叡智ノインシュタイン(8)
「それでは、行って来ますね」
「お婆ちゃん、行ってくるね」
「い、行ってきます。おばーちゃん、ありがとう……」
出発を向かえ、祖母は玄関に立って、出かける三人に「気をつけるんだよ~」と手を振り、見送った。
アロイスは一礼して、ナナ、エリーと共にカントリータウンの馬車乗り場へと向かう……と。朝早く、町中にあるカフェでコーヒーを嗜むブランの姿があって、此方に気づいた彼は「アロイスさーん! 」と元気良く名を呼んだ。
「アロイスさん、朝早いですね! 」
「お、ブランじゃないか。どうした、朝早くからこっちに用事か? 」
アロイスたちは、カフェに腰を下ろすブランに近寄る。
「はい。ていうか、ナナさんも一緒なんですね。ていうか、その子は……」
見知らぬ少女の存在に、ブランが顔を覗く。エリーはピクンと反応して、アロイスの背後に隠れた。
「あ、あー……ナナの親戚の子だ。ちょっとばかしノインシュタインから預かっててな」
「えっ、ノインシュタインから遊びに来てたんですか」
「まぁな。今日から2週間くらい留守にするぞ。この子をノインシュタインに連れてかなくちゃいけないんだ」
「え、本当ッスか。てことは、酒場は休みなんですよね」
「そうなるな。すまんけど常連を見かけたら、一応声を掛けといてくれ」
「分かりました。でも残念だな。今日から暫く毎日酒場に行けるはずだったから……」
ブランはガクリと項垂れ、ため息を吐いた。
「毎日って、ブランの家は隣町のスモールタウンだろ。こっちに用事でもあったのか」
「はい。昨日にカントリータウンで、周辺の町を対象にしてハンター業の依頼発令されたんですよ」
「と、いうと? 」
「何でも西側の森に冒険者を襲う魔獣が現れたらしくて。黒色の大型鳥型魔獣らしいですよ」
「なぬ。知らんかったぞ。その辺の情報は疎くなってるからなぁ。ブランもそのハンター業に参加するってわけか」
はい、とブランは自ら胸を叩いて自信満々に言った。
「これでもアロイスさんの酒場に通う一流冒険者……。を、目指す新人冒険者ですから。しっかり依頼をこなします」
「鳥型って意外と危険なんだぞ。気をつけろよ」
アロイスが渋い顔をしていうと、ブランは新人冒険者らしく、多少油断を見せて答えた。
「いやいや、でも謎の魔獣は優しい? らしくて。もう何名も襲われたらしいんですけど、姿をまともに見る前に気絶させられたくらいで、大きな怪我はしてないとか。正体を突き止めるだけでも報奨金が出るらしいので、最悪、正体を見破る程度に抑えますし」
余裕綽々に話すブランだが、話を聞く限り今の彼では危うい気がする。自分も時間があるなら周辺住民に危害が及びそうな相手だし、討伐参加しても良いのだが。
(町の発令した依頼は、報奨金も高く出る。ダンジョン目的の冒険者を始めとして、熟練者たちが出てくるだろうし心配はないだろ)
今は、背中に隠れたエリーをノインシュタインに連れて行くほうが先決だ。
アロイスは「じゃ、頑張れよ」とだけ伝え、改めて馬車乗り場に向かうべく、振り返る……と。
どんっ。
アロイスの肩と、誰かの肩がぶつかった。
「あっ、すみません」
すぐにアロイスが謝罪すると、相手の男性はニコリと微笑んだ。その後ろには、麦わら帽子から靡く白く長い髪が美しい女性が二人立っていて、彼女たちもペコリ、と頭を下げた。
「本当に申し訳ありません。それでは……」
アロイスは彼らに会釈して、改めて空港に足を向けた。ぶつかった男性たちはその背中を見ながら微笑み続けていた。 すると、その様子に気づいたブランが、女性を見て何故か悲しげな表情を浮かべる。
(凄く綺麗な女性だなぁ。白くて銀色の髪の毛がサラサラしてて……。男の人も若いみたいだけど、どんな関係なんだろ。良いな良いな、俺も彼女欲しいや……)
いつか、ナナや、リリム、ネイルなんていう美しく可愛い女性を彼女にしたい。イチャイチャしたい。そんなことを考えてボーっと眺めていたのだった。
その後、アロイスたちがスモールタウンに着いたのが11時30分。そのまま町の空港に向かい、空き席のチケットを購入すると、午後12時には出発する便に乗船することが出来た。
……しかし。
やっと出発出来るというのに、直前になって、席に着いたエリーが震えていることに気がついた。
「どうしたんだエリー」
アロイスが心配して話をかける。ナナも、不安がるエリーを見て心配そうな表情を浮かべている。エリーは震えたまま、泣きそうな声で言った。
「あ、あのね。信じられないって思ってたけど、やっぱりそうなんだって思って……」
「そうなんだと、思った? 」
「飛行船ね……。私、こんなすごいの乗ったことなかった……」
「こんな凄いのって、どういう意味だい」
「私の知ってる飛行船は、もっと小さくて、狭かった……」
「……! 」
エリーの生きていた時代には、魔法道具技術(錬金術)はまだまだ未熟な時代だった。魔法動力の飛行船は巨大な装置を必要としていたために、乗船数は少なかったろうし、秩序も劣っていた面もあって、今よりも雑然としていたのだ。
「アロイスさんの言うことが信じられなかったけど、色々知ってくうちに、すごい長い時間が流れてたんだって分かってきたの。だから、お母さんも、お父さんも……みんなも……」
もう、この世界にはいないんだ。アロイスの放った台詞が、ジワリ、ジワリと。その胸に突き刺さり始めていた。
「エリー、すまない。本当は言い方を変えるべきだったかもしれない」
アロイスはそっとエリーの手に、自分の手のひらを重ねた。少女の手のひらは、抱きかかえた日と変わらず
とても冷たかった。
エリーは掛けられた言葉に、下唇を噛みながら返事した。
「……嘘をつかれるよりずっと良い。で、でも……ッ」
赤い瞳を潤ませて、ツツッと、一筋の涙を流して言った。
「怖い……。辛い……。信じられない……。どうして良いのか、分からないよぉ……」
エリーにとって、眠りについてから目を覚ました日まで、きっと一瞬にしか感じていなかったに違いない。
それは普通に生活していた子供がベッドで眠りについて明けた日、家族の誰もが居なくなっていたような。当たり前が気づいた時には崩れていたような。その気持ちは、想像を遥かに越えるくらい辛いものだろう。
「見るのを止めたいか。エリーの望みに俺は従うぞ」
アロイスが言うと、エリーは泣きながらそれを拒否した。
「ううん……見る。全部、自分の目で確かめたいから……」
「そうか。なら、俺は何も言わないよ。このまま出発しよう」
「うんっ……」
アロイスはエリーの右手を、ナナは左手を握った。小さく震え続ける少女の手。
この冷たく凍りつくような少女の気持ちは、いつか暖かく溶けるのだろうか。
そうこうするうち、船内アナウンスが流れる。
「……間もなく、離陸致します。ご注意ください」
その声を聞いて、エリーに一層の緊張が走った。
アロイスはエリーを落ち着かせる意味も込め、彼女の手を握り締めたまま言った。
「エリー、ナナ。行くぞ、ノインシュタインへ」
「うんっ……」
「はい! 」
飛行船が、ゴンゴンと動力を鳴らす。
ズズン……ズズン……。
席に振動が伝われば、飛行船はゆっくりと、晴天の空に高々と羽ばたき始める。
さぁ……出発の時間だ。
ついに、三人を乗せた飛行船はノインシュタインへと旅立つのだった。




