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叡智ノインシュタイン(7)


「……何です? 」


 少女から目を離し、祖母に目を向けた。


「アロイスさんたちは出かけてくるんさね? 」

「ああ、そうですね。良ければお婆さんもと思ったんですが、どうでしょうか」


 ノインシュタインに行く話だ。どのみち祖母を誘うつもりではあった。

 それについて祖母は苦笑いして、「行かないさね」と、言った。


「畑仕事もあるからね。色々聞いたけど……婆にはちょっと辛い旅になりそうだしね。お土産でも買ってきてくれたら、それで良いさね」


 祖母は、パンの欠片を口に投げ入れ、コーヒーを流し込む。


「そうですか……残念ですね。では今度、温泉旅行にでも行きませんか」

「ふっふっ、それなら大歓迎さね」


 アロイスは、お任せ下さい。と、笑った。


「……あ、そういえばアロイスさん」


 すると、今度はナナがアロイスに話をかけた。


「なんだ? 」

「お婆ちゃんとの話を聞いてて思ったんですが、いつ出かけるんですか? どんなルートを通るのかなって」

「んー、早くて明日か明後日か。隣町まで馬車に乗って、そこから飛行船だ。空港があったよな」

「ありますね。スモールタウンから飛行船ですか。修学旅行以来だなぁ」

「昼の便が出てるはずだし。……と、忘れてた」


 喋ってるうち、アロイスはある事をを思い出して、不味った、と頭を掻いた。

 

「どうしました」

「酒場に休暇の張り紙出すの忘れてたわ。ちょい後で出してくるよ」

「今日から酒場をお休みにしちゃんですか? 」

「出かける為の買い物をしないといけないしな。出発前、深夜まで働くと旅の移動が辛くなるし」


 午前中にでも酒場に顔を出して、そのまま町に買い物に出よう。滞在期間が予想出来ない分、ちょっとばかり荷物も膨れそうだ。


「旅行期間は1週間……、いや2週間だな。そのくらい見ていて欲しい」

「結構長いですね。着替えとか結構必要になりそうです」

「あっちには宿が多いから、有料だけど洗濯サービスもあるし、そこまで着替えは要らないさ」

「そうなんですね」


 現在、観光地として栄えているノインシュタインには多くの宿が並んでいた。地下ダンジョンが看破されたとはいえ、周辺のダンジョンを目的とした冒険者や、豪家の謎を追う研究者たち、元々美しい城を目的とした観光客はまだまだ多く、長期滞在者を対象とした衣食住に不自由することはないのだ。


「……ごちそうさまでした」


 すると、そんなこんな話をしてるうちにエリーはご飯を平らげた。

 ティッシュ貰っていい? と、アロイスに訊いてから、許可を得て口元を拭く。食べ終えたフォークとナイフは、皿の上に八の字で置いてあった。これは、食事マナーの一つだった。


(小さいのに、雑とはいえテーブルマナーの基本が出来てるのか)


 ご飯を食べ終えたエリーは、ナナに「美味しかった」と微笑む。朝日に照らされた銀色の髪の毛と整った顔立ち、吸い込まれるような赤く大きな瞳。見る人によっては嫉妬すら覚えるかもしれない、神の悪戯のように、美しさと可愛らしさを兼ね備えた姿に三人は感嘆してしまう。


「……ナナさん? 」

「あっ、う、うん。美味しいなら良かった。今、私たちも食べ終えるから、待っててね! 」


 見惚れてしまっていたナナは、慌てて言う。エリーは「うん」と小さく返事した。

 アロイスとナナは、エリーを待たせまいと食事をさっさと終わらせ、片付けまで済ませた。


「お婆ちゃん、今日は畑は? 」


 ナナが尋ねると、祖母は「大丈夫だよ」とコーヒーを啜りながら答えた。


「大丈夫? 私たちに遠慮してるなら、遠慮しちゃ嫌だからね」

「今日はお休みにしとくさね。不在の期間も婆ちゃんだけでやれる事だけやっとくから大丈夫さね」

「……そっか。有難う、お婆ちゃん」


 アロイスも「すみません」と頭を下げた。

 すると祖母は、チッチッチッと人差し指を振って、しわを深くして笑って言った。

 

「アロイスさんには、戻ってきたら、たーっぷり手伝って貰うけどね。あっはっは」

「そうこなくっちゃ。いつも以上に全力で仕事に励みますよ」

「期待しとるさね」


 長期間も手伝いが出来ない不安感に対し、気兼ねのないよう祖母は気を利かせてくれた。

 お婆さんのこういうところが本当に嬉しくなる。アロイスはその厚意に甘えさせて貰うことにした。


「……んでは朝早いけど、先に酒場に行こうか。休暇準備の片付けやらをしないとな」

「そうですね、お手伝いします。エリーちゃんも一緒に行くんですよね」

「もちろん。あとは終わり次第、買い物に町に行こう。旅に必要なものを適当に買い漁ろうか」

「はいっ」


 それから、エリーにナナの昔着用していた外出用の服を着せると、二人もフランクなシャツとズボンに着替えて酒場に向かった。

 酒場では暫く留守にすることを踏まえ、いつも以上に念入りに掃除をこなす。

 エリーも「手伝う」と言って床の拭き掃除を率先して手伝ってくれたりして、予想以上に掃除は早く終わらせることが出来て、時刻は午前9時を回った程度だった。


「……ふぅ、こんくらい掃除しときゃいいだろ。エリーも手伝ってくれて有難うな。助かったよ」


 お礼を言うと、エリーは笑顔で返事した。


「ううん。アロイスさんとナナさんにはいっぱいお世話になったから、少しでも恩返しをしたかったの」


 その心遣いに、二人はキュンッと暖かくなった。


「はは、本当に有難う。その気持ちがとても嬉しいよ。それじゃ……」


 大きめの紙を用意し、ペンで簡単に、

『2週間ほど休業します』

 と、だけ記載したものを、玄関表の木製扉にベタリと貼り付けた。

 ナナとエリーも店外に出たのを見計らい、玄関に鍵をかける。


「んでは、町で買い物にいくかー」


 こうして、三人は町に向かった。

  ……やがて、三人が商店通りに入ったところで、ナナはアロイスに尋ねた。


「アロイスさん、旅にはどんな物を買ってくんですか? 」

「んー、さっき言った通り向こう側には旅用の施設は揃ってるし、大荷物は要らないと思うぞ」

「……お出かけ用の服はちょっと欲しいかなって」

「おっ、確かにな。エリー用の服も見るついでに行こうか」

「良いですね♪ 」


 二人はその方向で合致する。が、エリーは慌てて「大丈夫だよ」と言った。アロイスはエリーの頭を撫でて優しさを込めて言った。


「子供が謙遜するもんじゃないぞ。気にせずドーンとしていていいぞ」

「で、でも私はお金も無いし、迷惑ばっかり……」

「ほーう。エリーは、可愛い服でお洒落するのは嫌いかな? 」


 その台詞にエリーは「好き……だけど」と、モジモジして言う。


「素直で宜しい。兄ちゃんは素直な子が好きだぞ〜? 」

「……本当に良いの? 」

「くどいぞ、エリーッ」


 エリーの頭に添えていた手を、リズムに乗る際にテーブルを叩くの時のように、軽くポンッ、と叩いた。


「あうっ」


 エリーは叩かれた頭を両手で押さえ、

「……ありがとう」

 小さく言った。


 エリーはアロイスの手に触れ、その優しさに嬉しそうな表情を見せる。

 アロイスは「おう」と返事しながら、エリーに聞こえないよう、ナナに小さく耳打ちした。


「ナナ、エリーには目一杯楽しんでいって欲しい。値段に糸目をつけず、可愛らしい服や、欲しがった服はどんどん選んでくれ」

「……分かりました。そう仰るなら、遠慮せずに選んじゃいますよ」

「上等。もちろん、ナナも好きなのを選んでくれな」

「はいっ、有難うございます♪ 」


 そして三人は、適当に入った服屋に始まり、様々な店舗を見て回り、存分にショッピングを楽しんだ。その後、適当な店でランチをとった後も引き続き買い物をして、自宅に着いた頃には20時を過ぎていた。


 アロイスの両手には大量の買い物袋と、その背には、すっかり寝息を立てるエリーの姿があった。テーブルに買い物袋を置く間、ナナは急いでリビングに布団を敷く。エリーを起こさないよう、そこに静かに寝かせた。


「すっかり寝ちゃいましたね」

「早朝から動きっぱなしだったからなぁ。しょうがないさ」

「そうですね。あと、荷物をずっと持ってもらって有難うございました」

「力仕事は男の仕事だ。礼はいらんさ」


 ナナはアロイスの優しさを嬉しく受け取りながら、テーブルに置かれた買い物袋を纏める。すると、丁度風呂上がりだった祖母が「お帰りさね」とリビングに現れた。


「あっ、ただいま。お婆ちゃん」

「うんむ。エリーちゃんはすっかりおねむかい」

「ずっと動いてましたからね。朝も早かったので、眠くなっちゃったんでしょう」

「そうさねぇ。それとアロイスさんたちも続けてお風呂入っちゃうといいよ」

「あ、頂きます。エリーは……明日で良いか」


 風呂起こすのも酷だし、明日の朝でもシャワーを浴びさせるとしよう。

 祖母は、エリーの傍の椅子に腰掛け、彼女を見下ろして口を開く。


「……この子は本当に可愛い子だねぇ」

「ええ。人形のように可愛くも美しい子です」

「この子は少し込み入った事情を持っているんだろう。こんな可愛い子に、神様は試練を与えるんだねぇ……」


 神様というのは、意地悪だ。ナナやエリーのように、どんなに優しい子でも不運は訪れる癖に、犯罪者に幸運が舞い降りる事も多い。だけど試練というのは乗り越えられるから与えられるものだというし、エリーならきっと克服できると信じてる。

 ただ唯一、今のエリーにとって幸運だったのは、アロイスと出会ったということだろうか。


「アロイスさん、明日には出かけるんだったね」

「はい。今朝もお話しましたけど、2週間程度と見ていてください」

「分かったさね。気をつけて行ってくるんだよ」

「はい。ナナ共々、気をつけて行ってきます」


 明日の今頃は、ノインシュタイン行きの飛行船の中だ。かの地で、エリーに関して何か分かれば良いのだが……。


「ふぁ……」


 ふと、買い物袋を纏めていたナナが小さく欠伸した。疲労からか少し眠そうにしている。祖母も自分もつられて、欠伸してしまう。


(何だか眠いな。攻撃的なエリーに対する緊張を解いたワケじゃないんだが)


 集中している時は決して隙を見せないようにしているハズ。なのに、この欠伸はどういうわけか。敵意の失ったエリーに少しずつ安心を覚えているのかもしれない。


「アロイスさん、何だか眠いですね。少し疲れちゃいました。今日はお風呂パスして、明日にシャワーを浴びますよ」

「ああ、俺もそうするか。何だか今日は疲れた気がする」


 ナナは、はしゃぎ過ぎ、自分はずっと緊張しっぱなしだった分、疲労が蓄積していたのかもしれない。今日は少し早めに休もう。明日に疲れを残さない為にも。


「今、アロイスさんの布団も敷きますね。待ってて下さい」

「すまない、頼む。俺は代わりに買い物内容の整理をしておくよ」

「はいっ」


 そして、ナナが布団を敷いた後、購入してきた着替えやアメニティグッズなどをリュックに詰めると、22時を前に、早々とネーブル一家の明かりは落ちたのだった。それから数時間、朝6時。全員は揃って起床して朝ご飯を食べると、いよいよ旅の出発の時間を迎える。


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