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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
【第2部 終わりなき夜から愛をこめて】
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第108話 底辺ヒロイン、翼竜を狩る(1)

 強い風の音だけがしていた。


 見渡す限り、網膜に突き刺さるほど鋭く輝く、白銀の世界。


「地点到達! 目標目視確認! 風が冷たくて耳が千切れそう! どうぞっ」


 適当な空間に向かって喋っているだけだが、首のチョーカーが声を拾って、はるか彼方の緑深き森の奥まで一瞬で繋げてくれる。


 これも、過保護な天才魔法使いの発明品だ。


『了解。きみに見えているということはあちらも視認しています。様子を窺っているのでしょう。耳は……我慢なさい。保温をする余剰魔力はないですし、イヤーマフなどはきみにとって命取り。……もし千切れたら、つけてあげますから』


「もう、こう言う時はスパルタなんだから~。でも、そんなところも好きよ!」


『!? しゅっ、しゅしゅしゅ集中しなさい! 遊びじゃあないんですよ!』


「はーい!」


 明るい声を返しながら、白金の頭の中で(しめしめ……)とほくそ笑む。


 ピアスから骨伝導で聞こえてくる声は、存分に慌てていた。


 きっとコーヒーのマグくらいは落っことしているだろう。


(順調、順調! こうやってしつこく好意を伝え続けていけば、たいていの人間はそのうち、ほだされてくれるものだわ)


 ――全くほだされてくれなかった、豊かな黒髪と冷たい氷色の瞳が瞼の裏を通り過ぎたが、突風がたちまちのうちにかき消した。


 ゴーグルを目深にかぶり、ハンドルを握る。


 ここは雪深い北方山脈、尾根。


 背を伸ばしては立てぬほどの強風が常に吹き荒み、人跡阻む厳しい地。


 アリアは獲物を追いかけて麓の村から魔導式のソリでここまで一人、過酷な山稜を踏破してきたのだった。


 この一年。


 急ごしらえの小さな王は、ニュクスとティルダ、そして――無理やり巻き込まれて涙目の――イリオンの子ら四人とパーティーを組んで、辺境での魔獣狩りをこなしていた。


 北方山脈の翼竜狩りは実入りがいいので、十七回目を数える。


(どうしてもお金が必要だし、イリオス探しには魔獣が出る辺境に深く入らないといけない。それにみんな、強くならなくちゃね。わたしたちにとって、魔獣狩りはまさに一石三鳥! お得しかないっ)


 今日は初めて、一人で獲物を狩る()()()であった。


 魔力レベル、シーシュポス。


 師ネメシスからは『極めて平凡』と評された自身の魔力で動かせる機体は、このソリくらいシンプルな構造で軽いものしかない。


 朝焼けの瞳が、前方およそ250ヤルク先で首をもたげる白い竜を見据えた。


「行きます!」


 無音のエンジンが唸り、四肢に振動が伝わる。


 高低差を切り取るように一足飛びで近づくと、稜線の主もまた、羽が生えた前脚を立てて身を起こした。


 巨大なサファイアを思わせる青く澄み切った双眸が、己を狩ろうと身の程知らずにも挑む人間を、冷然と睥睨した。


「……ッ!」


 むせ返るような殺意が、大気に露出している頬と耳の皮膚に重たく触れ、動きを押し留める。


 恐怖に胃が鷲掴みにされ、思わず膝がすくむ。


 だがアリアはぐっとこらえて、無理やり口の端を吊り上げた。


「あなたはペット? それともお肉? どっちにしてもその命、いただくわね!」


 ハンドルから両手を離して、魔法式施条銃(ライフリング)を構える。


 潤沢とは言えない魔力を補完するために開発してもらった、世界に一つしかない大事な武器。


 冷気で頬を火照らせたその顔は、誇らしそうにキラキラと雪を反射していた。


「退くわけにはいかないの。──だってわたし、一家の大黒柱なんだもの!」


 竜の前脚が飛んでくるのと、銃口から魔法が撃ち放たれたのは同時だった。


放て(バロー)!」


 射出されたのはネットランチャー。


 傲蜘蛛(アラクネ)の糸で編んだ網は、天敵である怪鳥類の火炎や溶解毒でしか断ち切ることはできないため、小型の獲物であればこれ一発で勝負がつく。


 攻撃のため突き出した右脚部から胴体にかけて捕獲網が広がり、竜はバランスを崩して前のめりに倒れ込んだ。


 が、強靭な脚で瞬時に立ち上がると、筋肉にこめた力をそのまま後端に流し、小さなソリに向かって長大な尾を叩きつけた。


「ひえ~……っ!」


 木っ端微塵になる寸前で、ハンドルを切ってなんとか避ける。


 雪煙が上がり、強い日差しの乱反射の中で、視界が純白に侵された。


 聞こえすぎる耳だけが、後方から迫る風切り音を捉えていた。


 真っ白な視界を貫いて迫ってきたのは、巨大な頭部。


眠り弾(ヒュプノス)!」


 銃弾は、分厚い頭蓋骨に弾き返された。


 後退しながら頭を避けて二発、三発と続けて撃てば、一発が肩に着弾した。


「ギャオオオオオオン!」


 痛みに身を捩った竜は襲撃の歩を止めたが、――肩を怒らせて口を半開きにし、周囲の空気を吸い込み始めた。


 胴体が風船のように膨らんでいく。


「嘘……! あの子、破砕弾(ブレス)吐けるみたい!」


『どの種類かわかりますか?』


 真っ青になったアリアの耳に、いつもどおり飄々とした魔法使いの声が届いた。


「んんん~~っ? このっ、パチパチした破裂音……雷!」


重畳(ちょうじょう)。珍しい種だ。……だがきみにとっては運が悪い。そのソリにかかっている守護魔法は物理特化なので、当たれば一たまりもないでしょう』


「そうなの、知ってる……!」


『飛べますか?』


「飛べ……っ!? ……っ!」


 アリアは、巻雲の浮かぶ蒼穹とソリを三度見した。


 このソリ、魔法式とはいえ平行移動しかできない。


 いや、本来は空だろうが水上だろうが壁上の垂直移動だろうが、自在に飛び回ることが可能な代物だが、それができるのは神々に愛された一握りの魔法使いのみ。


 ひとえに、この身の才の不足ゆえ。


 大地を一定以上離れた移動には、いまだかつて、成功したことがなかった。


 ――パリッ


「!」


 充填を示す電気の鳴らす音が、聡い聴覚に届く。


 アリアはハンドルを握る両手に力をこめた。


(来る! ――やるっきゃ、ない!)


上がれ(ペテスタイ) 百の手を持つ地の巨人(ヘカトンケイレス)を振り切って(フェウゴー)!」


 ――フォン……と風を切る音は、珍しくこの耳に遅れて聞こえた。


 乾いた雪を舞い上げ、蒼天に弧を描く小さな身体は、竜の目にまるで日食の月のように写った。


眠り弾(ヒュプノス)!」


 上空から狙い定めた銃弾は、今度こそ硬い鱗を貫いて、稜線の主の身体に深々と入り込んだ。


「……っっはああ~~~……。い、命拾いしたわあ~~~……ふべっ!」


 目を回して倒れこむ竜を見ながら、アリアもまた、淡雪に頭から突っ込んでいった。





「先輩! 翼竜、仕留めました! ふふっ、これでわたしも無事にソロデビューできたわっ!」


 亜空間リュックに獲物を押し込みながら、鼻の頭を赤くしたアリアは、チョーカーに向けてニコニコと報告した。


『ええ、よくがんばりましたよ。……はあ~。赤いブーツが晴天の雪山と空に映えて、最高に勇敢で愛らしかった。やはりきみには赤が似合う。さて、邪魔が入らないよう細心の注意を払って現像しなくては……』


「ん? 赤いブーツ? 現像?」


『あ』


「……」


 ニュクスの目がただの瞳ではなく高性能記録装置であることは、地の露(ティルマティム)の面々には、すでに知られたことであった。


 魔法史に残る発明であることは間違いないのに、本人がアリアの観察用として独占利用する気しかないせいで、まるで日の目を見る気配がない。


 だが少なくとも、目視しなくては記録できないはずであった。


「先輩。……いるんでしょ? そのへんに」


「……ふ~~~」


 観念したようなため息とともに、ガサガサと茂みを揺らして現れたのは、雪中行軍のグレーの厚着に身を包んだニュクスであった。


 耳の上からカモフラージュ用の木の枝を二本、生やしている。


 アリアのジト目を受け、顔色の悪い魔法使いはいけしゃあしゃあと腕を組んで、「バレてしまっては仕方ありませんね」と、えらそうに仁王立ちしてみせた。


「出発前、『今度ばかりは誰の助けも望めません、腕の一本や二本失うことも覚悟しなさい』って、あんっなに脅したのは、どこの誰でしたっけ?」


「アリア……考えてもごらんなさい。このぼくですよ? きみを一人で行かせるわけがないでしょう? こんな遠くて人里からも離れたクソド田舎……転んで怪我をしたり、落ちてるものを食べてお腹を壊したりしたら一大事です。ありえません」


「も~~~過保護! 自分こそお顔が真っ青じゃない! いったい何日間、あとをつけてたんですか!? 寒さに超弱いヘビのくせに、無理ばっかりして……! こんな顔色、もう人間じゃなくて紫キャベツマンだわ!」


「元からです」


「さあほら、マフラー巻いて! 手袋つけて! カイロも持って!」


「いけません。きみが凍えてしまう」


「ヨボヨボのおじいちゃん以下の耐寒性だって自覚して!?」


 有無を言わさずサーモンピンクのポンポンつきのマフラーを巻かれ、カイロを服の中に押し込められ、トドメにウサギ耳のついたイヤーマフを装着させられる。


 絶望的に似合っていないまぬけな恰好を、文句ひとつ言わず──満更でもない心地で受け入れたニュクスは、紅紫色(マゼンタ)の瞳に、頬と鼻の頭を火照らせた少女を映し込んだ。


「アリア」


 押し付けられた小物の何もかもから、オレンジの花に似た温かい匂いがしている。


「ぼくの教育方針は、『過保護に最強』。……きみは放っておくと、とんでもなく危険なことを仕出かしますからね。だからこのニュクス・ピュティアの完全なる統制下、徹底的に真綿でくるんで育てつつ、ビシバシしごき、最強の魔法使いに鍛え上げます。今後もその方針は変わらないので、承知しておくこと」


 自分こそ最強の天才魔法使いが、傲然と顎を上げて言い放った内容があまりにもツッコミどころが多すぎたので、アリアは顔の半分をミトンで覆い、しばしため息を耐えた。


 やがて、「……ふふっ」と漏れた笑みは、どこか嬉しそうにはにかんでいた。


「最強のストーカーの間違いじゃないですか?」


「!? そっそんなわけないでしょう! ぼくはきみの保護者ですよ!? あの馬鹿二人と一緒にしないでください!」


「あ~ティルダとテセウス! みんなも心配してるだろうから、早く帰らなくちゃ!」


「そうしてください。……ぼくだけが先に帰ったら、間違いなくアレは怒り狂って抜剣します」


「抜け駆けするからですよ」


 差し出された手を、ぎゅっと握り締める。


 紫の転移魔法陣が浮き上がり、北方山脈には場違いに生暖かい風が、粉雪を吹き上げた。


 音の聞こえないほどの強風が耳を塞ぎ、目を閉じると一瞬、何もかもを失ったように感じられた。


 重みも、酸素も、音も匂いも光も影も、過去も未来も。


 束の間の永遠を経て、肌に触れるのは湿った暖かな空気。


 緑深い苔むす森。


 隠れ家、地の露(ティルマティム)


「ずっと疑問だったのですが、どうしてそこまで必死に魔獣を狩っているんですか?」


 ニュクスの問いに、アリアは前を向いたまま、断固とした声で答えた。


「お金が、必要なんです」

お読みいただきありがとうございます!


次でようやくアリアの現状がハッキリ明かされます。

いつもながらスローペースですみません…!


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[良い点] 最強のストーカーという言い回しができるヒロイン強い。
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