ヤンデレには気を遣う
ところで肝心の間男、クラトに対しても何かしら策を講じなければならないだろう。と言うのもこの男、話してみたらなかなかヤバそうな感じがするのである。
まず奴を知るには生い立ちからだ。
現スレニル公爵は、国王陛下の弟にあたる。王家に嫡出子が少ないため王位継承権は残してあるが、兄王に忠誠を誓って臣に下り、スレニル公爵家の一人娘と婚姻した。クラトはその子どもだ。彼にも王位継承権がある。
クラトは幼い頃から他を圧倒する美貌の片鱗を覗かせていた。いと高き身分でなければ、すぐに邪な人間の餌食になっていただろう。同じ年頃の子供たちからは明らかに浮いており、周囲は彼に群がるか、遠巻きにするかのどちらかだった。
聡明で努力家な少年とも噂されていた。王位継承の可能性もあるため王子たちと同じ内容を学び、難しい内容を次々に吸収していった。一時は神童と持て囃され、それこそ辺境の地にいた俺の耳にも届いたほどだから、多少の誇張はあっても全くの捏造ではないだろう。
だが、クラトは公爵子息であって、王子ではない。下手に王位継承権を持っているせいで、第一王子や第二王子を次期国王に推す貴族たちからは警戒されてしまった。
様々な人間の欲望や思惑の渦中で過ごさざるを得なかったクラトにとって、心休まる場所はなかったかもしれない。俺だったらこのあたりで人間不信に陥ってると思う。
加えてちょうどこの時期、隣国から同盟を持ち掛けられ、向こうの王女との縁談話が持ち上がった。王女の相手には当然、相応の身分を持つ者が望まれる。しかし、王子たちはその地位を盤石のものとするために、早々に国内の有力貴族の令嬢との婚約を結んでしまっていた。条件を満たしたのはクラトだけだ。
王女を妻に迎える、将来有望な王位継承者に、王子派たちが黙って指を咥えているわけがない。
クラトは毒を盛られた。出る杭は打たれるのである。
実行犯は捕まったが、所詮は蜥蜴の尻尾。王弟の嫡子を躊躇いなく殺そうとするあたり、命令系統の上位は嫌でも絞られる。しかも、隣国との同盟が絡んでいるとあって、王宮内での出来事は完全にもみ消された。
幸いクラトは一命を取り留めたが、息子の身を案じて、公爵はほとぼりが冷めるまでクラトを信頼できる者の手に委ね、身を隠させることにした。――そう、この公爵から信頼を勝ち得た人物こそが、誰あろうディラム伯爵である。伯爵自身が誠実かつ公正な人柄であることはもちろん、治める領地も治安が良く療養には最適であった。
そんな経緯で療養と身の安全のためにディラム家に匿われたクラトは、そこで伯爵の美しい一人娘と出会うわけだ。で、恋に落ちた。まあ、よくある話だ。大衆向けの小説とかではな。
――あ、言い忘れていたが、この時点でクラトは、自分が将来的に隣国の王女と結婚することは知っているので、あしからず。
クラトは二年ほど伯爵領で穏やかな日々を過ごし、レティシアと心を通わせ、初恋を育てた。
だが、クラトが表舞台から消えてから二年も経てば世情は変わる。第一王子が王太子に決まり、地位を盤石のものとしたことで、公爵はクラトを呼び戻すことにした。
同盟を滞りなく結ぶためにも、隣国の王女との縁談を進める必要があった。
だが、障害があるほど盛り上がっちゃうのが若き恋人たちというもの。二人は密かに文通を続けて絆を温めて続け、デビューの準備のためにレティシアが王都を訪れた際に感動の再会を果たした。そして(よせば良いのに)また恋心を燃え上がらせてしまったわけだ。
レティシアがデビューした後も、二人は密かに逢瀬を重ね、プラトニックに愛を育んでいた。
が、災害のために困窮したディラム伯はレティシアの婿探しを急ぎ、それを俺が引き受けたことで状況は変わってしまった。
それに関しては、俺も自領を護るためとはいえ、二人の仲を引き裂くような真似をして申し訳なく思って――いや待て、俺悪くないよな?そもそもアルラント子爵、お前、外交上めっちゃ重要な婚約者いるのに何やってるわけ?
えー、まあ、とにかく。
それなりに成長して現実を知り、クラトと結婚できないことがわかっていたレティシアは、クラトに泣く泣く別れを告げた。
しかし、ここでなんとクラトがやらかした。彼はレティシアが他の男のものになってしまうことに耐えられず、伯爵邸に忍び込み、レティシアの純潔を奪ってしまったのだ。
……控えめに言って屑じゃね?
レティシアはそれでもこいつのことが好きってことだよな。男運がなさ過ぎる。
ばさり、と紙の束がぞんざいにテーブルに放られ、俺は考え事から瞬時に頭を切り替えた。
「……君の言いたいことはわかった」
この態度からして、言葉とは裏腹にまるでわかってないようだ。まあ、予想はしていた。
目の前の男は苛立たしげにテーブルを指でトントンと叩いた。鋭く眇められたエメラルドの瞳が濡羽色の隙間から俺を値踏みしている。
「……で、本当の目的は何だい?」
俺は軽く肩を竦めて見せた。
「心外だな。今日の訪問の意図は本当にこれだけですよ。これからディラム伯とレティシア嬢にご署名をいただく契約書を、子爵にも目を通していただけないかと思ったまでです。その上で貴方の反応を見たかった」
「なぜ僕に見せた」
「わかりきったことでは?」
「……」
「それで、どうですか?何か不備や不都合があれば、可能な限りこの場で手直しします」
クラトは俺を睨め付けたまま「ない」と吐き捨てるように言った。
俺は机に放られた紙束を回収し、丁寧に丸め、持ってきた筒に収める。この契約書には、先日レティシアに婚約解消を申し出られた時に思い付いたことを認めた。
本当は支援を申し出た際、ディラム伯と取り交わした契約書が別にあるのだが、ディラム伯にはこちらに差し替えてもらうよう頼むつもりだ。
契約内容を要約すると、こうだ。
まず、婚約はレティシア嬢の意思で解消できること。
ただし、解消するのはディラム領の復興に目処がついてからとすること。
また、復興したという判断はディラム伯の裁量に任せ、必ずしも堤防の建設に拘らないこと。
俺、ライゼルは、自領に不利益のない範囲でディラム領の復興に助力を惜しまないこと。
支援する期間、並びに支援が終了したのち(婚約を解消した場合も含む)、カークランド領から派遣されたライゼルの配下の者がディラム領から完全に撤退するまでの期間は、ディラム伯の領土と領民を侵害しないと約束すること。
ディラムの領民によりライゼルの配下が意図的に攻撃を受けるなど、理不尽な扱いを受けていると判断した場合には、全ての契約を破棄し、即時支援を取り止めること。
他にも細かい取り決めは多々あるが、概ねそんな感じの内容である。