悪ノリ
先日のアラハバキに襲われた一件から再び動き出した日向の運命。
彼は刑事の岡田と電話をするついでに美久を呼び出して喫茶店で会話をするがその内容とは……
「それで岡田さん、あのアラハバキはやはり」
「日向。あれは多分、お前の推察通り通称野良ハバキだ。ただ、野良ハバキとしては最近の個体の様だし、何より外殻を純白だ。雇われの身でアラハバキにされたタイプだろ。もう少し丁寧に殺害していれば身元は調査出来ただろうがな……」
「警察が殺害していれば。なんて言っちゃ駄目だと思いますけど、そこに関しては本能のまま殺してしまったので申し訳ないです」
スマートフォンを耳に当てながら、日向は見えない相手に向けて何度もお辞儀を繰り返していた。その様子を傍から見守る美久はその奇行を目の当たりにして頬を膨らませながら笑いを堪えている。
極力会話の聞こえない距離を保ちながら日向の居住している秋の別荘付近のカフェで2人は今後の秋華について会議をしていたところだ。
雇われのボディーガードの様な日向だが、さすがに美久と2人で居るところを写真週刊誌に撮られたらという懸念もあり、美久に大きめのサングラスを着用させている。小顔な美久の顔を覆いつくさんとする大きいサングラスだ。
アイドルらしからぬブラックコーヒー一発注文に細かく苦言を呈した日向であったが、今はその繊細さを気にさせない挙動で電話に夢中になっている。
「私とデートみたいなもんなのにまさかの男の人と電話とは……、いや日向のことだから春華さんや夏華さんのメンバーと連絡取り合ったりしてるのかな……」
サングラスを掛けさせられた美久は仏頂面でコーヒーを啜っていた。美久は秋華のキャプテンを任命されている立場故にメンバーへの気遣いとスキャンダル厳禁の意識が誰よりも高く、現場のスタッフへの気遣いも忘れない、破天荒アイドルに見えて堅実な一面の見せるキャプテンである。
そんな彼女が日向の背中を見つめながら仏頂面でコーヒーを啜る様子はそれだけで画になる様な雰囲気を醸し出していた。
「あ、終わった」
遠目で日向の連絡が終わったのを確認すると、久美は彼に気づかれない様に隠し持っている手鏡で前髪を素早く整えて準備を完了する。
「すまない」
「すまない。じゃないよ。女の子をいつまで待たせてんのってこと!」
「俺にも色々あるんだから」
日向は2人の机に備え付けられた砂糖とミルクを自身の目の前に置かれていたコーヒーに遠慮なく注いでいる。どうしてブラックを注文したのにも関わらず、甘くするのだろう。という念を浮かべてそのまま日向に向けて言いそうになった美久だが、喉元でそれを飲み込んで平静を保つ。
日向にとっては何気ない日常の一つではあるが、美久のファンからすれば喉から手が出るほどの景色という事を念頭に置きながら日向はサングラスで表情が読み取りづらくなった美久を見る。
「ほんっとうにデリカシーが少し足りないと思うんだよねー。日向って」
「やかましい。あんまり大きい声を出すとバレるから手短に話すぞ。それともう1つ、お前たち秋華は俺と警察の協力のもとある程度の保護をすることになってる」
「え、警察も?」
「何だ。やましいことでもあるのか?現役アイドルでやましいことはダメ。と言いたいところだ。が、美久なら何らかはありそうだ」
冗談を含めながら歯を見せて笑顔で応じる美久に対し、日向は顔色変えずに淡々とそう返事をする。彼女は少し、不満気に頬を膨らませながら日向の話を聞き入れる。
「それに俺1人では限界がある。それなりにはるの事件を知っている美久なら理解できるとは思うが、メンバー全員にはるのことは言ってないな?」
「まぁ……。言えるわけがないというか……。発表もされてないし、康本先生も何も言わないけど、日向がしばらくお休みしてたってことはそういう事なんでしょ?」
淡々と、察しが良くて助かる。と口に出しそうになったところをすんでの所で飲み込み、美久に言い放つのを止めた。
日向自身も焦燥してしまった時期ではあったが、夏芽時代からのメンバーからしてみればはるは特別な存在であり、メンバーの1人だ。
「美久には申し訳ないが。今はまだ言えないことは確かだ。それに秋先生がメンバーに何も言わないなら俺も語るべきじゃないと思うしな」
物憂げに話す日向を見て美久はコーヒーを口に含んだ。
「なら私と日向は秘密の関係なんだね!」
「それは、なんか語弊があるな……」
日向は美久に感付かれない程度に口角を上げ、照れ隠しの様にコーヒーカップを口元に当てる。
「そう。それでね。日向に最初に解決してほしいことを言おうと思って秋華の今後も大切だけど、まずは目先のメンバーを助けることからじゃないかなって」
「というと?」
「日向の事だから忘れてるかもしれないけど……」
「ちゃんと覚えてるぞ。1期生も2期生も忘れるわけがない」
「なら安心。愛衣の事なんだけど」
「愛衣が?どうかしたのか?」
「何と、まぁ……。愛衣の事をすっごく信じている上で言うんだけどストーカー?されてるみたいなんだって」
「ストーカー?」
アイドルなるものされる事もあるだろう。それに自分が出る幕か。と考える日向は少しだけ拍子抜けと言った表情で美久の話を聞き続ける。
「それなら良くある事だとは思うし、日向よりは運営の人たちに任せる事もできると思うんだけどね。なんかそのストーカーは普通じゃないらしいの」
「普通じゃない?どう普通じゃないんだ?言動とか服装か?」
「ううん。そうじゃなくて人じゃないって愛衣は言ってたんだよねー」
―――――秋華 事務所 応接室―――――
桃崎愛衣。夏芽時代に短岸はると並び立つ実力を持つと言われたメンバーの1人。夏芽時代にはグループ1のぶりっ子キャラを確立し、その名を界隈に轟かせた。高校に通いながら秋華の活動をしている。ぶりっ子キャラには到底似合わぬアイドルと学業を両立させている側面も持つ。
夏芽時代からそのぶりっ子で時々、日向を困らせており、彼から要注意人物扱いを受けている。
「あー。日向さん久しぶりー」
「愛衣か……」
愛衣という少女の甘ったるく、浮ついた様な声色で日向の表情は難色を示す。本来、陽気すぎる美久も苦手な日向からすれば彼女はさらに輪をかけて苦手なタイプになる。夏芽自体を取り上げたバラエティー番組「芽推しッ!」でもその才能を遺憾なく発揮し、自身を猫と表現する事もしていた。それを既知していた故の日向の反応である。
そして現在も難色を示す日向に対して彼女は招き猫の様に手招きをしながら上目遣いで見つめていた。
「やめろ」
「なんで?」
「なんで?じゃない。気に入らないからだ。というよりもそういう事される事に慣れていないのもある」
「それ言っちゃうんだ……」
「こういうタイプには本音で接するのが一番だと思っているからな。それに愛衣の悪い冗談に付き合うのも胃もたれ起こしそうな今には勘弁してもらいたいのもある」
「美久と一緒に来てそうそうこんな感じだけど、日向さん大丈夫なの?相変わらず彼女の一人も出来なさそうなぐらい無神経なんだけど」
ぶりっ子キャラをしている彼女ではあるが、現秋華メンバーの中でも物言いははっきりしている方である。一期生の大半は日向に対して良好な父娘関係に近しいものがあり、一触即発とまではいかないが主に日向が相手の地雷を踏むという形で喧嘩を起こしたりする事が大半だ。
「ぶりっ子キャラが大変なのは分かるが……」
「いや、演技じゃないし、素だし」
「そうだよ日向。ある意味愛衣は天然のぶりっ子なんだから、それに無神経なんじゃない
?そんな言い方」
「やっぱ美久は分かってるなぁ」
美久はメンバー最年長。対して愛衣はメンバーを年齢順に並べると下から二番目の年齢になっている。が同じ一期生故か二人の間には年齢という壁を感じさせない。
「兎に角。愛衣のそれは勘違いじゃないんだな?」
「うん。見たもん。白い人みたいな」
「白い人?」
「うん。白い人だったかな。怖かったからこの前見かけた時は寮まで走って逃げたけどさ。ほんとに何とかしてほしい」
「まぁ……。気のせいじゃないなら今日の帰り、家まで送ってやる。その上でそのストーカーに注意でも促そうじゃないか」
「最近、噂の白い化け物の事かもしれないし、美久にも危ない目には合わせられないし、日向さんなら守ってくれるかなって」
「そういう事なら、引き受けよう。渋々だがな。渋々受ける」
「めっちゃ渋々じゃん。日向。愛衣も頼んでるんだからさ」
「そうですよー。か弱いか弱いアイドルちゃんがマネージャーさんみたいな人に助けを求めてるのにそれを無下にしようとするのは鬼ですよ。鬼」
「鬼でもなんでも構わん。本来、アイドルの子守なんぞしたくないって言ってるだろうが!それを美久がだな!」
「いやほら、愛衣。日向さん麗衣さんとキスしちゃったって認めたからさ。告発とかしてやろうかと思ってて」
「あ、やっぱりそれ本当だったんだ。日向さん凄いね。私が同じ立場なら絶対にやらないけど日向さん凄いもんね。そうか、だから彼女出来ないし、無神経なんだ」
「それはどういう事だ……」
日向は呆れ果て死んだ魚のような目をしながら淡々と問う。
「だって春華さんや夏華の本メンバーと過ごしてきたってことはさ。女の子に飽きてそれこそ逆に冷たい態度とったりする事あるんじゃないって思って」
「そんな事はない。美久と愛衣に特別冷たくしているだけだ。他のメンバーにはちゃんと慈しみやリスペクトをもって接している。それにお前たち二人は優しくするとより付け上がったり、こちらを変に弄ってくるからな……。それを懸念するとこういう風な対応になるって事だ」
「うーん。日向さんじゃ心配だなー」
「ねー」
「やかましいわ!さっさと今日のレッスン終わったら行くからな!それと、ほかのメンバーにも似たような経験がないかだけ聞いておいてほしい」
叱咤の様に聞こえる日向の声を聞いて愛衣の中では日向は心を取り戻しつつある。と確信していた。それは美久も同様。メンバーに対して多少なりとも声を荒げて物言いできるのは以前の日向を取り戻しつつある。二人は無言で顔を見合わせて笑みを見せた。
―――――日向町―――――
日向町。人口約15万人。町のシンボルは太陽に弓矢が突き刺さった前衛的なものになる。これはわざわざ町長が日向町出身の漫画家、瀬戸秀人という人物にデザインさせたシンボルだ。
町の名産品は複数存在し、日向饅頭と呼ばれる町のシンボルが焼き印された日向町の起源と同時にあると噂される老舗が作る和菓子。
他にも数十年間。フルーツパーラーで提供されている日向パフェも人気を博しており、こちらと日向饅頭の両品はこの町を愛してやまない者たちのどちらがより菓子として優れているかの論争を生み出しで居る。
他にも日向米。日向肉など、全国メディアでも取り上げられる名産品の多い町であり、その一等地に建築された日向寮の隣に存在する秋の別荘に日向は拠点を置いている。
その別荘の地下室にて日向はその体にはあまりにも似使わぬ巨大なベッドで仰向きに寝ていた。全身には得体の知れぬチューブと機械が張り巡らされ、視界は確保されているものの様子は窮屈そうである。
「うむ。良好だ。君の体は至って健康。問題なしだ。アラハバキ特有の飢餓もない。やはりアラハバキの体は美しい。人間にはない造形美。んー。素晴らしい本当に……」
日向を隔離しているオペ室の様な場所を眺める女性が一人。溌溂とした深紅の髪をポニーテールに束ね。右目には眼帯を着用し、車椅子で移動している。
彼女の名前は狡噛十六夜。荒覇刃鬼について研究し、日向の体を定期健診する専属ドクターの様な者である。彼女は秋に雇われており、その内容に日向の肉体のメンテナンスも入っているという様相だ。彼女にとって研究したくて喉から手が出るほど欲しい荒覇刃鬼のサンプルが目の前にあるのだから、十分な給金以上の物を秋から貰っている自覚がある。
日向が春華で仕事をしていた時からの付き合いで彼からすれば、出会った当初と比較してみれば十六夜は数少ない気を許せる人物になっていた。
「やかましい!!!!」
「その声がやかましいよ。全く、君の様な絵に描いた短気は損気人間相手に商いをきちんとしている私を褒めてほしものだ」
「はぁ……ほら受診料だ」
手付金を渡すように日向は軽々しく、日向は十六夜に茶封筒を手渡す。
彼女はそれを見ると目を煌びやかに輝かせながら即座に茶封筒を破いて中身を露わにする。
「うひょぉぉぉぉぉぉぉぉ!秋華ちゃんたちの生写真じゃあないか!これだよこれ!これの為に私は生きてるぅぅぅぅぅ!」
奇声を張り上げながら施設内を所狭しと器用に車椅子でドリフト走行を披露する彼女を見て日向は肩を落として溜息をついた。
「サインぐらい。俺が頼めば多分書いてくれるぞ……」
「馬鹿。君は大馬鹿者だな。大変大馬鹿者な上に彼女たちに失礼じゃあないか。それに他のファンの皆にも失礼だ。それにこの通称レジェンド華ヲタのコウガミ―がそんな不正を働いてみろ。フォロワー共に何を言われるか分からん」
日向が手渡した茶封筒には秋華メンバーの写真が複数枚個包装の袋に封入されていた。価格は1つ5枚入り、500円。圧倒的な低確率ではあるが、春華、夏華、秋華の写真はメンバーのサイン入りの写真も存在するとの事。
彼女はそれを求め且つ、それぞれのメンバーのサインを手に入れる為に毎度の如く研究費までは浪費しないものの。個人的に写真を複数購入している。
「コウガミ―だか何だか知らないが。そんなにうれしいものなのか?」
「当たり前じゃあないか。仮にだ。仮に日向。君が当たり付きのアイスを買ったとして当たりが出たらもう1本を引いたとしよう。嬉しいだろう?」
「まぁ。多少は嬉しいだろうな」
「厳密に言うとそういう事ではないが。そういう事だ。アイスの当たりなんて物はどうだっていいんだ。大事なのは可愛い子ちゃんたちが書いたありがたいサインと滅茶苦茶かわいい生写真が欲しいだけなんだ。アイス風情と比較するのが失礼極まりない。それにだ。頼めばサインを書いてくれるだ。ここまで清々しくムカつく上に足が動けば君を蹴飛ばしていただろう。と思ったのは久しぶりだ。職権乱用を進んでしようとするんじゃあない私を激昂させたいのかァ~?それに他のオタクに殺されるぞ。夜道に気を付けるんだな」
彼女の感情に呼応する様に車椅子に積まれているエンジン部が爆音を施設内に反響していく。
「ドク、あと薬の味を見直してほしい」
「何で?」
「あまり美味くないからな」
「良薬は口に苦しだ。それが無ければ君は飢餓で死ぬ。そんな事は私が許さないし、大事な大事なアイドルちゃんを死なせたお前の罪は重いという事だ」
別荘の地下に存在する十六夜には霊安室まで配備されている。彼女は終身刑の囚人を利用し、アラハバキを人工的に作り出す研究をしていたため、今は使用されていないものの。そこに亡骸を丁重に保管している。
はる以外にもアラハバキと化し、死んでいったメンバーも居るものの。そんなメンバーの両親に秋は実の子を行方不明とだけ伝え、この地下室に十六夜管轄のもと亡骸を管理させていた。
亡骸に関しては十六夜も罪悪感を感じており、一研究者として自身の研究が悪用されたことによる憤りも未だに感じているという。
「それは今も思っているさ」
「すまん。悪ノリで言い過ぎた」
「これに限ってはドクが正しいさ。この味は罪故のものだからな」
十六夜が日向に真っ赤なキャラメルの様な固形物を差し出した。少しだけ角が欠けており、精巧な四面体とは言えない。日向はそれを嫌がりながらも片目を瞑り見つめる。
欠片はほんの少しだけ胎動しており、まるで生物の様に熱を持っていた。
これは数日に一度、医者が患者に手渡す錠剤の様に気軽に渡されるそれは、アラハバキなのである。
ごく少量のアラハバキの肉片であり、人間生活を円滑に送るための食事以外に必要不可欠なアラハバキの食事。
十六夜のこれが無ければ、日向はアラハバキの肉体が発生させてしまう消耗に耐えらず、自食作用を誘発してしまい、生命としての存続、活動さえも危うくなる。
「この燃料さえ摂る必要が無ければな」
「君はある意味、最強のアラハバキだからそれぐらいのデメリットは致し方なしだ。美しいには美しいなりの苦労や悩みを抱えている。それと同じさ」
「まぁ、それなりの覚悟が無きゃ。手にしちまったら駄目な力だ。それを……」
十六夜のデスクには秋と日向と十六夜の三人で撮影された1枚の写真と、今や全員揃う事はなくなってしまった夏華メンバー総員との記念写真がある。この時の十六夜は照れ臭そうにも怪訝そうにも見て取れた。
一研究者であり、秋と日向の関係者であるが故に彼女たちをアラハバキから守護する任も請け負っている彼女はファンである以前に仕事上の関係もあるので複雑な関係とも言える。故に記念写真に写りこんでいる彼女はなんとも言えない表情を見せているのだ。
アラハバキ研究の第一人者であり、日向と連携して彼女たちの手助けや警備の手助けを行う事から、彼女の事を知っているメンバーも多い。
「あまり悲しそうな顔をするんじゃあない。また警護と言うかもしれないが、されど警護だ。それと、後日新種のアラハバキのデータも送っておこう。それと新しい協力者も日向に紹介した所だったしなぁ。ほら、最後に私に向けてそれを食べて見せてくれ、いつもの様にゴクッと頼む」
「どうしてもか」
「当たり前だ。君に身を滅ぼされたら困る。それに私の前で君がそれを服用してどうにかなったとしてもその投薬結果をすぐに知れるから何よりもブロックの改良に繋がる。いつか美味しいステーキ味とかに出来るようにな」
嫌々しい顔を十六夜に見せた後に日向は勢いよくブロックを咀嚼せずに飲み込み、舌を出して彼女に嚥下した事を無言で伝えると彼女は満足した様子で振り返り、そのまま日向に別れを告げた。
―――――警察署―――――
「何?ストーカーだって?」
日向町に存在する警察署。日向町駅前すぐに隣接したそこは、日向町の住民たちが待ち合わせ場所にも頻繁に使用するスポットである。
そこの応接室で日向は一人の刑事と本革のソファに腰かけて神妙な面持ちで会話をしていた。
「そうみたいなんです。岡田さん、迷惑かもしれないが……。彼女たちの身に何か起こる前に解決しておきたくて」
「まぁー俺は暇だから全然いいけどなぁ。でも日向。お前と一緒で俺もある意味昇進しちまってどうも忙しいんだ」
日向の正面でコーヒー片手に流暢に話す男。
岡田正嗣。年齢は28歳、独身。日向が春華に警護を任命されてからの付き合いである。数少ないアラハバキの特性をある程度理解した協力者だ。先日の墓参りの場でアラハバキの亡骸の後始末をしたのも日向町警察署アラハバキ事件課に所属する彼の仕事である。
理解があるというよりも夏華警護時期には日向の為に正嗣自身もアラハバキと化した経歴を持ち、その後十六夜からのリハビリを受け、現場に復帰した。今では後遺症等もなく、平穏すぎる毎日を喜びながら毎日警察署の花壇で日向ぼっこをしている男だ。
「そこを何とか」
「んー。俺じゃなくて新人で良けりゃあ協力者としても滞りなく行けると思うけどなぁ。なんたってそいつは全てのアラハバキを殺すためにうちの警察署の門を叩いたんだからな」
「それは、協力者になってくれますか?」
「なってはくれると思う。だが、堅物だからなぁ。一応、日向。お前の説明はしてあるけれど、そいつもそれなりに問題を抱えてるから……」
「まぁすべてのアラハバキを殺したい。ですもんね。そりゃあ俺も入ってますよね」
「まぁ……。俺もアラハバキは全員が全員悪くねぇんだぞって毎日話はしてるんだが、聞く耳を持ってくれないからなぁ。だが、本当に優秀な奴ではあるんだ。優秀故のデメリットやリスクというか何というか。この前も一人でアラハバキを倒しちまったみたいだったし、どういうカラクリを使ったかは知らねぇけどさ」
「その彼は普通の人間なんですか?」
「普通の人間ではある。俺よりも喧嘩は強いし、賢いし、まぁ冷酷なところが玉に瑕なのもあるけれど、俺には懐いてるって部署の皆は言ってるよ」
日向は顔をしかめて正嗣を見つめる
「でも普通の人間でアラハバキを倒せるとはあまり思えません。岡田さんも知っているでしょうが、小型のアラハバキでも移動速度はもちろん、攻撃の速度だって捉えられない個体も居る。たまたま当たり、つまり弱いアラハバキが相手だったのなら、有り得ない話ではありませんが、それでも警察官が所持する拳銃でも厳しいでしょう」
「その筈なんだがなぁ。ただ射撃も俺より上手いって聞くからきっとそれでアラハバキを倒す事が出来たんじゃないか?報告書にも拳銃を使用って書いてた筈だし」
「筈だしって……」
日向は多少なりとも大雑把な正嗣の性格を理解している。彼がアラハバキの力を有した切っ掛けも日向を助けたい。という思いが先行していたが、後に彼から実はアラハバキの力に興味があったから、という理由を彼に語っていたからだ。
そんな浮足立った小学生の様な気持ちで手軽にアラハバキの力を手に入れ、それを制御してしまう精神力と身体能力があるから大したものなのだろうが、日向の心には妙に正嗣の話す男の存在が気になっていった。
「アラハバキ課を志願した時点で多少なりともおかしい奴だとは俺も思っているけど、お前となら仲良くやってけると思うんだよ」
「何を根拠に?」
「んー。刑事としての勘がそう言うんだよ。きっとな」
「女の勘ぐらい信用ならない気がするんですが」
「それはお前がそう思うからだよ。それにそいつと何かあった俺に言ってくれ、多分なんとかするからさ」
そう言いながら、正嗣は胸ポケットからミルク味の飴を日向に差し出した。
「甘い物はあまり得意では……」
「おいおい!これはノンシュガーさ。お前もこれなら好きになるかなぁって思ってな」
変な気遣いをしなくてもいいのに。日向はそう思った。が気にせず、飴をそのまま受け取り、ポケットに仕舞い込んだ。
その後、正嗣の淹れるコーヒーを飲みながら、先日の戦闘報告と後処理の報告を受け、日向は部屋を後にしようと服の襟を正す。すると神妙な面持ちで日向の顔を見た。
普段は笑顔や凛とした顔しか見せない正嗣しか見ない日向は呆気に取られる。
「日向。お前は変わった。良くも悪くも……。うまく言えないし、言っていいか俺なりに悩んだけど、その歳でお前はよくやってるって言うか……。あまりにも達観しすぎちまってるって言うか……。何となく思うんだ。同世代の連中やお前が警護を担当しているアイドルたちだってお前みたいに殺し合いとかしてる訳じゃないんだって、だからもう少し、自分を大切にしてくれ……。こんな事しか言えないけど、俺なりにオブラートに包んで……」
正嗣が全て言い終わる前に日向は立ち上がって正嗣の肩を一度だけ、優しく手を添える様に叩いた。
「そこまで思いつめた表情して言われたら、岡田さんにこれから協力を頼めなくなっちゃうじゃあないですか。確かに、好き好んではやってません。でも俺は秋さんが俺に手を差し伸べる限り、あの人からの願いがある限りはそれを遂行するだけですよ。その為だったら、嫌になりつつあるアイドルの面倒だって見れる。そう思うんです」
正嗣も日向を見つめて彼と同様。優しく肩に手を当てて何も言わず、彼の背中を押した。
「それにアラハバキがアラハバキを倒す事が一番、効率が良いですから」
―――――日向町―――――
先日、あれだけ男同士の熱く、他の人間には知られるには恥ずかしすぎる二人の語り合いを終えた後に日向は肝心な協力者の名前を聞かなかったことを思い出し、署を出た後に即座に正嗣に連絡し、協力者の名前を聞き出した。
男の名は大垣正義。正嗣は彼にジャスティスとあだ名を付けて親しみを込めてそう呼んでいる。
勿論、正嗣本人しかそう呼んでは居ないが、全身の写真は後日送信すると言われてはや数日。日向自身も正嗣本人に催促する訳でもなく、何事もない日常が続いていた。しかし
「ねー。日向さん」
「あまりベタベタ触るな!」
「えー」
愛衣と美久に諭された結果。愛衣が出かける際は必ず日向の付き添い有りというものになっていた。そのお陰か見事に日向は彼女に振り回され、むしろ人間味に溢れた数日を食っている。
朝は6時半に愛衣のモーニングコールによって無理やり起床させられた上で、アイドルの警護だから、と耳に胼胝ができるとはこの事かと思うほどに身形をしっかりさせられ清潔感溢れる好青年の様な服装をさせられていた。
愛衣に関しては美久の様に大きめの黒色の強いサングラスを着用している。
人で混雑している日向町は、二人の行く手を阻むように大量の群衆が無造作に動いていた。
「折角のデートなんですよー?」
「デートじゃない。警護だ」
「いやーこれはデートですよ。デート」
愛衣はサングラス以外にも淡いピンク色のベレー帽に茶色のサロペットスカートのワンピースにまるで西洋の貝殻の様な純白のフリルブラウスを着用していた。オマケに靴は厚底で真っ黒なローファーを履いていた。
「もう少し地味な服装にしろと言ったろうに」
「いや、いやいやいや!日向さんとデートだからこんなにおしゃれしたのに」
「だからデートじゃないって言ってるだろう。それなりに目立つ格好をして、例のストーカーに見つかったらどうするんだ」
「んー。全然地味だと思いますけどねぇー」
愛衣は首を傾げながら、日向に向けてその全身のコーディネートを披露する様にその場でスカートをたくし上げて回る。
「あのなぁ……」
「似合ってないですか?」
「そういう問題じゃあない。感想ならまた後でうんざりするほど聞かせてやるから、早く帰るぞ」
「あ、日向さんや!羽生ちゃん!日向さん!」
「おやおや?本当だね。ちいちゃん。本当に日向さんだ」
日向が愛衣の手を引いて帰路を急ごうとすると、聞き覚えのある声が日向の耳に心地よく入り込んだ。片方はおっとりとした子どもを寝かしつかせる時に聞かせる朗読音声の様な耳に優しい声色の女性と凛として透き通った声のする長身の女性との二人組だった。
恋人繋ぎどころかまるで長身の女性が傍らの女性をエスコートする様に腕を組んでいる。
「羽生ちゃんと千春か……。びっくりするじゃないか」
「ごめんねー。久々に見かけたもんだからついつい」
えへへ。と笑いながらにこやかな笑顔を見せる大池。彼女の名前は大池千春。夏華1期生。愛称は千春からくるちいちゃん。
関西出身でその美声と本人の柔らかな仕草、その美声から繰り出される関西弁でファンを虜にする人気メンバーの1人。
日向も彼女の声は他のメンバーやグループと比較しても耳障りではない。悲鳴すらも耳を塞ぐ事なく聞ける存在である。
そして彼女の隣に居る長身の女性は羽生瑞希。
こちらも夏華1期生。愛称というよりもファンやメンバーは彼女のことを羽生ちゃん、羽生名人、羽生先生と様々な呼称で呼ぶ。モデルも兼任しており、男性ファンよりも女性ファンの方が多いという夏華というよりも康本秋プロデュースアイドルの中でも稀有なメンバーの1人だ。
一方でそんな女性ファンを多数獲得している彼女は極度の天然で、ことあるごとに夏華メンバーで放送されている「夏華って読めない?」ではトンデモ発言を多数繰り出しており、司会者のお笑い芸人を混乱させる場面が多い。
日向と背丈が同じぐらいなのも相まって珍しく、彼が視線を下げずに会話ができるメンバーでもある。
彼女は極度と呼ばれる程メンバーに紳士的に接してしまうため、メンバー間でも彼女のファンは多い。
「おやおや?これはこれは、お姫様じゃないか」
千春も瑞希も大きなサングラスを着用しているため、そのサングラスを傾けながら、ガラス玉の様に眩く輝く目で真っ直ぐに愛衣を見つめる。
その様子を見て少しだけ瑞希と腕を組んで歩いていた千春は頬を膨らませていた。
「お姫様って!ウチが隣におんのに」
「まぁまぁちいちゃん。ちいちゃんもしっかり可愛いよ」
瑞希の一言で千春は膨らませた頬を萎ませ、ご機嫌に口角を上げて笑顔を見せる。
「お久しぶりです!」
2人に向けて丁寧にお辞儀をする愛衣を見て、日向は感心していた。
「日向さんもね」
「ん?あぁ……」
「日向さんは男性だけれど、いつか羽生の女にしてやろうって考えてたのになぁー」
「俺は男だって突っ込む前にそう言ってくるとは……」
「ふふっ、大好きな人の事は手に取るように理解出来るもんさ」
「ちょっと羽生ちゃん。ちいは」
「ちいちゃんも勿論、大好きだよ」
「お熱い事はよいことで……」
抱き合う二人を尻目に愛衣はいつの間にか日向の手を離していた。それに気付いた日向は彼女の手を優しく取り、引き寄せる。
「ただ、羽生の女にはなれない。男である事と同時に、今の俺は秋華の警護係。その勧誘はファンや千春にとっては恐悦至極でも俺が任されてる事じゃないからな」
「む。なら駄目かぁ」
「あぁ、申し訳ないが。瑞希の女に俺はなれない。今日は愛衣を送り届けないといけないからな。帰るぞ」
「え、はい……!」
「愛衣ちゃんか……。愛衣ちゃんも羽生の女に……」
「えぇ!?本当ですか!?」
「羽生ちゃん!!!!!」
少しだけ声を張り上げる千春を見かねて瑞希は彼女をなだめる様に身振り手振りを交えて説明した。日向は2人に会釈してその場を去ろうと愛衣の手を引いた。愛衣はそれに合わせて足取り軽やかに彼の後を付いていった。
「仲良しなんだね」
「ん?あの二人か、あの二人はまぁいつもあんな感じだからな。グループは同じ様なものだが、お前らと俺とでは距離が違うのも少なからずあるから、仲良く見えるのかもしれない」
「羽生さんはかっこよかったし、千春さんは綺麗だったなぁ」
「愛衣にはあの2人とは違う魅力がある。そう比較しなくてもいいだろう」
そう言って日向は我に帰ると、愛衣から目を背けた。その動きを見た愛衣は笑みを抑えきれずに笑い声が漏れてしまう。
「そう言うところが日向さんの好かれる要因なんだなぁって分かりますよ」
素直ではない日向の無言に少しだけムッとした愛衣は彼に気付かれない様に懐に手を伸ばし、両手を脇の下に差し込もうとする。
愛衣の両腕が彼の脇半分まで到達した途端に風切音が2つ、日向の耳に入り込む。恐らくアラハバキの襲撃か何かだろう。
「愛衣!」
「はい!?」
両腕を差し込まれていた事に気付かなかった日向は、愛衣の名を叫び、彼女の頭を瞬時に抱き、地面に触れない様細心の注意を払いながら、その場に素早く、倒れこむ。
風切り音は消え、日向は愛衣を抱きかかえたまま背後を確認する。
待ちゆく人が察知する事なく、小型の刃物、アラハバキの外骨格を飛ばしたのだろう。自純白の鋭利な破片の様な骨が電柱に刺さっていた
風切り音の方向を確認するも人影はない。街中でアラハバキになればパニックは避けられない。恐らく裏路地から投擲された物と日向は考える。
漸く周囲の安全を確認すると日向は愛衣を立ち上がらせて彼女の衣服を優しく掃った。身体の状況も直に手首を触って異常が無いかを確認する。
「あ、ありがとうございます……」
刹那の出来事に呆気に取られる愛衣を尻目に日向は周囲を確認する。アラハバキの気配はもう無く、恐らく逃走したのだろう。
「愛衣。すまない。驚かせてしまった様だ。相手の確認は出来なかったが。まだ近くに居るだろう」
「はい」
日向は携帯電話を取り出して即座に電話をかける。電話をかけてはその相手に現在地と誰と居るかを伝達し、電話を切った。
「これから美久と頼りになる警察の人が来る。幸い此処には人も沢山居るだろうから、大丈夫だとは思う」
「え、もしかして……?」
「そのもしかして。だ。俺が愛衣を押し倒してしまったのには理由がある。それに愛衣。お前を付け狙っているストーカーだとしたら、かなりマズいからな。顔を見ておく必要もあるだろう」
「えっと……」
愛衣は若干上目遣いで日向を見つめるも無慈悲に日向は路地にある喫茶店を指さした。
多少なりとも胸が高鳴っていた愛衣にとってあまりにもデートの様な状況を妨げた何者かにムッとしながら、渋々日向と喫茶店に向かう、
「その2人が来るまであそこで隠れるぞ」
美久と正嗣が合流後、日向は愛衣を2人に任せて喫茶店を後にし、店を出て直ぐに裏路地に入り、先ほど電柱に突き刺さっていた外骨格の破片を取り出す。
「まだ近くに居るな」
アラハバキは基本的に血生臭い異臭を放つことがある。それは日向も同様ではあるが、アラハバキとして身体能力が向上している日向は人の匂いはさほど理解出来ない。しかし、アラハバキの放つ独特な匂いは犬よりも素早く察知出来る。
「何故、愛衣なのか……」
熱心すぎるファンは少なからずアイドルグループに居る上で切っては切れない縁に居ることも日向は重々承知している。だが、愛衣も少なからず秋華でセンターを務める様な実力者であり、人気メンバーの1人でもあるからこそストーカーの1人や2人も居るだろう。
かつて、春華のメンバーにもストーカーが纏わりついて居た事はあったが、その時はただの人間であった。勿論、夏華でもそういったことは経験した。しかし、アラハバキがストーカーを働いているなど、日向の経験からは考えられなかった。
アラハバキが日向自身を狙う事はあってもよっぽどのことが無ければアイドルを標的にする事はなかったのである。
故に日向は先ほどのアラハバキであろう敵の行動心理を己の頭で考える。
「麗衣やはるの時は普通の人間だった筈なんだが……。それだけ一般人にもアラハバキが居るって事なのか?」
そう考えながら一目散に匂いのする方向へ駆ける日向は愛衣と隠れた喫茶店から数10km程度離れた所で匂いが忽然と消える。
「匂いが消えた……?そんな馬鹿な事が」
「あるとすれば、匂いが消える原因を考えれば自ずと分る筈だ」
後方から恐らく成人男性。低く少しだけ籠った声がした方向に振り返る。即座に両腕のみを硬質化させて両腕で上半身を覆い、構えを取った。
男の顔は建物の影で完全に確認するのは難しい。しかし、男の前には木漏れ日を受けて光沢のある剣だろうか、刺突出来る様に先端が鋭利な円柱になっていた。
「お前は、さっきのアラハバキとは違う様だな。何者だ」
「名前?名乗る意味もない。今から僕が始末するからな」
アラハバキの反応は一つ、アラハバキのみならば後ろに居る男の存在はアラハバキの協力者になる筈。しかし、日向は向かってくるアラハバキの様子と反応を確認して理解する。
「お前が、ドクの言ってた新型?だな」
「新型?何の事だ!」
日向に強襲を仕掛けるアラハバキには明確に足りない物があった。自身や今まで見たアラハバキには絶対にあったもの。呼吸が全く感じられない。
加えて人間よりも生存生活を円滑に送るために必要な圧倒的な体温の高さが足りない。
「ドクの大馬鹿が未だに連絡を寄越さないが、大方その考えであってるんだろうな!愛衣に嗾けたのはお前か分からんが、多少の覚悟は出来ているんだろうな?」
「覚悟が無ければ、お前の前には立てないよ。高坂、日向!」
強襲を続ける謎のアラハバキは日向を睨み付けながら剣を垂直に振り下ろす、日向は硬質化させた両腕でその剣を白刃取りの用量で丁寧に挟み込み、透かさずへし折った。
まさかこちらの方が先に完成するとは、さらに続きを投稿するとは思いませんでした
優しい魔王の疲れる日々も誠意作成中ですのでしばしお待ちくださると助かります!
羽生瑞希ちゃん……良いですよね……