第106話 アグリコーラ商会の小悪魔(1)
コルラード・アグリコーラは、途方に暮れていた。
「おいおいおいおい~~。これっぱかししか払えねえなんて嘘だろお?」
「色男~。そのすかした目ぇかっぴらいてよ~~く見ろよ? センティコアの胆石にカトブレパスの角! これなんかはコカトリスの卵だぜ!? 中央じゃあ白金貨100枚は下らねえ値がつくだろうに!」
「なあなあなあなあ、おれたちがなんて名前のパーティーか、知らねえわけもねえよなあ? アグリコーラ商会の次期代表さんよお~~」
「……はは……」
(そりゃ、すごい。たしかに150白金貨、いや178シルは見積もってもいいほどの品物だ。……本物ならな)
コルラードは乾いた愛想笑いを漏らした。
(猪山羊のベゾアールだと? 嘘つけ! どっからどう見てもただの人間の胆石だろうが! 本物はもっとえげつなく全方位が尖ってるんだよ! 邪視牛の角は単なる水牛の角だし、コカトリスの卵を直に手で持ったりしたら、今頃お前はもう死んでいる!)
ここは南部商会アグリコーラ。
代表の父はアングリア王国との取引のため少数精鋭を連れて不在だが、今日も鍛え抜かれた商人たちが上へ下へと忙しく立ち働いている。
一階の取引窓口は、売り手と買い手がそれぞれの利益を最大化するため、ずる賢くも巧みな弁舌で押したり引いたり綱引きをする場。
間違っても、腰の重たげな獲物をガチャつかせたチンピラどもが、恫喝なんぞをしていい場所ではない。
(南部の覇権を争う商会の跡取りを、舐めるな……!)
こいつらが大ぼら吹きであることは、搬送用ボディバックに素手を突っ込んだ時点で気が付いていた。
だが、この男たち。
このあたりでは名の知れた冒険者パーティーに所属しているのだ。
それが事態を面倒なことにしていた。
冒険者とは、人を喰らう魔獣の住む辺境、あるいは人知を超えた恐ろしき主の住む迷宮を職場とする者たち。
少数の例外はあれど、基本的には話の通じない荒くれ者揃いである。
それが集団になるともう手のつけようがなく、メンツを潰されたと断じたら最後、数十から数百を数えるパーティーが総出で急襲する。
乱暴狼藉、強盗、時には殺人に女性への乱暴――そうして破壊の限りを尽くされた店舗や商会の噂は、広い帝国といえど商人たちのネットワークで瞬く間に広がった。
冒険者相手の商売は、薄氷を渡るようなもの。
だからいい加減な品を持ち込まれ、横柄な態度で売り切ろうとされても、他の客に対するように毅然と門前払いできないのだ。
「ええっとですね~……」
コルラードは後ろ頭を掻きながら周囲を見渡したが、――社員たちはみなサッと目をそらし、何も見なかったかのように、黙々と書類の整理や荷物の運搬作業に戻った。
(……そりゃ、そうか……)
常ならば人懐こく輝いている琥珀色の瞳が、力なく床に落ちていく。
(いくら代表が息子だって言ってくれたって、……後妻の連れ子じゃあ、誰も助けてくれるわけないか)
「エドモンさんっ、アンリさんっ、ケヴィンさんっ! やめましょうよ……! 偽物だってバレてますし、ご迷惑ですよ……!」
大きな男たちの影から小柄な少年が出て、自分の腕の何倍も太い腕を掴んだ。
(えっ、いたの?)
筋骨隆々としたデカい男たちに隠れて、これまで見えていなかった。
まだ子どもといってもいい年齢で、――ボロボロの靴を履いた足が恐怖に震えているのを、コルラードは目にした。
「すっこんでろ! 穀潰し!」
――バキッ!
容赦なく振るわれた拳で少年が吹き飛び、窓際のガラスケースに激突する。
「ウッ!」
「あああ……!」
根元からポッキリ折れたのは、ケースの中で鎮座していたエレウシス時代の金の水差し――二千シル。
大理石の聖母像――三千シル――が傾き、地底洞窟から切り出してきた巨大な紫水晶の原石――五千二百シル――に向かって崩れ落ちる。
ガシャアアアン……と飛び散った紫水晶の破片は、窓辺から差し込む昼下がりの日差しに照り映えて、ひどく美しかった。
キラキラと弾け飛ぶさまは、不思議とゆっくり映った。
通り過ぎざま、破片がピッと傷をつけたのは、千年前の天才画家ヨエル・キンドール画。
『ぶどう酒色なせる海、西の崖』。
――値段は、つけようもない。
「……ギャアアアアアアアーーー!」
悲鳴を上げたのは自分だったか、それとも他の社員だったのか。
コルラードには判別できなかった。
「……ふう。あ~クソッ! やっちまった」
「構わねえよ! イライラしてたとこだったんだ」
「おれらのことをバカにするってんなら、いっそぶっ壊しちまうか?」
暴力と破壊、悲鳴に興奮を誘われ、男たちの目に獣じみた光が宿った。
(まっまずい……! うう~~~、仕方ない! ここはやつらの要求通り金を支払って、帰ってもらわなくては……!)
――だが。
庶民の半年の収入にも値する大金を、かくも明らかな偽物に支払ってしまっては、コルラードの跡継ぎとしての資質を疑問視する声は、ますます大きくなるだろう。
(おれを見込んでくれた代表の顔にも、泥を塗ることになる……)
追い詰められた青年が帳簿に目を落とした、その時。
カラン、とベルを鳴らして入ってきたのは、編み上げブーツの軽やかな足音だった。
「こんにちは、コルラードさん!」
澄んでいるのに温かい、正確に調律された弦楽器のような声。
人の耳を惹きつける声に、商会の者たちも荒くれ者たちも、揃って扉を振り向いた。
(アリアさん……!)
ここ数か月、コルラードの心を占めている女の子。
朝焼けのように淡い、赤い瞳の少女。
彼女が商会に姿を見せた日のことはよく覚えている。
一年前の、年が明けた冬のことだった。
雪などめったに降らないこの温暖な南の地で、今まさに北方山脈から帰ってきたばかりとでも言うように毛糸の帽子とマフラーにたっぷり雪を乗せて、――その目立ちすぎる赤い目を見て静まり返った社員たちを物ともせず、少しはにかんでこう言ったのだ。
『あの……初めてなんですが、こちらって薬草や魔獣の買い取りもしていますか?』
そうしてミトンに包まれた手が取りだした、立派すぎる品々の数々に目が飛び出したことも。
――半獣が裏社会でどんな扱いをされ、どんな値段で取引をされているのか、知らぬ商人はいない。
『どんな魔獣より、ご本人のほうが金になるだろうに』
『ああして得意げに戦利品を持ち込んでくるけども、自分がハントされる側じゃないかね』
『ぶっ……』
『くっくっく……』
お得意さまだというのにしつこく陰口を叩く社員もいたが、彼女はそれがどれほど小声でも、どれほど離れた場所であっても耳ざとく聞きつけて、――にっこりと、天使の笑みを鷹揚に浮かべてみせた。
『ご心配ありがとう。返り討ちにするから大丈夫よ。いつもそうして対処してるから』
無礼者を微動だにせず見据える朝焼けの瞳に、いかな陰険で老獪な社員であっても、口を閉ざさないでいられる者はいなかった。
蔑まれても、悪罵を受けても、いつだって堂々と笑っている。
そんな少女に、コルラードは憧れていた。
自分もかくありたいと願っているから。
だから、いつもなら礼節守った笑みの下で踊り出したいくらいに喜ぶところだが、――今日ばかりは、タイミングが悪かった。
最悪といっていい。
(あああっ! 来たらダメだ来たらダメだ! お願いだから今日は帰って……! アリアさん!)
案の定、南部ではそれなりに名の知れた『紅蓮の矛と盾』という名のチンピラどもは、プラチナブロンドのとびきりの美少女――しかし差別されるべき半獣の目を持つ彼女を見て、色めき立った。
「! ……おい、見ろよ」
「ああ……」
下品な舌なめずりが示すのは、下心と嗜虐心。
「お嬢ちゃん、こんなところに何しに来た?」
「決まってんだろ? 女の子がこーんな男だらけのむさくるしい商会なんぞに来るなんて一個しかねえ。惚れ薬だよ、惚・れ・ぐ・す・り!」
「かんわいい~!」
「「「ギャハハハハハ!」」」
「ごめんなさい」
アリアは姿勢よく男たちを見据え、しかしいつもどおり堂々とした笑みを浮かべてハッキリと言った。
「忙しいの。家族が待ってるから」
(……おお、さすが)
おのれが侮ってもいい人形ではなく、礼儀を払ってしかるべき一人の人間なのだと示すこと。
この少女はいつだって、自然にそれをやってのける。
男たちは気勢をくじかれて、バツが悪そうに窓の外を見た。
「今日持ってきたのはね~。これと、これと、それから……」
でん、でん、でん、と小さなミトンがリュックから重たげに引っ張り出したものを見て、コルラードも男たちも、社員たちも目を丸くした。
四方八方に棘を生やし、得も言われぬ芳香を放つ濁った琥珀色の石。
厚い絨毯に深く沈み込むほどに重く、艶めく漆黒と白蝶貝に似た層が規則正しい螺旋状となって織り込まれている角、二本。
淡いオレンジの心臓が光を放ち、黒い網細血管が鼓動に合わせて脈打つ、両手で抱えるほどの大きさをした深紫の卵。
(ほっ本物だ……! 本物のセンティコアの胆石……! カトブレパスの角! コカトリスの卵……!)
「えっと、右から」
「猪山羊のベゾアールと邪視牛の角、毒雄鶏の卵だね! うん、全部本物! しかもすっごく高品質! カトブレパスの角は×2だから、合計221シルでどうかな!?」
「わあ! やった、大儲け! さすがコルラードさん、計算が早いわ!」
無邪気な笑顔に、コルラードのささくれ立った心も癒されて自然と笑みが浮かぶ。
「あと、これは内緒なんだけど」
「おい! ――チクショウッふざけやがって!」
最初に怒鳴り声を上げたのは、少年からエドモンと呼ばれた男だった。
「こんなガキがコカトリスの卵なんて獲ってこれるわけねえだろ! 少しは常識的に考えてみろよ!」
「言えッ誰に持たされた!? おれたちに恥をかかせろって!?」
「恥? なんのこと?」
「ガキが! とぼけやがって!」
「ちょっと! 三人ともやめてくださ――」
不思議そうに見上げたアリアの胸倉や細い肩を、男たちが掴もうとしたその瞬間――
パァンッ……と、何かが弾けた。
「……?」
それは、服だった。
男たちの着こんでいた衣服が、何の前兆もなく、ベルト一つ、靴一つ残さず、はるか後方に弾き飛ばされていた。
「……」
「……」
「……」
一糸まとわぬ姿となった三人の男が、少女に手を伸ばした体制のまま、硬直している。
吹き飛ばされた衣服の切れ端が、かなり離れた部屋の隅で、ひらひらとゆっくり絨毯に落ちていった。
お読みいただきありがとうございます!
2章、始動しました!
アリアの年齢はあとで明記しますが、前話から1年後、10歳の冬となっています。
コルラードもまた、原作の攻略対象の一人です。
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