朱2話 保護された魔王
誤字修正(2019/9/29)
「ロー、その汚れた桶の水捨ててきて」
間近でみると透明感が感じられる白磁に似た壁と天井。床は透明感は失われているように見受けられるが、常に綺麗に手入れがされているのが分かる程に毎日磨かれているのが見て取れる。
ロディアスの事をローと呼んだのは、シェラの街の中心に鎮座する神王の神殿で巫女を務める、腐れ縁で十六の成人を迎えたばかりのテスラ。顔も体付きもとても女性らしく魅力的で普通に考えれば男が気にかけない事など考えられないのだが、一切色気を感じられないというさっぱりとした雰囲気のため言い寄ってくる男をローは見かけたことが無かった。
「あいよ。代わりの水はここに置いとく」
「了解」
いくら怪我を治療したと言っても傷が治っただけで体の機能や体力がすぐに戻る訳では無い。体自身が怪我が治った事を理解するまでいくら正常でも機能が完全に回復するには至らず、ゆっくりと時間をかける必要がある。
これが戦闘中だと怪我をしても神薬等ですぐに治せば大した怪我じゃ無かったと体をだまして何とか出来るのだが、ロディエスが見つけた少女は致命傷を通り越すような怪我をしてから大分時間が経っているように見え、そういうわけにもいかなかった。
「ジンに治して貰ったんでしょ。やっぱりジンってすごいね、話に聞いてた大怪我を傷跡さえ残さず治しちゃうんだから」
ベッドの上の住人が目を覚まさないのを良いことにテスラは周りの目も気にせず少女の服をめくりあげ、傷があったと聞いている所へ指を這わして不思議そうに唸っている。
神王の神殿は部屋という概念がなく、井戸を中心として礼拝堂、食堂、寝室などが個別の建物として円周上に配置されている。
治療をされた後、ロディエスと二言三言言葉を交わした魔王と名乗った少女はシェラに着く頃には意識を失ってしまい、詳しい事情は目が覚めてから聞くということで神殿預かりになっていた。
ロディエスはテスラの頭をかるく小突き、少女のはだけた服を元に戻させる。テスラは私の寝室なんだから誰も見てないと文句を言うが、ロディエスは自身が数に数えられていないとげんなりしつつも再度テスラの頭を小突いた。
少女の治療をしたジンはロディエス達と別れた後、しばらく前から滞在していた勇者達が魔王城から帰ってきたという連絡を受け今はそちらに合流している。ロディエスはといえば致命傷を飛び越すような怪我をさらに悪化させた手前、少女を放っておくことは出来ずに神殿に運び込んで今に至っている。
「今日はどうするの、泊まっていく? どうせ勇者の仕事が回ってこないから暇でしょ」
「良いなら泊まりたいけど、一言多い」
「うししし。この子についてちょっと聞きたいこともあったし、私の使ってる建物で皆で眠ろっか」
「いや不味いだろ」
「何かするの」
「しない」
最後の即答にテスラは少し不機嫌な声音で「なら問題ないね」と笑って応え、床で寝なくていいように簡易ベッドの保管場所をロディエスに教えた。
テスラは静かに眠り込む少女の顔を覗き込み頬に手を軽く這わす。肌から感じられたのは紛れもなく人のぬくもりで、人間離れしている少女の美貌が造られた物でないとテスラは感じる。
「ケィルト=ルイジュちゃん。あなたは一体だーれなの」
少女が名乗った名前、ロディエスしか直接聞いていなかったのは幸か不幸か分からないが、話を聞いたテスラはロディエスに神殿預かりと適当な理由で口止めをした。
テスラは巫女という下級な立場な為、上級に位置する神官長などの方々が訪れた際は身の周りのお世話に走り回っているのだが、その時にふとした情報が耳に入ったり夜のお勤めもしている特別な巫女仲間からも話を聞けたりと、継ぎ接ぎながらも一部深い情報も持っていた。
少女の名前を聞いて記憶の海に沈んでいた、ずっと昔に聞いた言葉が浮かんでくる。
神王の御名、アーシェラ。
実はこの御名は完全ではなく、神王を神王たらしめる神としての真名が欠けているという。神殿では神王の御名ですら市井の人々に教えることはせず、神殿関係者でも上部の者にしか神王の真名は伝えられていない。
神王アーシェラ=ルイジュ。
「あなたは神王様を……知ってるの?」
魔王と名乗りつつも神王と同じ真名を持つ少女。魔王と名乗っていた事はさすがにまずいとロディエスは伏せておいたが、それと同等と思えるほどの問題が隠れていたとは見抜けず、テスラへと少女の名前を正直に伝えてしまっていた。
もしこの事が周囲に知られ騒ぎの種となったなら、テスラが長年見つめてきた青年はどんな行動に出るか……容易に想像できる未来にテスラは苦笑した。
「いい人に拾われて良かったね、出来損ないだけど……ふふふ」
少し乱れていた毛布を掛け直したテスラは、もう少しで戻ってくるであろうロディエスに後は任せ、夕食を作る為に少女の側を後にした。
「みんな酷い顔ね」
昨夜から飲み明かして二日酔いのジンは土気色の顔をテーブルへと突っ伏し、昨日の護衛の段階からすでに夜番で徹夜済みだったロディウスは持ち前の責任感で少女を守るため昨夜も無意味に徹夜をし、風が無いのに揺れている。
件の少女についてはどれだけの日数何も口にしていなかったのか可愛い音を絶え間なく響かせどこか違う世界を見ている様だった。
少女の目が覚めたら話を聞こうとなっていたはずなのに蓋を開けたらこの有様、テスラは神殿で預かっている悪ガキの相手をしている錯覚を覚えながら炊事場で火を操っていた。
神王からもたらされた魔法という名の奇跡。それなりの規模がある街や都市なら必ず神王の神殿があると言っても差し支えは無く、人々は十歳を迎えると必ず神殿を訪れ神王より信託を受けて己の適性を知る事となる。自らが秘める才能を教えて貰えるのだからこれ以上楽な事は無いと思う者も昔はいたらしいが、今ではそんなことを口にするのは馬鹿の代名詞として扱われている。
十歳で適性を知り、成人となる十六歳で神王より祝福を得て目に見える形へ昇華される。
いくら適性があろうと何もしなければ何も手に入らない。小さい適正しかなくとも努力を積み重ねれば必ず報われる。
神王がエルセスと呼ばれるこの世界で絶大な数の信徒と信仰を得ている理由だった。
二日酔い、徹夜明け、怪我人で腹ぺこ。テスラは種類は違えど普通の食事では負担が大きいだろうと考え多めの水で麦を煮込み、身をほぐした川魚とすりおろした生姜、刻んだネギと人参を混ぜて塩で味付けをした麦粥を作った。
一度二度の御代わりではお腹の虫が収まらなかった少女の為に、追加で作った料理の空皿がテーブルに転がるように散らばっている。食べれば食べる程どれだけ空腹だったのか体が訴えてきたようで、少女はフォークとスプーンを止める事無く夢中で食事を続けやっと落ち着いたのか今は薬草で作ったお茶を幸せそうな顔で啜っていた。
二日酔いのジンは頭が回り出したのか少女へ関心を向けており、肝心の少女を拾ってきた徹夜のロディエスは胃に食事を運んだ途端意識が消え入りそうになり、転がった桶と濡れた服から想像できる荒行で意識を保っていた。
「ロー、話が終わったら掃除してね。子供達が来るまでには終わるでしょ」
「……テスラ」
口から文句を言いたいロディエスだったが少女の件もあるのであえて飲み込み、視線を当の人物へと向けた。
「まず先に、ま――何とかって言葉は禁句な。それだけは先に言っておく」
ロディエスから見てテーブルの左隣に座るテスラと対角に座るジンは首を傾げ、対面の少女も首を捻ってくる。
「だから俺に名乗ったときに余計な事を言ったろうが」
何を言われたのかピンと来た少女が余計な事を言う寸前、立ち上がったロディエスは少女の口元を右手で完全に覆い隠すと形になりそうだった空気ごと少女の頬を握りつぶした。
テスラとジンの二人に半眼で睨まれる中、目を白黒させる少女がとにかく納得するまでロディエスは手を離さなかったのだが、ロディエスの忠告を渋々守った少女が新たに口にしようとした言葉を今度はテスラが握りつぶした。
「色々納得できないけど……助けてくれたんだよね、有り難う」
両頬を軽く擦りながらケィルトが少し不機嫌そうに礼を述べてきた。不機嫌そうに見えるがあくまで見えるだけで、伝わってくる雰囲気からは一切悪い感情を三人は感じる事は出来なかった。
「お礼はお二人に。私は眺めていただけですので」
素っ気ないと感じるジンの言葉だったが、ケィルトは自身が着ている服を大きくはだけると傷があったところをギョッとしているジンに見せつける。
「怪我を治療した所からジンの魔素を感じる。治療してくれたのはジンだよね」
急ぎケィルトの背後まで回り込んだテスラによって服装は正されたが、あれだけ無防備にやられると見える見えない以前の問題で二人には視線を背ける時間すら与えて貰えなかった。
「それにテスラはご飯を食べさせてくれたけど――ロディエスは私を蹴っただけだし」
少し頬を膨らませてロディエスを見つめるケィルト。ロディエスとテスラの奮闘のおかげで少女は今、ただのケィルトという事になっている。
「だから悪かったって。その変わりここでしばらく生活するなら面倒を見るって言ってるだろ」
「別に頼んでないし、この街に居る必要もないし」
「ま、待ってケィルト。身分を証明する物が何もないんでしょ、少し時間と確認がとれればこの神殿で身元を保証する事も出来るから」
「そうですよ、まだ病み上がりですから急ぐ必要はないかと。この町は魔王城に近いとはいっても常にそれなりの勇者達が滞在してますからね、安心出来ますよ」
二人に矢継ぎ早に告げられて面を食らったのか、目を白黒させたケィルトはしばらく考え込んでいたが「蹴られただけとしても恩は恩だからちゃんと返す」と街への滞在とロディエスの所へ居候を決めた。
独り身の男の家に絶世と言っても過言ではない美少女が居候、これには三人の誰もが反対したが神殿は自分の居場所ではないので他に行く所がない、宿も金が無ければ借りる気も無く野宿か居候の二択と強硬で、早い内に他の手を探すという事で一応はケィルトの希望が通った形となった。
「あった」
日付が変わって久しく、でも日が昇るまでにはあまりにも早くやんごとない方々を世話する人たちでさえまだ床に着いている時間、街の中央の神殿に据えられている書庫から淡い光が漏れていた。
出来るだけ光量が絞られた魔法の灯りを包み込む小さなランタンは薄手の寝間着に身を包んだ少女の腰に結わえ付けられている。
少女、テスラが手に持ち開いているのは所々が虫に食われているかのようにボロボロな、何時書かれたかも分からない聖書。聖書といえども形ある物ゆえ朽ちずと言うことは無く、数年に一度の頻度で写本を行い失われることを防いでいた。
「一番古い聖書にしか書かれていないなんて、一体どういう事なの」
開かれた聖書に書かれているのは大きな三角形と、その頂点に書かれている恐らく神の名前。
恐らくというのは神王アーシェラの名前しかテスラは知らず、フェニエスという名前と擦れて読めなくなっているもう一つの名前に検討がつかないからだ。
だが、一つだけはっきりと分かったことはこの世界には三柱の神が存在すること。その神々は『三柱の朱の神』と呼ばれていた事の記載が残されていた。
「まさか……ね。でも目は、離しちゃ不味いか」
自室として宛がわれている少し大きめの建物。その角際に設置してあるベッドの上でジンは昨日と今日の出来事を反芻していた。
商人の護衛を無事終えた日、生還した勇者達の極秘の祝勝会に何の因果かジンも参加する事になり、当事者となる勇者の他にこの街を拠点としている勇者も大勢集まっていた。
ついに魔王を見つけただけではなく、その場で倒したという話に集まった勇者達は衝撃を受け、賞賛や嫉妬、疑惑の声や視線を当事者達に浴びせるがそれが目的かのように壇上ので語る三人は涼しい顔をしていた。
「そうだ、俺たちは魔王を倒した。だがヤツは致命傷を負いながらも俺たちの前から姿を消したのだ――」
魔王の外見、どうやって三人から逃げおおせたか、神器の有用性、与えた傷の詳細。さらには魔王と交わしたおかしな会話の内容、嘲笑や侮辱といった視線が増えていく中まるで気にしていないとでもいう様に一方的にまくし立て、あり得ないとは思うがもし生き残った魔王を見つけたら協力を願うと締めて三人は壇上から姿を消した。
「あなたがこの街の神官様ですか?」
魔王が負ったという怪我と身体的特徴、それが今日助けた少女の特徴とあまりにも似すぎていて考えたくないかの様にジンがかなりのペースで酒を飲んでいると、先程聞いた声の主が声をかけてきた。
「ええ、ジンといいます。お見知りおきを」
「ジン様ですね。私は中央神殿の戦巫女、ミリスといいます」
ジンに向かって優雅に会釈をするミリスだがジンをは慌ててそれを止める。巫女と神官なら神官が、特にジンは神官の中でも中神官というそこそこの立場にいるため、ミリスの行動を止める必要は無い。だが、中央神殿の戦巫女となれば話は別だ。中央神殿には神王様が常に座していらっしゃると言われ、例え地方の高神官でも中央神殿の巫女と同等の力関係と言われていた。しかも巫女ではなく戦巫女、知力と権力なみならず戦力も兼ね備えている特殊な巫女は、神王様に謁見できる者を輩出することもあると噂されていた。
「いえ、お願いする立場なのは私のほうですからお気になさらずに」
初対面、それに立場の違いがありすぎて全く意図を掴みかねているジンに向かい、ミリスはなんてことの内容に告げてくる。
「魔王を追った勇者達から情報が入りましたら何でも良いので教えて下さい。倒したなんて言いましたが実際は取り逃がした手前、負い目を感じています」
言葉とは裏腹に悪びれた様子を見せないミリスが本当は何を言いたいか、証拠なんてあるはずがなく言葉通りにしか受け取るしか無かったジンは静かに頷いた。
考えの海に沈んで気付けば窓の隙間から日が漏れ出し、どれだけ面倒な事を押しつけられたのかとジンは疲れた溜息を吐いた。
「他の勇者を餌にして魔王の情報収集ですか、一体あの勇者達は魔王から何を感じたんでしょうかね。それにケィルトという少女――藪はつつかない方が良いですよね、やっぱり。でも、放っておくにも……はあ」




