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第120話 稲妻

 嵐の夜の、少し前の日暮れ時。


 ダヴィドは二階の廊下、母の部屋の前に所在なく佇んでいた。


 強い風が窓枠をガタガタと揺らし、耳障りな振動が絶えない。


 ――ギッ。


「……!」


 椅子をひいて立ち上がる音を耳にして、もたれていた壁から身を起こす。


「司祭さま……っ、先生……! は、母は……!?」


 部屋から出てきたのは、青藍(アズライト)の光沢も滑らかなビロードに銀刺繍が施されたローブ。


 神聖教会の高位聖職者の祭服を纏った司祭は、ダヴィドを一瞥もせずに階段を下りて行き、帽子を手にしたサルヴェールがその後ろに続いた。


「もう終わったん……っすか?」


 部屋に入ることまかりならぬと禁じられたために、ダヴィドはずっと廊下で待機していた。


 モゴモゴとした(まじな)いのような声が聞こえはしたが、まばゆい光が放たれるわけでもなく、妙なる音楽が奏でられるわけでもない。


 あれほどの大金をかけたにしては、あまりにも呆気なかった。


 冷え切った灰青色が、片眼鏡の奥からジロリと見下ろす。


「ボキューズ師は教会でも稀に見る優れた祈祷師であらせられる。迅速に済むのは高い神聖力のなせる技。無礼な質問をするな」


「す、すいません。……あっ、茶でもいかがっすか」


 客人に飲み物の一杯も出さないのは非礼ゆえ勧めたが、ボキューズという男は、煤のついた壁、年代物の椅子とテーブル、端が欠けたティーポット、いつ買ったか思い出せない廉価品の紅茶缶を、たっぷり時間をかけて眺め回し、「……結構」と顔を背けた。


「あ、さようで」


「老女の肺病は快癒した。わたしはこれにて失礼する」


 踵を返す際、やたらと長いローブの裾がわずかに椅子に触れたのを大げさな素振りで引き寄せて、司祭は足早に帰っていった。


「先生。母はいつ目が覚めるんですか?」


 祈祷が始まってから意識を失った母親のことだけが気がかりで、二階を見上げながら問いかける。


「祈祷は精神に負担がかかる。明朝には目を覚ますだろう。十年前の、健康な身体を取り戻して」


「……!」


 疲れ果てた浅瀬色の瞳に、じわりと涙の膜が張った。


「ああ……! ありがとうございます! 本当に、なんといったらいいか……!」


「わたしもこれで。……よく金を工面したものだ。エンマ夫人は孝行者の息子を持った」


 この医師が何かについて感想を述べるのは初めてのことだった。


 それも、自分を褒めるだなんて。


 面映(おもは)ゆいような――ネジでも飲み込んだような違和感を抱きながら、サルヴェールを見送った夕刻。


 厚い雲におおわれて落日は姿を見せず、常よりも早く夜へ変わった。


 闇が深まるほどに雨脚は強さを増していった。


 月の上らぬ真夜中。


 浅い眠りに浸っていたダヴィドは、馬のいななきで目を覚ました。


 二階の窓から見下ろすと、かき消されそうなガス灯の火に照らされて、騎乗した男たちの隊列が目抜き通りを埋め尽くしていた。


 列の始まりも、終わりも見えない。


 闇に溶け込むダークグレーの革張りの装備が土砂降りの雨に打たれ、かぼそい光を反射している。


 その一群がおのれの引き込んだ者たちであることに、二度ほどゆっくり瞬きをしてからやっと、気が付いた。


(今夜……だったのか……)


 五日前。


 一刻も早く金がほしかったダヴィドは、男たちに出会ったその晩のうちに、躊躇なく高台の家々を教えた。


 証拠がなくては金を渡せないというので、見るからにヤクザ者の見知らぬ男どもと四人、見晴らしのいい崖上で夜を明かし、朝を迎えた半獣(セーミス)たちが家から出てくるのを待った。


 澄んだ日差しが、海辺の街に(きざはし)を描き始めた早朝。


 最初に姿を現したのは、岬の家の女だった。


 手に洗濯カゴを持ち、南の庭に立てた物干し竿にロープを渡していく。


 不意に、小さな人影がぴょんと子ウサギのように後ろから現れた。


 淡い金の髪を下ろした、幼い少女。


 日差しに照り映えて、それ自身が小さな太陽のように輝く。


 少女は、後ろを振り向こうとする女をくぐるようにして半ば無理やりカゴに手を突っ込むと、背伸びをしながらシーツをロープにかけていった。


 朝の風にはためくシーツは手に余るほど大きく、時折、小さな身体を連れ去ろうとするかのようにすっぽりと覆い隠した。


『おいッ! ありゃあ……!』


『何だ?』


 男たちが浮足立ち、望遠鏡を代わる代わる覗き込む。


『……』


 覗かなくても、ダヴィドにはわかった。


 陽だまりを絹糸に織り上げたような髪が、風になびいている。


 明けていく東の空と同じ色をした大きな瞳は、朝日を受けてキラキラと輝いている。


 少女は女を呼び寄せてなにかを耳打ちすると、二人で顔を見合わせて笑った。


 平穏を音に表したならきっとこのようだと思わされる、何の憂いも苦しみもない無邪気な笑い声が、そんなはずないのに遠く離れたこの耳に届いた気がした。


『間違いねえ……! 懸賞金の半獣だ!』


『っしゃオラァ! これで遊んで暮らせるぜ!』


『おい。約束』


 喜色満面でガッツポーズをした男たちにすかさず釘を刺すと、一番大柄な男は笑みを残したまま、『ああ。覚えてるとも』と頷いた。


『あのピンクの半獣(セーミス)以外に手は出さねえよ。それと、これ』


 ぞんざいに放られたのは、ずっしりと重い革袋。


 昨晩サルヴェールに渡したものよりさらに重量のある袋に、一瞬取り落としそうになる。


『あまりは後で届けさせる。感謝するぜ、相棒』


 大きな手が、バン! とダヴィドの肩を親しげに叩いた。


 ――横殴りの暴雨の中、ガラガラと低い音を立てて道をゆく荷馬車。


 革の目隠しがずれると、鉄格子を嵌めた巨大な檻を運搬しているのが見えた。


 家禽用にしては大きく、魔獣用にしては格子の間隔が狭いそれは、人間を捕獲するための檻。


 騎馬した男たちの肩からは禍々しい武器が伸び、乏しいガス灯の明かりを受けて鈍く黒光りしている。


 夜闇に輪郭が溶け込んだ隊列は、無数のトゲを生やした長大な一匹の毒虫にも見えた。


 怪物どもはいつまでも途切れることなく、列を為して進んでいく。


 馬が()く、あの長い筒は何だ? ――大砲だ。


 城でも落とせそうな長い長い筒のカノン砲を砲車に乗せて、男たちは夜の坂道を上っていった。


 無力な人々が、何も知らずに眠る場所を目指して。


「……いや」


 声を出して、首を振る。


 おのれの悪事を咎める者などいないのに。


「あんなの、ただの脅しに決まってる。お貴族さまのペットに、手荒な真似をするもんか……」


 耳に触れるそれがあまりに浅はかな欺瞞に聞こえ、ダヴィドは窓から離れると、何も見なかったふりをして固く目をつぶった。






 +++++






 ドン!


 雨音を切り裂いたのは一発の銃声。


「出てこいウサギども! 大人しく出てくれば五体満足で連れて行ってやる! 出てこねえなら、子どもの腕を切り落とすぞ!」


 ()()の際、この集団は常に脅迫から始めた。


 気位高く好戦的なイリオン人による必死の抵抗は狩人側に犠牲が出ることも多いし、何より銃弾もタダではない。


 無抵抗で引きずり出すに越したことはないのだ。


 闇に飲み込まれそうなガス灯が明滅し、寝静まった白い家々を淡いオレンジ色の光が朧に浮かび上がらせる。


「気をつけろ。やつらは超常の力を使う」


「ヘッ! この人数相手じゃあ、ブルっちまって何もできやしませんよ! 神話の英雄でもあるめえ!」


「大物は奥の家だ! 進め進めえ!」


 着剣した銃剣を手に、ならず者どもが一歩、村の境界をまたいだ瞬間。


 誰かが息でも吹きかけたかのように、突然全ての街灯がかき消え、月のない夜は完全な暗闇に呑み込まれた。


放て(バロー)


 その声は、鼓膜を塞がれたような横殴りの雨の中でも、不思議と耳に届いた。


 稲妻が地を走る。


 ──バリッ!


 先頭の大男が黄金の閃光に貫かれ、一拍置いてぬかるみに倒れ込んだ。


「……あ?」


 そのひときわ大柄な男は、二百人を超える無法者どもを束ねるボスであった。


 制裁として素手で部下の頭蓋骨を割ることすらある強権的な男は、しかし今宵、口から血泡を吹き白目を剥いて、悲鳴一つ上げずにあっけなく絶命した。


 ハンターたちは、ぽかんと口を開けて見下ろした。


「こんな夜遅くによそのおうちにお邪魔したらいけないって、教わらなかった?」


 澄んだ楽器のようなこの声は、どこから聞こえるのか。


 強すぎる雨が壁となって判別できないというのに、敵は男たちを正確に認識しており、二度、三度と閃光が走るたび、確実に数を減らした。


 ドッ、と重いものが落ちる音に目をやると、ボスの隣にいた男の首が地面を転がった。


 集団の中では二番目に戦歴の長い、No.2の立ち位置を誇る男。


「マナーを知らぬド低能の豚どもが。我が君のお手を煩わせたこと、その薄汚い命で(あがな)え」


 傲然と侮蔑をあらわした少女の声が、無数の人壁の向こうから投げ付けられた。


「!」


 ――囲まれた。


 気がつけば前方の広場にも、崖上の段々畑にも、屋根の上にも海へ続く階段にも、こちらの勢力に比肩する数の敵兵が足音一つ立てずに、即応態勢で待機していた。


(……いや。人間じゃ、ねえ)


 他の者より一足早く闇に目の慣れた年若い狩人は、その正体に気がついた。


 それは、泥で作られた人形だった。


 二対のうつろな空洞を(まなこ)とし、奇妙に釣り上がった裂け目を口とした人形どもは、聖餐日(ヴァノーチェ)に飾るジンジャーブレッドマンに似ている。


 それが屈強な成人男性の大きさで形作られ、間抜けにすら見える顔に明確な殺意を込めて、着剣した銃剣を両手で握り、突撃の命が下る瞬間を今か今かと待ちかねていた。


「こいつらッ――ウサギじゃねえ! ()()()の方だ!」


 上げた大声にも見開いた目にも、人知を超えた力に対する恐怖が滲んでいたが、――かつて幾人ものウサギをなぶり殺しにした経験が、人を狩る道を選び取らせた途方もない欲深さが、口の端を歪に吊り上げさせた。


「金になるぞ!」


 男の(げき)を耳にして、(つか)()逃げ腰になっていた狩人たちも、再び猛り立った。


「ビビってんじゃねえ! 照明弾投げろ!」


「大物をとっ捕まえりゃ、お貴族暮らし! 地獄か天国かどっちか選べ!」 


「オラッ! 後ろから大砲がぶっ放すぞ! 突っ込めええ!」


 カノン砲が轟音を上げて、おもちゃのように愛らしい家屋に向けて撃ち放たれる。


 ――しかし中空で放物線を描く最中、ピタリと動きを止めた。


 ありえない場所で固定される砲弾を、男たちは目を見開いて見上げた。


「また火砲か、バカの一つ覚えが。二十年前ですら魔法があれば、片手で対処できたものを」


 憐れみすら滲ませて軽蔑しきった少年の声は、三人目のものだった。


 パン! と平手打ちのような音とともに砲弾は隊列へ撃ち返され、鍛え抜かれた獰猛な狩人どもを、呆気なく肉塊へ変えた。


「ぎゃああああ!」


「足が! おれの足が取れたあああ」


「固まるな! 散れッ! 散れえ!」


 阿鼻叫喚の中、一人が上空に閃光筒を打ち上げる。


 流星のように弾けた光はにわかに辺り一面を明るく照らし、泥人形の間から銃口をこちらへ向ける、小さな少女の輪郭を浮き彫りにした。


 陽だまりを織ったようなプラチナブロンド。

 

 暗闇でひときわ強く輝く、燃える黄金の瞳。


 泥に塗れた顔を包み隠さず照らし出されても微動だにせず、その双眸は果敢に敵を見据えていた。


 男たちは一瞬静まり返り、──快哉をあげた。


「十億シルだあああ!」


「あら」


 少女はわずかに眉をひそめると、両手を上げた男の胴を撃ち抜いた。


「それ、わたしの懸賞金? やだわ~あの人。倫理観だけじゃなくて金銭感覚まで狂ってるのね」


「全くです。桁が違う。姫君の身柄を手に入れようとするなら最低五十、いえ百億は必要です。手配書を見かけたら書き換えておきます」


「や、やめて。詐欺広告よ」


 ティルダはすでに八人を屠った剣の血脂を振り落とし、晴れ晴れとした笑みをアリアに向けた。


 アリアは敵から目をそらさずに、次の銃弾を銃口から装填する。


 今夜の魔法式施条銃に込めてある弾は、悪天候時にも高い殺傷力を持つ雷撃弾である。


 発砲時に魔力を消費するがその分威力が高く、普通の弾丸なら助かる可能性がある場所であっても、高確率で命を奪う。


 胴体にしか当てられない王のために、ニコスが知恵を出してネメシスたちと発明した銃弾。


「作戦は開始したわ」


 チョーカーを撫でると、屋根の上でゴーレムを差配しているニュクスにも、家の中で固唾を呑んで待機している子どもたちにも、アリアの声が届いた。


 本当なら誰よりも奥にいるべきなのに、なぜか前線に立ってしまっている王。


「本作戦の目的は敵部隊の殲滅。負傷者も後方支援も、わたしたちを狩ったやつらは誰一人、この地から生きて帰ることを許さない。――燼滅(じんめつ)せよ、獣ども!」

お読みいただきありがとうございます!


間が空いてしまいすみません。。

2週間ほど仕事が忙しいので間が空きがちになってしまうかもしれません。

早く出したいのでお待たせしないようにがんばります!


アリアの使っている銃は前装式のミニエー銃というライフルを想像しています。

魔法式なので火薬は不要です。


もしお好みに合いましたら、下部の★5やブックマークを頂けますと、作者の励みになり更新頻度が上がります! よろしくお願いします!

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[良い点] やっちまえー!と思いながら読んでますw アリアドネの自分も前線に出るところ、ヒヤヒヤしちゃうけどかっこいいです! [気になる点] ダヴィドは、半獣たちが本当はどんな扱いをされてるのか知った…
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