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旋律のアリアドネ-底辺ヒロインは王冠に手を伸ばす-  作者: 長谷川愛実(杉山めぐみ)
【第2部 終わりなき夜から愛をこめて】
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第107話 アグリコーラ商会の小悪魔(2)


「イ……イヤアアアアアアーーーー!」

「キャアアアアアアアアーーーーー!」

「ヤアアアアアアアアーーーーーー!」


 悲鳴は全て、男たちから上がった。


「「「……」」」


 アリアもコルラードも社員たちもみな、無言だった。


 ピンクの瞳は虫でも観察するようにまじまじと全裸の男たちを凝視していたが、その視線が下の方まで降りるやいなや、眉間にぎゅっと険しいシワを刻み、まぶたをかたく閉じて顔を背けた。


「……最ッ低」


 花弁のような唇から吐き捨てられたのは、絶対零度の侮蔑。


「「「!」」」


 じわじわと冒険者たちの顔に朱がのぼる。


 目にも涙の膜が張る。


「こっこここのアマがあああ!」


「ちょっとかわいいからっておちょくりやがって!」


「ここまでコケにされたら黙っていられねえ!」


「は? 汚いものを見せられて嫌な気分になったのはわたしのほうだわ。――早く消えて、変態」


「くそおおお! どこまでバカにするんだあああ!」


 涙目のアンリがボディバッグに手を突っ込み、「出てこい!」と何かを引きずり出した。


「ダメだッ! アンリさん!」


「!」


 少年の金切声。


 空間が歪み、ズルリと絨毯に爪を立てて現れたのは、天井まで届くほどの身の丈の石像鬼――ガーゴイルだった。


「ギイイイィィィーーーー!」


 濁った黄色い目が足元の人間を睥睨する。


 息苦しいほどの殺意が、あらゆる動きを縫い留めた。


(どどどどど、どうしようどうしようどうしよう……! ――おっ、終わりだ……! なにも、できっこない……!)


 コルラードは息もできずに、ただ目を見開いて巨大な怪物を見上げた。


 魔獣は全て、人を喰らう。


 その権能は、名が轟き恐れられているほど強い。


 ガーゴイルは二千年以上も昔からフルクトゥアト大陸で知られている古い魔物だけあり、翼竜と同じく、中隊に相当する力を持つとされている。


 当然、練兵所でも国境守備所でもないただの商会に、対処する術などありはしなかった。


「こっ殺せ! その生意気な小娘を、八つ裂きにしろ!」


「あっ、そうそう! こんなふうに魔獣を生け捕りにした時!」


 殺せと指さされたことも、濃厚な殺意にビリビリと肌を炙られることも、怪物の鋭利な爪に誰より近いことも。


 まるで意に介さぬとでもいうように、アリアはコルラードを振り向いた。


「そういうのも買い取りできるのか、教えてほしくって」


「アッ……アリアさん! ――できるッ! 絶賛ッ買取中ッ!」


 悲鳴じみた声でそれでも即答したのは、朝焼けの瞳がまるきりいつもどおりだったから。


(彼女なら……もしかしたら……!)


 自分よりも年下で、華奢な少女だというのに、命を預けるなんて、おかしいだろうか。


 願うような託すような琥珀色の目を受けて、アリアはにっこりした。


「よしきたっ」


 ふんわりとしたスカートをめくって取り出したのは、重たげな施条銃(ライフリング)


吹雪け 氷(ヒオノシエラ)!」


 銃身に金の謎めいた文字が走り、銃口から何かが射出される。


(!? 冷たっ……!)


 皮膚に触れる冷気にコルラードが驚いた時には、ガーゴイルは前脚をもたげた急襲体勢のまま、パキパキと音を立てる白い霜に侵されつつあった。


放て(バロー)!」


 白銀に煌めくネットランチャーがガーゴイルを包み、ついでに男たちもまとめて絡めとった。


「ギャオオオオ!」

「あああ冷てええええッ!」

「いいい痛い痛い!」

「は、離してくれえええ!」


 いかなる素材で編まれたものか、ガーゴイルが暴れようが爪を立てようがギチギチと音を立てて締め上げるばかりで、網はびくともしない。


「一丁上がり!」


 そう明るく言い放った少女は、太陽のようなピカピカの笑みを浮かべた。


「あ~こっちはいらないのよね。変態だし。フム……えいっ! おやすみの魔法!」


 ――ゴッ! ゴッ! ドスッ!


「うっ」

「げはっ」

「ごえっ」


 三人それぞれのみぞおちに膝をめり込ませ、おやすみの魔法――明らかに物理――をかけ、網を引き上げたところで、アリアは「ん?」と小さく声を上げた。


「あら……コルラードさん。このガーゴイル、服従の錠前がかけられているみたいです」


「服従の錠前……!? 一級魔道具じゃないか! だから、誇り高いガーゴイルがこんなやつらに従ったのか……!」


「調教で魔獣を従わせるのは至難の業。でも錠前があれば何てことないわ。鍵の持ち主が変わればその人に従います。――鍵は~、たぶん……」


 ピンクの瞳がそろーっと見下ろすのは、エドモンが大事に抱えていたボディバッグ。


「……」


 何を言おうとしているのか、察せないコルラードではない。


「えっ、それは……」


「さすがに、コソ泥の真似はねえ……」


「けどさあ、こいつらが今日だけでいくらの損害を出したか……」


 気づけば、戦々恐々と事態を見ていた社員たちも周りに集まってきていた。


 口先では遠慮がちなことを言いながらも、早くも白手袋をはめているやつもいる。


「そんなことしたら、報復でどんな目に遭わされるか……」


「記憶を消すことも、できますよ。わたしはまだ下手だから、他の人に頼まないといけないけど……」


 アリアは上目遣いで社員たちを見上げ、小首をかしげた。


「どっちがいいですか? 何も起きなかったことにするのと、冒険者なんか返り討ちにできるくらい強くなるの」


 かえりうち……と誰かがオウム返しに呟いた。


「返り討ちになんて……」


「ハハ! ……なあ!? 冒険者を返り討ちなんて……!」


「返り討ちに……なんて……」


 商会社員たちの目が交差しあう。


 無言のまま、一つ、また一つと、自分に注がれる目にコルラードは気が付いた。


 ――してみたい。


 ――暴力をかさに着ておごり高ぶった鼻持ちならないやつらに、商売人として正しい礼儀を叩きこみたい。


 ――もう理不尽を飲み込んで、這いつくばって働くのは嫌だ。


「……」


 コルラードは、ピンクの瞳を見下ろした。


 蔑みも侮辱も、殺意も古の魔獣すらも、揺らがすことのできない夜明け色。


 見つめていると不思議と、胸が熱くなる。


 口元に思わず笑みが浮かんだ。


(他ならぬ彼女が……言っていたな。『いつもそうして対処してる』って)


「……アリアさん。ガーゴイルを買い取るよ。それから、あなたと専属契約を結びたいんだ。生きた魔獣を捕らえたら、ぜひアグリコーラへ。強ければ強いほど――用心棒として役に立ちそうであればあるほど、報酬をはずむよ」


「!」


 嬉しい驚きに目を見開いたアリアが、飛び跳ねながら立ち上がった。


「あと、これはお近づきの印。……今日のことはどうぞ、ご内密に」


 華奢な手に握らせたのは、白金貨10枚。


 意識を失った冒険者からボディバッグをくすねることへの、口止め料である。


 思いがけない臨時収入に、金銭感覚が庶民のアリアは受け取ろうか受け取るまいか、コルラードと社員たちと、床でのされている全裸男たちを見比べてしばし逡巡していたが、やがて小さな花が開くような笑みを浮かべた。


「……ふふ! 悪い人ね、コルラードさん!」


(うっ!)


 正直、心臓を鷲摑みにされたが、部下の前なのでポーカーフェイスをなんとか保った。


「……とんでもない。まっとうなお客にはまっとうな商売を、最高のお客さまには最高の取引を、そしてクソ客にはクソを返す、ただそれだけのこと」


「この人たち、だめなお客さんだったの?」


「そーなんだよ!」


「聞いてくれよ、アリアちゃん!」


 コルラードとの会話に、ここぞとばかりに社員たちが割り込んできた。


 最初こそ、半獣の幼い少女ということで侮っていた商会社員だが、一年も経た今となっては、多くが彼女の人たらしスキルに陥落させられていた。


 単純に、火力が高すぎる。


「今日一日でこいつらがどれだけの文化的価値のある芸術品をぶっ壊したのか!」


「ほらっあの辺のグチャグチャ! あれ全部こいつらのせい!」


「あら~。じゃあ身ぐるみ剥いで――あっもう全部ないか、ふふっ!――金目のものは全部取り上げて、時計台の下のラオコーン像にでも縛り付けておきましょ」


「こいつら全部パチモンって落書きしてな!」


「どこに書くんだ~?」


「そりゃもちろん、男のシンボル向かって矢印!」


「「「どわっはははははは!」」」


 先ほどまで、死を目前に張りつめていた商会一階は、うってかわって温かく――そしてかなり下品な――大笑に包まれた。


 アリアもまた、眩しそうに微笑んだ。


「あはっ。みんな、戦うことを選んだのね。素敵! わたし、戦う人が好きよ!」


 ――トスッ


「「「「ウッ……!」」」」


 何か軽やかなものが深々と刺さった幻聴が、コルラードの耳に聞こえた。


 社員たちはそろって胸を抑え、苦しそうに――しかし満更でもない顔で――身体をくの字に折り曲げた。


「大丈夫! 強い魔獣をたんまり捕まえてきて、人間の冒険者なんて太刀打ちできないゴリラ商会にしてみせるから! 調教系の魔道具も探しておくわね。――戦うからには、完全勝利のみ!」


「オオーー!」


「オオオー!」


 少女を囲んで天に立ち上るのは、野太い歓声。


 いつの間にか、冒険者に怯えていた者は一人もいなくなり、すっかりその気になって拳を握った男たちばかりとなっていた。


(……彼女の火が、うちに燃え移ったな)


 さて父にどう説明しようかと、コルラードは苦笑い混じりに後ろ頭を掻いた。


 だがきっと、懐が広く肝が座ったあの父のこと。


 事の顛末を話したら、膝を打って大笑いするのは間違いなかった。


 ――バンッ!


「!」


 不意に、力強く背中を叩かれた。


 驚いて振り向くと、そこには最古参の社員が、老獪な顔に皮肉げな笑みを浮かべて佇んでいた。


「あのお嬢さんを捕まえるのはいい判断だったぜ。二人といねえ商売相手だ。逃がすなよ。――()()()()


「……!」


 それだけ言ってそっけなく踵を返した背を見つめながら、琥珀色の瞳に、遅れてじわじわと涙がにじんだ。


 この老練な専務執行役から褒められたことも、――父の身内だと認められたことも、初めてのことだったから。


「ぷっ! ふふっ……あはははは!」


 子どもの小さな笑い声が上がり、コルラードとアリアは揃ってキャビネットの影を見た。


 頬を赤く腫らした少年が、目じりに涙を浮かべて、腹を抱えて笑っていた。


「エドモンさんたちが……ふふ! 女の子に冷たくフラれて、すっぽんぽんにされて、挙句の果てに追いはぎに遭ってるなんて! あははははは! 最高~!」


「あなた……ケガしてる。殴られたの?」


「うん! さっき、きみが素っ裸にして縛り付けて、()()()寝かしつけたやつに」


 少年は、頬に伸ばされたアリアの手を握ると、満面の笑みを浮かべた。


「だから……スッとした! ありがと!」


 コルラードは、少年が自分よりはるかにたくましい男たちに立ち向かった姿を見ていた。


 社員たちも同様だった。


 誰も戦おうとしないあの場で、男たちを止めようとしたのは、この小さな少年だけ。


 ――アリアだけは、「……わ、わたしが素っ裸にした? ど、ど、ど、どういうこと……?」とうろたえていた。


「なあ、きみ。このあと、行く宛てはあるのかい? こいつらがこんなになってしまって、冒険者パーティーに戻るのは少し、面倒なことになると思うけど……。もし宛てがないなら、うちで働くというのも、いい案だと思わないか?」


「!」


 少年の灰色の目が、パチパチと瞬いた。


「それっ、おれからお願いしようと思ってたところ! 渡りに船ってやつ!?」


「本当? それならよかった! これからよろしくな」


「こちらこそ、よろしくお願いします! おれの名前はノエ! ……あっ、そうそう」


 少年が右手を上からまぶたにかざし、すっと下に動かすと、――灰色の目は、柘榴のような赤い色に変わった。


「おれ、イリオスなんだ!」


「「「「!?」」」」


「あ、やっぱり~」


 度肝を抜かれたコルラードたちユスティフ人たちをよそに、同じくイリオン人の少女は、「目の色を変えてても、なーんかわかっちゃうのよね」と軽い調子でニッコリした。


「アハハ、だよね~! 危ないから隠しておこうと思ったけど、丸出しの仲間がいるし! しかも、すっごく強い女の子だし! 冒険者なんてブラックじゃなくてこれから真っ当な職につくし! じゃあもう、おれも丸出しにしちゃおっかなって!」


「うんうん! 大丈夫、何かあったらわたしが守るもの! 任せて!」


 アリアとノエ、二人の亡国の子どもたちは「マイブラ~」「イエ~」と一瞬にして意気投合し、ハイタッチにまで至った。親友になるのが早すぎる。


 朝焼け色の瞳が、コルラードを振り向いた。


 眩しいものがその場にあって輝くように、キラキラと細められている。


「コルラードさん! ノエは今日からわたしの家族になりました!」


「か、家族……!?」


「約束どおり、これからしっかり魔獣も収めますから、どうかよろしくお願いしますね!」


 堂々とした宣言に、コルラードは――彼女がいつも誇らしげに口にしている()()というのが、どうやら常識的に想像していたそれとは違うようだと、この時ようやく気が付いたのだった。





 +++++++++





「先輩。今日わたしの目の前で、急におじさんたちの服が全部弾け飛んだんだけど、何か知ってますか?」


「「!?」」


 魔法陣から現れたアリアを迎えに来たところ。


 魔法使いニュクス・ピュティアと、騎士ティルダ・ハーゼナイは、大事な女の子の口から飛び出した予想だにしないとんでもない状況に、それぞれの宝石の目をひん剥いた。


「ちょッッッッと若! おぞましい呪いを姫君にかけないでくださいッ! ああっお労しいわが主……!」


「いやっぼくじゃない! ぼくじゃないからいったん剣をしまいなさい、ティルダ……! ちなみに、そいつらは何をしていてそうなったんですか?」


「んん~……よくわからない言いがかりをつけて、怒鳴りながらわたしに掴みかかってきた……の、かしら?」


「なるほど。フム……十中八九、ネメシスでしょう。悪意を持ってきみに触れようとした者の衣服が全て消え去る(まじな)い。たしかに、着眼点は悪くない」


「最悪の着地点だわ」


「ぼくならば、人間薪として足元から燃え上がるように設計します。すぐには死なず、三十秒後に灰になるくらいの早さで」


「ピュティアさんちの兄弟、呪いにクリエイティビティを発揮するのはいいけど、目の当たりにする人間のストレス値を考えてもらってもいいですか?」


「ああ、わたしの麗しの姫君……。ところで、もちろんそいつらはもう死んでますよね? あなたを襲おうとしたうえ、犬も喰わない汚らしいものをこの輝かしい瞳に見せつけるという大罪を犯したのですから。タコ殴りにして八つ裂きのうえ、生きながらにして牡蠣の餌として与えるのが妥当かと」


「たぶん死んでないと思うわ。――あらあら、どこ行くのティルダ。はい、帰りましょうね~。ほら、こう。手つないで」


「! はわわ、姫君……っ! ……好き……」


「わたしも好きよ」


「……」


「さて、早く帰らないとね。()()()待ってるかしら。今日の晩ごはんは何かな~……」

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