叡智ノインシュタイン(11)
「どうして。うそ、うそ、うそ……!! 」
突きつけられた現実は、あまりにも残酷過ぎた。「もしかして」という淡い期待だけでなく、思い出の全てが無くなっていたのなら、小さな心が壊れるのは、簡単なことだった。
「ち、違う。こんなの違う。違う、違う、違う違う! こんなの、絶対に違うッ! 」
そして、エリーの赤い瞳が燃え上がるように煌めき始めた。呼応するように赤いネックレスも輝き始め、嘆く彼女の口元にはビキキ、と鋭い八重歯が見え隠れする。
不味いんじゃないか。アロイスは「エリー! 」と声を荒げるが、彼女に声は届かない。白銀の髪の毛は揺れ上がり、失っていた殺意がグラグラと蠢き出す。
「ちっ……! 」
アロイスは彼女を止めようと駆け寄る。ところが、それよりも早くナナはエリーを強く抱きしめた。
「エリーちゃん! 」
「……ッ!? 」
抱きしめられたエリーは一瞬固まった。そしてナナは、泣きながらエリーに言った。
「こんなに辛い話ってないよね。私もお父さんとお母さんがいないんだ。だから、気持ちが凄く分かるよ……」
ナナに抱きしめられ、掛けられた言葉を前に、エリーは半ば動かない。
「昨日まであった筈のものが、全て無くなってしまう悲しさってないよね。辛くて、痛くて、どうしたら良いのか、分からなくなるよね……」
ナナの心が強く通う言葉。暖かく彩る心在る台詞は、エリーを包み込んでいた黒い感情を和らげた。あれほど満ちていた殺意のような雰囲気が消えていったのだ。
そしてナナの言葉に正気を取り戻しながら、エリーは涙ぐんだ瞳で言った。
「私、これからどうしたら良いのかな……。なにも……なにもないよぉ……」
悲痛で心を揺らす悲しき叫びに、震える小さな身体。大粒の涙が止め処なく溢れ出す。
ナナはエリーを更に強く抱き締めながら、そっとアロイスを見つめた。
(……言わずもがなだよ、ナナ)
ナナの言いたいことは分かってる。頷き返すと、抱き合う二人の元に寄り添い、大きな腕を拡げて
彼女たちをその腕に包み込んだ。
「エリー、君の気持ちはよく分かる。でも、何も無いわけじゃないさ」
「なにもないよ。私にはもう、なにも……」
「俺らが居る。君という存在を知って、君の気持ちを誰よりも出来る俺らが居るじゃないか」
「アロイスさんと、ナナさん……? 」
エリーは涙流しながらアロイスを見つめた。
「君にとって、出会ったばかりかもしれないけど、俺らは君のお兄ちゃんとお姉ちゃんのつもりだよ。頼りないかもしれないけど、俺らを頼ってくれて良いんだよ」
こんな奇跡のような出会い。数奇で運命的、一期一会の出会いで、エリーという少女を見殺しには出来るわけがない。
(それに、この子の正体がバレれば、この子にとっても周りにとっても危険が及びかねない。今この瞬間、エリーを守れるのは俺しか居ないだろう)
ナナとアロイス、この二人に出会わなかったなら。エリーという存在は、未来を紡ぐことは出来なかったかもしれない。二人の心を聴いて、すっかり落ち着きを取り戻したエリー。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と、小さく呟いた。
「ああ、お兄ちゃんだ。それとも情けなくて頼りない兄だと思ってたりしてな」
「そんなこと言ったら私だって情けないお姉ちゃんになっちゃいますね」
二人は冗談混じりに言う。
エリーは、そんなことない……! と否定する。涙を服の袖でゴシゴシ拭いて、鼻をすすりながら二人を見て、お礼を言った。
「あ、ありがとう……。お兄ちゃんとお姉ちゃんがいてくれて、良かった……」
愛おしくなったナナは、
「エリーちゃーん! 」
と涙を流しながら、またエリーを強く抱きしめた。
エリーは「痛いよお姉ちゃん」と笑顔で言って、嬉しそうにする。
「ハハハッ、落ち着けよナナ。エリーが困ってるぞ」
「だ、だってぇ……」
「はいはい、エリーより泣いてどーするんですかってね」
アロイスはナナの頭を、よしよし、と撫でた。
「……それじゃ、エリー」
エリーが落ち着いた所で、これからのことについて話をした。
「君はこれから、どうしたいとかあるかな。その後はウチに来るとしても、この町には2週間は滞在出来る。でも、もうこの場所から離れたいのならすぐにでも離れよう。とはいえ、店には2週間の休暇を置いてきたし、他に旅行をしたいというのなら君を好きなところに連れて行くよ」
エリーの身体に残された謎は数多くあったが、今は酷く焦燥してしまった彼女の幸せを願って言った。彼女は少し考えた様子を見せた後、こう答えた。
しばらくこの町にいたい、色々と見てみたい……と。
「そうか。じゃ、しばらく町に滞在してみようか」
「うん。どんな風に町が変わったのか……自分でしっかりと見たいから」
「エリーは強いな。偉い子だ」
アロイスは微笑みながら、エリーの頭を優しく撫でた。
「うぅ……」
「ハハ。そんでは、さっきの警備員が起きる前に城を出るかぁ」
大きく背伸びすると、警備員を気絶させた場所に戻ろうとする。と、エリーは咄嗟にその左手を掴んだ。
「ん? 」
「あ……」
エリーは無我夢中で掴んでしまった事に手を離そうした。
だがアロイスは、その手を握り返して、
「手ぇ繋いでいくかー。ナナは逆の手を握れー」
と言って、三人は手を繋ぎ、来た道を戻り始めた。
「エリー、まずは何処から行きたいのかね。結構町ン中も変わってしまったみたいだしなぁ」
「昔あったパン屋さんのところを見てみたい。あと、おっきな公園が合った所とか……」
「良いぞ良いぞ。町の端から端まで探索しつくすか! 気分は冒険者だな! 」
「う、うんっ! 」
こうして三人は、城を出るとエリーの求めた場所を駆け巡れば、時間はあっという間に過ぎていった。
そして初日の夜。晩御飯を食べ終え、シャワーを浴びたエリーが一人、寝室のベッドで横になっていた時のこと。やはり父と母を思うと眠ることは出来ず、ただただエリーは涙を浮かべ身を震わせていた。しかし、静寂で一人啜り泣いていた時間に、リビングルームからボソボソという話し声が聴こえた。
(お兄ちゃんたち、まだ起きてるんだよね……。なんだろ……)
目を擦りながら、ベッドからのそりと立ち上がる。寝室の壁から、リビングルームを覗くと、そこには涙を流すナナとそれを宥めるアロイスの姿があった。
(ナナお姉ちゃん……。どうして泣いて……)
耳を傾けてみると、どうやらナナは自分のことで涙を流してしまっていたらしかった。
「ナナ。きっと君の気持ちはエリーに充分に伝わってるよ」
「そうかもしれないけど、昼間は気丈に振る舞ってても、やっぱり辛そうで」
「だから俺らが弱気な顔を見せず、エリーにも笑ってもらわなくちゃな」
「は、はい。私はエリーちゃんにも笑顔でいて欲しい。幸せになってほしいです」
「俺も同じ気持ちだ」
「この世に絶望してるかもしれないけど、世界は楽しい事が沢山あるから。いっぱい知ってほしいです」
穏やかな表情のアロイスは、ナナの涙を流す頬をそっと親指で拭った。
「あ、ありがとうございます……」
「その優しい気持ちがあれば、エリーにもしっかり伝わるし、伝わっているさ」
「そうでしょうか……」
「きっと伝わっているさ。きっと、ね」
実は、エリーの気配に気づいていたアロイスは、穏やかな表情のまま、壁に隠れた彼女に聴こえるように言った。エリーは二人の会話を耳に、自分の胸を押さえながらベッドに戻り、毛布の中で小さく震えた。
(お兄ちゃん、お姉ちゃん……。こんな私なのに、あんなに真剣に考えてくれてるんだ……。お兄ちゃんとお姉ちゃんに出会えて、良かった……)
ベッドに戻ると、今度は悲しみの涙よりも、ナナやアロイスの優しさに対する熱い気持ちがこみ上げ、それが涙となって溢れ出た。あんなに私の事を思っているなら、私も二人を心配させないようにしないといけない。そう思えた。
(おやすみなさい、お兄ちゃん。お姉ちゃん。……お母さん、お父さん)
落ち着いた気持ちになったエリーは、静かに眠りについたのだった。




