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第113話 置き去りの町、輝くもの(1)


「むにゃむにゃ……。う~ん、公衆衛生……20ヤルク……ハッ、寝てた」


 南のアーチ窓から容赦なく朝日が差し込む、二階の自室。


 アリアは机にもたれていた重たい身体を起こし、「ふわあ~~」と気だるい伸びをした。


 昨夜、仕事をしたまま寝てしまったらしく、頬には書類の形の四角い跡がくっきりと残っている。


 肩にブランケットがかけてあるのは、ニュクスだろうか、ティルダだろうか。


 窓の外には蒼穹と群青から為る水平線が、どこまでも続いていた。


 (かすみ)に遮られ、イリオンは見えない。


「さーて。今日も一日、がんばらないとね」





 イリオスたちの区画の整備は、目を見張る速さで進められた。


 外から様子を見ているだけだったメリディエスの民にとっては、まさに魔法としか思えないほどであった。


 六軒の家はものの四日で建ち、五日目には井戸も作られた。


 間を置かず崖上へ続く坂道が舗装され、ガス灯が火を灯しはじめた。


 崖下の草原も何かに使用するらしく、どんどん藪を刈り取っている。


「……あれ? 道が新しくなってる」


 ビアンカは足元を見降ろして呟いた。


 昨日まではたしかにひび割れて、場所によっては陥没さえしていたというのに、靴を滑らせても突っかかりがないほど綺麗に修復されているのだ。


 その真新しさに、二十年前のこの町の栄華を思い出して青い目を細めた。


 海を越えた旅人たちが集う、エヴァンタイユの象牙。


 彼らを楽しませる野外酒場の踊り子として、ビアンカはかつて舞台に立っていた。


 観客の視線を熟知した動き、魅力的な表情。


 メリディエスで一番のダンサーとして名を馳せたものだが、町が没落してからは同じように、彼女自身も身を落とした。


 今は男から逃げ、隣町の酒場で働いている。


「この道」


 日陰の崩れたベンチに座っていた老婆が、ぶっきらぼうな口調で吐き捨てた。


 ビアンカにとっては子ども時代から知っている相手だ。


「あの子らが補修したんだよ。最新式のトレサゲ工法だ、半獣ごときに直せるはずがないって怒鳴ったら、『そういう名前の舗装なんですね! 教えてくれてありがとうございます!』って、ニッコリして」


 忌々しいと言いたげに眉を寄せていたが、瞳は海面を映して、かすかに揺れていた。


「……もうとっくに最新なんかじゃあないって、調べてわかっただろうに……」


「……」


 この町は、二十年前に置き去りにされたままだ。


 無尽蔵の資源、地脈『魔力母(アルカナマーテル)』の発見。


 魔術機関の発明。


 技術革新により他の地域が発展の歩みを進めていくなか、中央からもどこからも見捨てられ、ただ思い出だけを抱きしめて、美しい美しいと撫で続けている。


(いったいどうして、こんな場所に……あの子たちは、来たんだろう)


「だが、おかげで足をくじくことが減ったよ」


「ああ! どういうつもりか知らないが、こっちの井戸もついでに整備してったらしい! 水が出るなんていったい、何年ぶりか……!」


「使えるものは使わせていただくとしようぜ。……あちらだって、そのつもりだろうよ」


 行く場所のない老人たちが、軽薄な軽口を叩く。


 その時。


 不意に、目を開けていられないほどの突風が吹いた。


 鋭い風に混ざって臭うのは――鉄錆(てつさび)に似た、獣臭。


「!」


 まぶたを開けると、濁った黄色い目と目が合った。


 頭部は、瞳孔を見開いた山猫。


 鋭い鉤爪を備えた六本の足。


 長い尾を振るい、甲羅の上から赤いトゲを無数にはやした、小さな店ほどの大きさもある魔獣。


(タッ、竜甲羅(タラスク)……!)


「ヒッ! ヒィィィィ……」


 どこからかひきつった悲鳴が上がったが、それが自分のものかすら判断できなかった。


 タラスクとは、ユスティフ南部に住まう竜の一種。


 ふだんは深い森林に身を潜めているが、時折こうして町に降りてきては、人を喰らう。


 なすすべもなく食い荒らされるのは、警邏も守備隊も持つことができない、見捨てられた辺境の宿命であった。


 目抜通りフェニーチェの端、朽ちかけたプラタナスの根本。


 集まっていたのは、ビアンカのほかには老人ばかり。


「たっ、助けてくれ!」


 腰を抜かした誰かが倒れたが、地を駆けて逃げる足音はいまだ、一つも立っていない。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」


 心臓が早鐘を打ち、こめかみが痛いほど脈動している。


 浅い息をすることしかできない。


 足は地面に縫い留められてしまったように、動かない。


 魔獣は、重たい殺意をこめた目で人間の動きを凍り付かせながら、悠々と六本の足を互い違いに動かして近づいてきた。


 舗装されたばかりの道に、海辺の街の濃い影が伸びる。


火花(スピンシーラス)!」


「ギャッ!」


 ――その声の引力に気を取られて、鼻の頭を熱いものが掠めた感覚は遅れて届いた。


 魔獣との間に滑り込んできたのはプラチナブロンド。


 癖一つない猫っ毛が、海風にサラサラとなびく。


「お怪我はありませんか!?」


 正面を向いたまま、わずかにこちらに傾けて尋ねた朝焼け色の瞳は、場違いなほどにキラキラと輝いていた。


「姫君。あれはタラスクです。植物を祖とする魔獣ゆえ、たしかに火が有効。ご存じだったのですか?」


「ううん、たまたま!」


 軽やかに革靴を鳴らし、一瞬にして少女の隣に並んだのは、灰色の髪をした美少年――いや、男装をした美少女。


 歓楽街で長年働いてきたビアンカの目はごまかせない。


「さすが神々に愛されし我が主……! 二者択一の選択で、必ず当たりを引き当てる豪運! 強くてかわいい世界一!」


「照れるわ〜」


 長いまつげに彩られた切れ長のガーネットがにわかに潤み、両手を合わせて賛美を贈った。


「で。いかがいたしましょう?」


「そうね~。せっかくの初対面だし……ペットになってもらいましょ!」


「御意。――纏え 稲妻(アストゥラピ)


 男装の少女は腰の剣を抜き、謎めいた呪文を唱えながら指で触れた。


 ――パリッ


 少女の持つ剣が、青白く明滅する光を帯びる。


 それは春の終わりの稲妻によく似ていた。


 ブロンドの少女は施条銃(ライフリング)、男装の少女は大剣(クレイモア)を、それぞれ魔獣へと向けた。


「さ! お邪魔虫はお片付けしましょうね!」


 逆光に向かう二つの背中は、まだ子どもだというのにひどく頼もしく、――ビアンカの目を惹きつけて止まない何かを持っていた。


「アリア! ティルダ!」

「急に走り出すのやめてって何度……うわ魔獣じゃん!」

「あっ」

「げ……」


 少女たちを追って、後から数人の子どもたちが駆けつけてきた。


 黄色い目がぎょろりと動き、年老いた獲物よりもっと柔らかくうまそうな獲物のほうへ照準を向ける。


(ダ、ダメッ!)


 老人たちも、息をのんで悲鳴を上げた。


 子どもが喰われるくらいなら、年老いた自分が喰われたほうが、ずっとずっとマシだ。


 そう思うのに、手も足も、この喉すら恐怖に支配され、思うままに動かすことができない。


 気づけば空間を切り取りでもしたように子どもたちへ近づいたタラスクは、鋭い前脚を振りかぶろうとして、――動きを止めた。


 鼓膜を貫くのは、濁った苦痛の咆哮。


「礼儀がなっていない。姫君の御前だ」


 甲羅の上にいつのまにか跳躍していた男装の少女が、大剣の切先を深々と獲物の首に突き立てていた。


 青白い稲妻がバリバリとけたたましい音を立てて明滅し、六本の脚が跳ね上がる。


 宝石のような濃い紅い瞳は、のたうち回る魔獣を傲然と見下ろした。


「跪け。下がるのは、許しを得てからだ」


 剣を抜き血を払うと、地面に半月状の赤い軌跡が描かれた。


 タラスクはまるで命に従ったかのように巨体を地につけて、斜めに傾ぎながら泡を吹き、ビクビクと痙攣を繰り返した。


「はい、(ニーマ)


「ほい、眠り弾(ヒュプノス)


「あれっ、生け捕りにする系?」


「ティルダが息の根を止めてないんだからそうなんだろ」


 子どもたちの持つ武器から、次々と弾が撃ち込まれていく。


 襲われかけたというのに全く動じた様子もなく、鳩に餌でもやるかのような気軽さでトドメを刺され、魔獣は二度三度大きく跳躍しようとしたものの叶わずに、ほどなくしてぐったりと動かなくなった。


「よし、一丁上がり! みんなありがと!」


 華奢な身体には不釣り合いな施条銃を肩に担ぎ、後ろを振り向いた少女は、大立ち回りのあととは思えない、可憐な笑みを浮かべてみせた。


「というか初めて見る魔獣じゃない? 何これ?」


「タラスクって言うんだって! ティルダは物知りね」


「こ、これくらい当然です。わたしはあなたの騎士なのですから!」


「また卸売りしに行くの〜? 春服見に行きたいからあたしもついてく〜!」


「わたしは刺繍糸がほしいな。ママの誕生日に、刺繍のエプロンをプレゼントしたくて」


「行こ行こ!」


 先ほどまで死が目前に迫っていた空気は霧散し、まるでここが日曜の公園であるかのように、子どもたちが賑やかにしゃべっている。


 人よりは魔物や精霊を思わせる、美しく澄んだ赤い瞳。


「……」


 ビアンカたちは目まぐるしく変化する状況についていけず、強襲を受け腰が引けた体勢のまま、言葉もなくぽかんと子どもたちを見つめた。


「あっ、そうだ」


 ピンクの瞳をした少女はパチンと両手を叩くと、ビアンカたちのほうへ軽い足取りで駆けてきた。


 すぐ後ろを男装の少女がついてくる。


「魔獣に襲われるなんて災難でしたね。ご無事でよかったです! これ、どうぞっ」


 そう言って小さな手が差し出したのは、緑色をした湿布。


 尻もちをついた老人がいたことを、見落としていなかったのだ。


「うちの医者が作ったものなんです。打ち身だけじゃなくて、ぎっくり腰にも骨折にも、ケガには何にでも効きます。手足が取れてさえいなければ」


 もし取れちゃったらその時は言ってくださいね! と笑う――よくよく聞けば物騒なことを言っている――明るい声につられて、思わず湿布を受け取ってしまった老人は、バツが悪そうに目をそらしながら「……そうかい」と小さく言った。


 傍で聞いていても大人げないほどの素っ気なさ。


 だというのに、返ってきたのは一切の屈託もない、太陽のような笑顔だった。


「お大事になさってくださいね!」


「……!」


 ピカピカと輝くそれがまぶしすぎて、ビアンカも老人たちも、ぎゅっと目を細めた。


(……こっ、これは……)


 後ろから様子を見ていた灰色の少女は、ビアンカと老婆を目にすると、口の端にふっと笑みを浮かべた。


 切れ長の大きな瞳。


 スラリとした体躯。


 女にしておくのはもったいないと思うほどの、凛とした美形。


「海辺に咲く木蓮……うるわしきお姉さま方」


 姿勢よく胸に手を当てながら、老婆の手をそっと取る。


「恐ろしい目に遭いましたね。貴女の柔肌に傷がつかなくて……この剣が守ることができて、本当によかった」


 ぶわわわわっ


 どこからともなく白い薔薇が湧き出てきて、さびれた大通りを一瞬にして劇場(シアター)に変えた。


(これは……!)


 ビアンカは思わず胸元のスカーフを強く握りしめ、老婆は頬をぽっと桃色に染めた。


 四人の子どもたちも駆け寄ってきたかと思うと、大きな赤い目をくしゃっと細めて、満面の笑みを見せた。


「おじいさん、おばあさん! 魔獣に困ったらおれらに言ってください!」


「夜だろうと朝だろうと、いつだって駆けつけるよ!」


「あたしたち、こう見えてけっこうな手練れなの!」


「お怪我がなくて、ほんとによかったです……!」


 安心させるように武器を持ってポーズを決めてみせる、キラキラとした瞳。

 

 自慢気に胸を張る、バラ色の頬。


 無事を心から安堵している、優しい表情。


「じょ……浄化される……」


 今度は、誰がつぶやいたのかわかった。


 はす向かいに住んでいるじいさんだ。


「では! ご歓談中、お邪魔しましたっ」


 朝焼けの瞳の少女は、白薔薇やらキラキラやらを放つ子どもたちを後ろに背負い、――本人こそ、ひときわ力強く輝く笑みを浮かべて、上目遣いに小首を傾げた。


「また、お話に来てもいいですか?」


 ――断れる人間など、この世にいるだろうか。


 老人たちは「ああ……」とも「おお……」ともつかぬうめき声を発しながら、コクコクと首肯した。


 ビアンカは、連れ立って去っていく後姿を腕組みをして睨み、つぶやいた。


「推せる」


「え?」


「箱で推せる」


「どうしたんだい、ビアンカ」


「ちょっとローズさん黙ってて。今、センターと二番手の配置を考えてるところだから」



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