第100話 この孤独を歩むすべを教えよ
「大丈夫だ。お前は四六時中おれについているから、完璧に皇太子として振る舞える。いざという時には影武者にもなるよう、お父上のコルネイユ卿から指導を受けているだろう。顔立ちも上品で男前だし、皇太子ですって名乗ればどこからどう見ても皇太子にしか見えない。うん、間違いない。おれが太鼓判を押す」
「……いや。いやいやいやいや。……正気ですか?」
「……」
狂人を見るがごとき目線を受けても、貴公子然とした完璧な美貌は微動だにしない。
顔面いっぱいに(正気だが?)と書いてある。
ジュストは大きく肩を落とし、「ふ〜〜……」と息を吐くと、――吠えた。
「さっきからじっと名簿を見てたその目は節穴か!? 逆に……何を見てたんだ!? どの家のご令嬢にも直接お会いしたことがあるでしょーーーがッ! いいか、耳かっぽじってよーーく聞けよ? 顔合わせの場にいるメンツは候補者の令嬢、皇宮の使用人、それからあんたの親! 皇・帝・陛・下! 影武者うんぬんはこっちの顔をよく知らない敵国相手だろうが! 皇太子とその侍従が入れ替わって気づかないバカがサロンにいると思ってんですか!? 頭エリサルデのままか!?」
「……」
テセウスは嵐が過ぎ去るのを凛々しい顔のまま待ち、しばらく経って暴発がないことを確認すると、「お前のいうことはもっともだ」と頷いた。
「だけど、おれは行かなくちゃいけないんだ」
「……!」
ロイヤルブルーの瞳に浮かぶのは、焦燥。
幼いころから仕えているというのに、追い詰められたようなこんな表情を目にするのは、初めてのことだった。
「ど、……どうしちゃったんですか、本当に……」
ジュストは信じられないものを見る目で、敬愛する主を見つめた。
「今までしっかり、皇太子として務めてきたじゃないですか。この謹慎だって、わたしにはわけがわからないというのに……。あろうことかその期間中に禁を破って外に出ることの意味を、理解していないあなたではないでしょう? 他のご兄弟が遊んでる時だって、いつだって我慢していたあなたが……、誰も文句のつけようがない立派な皇太子のあなたが……どうして?」
「……」
テセウスはうつむいた。
目線を落とすと視界に入るのは、朝焼けの色をした小さな花。
裏切りにも欺瞞にも無縁の、真っすぐにおのれを映した瞳。
「……皇太子とは、人から立派だと褒められていればいいのか……?」
ポツリと零された問いの意味が、ジュストにはわからなかった。
だがその横顔の切実さが、性急な口を閉ざした。
「怒られなければいいのか? 文句を言われないよう、嫌われないよう生きればいいのか? ……それが、皇帝になりうるか? 人の声を標として生きてきた者が、人の目をおのれの範としてきた者が、君主に……なりうるか? その座につけば、並ぶ者のいない孤独が待つというのに」
「……」
答えるべき言葉を、侍従は持たなかった。
ずっと傍らで育ってきた身であれど、自分と主人を、決定的に分つもの。
(たとえ広大なユスティフ全土を訪ね歩いたとしても……だれも、答えられまい)
この少年と同じ重責を担って生きる者──運命の手により、生まれ落ちるよりも先に国を背負うことを定められた子どもは、存在しないのだから。
「おれは……正しく、君主になりたい。この国で悪が為されているなら正し、不当に虐げられている者を救い、明るい笑いが絶えぬような世を作りたい。……そのために、知らなくてはならないことがある。会わねばならない者たちが、いる。たとえそれで、皇位の資格なしと烙印を押されても。転落し、後ろ指を差されても。浴びる前から礫を恐れる者に、皇位など、不相応だ」
ジュストは眩しいものを見るように、淡い緑の瞳を細めた。
(これは……。手を引いているとばかり思っていたが、いつの間にか……あなたに、置いて行かれていたようだ)
与えられるものを完璧にこなしていた少年が、自分で人生を掴み取ろうと手を伸ばし始めたのだと、気が付いたのだった。
「……顔合わせの影武者にはなりませんよ」
「えっ!?」
「当たり前でしょう、何が解決すると思っているんですか。余計混沌が広がるだけですよ。……殿下、あなたは真面目すぎるんです。クソがつくほど真面目なことは皇太子宮の者全員知っています。――ですから、こうするんです」
ジュストはすうーっと息を吸うと、腹から声を張った。
声音は、訓練で身につけたテセウスの声色だ。
「わたしはッ! 陛下から命じられた二週間の謹慎が解けるまでは! 決して、部屋から出ない! 薔薇のサロンなどもってのほかだ! この誓いを無下に破ろうとするのであれば、そこの窓から飛び降りるッ!」
「!?」
部屋の外で待機していた従僕が、狼狽して壁にぶつかる音がした。
「な、なな何を仰って……! 困ります殿下っ! もう皆さまお待ちなんですよ!?」
「今申したことを一言一句伝えよ! それでも来いというのなら、わたしの誓いを踏みにじるということだ! この皇太子テセウス、立てた誓いを破ることは、絶対にしないッ!」
「しっしかし……ッ!」
――バン!
食い下がる従僕に聞こえるよう、荒々しく窓を開くと、縁にドカッと足をかける。
ちなみにここは七階である。
「ああああ~っ皇帝陛下に皇后陛下! 先立つ不孝をお許しください! 第五時空におわします我が親愛なる天空神よ! いま御許に迷える白い小鳩が一羽参りますうううううう! ――いっざああああああ!」
「ヒッ! ひええっ……! え、えらいこっちゃああ……!」
バタバタと駆けていく足音を聞き、ジュストは「……ふう」と息を吐くと、落ち着いた手つきで窓を閉めた。
「……さて。これで扉に禁固術式でもかければ、『もうめんどくさっ』となって誰も無理に開けたりしませんよ」
「は、迫真の演技……」
テセウスは表情をひきつらせたまま、とりあえず拍手を送った。
「殿下の近侍たるもの、これくらいできて当然です。どこに行かれるかは存じ上げませんが、夕食までには戻ってきてくださいよ。殿下が部屋にいないとなればさすがに父がやってきます。……わたしも父まではごまかせませんので」
「ああ……恩に着る、ジュスト!」
テセウスは頷くと、ずっとベストのポケットに入れていた術符を取り出した。
行きと帰り、一度きりしか使えぬと魔法使いに渡されたもの。
(本当は、おれが彼女に近づくことを望んでいないだろうに……。不機嫌な顔に似合わず、面倒見のいい男だ)
――ピッ
術符を切ると、足元に紫の転移魔法術式が浮かび上がり、――つかの間の永遠を経て、そこは見知らぬ森の入口。
苔むした木々の濃い匂いが、鼻孔に満ちた。
お読みいただきありがとうございます!
改稿作業により文字数が増えたので分割させていただきました。申し訳ありません!(2023/5/28)
ジュストは「原作」の攻略キャラの一人です。
この物語ではヒーローの一人ではないため、さほどポンコツではありません。