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叡智ノインシュタイン(10)

(あー……本当の値段は伝えないほうがいいな)


 実の値段は140万、サービス代金や、テーブルに乗った特別の食事メニューを頼む事も考えると200万は越すだろうが、そこは伏せておこう。


「荷物置いたら、早速ノインシュタイン城に行こうか。ここから歩いて近いしな。それとも、少し休むか? 」


 エリーはすかさず、「お城に行く! 」とアロイスに詰め寄った。


「……そう言うと思ってたよ。ナナもそれで良いよな」

「はい、もちろんです。すぐに出発しましょう」

「アロイスさん、ナナさん、ありがとう……っ」


 三人は簡単に荷物を纏めると、部屋を出てロビーに鍵を預けて中央路に出た。北側に道なりに進めば、遠くに天高く伸びる白き城、ノインシュタイン城が見え隠れし始めた。


「あれがノインシュタイン城ですか……。凄い、湖に囲まれてる! 」


 広大な湖に伸びる真っ白な橋、その中心に空を突き刺すような巨大な城が聳え立つ。最も高い塔のテッペンにはノインシュタインを象徴した『盾』をモチーフにした旗がバタバタと風に煽られている。湖には、鏡のように城を逆転して映し出す。煌く太陽光と青き水が美々しく、かつ厳格な気品高い城は、訪れる全ての者たちを魅了する。


「す、凄い綺麗……。こんなに綺麗な建物があるんですか……」


 ナナの台詞に、エリーは少しだけ嬉しそうにした。だが、自分の知っている城とは全く違う雰囲気に、すぐに顔をうつむかせた。


「知らない人たちが……いっぱいいる」


 信じられなかった話に、それが現実であると嫌でも認識をせざる得ない。町も、城も、全てが自分の知っているものではなかった。まるで、パラレル・ワールドにでも迷い込んだような、異世界にいる気分になった。


「……ッ」


 それでも、エリーは歩みを進める事を止めなかった。すれ違う人と魔族たちの顔を伺いながら、アロイスとナナと共に、城の入り口へと辿り着く。

 大勢の観光客たちで賑わいを見せている最中、エリーは辺りをキョロキョロと見渡した。


「……あれ、変わった格好の人たちが庭に行ってる」


 エリーは城の入り口である巨大な門の脇、横道に逸れた道を指差した。その先には庭園が広がっているのだが、どうやら冒険者たちばかりが向かってるようだ。


「あっちはダンジョンの入り口だからな。城の地下室に向かう道なってるだろ? 」

「お城の地下……。庭から入ると遠回りなのに」

「別の道があるのか」

「お城の北西側にある部屋から入れるよ」

「それは知らなかったな……」


 さすがノインシュタイン家の子だ。普通は知ることのない情報が飛び出してきた。アロイスはエリーの手を引きながら話を聞きつつ、城の中に足を踏み入れた。

 巨大な白銀の馬の彫刻が正面にドンと出迎え、かなり高く位置する天井はドーム状で、教会を彷彿とさせる色鮮やかな『赤子と母』のガラスの絵が彩られている。そこから両脇に伸びる広い廊下には、絵画や鎧の骨董品並んでいた。


「わ……す、凄い! 」


 ナナは、城内の光景に感動を覚えた。 しかしエリーは過呼吸気味に肩を動かして息を荒げる。


「ア……アロイスさん、ナナさん、こ、こっちに来て……」


 アロイスの手を引いて、エリーは走り出す。


「どこに行くんだ! 」

「3階! 私のお部屋があるところ、階段がこっちにあるから! 」


 右側の廊下を、人々にぶつからないよう注意を払いながら走り続ける。ドタドタと足音を荒げる三人に周りはいい顔をしなかったが、今はそんな事を気にしていられない。


「もう少し、そこを曲がったところ! 」


 廊下の突き当たりを左に曲がる。そこを境に建物の色が白から灰色に変わったのは、城の区域が変化したのを表す。そして走り続けた後、正面に赤いロープで防がれた道に立ち入り禁止の看板があって、険しい表情の男性警備員が一人立っていた。三人は、そこで足を止める。


「あ、あれ。こっから先は行けないの!? 」


 エリーは声を荒げた。警備員はエリーを見下ろして言う。


「申し訳ございませんが、これより先は指定文化建築のため、観光客の立入は禁止です」

「ど、どうして! 居館は私の部屋があるの! 」

「大変申し訳ございませんが、本館側にお戻り下さい」

「どいて、お願い! 」


 目の前の真実を追って、エリーは今までに見せたことのない表情と声で警備員を振り切って中に入ろうとした。しかし警備員は「こら! 」と、進めないよう前方を遮る。


「駄目だと言ってるでしょう! お父さんとお母さんも、娘さんを止めて下さい! 」


 警備員が、アロイスとナナを見つめて言う。ナナは不謹慎ながら警備員の台詞にドキっとした。その横でアロイスは至って冷静な顔をしたまま、警備員に近づいて言った。


「いやー、うちの娘がスミマセン」

「本当ですよ、きちんとダメなものはダメと教えて下さい! 」

「ハハ、本当にね。そうですね、ダメなものはダメと……」


 本当は、こんな事はしちゃいけないと分かっているのだが。アロイスは「そうですよねぇ」と言いながら、警備員に近づくと、目にも止まらぬ早さで腹部に一撃、気合砲を打ち込んだ。警備員の目には追うことが出来るわけなく、一瞬のうちに気を失う。目が覚めても、うたた寝してしまった程度にしか感じないはずだ。


「あまりこういう事はしたくねぇんだがな。エリー、居館に入るぞ」

「……アロイスさん! 」


 エリーは、アロイスに「有難う! 」と言って、立入禁止のロープを越え、更に歩みを進める。階段が見えると三人は階段を駆け上がり、ついに3階の居館に辿り着く。

 1階と同じく、豪華たる美術品が並ぶ廊下に幾つもの部屋が点々としていたが、どうも他と比べると荒んでいるというか埃っぽさがあった。


「こっち! 」


 きっとエリーもその時点で不穏な空気は感じ取っていたに違いない。だけど、確実に記憶の中に存在している父と母が、今もそこで笑顔で待っていてくれるんじゃないかと、そんな淡い期待を胸にして走り続ける。

 だが、アロイスは少女にそれを見せないほうが良かったと後悔することになる。


 その後すぐ、何回か廊下を曲がった後で、

「あそこを左に曲がったところ! 」

 と、エリーが声を上げ、三人はそこを左に曲がった。

 だが、そこにあったものは。


「えっ……」


 エリーは、それを目の前にしてペタリと両膝をつき、アロイスとナナも、それを見た瞬間、反動的に口を抑えて絶句した。


(冗談だろ、こんな事……! )


 三人の前には、在るべき筈の『居館』が無かったのだ。

 つまり、朽ち落ちていた。Dangerと書かれた立入禁止赤いテープの先は、遠くに山々が映るばかり。簡易的に補修された後はあったが、木造りで朽ち落ちる廊下の先は、老朽化の影響で完全に崩壊し、三人にはビュウビュウと高層の風が冷たくあたった。


 崩壊部分の手前には、小さな看板が1つかけられていて、アロイスがそれに目を通して読み上げた。


「……2078年6月、嵐の影響で老朽化した居館が崩れ落ちたため、2100年までに修復予定、か」


 恐らく2100年迄にも間に合うワケがない。すっぽりと居館部分は崩壊して、何もかも残っちゃいないのだから。エリーの思い出の全ても、何もかも。

 それを目の当たりにしたエリーは崩れ落ちたまま、両腕をだらりと垂れ下げ、小さく呟き始めた。


「違う。嘘。違うってば。どうして」

「エリー……」

「嫌だ……。こんなの嫌だ……! 」

「エリー? 」

「嫌だ、嫌。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 」


 エリーは頭をかきむしり、その気配がドス黒いものに包まれ出した。



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