先輩ですら、初めて人を殺した時には動揺してたのに……わたしの精神、どうなってるの? 何製?? ……これはことによるとお母さん、本当にわたしのことを大怪獣として設計したのかもしれないわね)
「片付けたわよ~。心配ご無用!」
『『『はぁあ~~~~……!』』』
朗らかに報告すると、通信装置の向こうからいくつもの安堵の息が深々と吐き出された。
剣を抜こうとしたが、顎の骨にひっかかったのか頑として抜けようとしない。
ティルダやニュクスであれば折るなり砕くなりしてたやすく引っこ抜くに違いないのに……と、アリアはどれだけ鍛えても非力な自分の両腕を恨めしく見下ろした。
こちらへ忍び寄る気配を聞きつけ、仕方なく短剣は死体にくれてやることにして施条銃だけ抜き取った。
素早く次弾を装填する。
「敵勢力、サイロを迂回して接近中! 銃兵第一第三は引き続き銃剣部隊を援護! 銃兵第二、右後方に転回! 充分に引き付けて……」
号令に応じてゴーレムが分割され、一ダースの土人形が向きを変える。
アリアもおのれの右肩に銃床を固定し頬を当て、撃鉄を起こすと引き金に指をかけた。
「放て!」
稲妻が地を走り、銃声が轟く。
絶叫と怒号。
砲撃、刺突音が雷鳴と混ざり合う。
聞こえすぎる耳には死にかけの狩人どもの喘鳴すら届く。
神経を逆なでするようで奇妙に調和した音楽が、ひっきりなしに鼓膜をガタガタと揺らした。
(あ゛~~~~……うるさい。うるっさいわね~~~!)
土砂降りの暴風雨に塞がれた聴覚を無理やり鋭敏に冴え渡らせる中、かつてない大音量の戦場音楽を絶え間なく聞かされ続け、神経は確実にすり減りつつあった。
++++++
激しい銃撃戦の音は、坂の下の町にも響き渡っていた。
常軌を逸したやかましさに目を覚ました市民は、真昼のように明るい閃光、炎上する雑木林を見上げ、なぜかこんな夜更けに町内の高台で大規模な戦闘が行われていることを悟った。
全く状況を掴めぬまま、大砲の音に怯えながら坂の下までたどり着いた市民が目にしたのは、黒灰の革装備を身に着けた屈強な男たち。
「なんだ、あんたらは……!?」
「あ゛あ゛!?」
楽な仕事で大金が手に入ると思っていたのに、想定外の抵抗――というよりもはや返り討ち――に遭い、気が立っていた狩人たちは「んだよただのユスティフ人かよ!」と市民に怒鳴り散らした。
「てめえらザコはお呼びじゃねえんだよ! 一銭にもならねえ、カスが!」
「おれらは人狩りよ! ここにいる半獣どもを頂きにきた! 邪魔ァすんなら、お前も殺してやろうか!」
「ヒッ……!」
人身売買に縁のない一般市民に、荒くれ者どもが言い放った言葉の意味するところは理解の範囲外だった。
――ただわかるのは、高台の半獣たちが厄介ごとを持ち込んだのだということ。
こんな嵐の中、温かいベッドから引きずり出され、びしょ濡れになっているのは誰のせいか。
タチの悪い者どもを連れ込んで、ドンパチ騒ぎをしているやつらのせいじゃないか。
せっかく整備したばかりの道は馬糞で汚され、話の通じない様子の暴漢は今にも善良な市民たちに刃を向けかねない。
(迷惑をかけずに暮らすといったくせに……!)
岬近くに済む壮年の男は、引っ越し初日の半獣たちの約束を思い出し、歯噛みした。
「わたしらは関係ない! 勝手にあの半獣どもが住み着いたんだ!」
「こんな騒ぎを起こすなら、どっか行ってくれ!」
一言目は黒皮の男たちに対してだったが、二言目は坂の上の半獣たちに向けてのものだった。
一人が叫ぶと、溜まっていた鬱憤を思い出したように次から次へと野次が飛んだ。
「出て行け! 半獣ども!」
「昔っから厄介ごとばかり持ち込みやがって!」
「お前らは疫病神だ!」
「出て行け!」
「出て行け!」
「「「出て行け!」」」
坂の下から届く怒号が鼓膜を打ち、常ならば気配を感じ取るはずの耳は一瞬、その役目を忘れた。
サイロの影で銃口を向ける敵にネメシスは気づいたが、この距離であればアリアの耳が察知せぬはずはないと判断し、報告を上げなかった。
だが一拍置いてもまだ排除に動かぬ王を見て、――おのれが判断を間違えたことを悟った。
『アリアくんッ!』
「!」
一発の銃弾が、小さな金の頭を撃ち抜いた。
アリアはディズニープリンセスに転生した田中角栄(嘘)、汚い言葉は、ほぼ使わない設定です。
その分、ティルダ筆頭に他のキャラが喜々として罵倒を繰り出します。クソが多くて失礼しました。