ヤンデレには気を遣う②
ちょっとディラム有利に作りすぎた感は否めないが、これくらいしておかなければレティシアに執着しているらしいクラトがどんな横槍を入れてくるかわかったものではない。それこそ「カークランド兵が復興と称してディラムを侵略しようとしている」ともっともらしく広められそうである。
俺がまずクラトにこれを見せにきたのは、先日レティシアに話したことを彼にも知ってもらうためだ。
俺の目的はディラム伯への支援であって、レティシアとは婚約を解消しても良いと思っていること。
そして、俺の領民を傷付ける行動が、俺の逆鱗に触れるということも。
「ああ、そうだ。カークランド伯、僕にも一応その契約書の写しを貰えるか?」
「貴方の署名欄も作りましょうか?」
契約を取り交わすディラム家と子爵は、本来何の関係もない。それを言外に指摘する俺の皮肉に、クラトは不愉快そうに口の端を歪めたが、自分の要求を取り下げる気はないようだ。
「君がディラム伯に持っていく契約書の内容が、これと同じとは限らないだろう?証拠は残しておかなければね」
それどころか、こんなことまで言ってきやがる。関係ない奴はすっこんでろと言いたい。
しかし、この男と契約書の内容を共有しようとしたのは俺だし、はなから内容を書き換える気もないので不都合は何もない。痛くない腹を探られてむかつくだけである。
写しをその場で作成する。提供された公爵家御用達の、透かしがある上質な紙を使ったので、複製は難しいだろう。大人気ないので頑張って隠したつもりだったが、鋭いクラトはどことなく腹立たしげな俺の様子に気付いた。そしてそれを、俺が契約内容に手を加えるつもりだったとでも勘違いしたらしく、大変ご満悦だった。ヨカッタデスネー。
「そう言えば、ディラム領が復興したあと、もしも、レティが……」
クラトがぐっと息を詰め、想像するだけで苦しいとでも言いたげに、悩ましく息を吐き、瞳を苦悩に染める。おい、ちょっとその圧倒的な色気を無意味に垂れ流すの止めろ。周囲に深刻なダメージが出てるから。
「レティが……君との婚約を解消しないと言ったら、君はどうするんだ?」
……?なんだ、その質問。
クラトはレティシアに好かれている自信がないのだろうか?あるいは、選ばれる自信が?
いや、でもそうか。レティシアは一度、クラトに別れを切り出しているんだった。
先日のレティシアのヒロイン思考には引いたが、基本的に彼女は常識的な考えの持ち主なのだろう。
王女との婚約を解消できるなら、クラトはとっくに手を打っている。どう転んでも、日の当たる場所で二人が結ばれることはない。レティシアがそれに耐えられなければ、俺の手を取ることもあるだろう。
俺が「ディラム領への支援が済み次第、問答無用で婚約解消する」と契約書に書かなかったのは、レティシアの体裁を無闇に傷つけないための配慮であると同時に、彼女に選択の余地を与える目的があった。少なくともレティシアはあの夜会で、懸命にクラトを拒もうとしていたからだ。
しかし、この世界で女性の立場は驚くほど弱く、自由にできることも少ない。俺ができることも、この程度のことしかない。
その上で――レティシアが、俺を選ぶ。
先日の態度を思えば、それはやはり、想像がつかないが。それでも彼女が俺に手を伸ばすと言うならば。
俺はクラトに真っ向から対峙した。
「私は彼女の手を自分から振り払うことはしません。そうなったなら、ただ彼女が私の元で安らぎ、幸せを感じられるよう努力するだけです」
たとえ彼女が領地のことに関心が薄く、自分でも顔しか取り柄がないと言うほど中身のない、現在進行形で浮気までしているとんだ事故物件だったとしても、だ。
俺は最初から、そういう心積もりだった。
それが、望まない相手に政治の道具として嫁がざるを得ない妻への、俺が尽くせる限りの誠意のかたちだと思ったからだ。
俺の言葉に、クラトは黙して歯を食いしばった。
「私も訊いておきたいことがあります」
クラトが無言のまま促してきたので、俺は質問させてもらう。
「レティシア嬢が俺との婚約解消を望んだら、貴方は彼女をどうなさるおつもりですか?」
クラトはしばらく言葉を発しなかった。しかし、これは答える気がないか、と諦めた俺が暇を告げようとしたとき、彼は口を開き、こう告げた。
「彼女は僕のものだ。必ず手に入れる。どんな手を使っても、ね」
その淡々とした声を紡ぐ、美しく思ったはずのレティシアと揃いの瞳の、あまりの昏さに俺は息を呑む。
「……具体的なプランが?」
それでも俺が食い下がると、目の前の男はゾッとするほど美しい顔で笑った。
「知りたいか?」
咄嗟の判断が迫られた。
俺は、ゆっくりと首を横に振る。情報を求めるあまり、引き際を見誤ってはいけない。
「……そうだね、知らない方が君のためだ」
俺は無理やり聞かされて引きずり込まれることも覚悟したが、クラトはそうしなかった。
「下手な詮索はするな。君はただ、婚約解消した後、何も言わずにレティを僕の手に委ねるだけで良い」
耳にするだけで、他者に頷かせる力を持つ、そんな声。魔性、とでもいうのだろうか。まさに天賦の才能だ。
俺に信念がなければ、とっくに圧倒されていたかもしれない。
「元よりそのつもりです」
レティシアが、婚約解消を望むなら。
……にしてもこいつ、単に初恋を拗らせただけじゃなく、勢い余ってなかなかヤバそうなところに堕ちかけている気がするんだが。