第103話 脳溶けフレンズ
「さて! けっこう時間が経っちゃったから、大事なところだけ手短に話すわね。そんなに長くはいられないでしょ?」
「ああ。夕飯までに帰るよう言われている」
「まあ、お母さんみたいな人がいるのね。素敵!」
話をつけたアリアは、テキパキと次の話題を取り出した。
「まず、わたしを血と灰の地獄に送り込むよう命じたのは、ユスティフ皇帝レクス・ユスティフ・マグヌス・アンブローズ、その人だわ。二十年前、お母さんがちっとも言うことを聞かなかったから、その娘はもっと使いやすいうつろなお人形にするために、地獄に落としたの。で、それを実行したのが、お姉さまと皇弟殿下」
「叔父上が……!? 信じられない。あの気さくで高潔な人が……」
うろたえたテセウスに構わず、アリアは「皇帝の目って虹色?」と尋ねた。
「? そう……だ。精霊の血が発現すると、淡い虹色光を帯びる。今のアンブローズでは、陛下だけに顕現している」
「やっぱりね~」
背後を見上げると、ニュクスがこくりと頷いた。
「アリアがランスロットに襲われた時の映像を解析してみたところ、たしかにランスロットの虹彩が虹色光を帯びていました」
「エイゾウ? いや、叔父上の目は銀だ。間違いない」
「でしょうね」
テセウスの否定にも、魔法使いは揺らがない。
「目は、精神を外界に顕す小さな窓。魂が唯一、露わになる場所。――おそらく皇帝レクスは、他人の身体に魂を転移することができる業を、持っています」
「!? バカな……!」
テセウスは、愕然と立ち上がった。
「そんな、神をも恐れぬ所業じゃないか! そのような業があるなど聞いたこともない……! 前例はあるのか……!? ネフシュタン!」
「前例といえるかは微妙なんだけど……、お姉さまも、別の人の魂が入っているのよ」
「!?」
「本物は小さな鏡に閉じ込められて、お母さまと一緒にいるわ」
「! そうだ。セレスティーネ嬢……!」
テセウスの脳裏に、ここに至るまでの流れが思い出された。
「彼女が、婚約者候補として突然皇宮に招集されたんだ。それでおれは、皇宮と彼女が繋がっていることを察して……ああ、いや! ……そうか。つまり、陛下は……」
「ま~何も説明してないのによくそこまで推理できるわね~! そうなの。きっと皇帝は、皇弟殿下の目を借りていたエリサルデで気が付いたんでしょうね。お姉さまが、自分と同じなんだということに。だから手を組んだ。手元に置いているということは、これから一緒に悪だくみをするつもりかしら」
「……! それじゃ皇帝は、今後もきみに攻撃を仕掛けてくる! きっと絶え間なく、悪辣な攻撃を……! ユスティフでは、あの人を敵に回すと言うことは国家を敵に回すということだ! そこまで追い詰められていたとは……!」
「まあ、詰んでるのは大昔からだから。それにレクス皇帝は、わたしの敵っていうだけじゃなくて、実の父親でもあるみたい」
「……へ?」
突然ひょいっと投げ込まれた爆弾に、――皇太子の明晰な頭脳は、機能を停止した。
「それについては話が長くなるから省略させてもらうわね。当面のところ、わたしは大丈夫。別にやせ我慢じゃなくて、先輩も師匠もティルダもいるし、ここは安全なの。一番危険なのはテセウス、あなた自身」
「お、え、ああ、うんなるほど。なるほどな、理解理解。陛下がアリアの実の父、――と。……ん? あれ? あの人、おれの父親でもあったっけ? ということはつまり……つまり……。どういうことだ? テッシー難しい話、よくわからないな……!」
「ということで、これをあげるわ」
銀髪を掻きむしり始めたテセウスをよそに、ゴソゴソとアリアが取り出したのは、――薄汚れた木彫りの人形だった。
手に乗るくらいの小さなサイズだが、目と口の周りが黒く落ちくぼみ、オオオオ……と謎の迫力を放っている。
大脳を停止したまま条件反射で手を差し出しかけたテセウスは、思わずひっこめた。
「……それは?」
「先輩が解呪のお仕事で剝がした呪いを詰めたお人形! 前は一回だけ外傷を防ぐ守護魔法がかかっていたんだけど、今は並大抵の呪いならなんでも跳ね返すくらいまで成長したみたい。えらいえらい!」
褒められて、呪い人形もどことなく嬉しそうに見える。
「礼はいりませんよ。取れた呪いの切れはしを戯れに詰め込んでみたら、出来上がっただけですので」
「これで皇帝があなたに魂を転移しようとしても、跳ね返せるわ。でも一回しか使えないから、気を付けてね」
「……」
(……何だっけ。何の話をしていたんだったっけ? ……ああ、そうそう。陛下は魂を他人の身体に乗り移らせることができるらしい。いや~とんでもない悪党だ、まったく……)
テセウスは促されるまま、フラフラと呪い人形を受け取り、胸ポケットに入れた。
滑り落ちる時に、ギャアアアア……と叫ぶような声が小さく聞こえた気がするが、気のせいだと思う。
「……もう、行かなくては」
傾いた日差しを目にして、テセウスはすっと踵を返した。
しかしそれきり足を止め、横顔を向けたまま、「……きみに次、いつ会えるとも知れないのが、苦しい」と小さくこぼした。
「……」
アリアは口元に手を当ててしばし黙考すると、「先輩」とニュクスを呼んだ。
「アレ、出してください」
「? アレとは?」
「わたしの写し絵。隠し撮りして持ってますよね」
「!?」
「!?」
「!?」
三者三様に宝石の瞳が、ガッと大きく見開かれた。
「バ、バカな! 若……!」
「ス、ストーカーではないか!? ネフシュタン……!」
ニュクスは「……! ……っ!」と口を開いたり閉じたりしていたが、ややあってぶわっと汗を噴き出すと、――肩を落として観念した。
嘘をつかない。
隠し事をしない。
クスシヘビの兄弟が、小さな姫と二十年ぶりに巡り合ったその日に立てた誓いがなくとも、このピンクの瞳に逆らえたことは一度もないのだった。
「……なぜ、そのことを……」
「動く写し絵を見せられるなら、転写することくらいわけないでしょ。それなら先輩のことだもの、絶対に撮ってると思ったの。プライバシーがないのには、もう慣れたわ。大目に見るから、一枚、テセウスに分けてあげてください」
「……」
渋々……といったそぶりでニュクスがローブから取り出したのは、小さな紙片。
「うわっ! ほんとに持ってた……! ずるい……」
「ティルダ」
「なんでもありません姫君」
「ほら、どうぞ」
「!」
ニュクスから渡された写し絵には、満面の笑みでしあわせそうにサツマイモをほおばるアリアが写し取られており、あまりの眩しさにテセウスはぎゅっと目を細めた。
(て、天使か……!?)
「はあ~~~。安眠のお守りとしてお気に入りだったのに……」
「あああっ……わたしもほしいいい……! 若! 焼き増ししてください! 二十枚ほど!」
「どうして二人ともこう、クセが強いのかしら」
テセウスはしみじみと写し絵を見つめると、胸ポケットへ大事に大事にしまいこんだ。
――不気味な人形はあらかじめ尻ポケットに放り込んでおいてある。
「ありがとう……恩に着る、ネフシュタン! いや、――兄!」
「……兄」
夜空色の瞳にキラキラと見つめられ、ニュクスだけでなく、アリアとティルダもまた、やや眉根を寄せて不思議そうにテセウスを見つめた。
「ロカンクールに無理やりついていったおれに、容赦なくゲンコツをくれた時から思っていたんだ。……兄がいたら、こんな感じではないかと」
「先輩……。皇太子にゲンコツを……?」
「悪さをする子どもは平等に叱らなくては」
「その上、こんなに貴重なものまで……! ありがたい! これは城を売り払っても買えないものだ!」
「当たり前です。引き換えにするなら国ですよ」
「間違いない……! これで明日からも無病息災、地平天成! 百年は悪霊も寄り付くことなく、健康に国政を担っていける! よかった、命拾いした……!」
「感謝しろよ、アンブローズの息子」
「なぜお前が得意げなんです」
(あれ?)
一枚の写し絵を前にバンバンと天井知らずに湧きまくる三人の様子を見つめながら、アリアは眉をひそめた。
(テセウスもちょっと、おかしいかもしれないわね……)
実際のところ。
彼女がこれまで出会った者たちがそうであったように、これから出会う者たちもまた、ちょっとおかしい者揃いである。