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滅鬼の刃  作者: 大橋むつお
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31・H先生の大声

滅鬼の刃 エッセーラノベ    


31『H先生の大声』   





 武者走は、ときどき武者小路と間違われていました。



 武者走という苗字は稀で、武者小路は、みなさんご存知のように白樺派の大作家であります。


 学校の教科書や副読本にも出ていて、作品を読んだことが無い人でも名前は知っておられるでしょう。


 飲み屋のお品書きの横に――仲良きことは美しきかな――と書かれた野菜の絵がありますが、あれの作者です。


 武者走のフルネームは武者走幸次むしゃばしりこうじと云います。


 約めれば「むしゃこうじ」で、武者小路と言っても、そうそう間違いでもないというのが奴の理屈です。


 郵便物も『武者小路』と誤記されていても、ちゃんと届くそうです。


「でも、一度だけ新米の郵便屋が『武者足さんのお宅でいいんでしょうか?』って訊ねてきやがった」


「むしゃたり?」


「ああ『むしゃたり』って読みやがった(^_^;)。それ以来、武者小路の表札も出したある」


「アハハハ」


 お茶を出しに来て、そのまま居ついてしまった栞も笑います。


「武者のおじさん、よかったら晩ご飯食べてってください。スーパーの朝市でしめじいっぱい買っちゃったから炊き込みご飯にするんです」


「おお、そりゃありがたい。今日は息子夫婦も出かけてるから、コンビニ飯で済まそうと思ってたところや」


「じゃ、味には文句言わないってことで承ります(^▽^)」


 タタタタ


 古希のジジイには真似のできない軽やかさで階段を下りて行きます。


「いい娘さんになったなあ」


「その分、こっちもいいクソジジイになったけどな。で、初回のネタはなんだ?」


「おっと、その前に電話しとくわ」


 武者はスマホを持って廊下に出ます。


『……おお、おれおれ。今日は大橋んちで飯食って帰るから、あ、ああ、憶えてるぅ。とちくるって晩飯買って帰らんようにな「念のため電話」や。じゃあな、勤労中年』


「あいかわらず、声でかいなあ……」


「あはは、お互い小声じゃ通じひん職場におったからなあ」


「そうだな」


「息子にはウザがられてるけどな。連絡やら情報は、直に音声で伝えるのが基本や」


「確かにな」


「そういや、中学のH先生は声でかかったなあ」


「あ、ああ……」



 何年かぶりでH先生を思い出しました。



 転任の挨拶で朝礼台に立ったH先生は、地声で「気を付けっ!!」とかましました。


 1200人の生徒が、ビシっと気を付けになります。


 人の体というのは吸音体で、それが露天のグランドに1200人も居るとマイクを通さない声など届くものではありません。


 70年の人生で、二人の大声人間に出会いましたが、二人とも恩師あるいは先輩の先生です。


 H先生は旧海軍の御出身で、乗っていた艦が魚雷にやられて、まる一日フィリピンの海に浮いておられました。


「先生の腕の傷、見たか?」


「あ、ああ……」


 元気な先生で、受け持ちの体育の授業は、冬でも半袖を通しておられ、右腕の傷がよく見えました。


 ただ、先生自身が無頓着で、明るく授業をやられるので、いつのまにか生徒も気にしなくなりました。


「あのころのオッサンは、チラホラ居たなあ……」


 昔は銭湯でしたので、たまにそういう人を見かけました。


 たいていは、戦時中の傷です。そして、たいていは銃創であったり、破片に肉を持っていかれたりの傷でした。


「火傷のケロイドいうのもあったなあ」


「あ、ああ……」


 ごく小さいころは、お袋に連れられて女風呂に入っていました。


 数は少ないのですが、女性の中にもそいう方がいらっしゃって、子ども心にも驚いた記憶があるのですが、ジロジロ見たりはしません。大人たちの態度で見て見ぬふりをするものだと思っていました。


「そうやったなあ、あのころの風呂屋は教育の場でもあったんや。せやけど、H先生の傷は、ちょっと違たやろ」


 そう言われて思い出しました。


 先生の傷は二の腕にあって、少し欠けているのですが、欠けた周囲には歯形のようなものがついていました。


 だからかもしれません、傷のわけを聞いた話は聞いたことがありません。


 それを武者走は聞いたようなのです。


「あれはなあ、魚に食われた痕やそうや」


「魚に!?」


「うん、漂流して、ほとんど死んでもたようになってると、ごく普通の魚が食いにくるそうや。魚は、みんな肉食やからなあ」


「え、そうなんか……」


 こういう秘密めいた話は、驚いたり感心した方が負けです。


 こっちも一発かまします。


「海軍にはな、高声電話というのがあった」


「こうせい電話?」


「ああ、高い声の電話と書く」


 古本屋で『丸』というミリオタ雑誌を見ていたので、少しばかりは知識があります。


「海軍は艦内通信には伝声管を使っていたんだけどな、なかなか明瞭には伝わらなかったんで、音量を電気的に増幅して伝える電話が使われるようになった」


「へえ、そんなものがあったんか?」


「ああ、海軍は進んでいてな。新造の大型艦には冷房もあったし、照明は蛍光灯だった」


「え、蛍光灯なんて、俺の家は小学校に入ってからやったで」


「うちも、そうだったけどな。あ、高声電話。それをH先生に聞いてみたことがあるんだ」


「『ああ、あれはな、大きな声でなきゃ通じないから高声電話っていうんだ』だ、そうだ」


「え、そうなんかぁ」


「それで、遠くに味方の船が見えて、ここ一番の大声を張り上げたら気が付いて助けられたそうだ」


「あ、ああ、なるほど……」


 けっきょく、第一回目の内容に踏み込むことも無く、武者は栞のしめじご飯を食べて帰って行きました。


 


☆彡 主な登場人物


 わたし        武者走走九郎 Or 大橋むつお

 栞          わたしの孫娘 

武者走     腐れ縁の友人




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