朱1話 ケィルト=ルイジュ
前話で序章が終了したので、ここからは一章です。
サブタイが序章のネタバレ含んでるので修正(2019/9/23)
誤記修正 勇者達に老人が一人いるので若者という矛盾部分を修正(2019/9/23)
「……ん」
久しぶりに感じるまぶしい光を瞼越しに感じ、セレスは体を起こそうとするが身じろぎ一つ取る事が出来ずに体に込めた力が霧散していく。
あれからセレスはアルフォルスに集められた人たちとアルフォルスという世界そのものと纏めてアーティの言葉に支配されながらも蒼の世界へと旅立った。セレスが覚えている最後の記憶では確かに蒼の世界へ到達していた。いつも身近に感じていた魔素が消え失せ、代わりに形容がしがたいが不快では無い不思議な流れを感じ、朱の世界とは別の世界へ移動することに成功したと実感出来たからだ。
「セレス!」
セレスは唯一動かせるといってもいい左目を無理矢理声の主へ向けると、そこにはお腹が膨らみ始めたミーヤがいた。
ミーヤは手に持っていた清潔そうなシーツを木張りの床に放り出すと慌てた勢いでセレスの前から消えていった。
――天使の里?
再びまどろみの海に沈み始めたセレスは周囲が騒がしくなるのすら妨げにならないというように深く深く沈んでいった。
再度眼がさめたセレスの眼の前には蒼い鎖で繋がれたような空飛ぶタコがいる。タコの脚だけで出来たようなその何かは吸盤があるべき所に無数の眼が並び、眼の中心からは小さい人の腕らしきものが生えてまるで風になびく草木のように揺れていた。
セレスはその不気味なタコを視界に収めた時に驚きはしたが、すぐに何の忌避感も持たずに受け入れることが出来た。見た目とは裏腹に眼の前のタコの存在のあり方が不思議と自然だったからだ。
「良かった。また意識を失ったから本当に心配だったんだから」
ミーヤがセレスに覆い被さるように抱きつき、頬ずりをしてからどの位たったのだろうか。実際はそれほどの時間ではないのではと思えるが、件のタコが我慢出来なくなるまでの時間はたったようで、ミーヤの右肩をその不気味な触手で軽く叩いてきた。
すぐに自分が何をしていたか気付いたミーヤはタコに向かって片膝をついて謝罪を述べるが、そんなものは不要とばかりに器用に脚を用いて無理矢理ミーヤを立たせる。
――蒼――サハ――テーラ――
頭に直接響く声音。不快ではなく静かにセレスの頭に直接響いた言葉は眼の前の不可解な生物が蒼の神サハ=テーラだと伝えてきた。
「私は、セレス、です」
――寝――癒――頼――
サハ=テーラは最後にそれだけの短い言葉をセレスへと届け、色を失って透明になるように消えていった。
「セレス良かった」
サハ=テーラとの会遇の余韻が消えた頃にミーヤはセレスに再度声をかけ、ゆっくりと髪を梳いてくる。
セレスの傍らにはリフェルとまるで白い粘土で出来たような人型の何か、それと二人の老人がいた。
「やっと起きたか」
白い人型が口に当たる部分をまるで自然なもののように動かしセレスへと語りかけると、その声音を聞いたセレスは一体その人型が誰なのかが頭の中の人物と繋がった。
「ギリム? その格好って」
「こんな男の事なんて気にする事なんてありませんわ。この姿だってシーディアから忠告されていたのに見誤って波瀾世界の体を壊しただけですのよ」
リフェルの発した聞き覚えの無い言葉。セレスに分かったのはギリムが何かしらアーティの指示を受けていて実行したという事だけだった。
「そんな事を言いに来たのでは無いだろう。レスター、イトルス後は頼む」
セレスの知らない名前をギリムが口にすると、先程から控えていた二人の老人が足取りも確かにセレスが横たわるベッドの傍らまで歩を進める。
「儂はレスター、生体技師なんぞを研究している変わり者じゃよ。体なんて魔法で再生できると知られてからは周りからは変人扱いじゃな。気にせずレスターと呼んでくれ」
「私はイトルスという。前の世界では教授なぞやっていたがもう何の意味もないな。第五種永久機関を提唱して研究をしていた変わり者だ。私も普通にイトルスで良い」
穏やかな雰囲気のレスターとセレスを見定めるように見つめるイトルス。その二人の眼差しがセレスの顔ではなく体を見ている事に気付いた時、セレスは何故自分が横たわっているか思い出した。
世界を一つ全て異世界に移動させる為の魔素はどこから用意したのか。理を使ったセレス以外にはありえず、結果セレスは再度魔素枯れの状態になって蒼の世界に到達して直ぐに倒れてしまったのだ。
思い出せば後は早かった。セレスは以前の魔素枯れの状態よりさらに悪化している事に気付き、四肢だけでなく体の重要なところまで影響が出ているのではと思った。
「心配しなさんな。次に起きたときには前以上に元気にしてやるからのう」
「私としてはあまり気が進まないのだがな。使うか使わないかは君が決めてくれ」
もう疲れたでしょうとミーヤが再びセレスの頭を優しく撫でていくと、セレスは抵抗できずに再び
まどろみの世界へと落ちていった。
――最後に魔王とロディエスの幸せだった時の記憶を見ながら――
『遠見』の術式に映るのは三人の人間だった。
背中に隠れきれないほどの大剣を持つ少年といっても良いほど若い男。
杖の様な槍のような長尺の武器を片手に携え暗い色のローブを羽織っている恐らく男と判別出来る老人。
最後は清廉さを感じさせる白を基調とした神官服を着込み、手には古書を開きながら持っている少女。
「あの神官服ってアーシェラの所のやつだっけ、それじゃあの二人のどっちかが勇者かな。とにかく急がないと三人が来るまでに準備が終わらないよ」
世間では魔王が住まう城として恐れられている大陸の中心に屹立する無数の尖塔。その内の一つ、魔王ケィルト=ルイジュの住まう尖塔についに神王アーシェラの祝福を受けた勇者達が到達しようとしていた。
有史以来だれもその姿を見た者がいないと言われた魔王。世界中の魔獣や魔族を束ね他の生物を淘汰しようと幾星霜、大陸の半分は既に魔王の支配下になっていた。
「えーっと、これはあっちで、あっちはこれで」
魔王の玉座がある広間では巨大なテーブルが複数並べられ、一人の少女がせわしなく奥の個室とを行ったり来たりしながら準備を進めていた。
少女がやっと準備が整ったと一息をついた所を狙ったかのように人の背丈の三倍はあろうかという荘厳な扉がゆっくりと開かれ少女が『遠見』で見ていた勇者達三人組が広間へと脚を踏み入れた。
「いらっしゃーい。もう誰も来なくてやることも無くて暇で暇で死にそうだったんだよね。大陸中の料理とお酒を用意したからさ遠慮無く食べていってよ。ほんっと一人で作るの大変だったんだよ、時間がないから『時空』をつくって何とかしたり材料がないから『存在』も使ってさ。今度アーシェラみたいに信徒でもつくろっかな」
朗らかな少女の声が広間に響き渡り、反響した声も消え去るのを待っていたかの様に勇者が大剣を背中から抜き取り、周囲の料理が並べられたテーブルをたたき折った。
「あー! 何すんのよ」
「うるさい。こんな毒入りの料理を俺たちが食べるわけが無いだろ。このごに及んで姑息な手を使うだけで無く神王様の御名を軽々しく口にし貶めるとは。神に仇なす魔王よ、今日その首を寄越して貰うぞ」
手慣れた動きで三人は魔王に対して位置取りを行い、いつでも動けるように精神と身体を最高の状態に瞬時に持って行く。
「私は魔王だよ、なんで神に仇なすんだよ。アーシェラもフェニエスも私と変わらないのに」
魔王と呼ばれた少女が喋る度に勇者達三人の表情が険しくなっていき、敵意だけでなく殺意などの情念を滾らせていく。
魔王は次第に雰囲気の変わっていく勇者達を説得するのを諦めたのか拗ねたように頬を膨らませるが、何かに気付いたのか眼を見開いて膨らませた頬を萎ませた。
「な、なんで透鉄を持ってるの。それってアーシェラにあげたやつじゃ」
「勝手におぞましい名前をつけるな! これは神王様より賜った神鉄を鍛えた神剣ルイドス、貴様を殺せる唯一の神器だ」
これが最後の言葉と魔王へと一足で踏み込んだ勇者は勢いよく神剣を振り抜くが魔王は後方へ軽く飛ぶと神剣の軌跡から難なく逃れる。
魔王を殺せる神剣を振り抜いた格好のまま不適に笑う勇者のそばには血の滴りが出来ており、その血は神剣の少し先、何もない空間から滴っていた。
「痛痛痛痛痛痛い。アーシェラの馬鹿! なんで貸した『幻惑』を知らない人にあげちゃうのよ」
魔王の脇腹からは大量の血がしたたり、体の中に収まっていなければいけない物が大量に溢れだしていた。
魔王に勇者達を殺す理由はなく、勇者達には魔王を討つ理由がある。魔王が何を言おうと勇者達が止まる事はなく、このままでは何もするきのない魔王は『幻惑』に騙され斬られるかもしれない――最悪、他にも貸している理が勇者達の手に渡っている可能性も。
魔王は『時空』の術式をつかい世界の時間を引き延ばし、確保した時間を用いて何も考えずに急いで空間を渡った。
正常な時の流れに戻ったときには勇者達の前から魔王は霞むように消える様に見え、逃したことへの気持ちを吹き飛ばすように一度神剣を大きく振り切り広間にひときわ大きな傷跡を残した。
ここは魔王領と接するシェラの街へと続く街道。街道が緩やかに曲がり先の見通しがお世辞にも良いとは言えない道ばたに白いローブに包まった人物らしきものが転がっている。
この得体のしれない物が転がっているのを視界に収めた男は護衛している馬車を止めさせ、他の護衛に馬車を任せて単身で白い塊に向かった。
男には未だ少年の面影が残り成人して間もないことが見て取れた。髪は短くそろえられ、細身ながらも筋肉質な肉体、平均よりも少し高い背は変に威圧感を与えることは無く人となりの良さそうな風貌とあいまって一緒にいる者に安心感を与えるようだった。
だがそんな男は白い塊に向かって真逆の険しい顔を向け、前触れもなく突然塊を蹴り上げた。
くぐもった悲鳴、つづく嗚咽のような声。男は脚でさらに塊を転がすとローブの隙間から相手が誰かを確認する。
「若いな。成人しているようには見えないけど、そんな見え見えの方法で獲物の行商人を見繕っていたのかよ」
男はローブの隙間から見えた少女の顔を見とがめると、腰のさやから抜いた剣を喉元へと突きつける。男はこの少女を盗賊の斥候と考え、先手をとって無力化する事に成功していた。
誤算があったとすればこの少女は盗賊では無く、さらにはローブに今なお染みを広げるほどの大けがをしている事だった。
怪我に気付いた男は自身がやらかしてしまった事に気付き、すぐに馬車を護衛している顔見知りの神官を呼び少女の治療にあたらせた。
「悪かったな、盗賊かと思ったんだ。でも治って良かった、あんな怪我で生きているほうが奇跡だってよ。」
馬車の荷台の隙間に寝かされている少女に付き添うように傍らを歩く男。怪我の治療が終わったあと少女が自分は魔王ケィルト=ルイジュだと口にするとロディエスと名乗った男はなんとも言えない不思議な表情を顔に貼り付け、落ち着いたらまた聞かせてくれとその場を濁した。
「おーい、シェラの街が見えてきたぞ。あと少しだ最後まで頼むよ」
馬車の護衛を依頼した商人がいち早く丘の影から見えた街を捉えると護衛の者たちに伝え、今回の行商がとても上手くいき盗賊の被害もなかった事から夜に酌み交わそうということになった。
飲み過ぎなければ奢りだという太っ腹なのかケチなのかよく分からない事を言いながら。




