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叡智ノインシュタイン(6)

 

  ……それから翌日【2080年7月30日。】

 明朝6時、本来アロイスの寝床である居間に敷いた布団の上で、エリーはゆっくりと目を覚ます。


「ふあ……」


 大きく背伸びしたエリーは、ハっとした。


「あれ、ここ……。あっ、服……! 」


 自分がいつの間にか眠ってしまっていたこと、ボロボロだった布の服が、大きな黒猫が刺繍されたパジャマに変わっていた事に驚いた。


「よー、目が覚めたかい。おはようさん」


 エリーが目を覚ました事に気づき、アロイスは布団の隣に腰を下ろして胡座を組んだ。とにかく少女と同じ目線で話すため、出来る限り身を縮めて会話を交わす。


「……あっ。え、えっと」

「アロイスだ。兄ちゃんとでも、アロイスでも、好きに呼ぶと良い」

「う、うん。アロイス……さん」

「おう。昨日の事は覚えてるかな。どうやってココに来たか覚えてるか? 」


 エリーは「ううん、覚えてない」と言った。


「だろうな。帰り道の林道を歩いてる途中、眠っちゃったんだよ。だから背負ってココまで運んできたんだ。ちなみに、そのパジャマはナナのお古でな、ナナが着せてくれたんだ」


 親指で自分の後ろを差す。

 そこには焼き立てパンが入ったバケットを運ぶエプロン姿のナナが立っていた。アロイスの紹介に気づいて、ナナは笑顔で手を振って、エリーも小さく手を振り返した。


「そうだったんだ。アロイスさんは、私をノインシュタインに連れてってくれるの? 」

「昨日言った通りだよ。あとネックレスは括り付けたまんまだ。大事なものなんだろう」

「うん。色々、ありがとう……」


 エリーは胸元に輝くネックレスを触りながら、礼を口にした。するとそのお腹が、ぐぅぅ……、と鳴った。


「……あっ」


 恥ずかしそうに、お腹を押さえる。

 アロイスは「腹減ったよな」と先に立って、エリーに手を貸して立ち上がらせる。適当なテーブルの席を指差して、ここに座ってくれるかな、と案内した。


「ここにすわっていいの? 」

「ああ。エリーはここ、俺は隣だ」

「うん」


 エリーがちょこんと、緊張した様子で席につく。アロイスはその隣に腰を下ろした。

 ……と、エリーが座った際、そこで、見知らぬお婆さんが座っている事に気がついた。


「あれっ? 」


 エリーが驚いて言う。

 お婆さんは「初めましてさね、エリーちゃん」と満面の笑みを浮かべて言った。


「あ、は……初めまして」

「婆ちゃんは、ナナの婆ちゃんだよ。話は聞いたよ、よろしくね、エリーちゃん」

「……う、うんっ」


 人見知り気味な反応だったが、それでも頭を下げて挨拶した。

 それから、ナナが、ゆで卵とハム、チーズの乗ったプレートを運ぶと、エリーは、運ばれた料理を見て「美味しそう……! 」と、嬉しそうに言った。


「ふふっ。たっぷり食べてね、エリーちゃん」


 焼き立てのクロワッサンに、小さな丸パン。半熟ゆで卵、切り分けられたハム、ディップ用のバターとチーズクリーム。加えて、青々とした生野菜のサラダ。透明のグラスコップにはオレンジジュースが注がれていた。


「た、食べていいの? 」

「もちろん。お代わりもあるから、いっぱい食べてね」

「……いただきます! 」


 エリーは、早速添えられたフォークに手を伸ばす。

 ……だが、その時。エリーは「痛いっ」と、そのフォークを手放した。

 アロイスは「どうした」と尋ねると、どうやらエリーは取っ手部分、柄を握って痛みを感じたようだった。


「どうした、手が痛んだのか? 」

「フォークを握ったら、手が痺れて……」

「む、どれどれ」


 アロイスは、エリーの手放したフォークに触れてみる。しかし何の変哲もない銀色の金属スプーンで、おかしい様子はなかった。


「何でもないぞ。静電気か何かじゃないか? ほら、大丈夫だ」


 フォークを改めてエリーに手渡す。しかし、再び。


「いたいっ! 」


 エリーの手先にビリリとした痛みが走った。思わず手を放し、フォークを床に落としてしまった。


「おっと、大丈夫か! 」

「フォーク、洗ってきますよ」


 落としたフォークを拾ったナナは、台所に向かう。エリーは迷惑を掛けたことに、シュン……と落ち込んでしまった。


(んーむ、金属アレルギーの類か? しかし、そんな直ぐ痛みを生じるアレルギーは聞いたことが無い。それとも何か、冷たいものが苦手な魔族でもいただろうか)


 熱風吹き荒れる南の大砂漠には、冷たいものを苦手とする魔族は、いるにはいる。だけどエリーの反応はそんなレベルではなく、フォークそのものを否定しているような気がした。


「……エリー、そのジュースは飲めるかな」


 キンキンに冷えたオレンジジュース。浮かんだ透明なグラスに浮かんだ氷がとても涼しげで、美味しく喉を潤してくれそうだ。もしエリーが、冷たいものを苦手とするならば、そのグラスですら触れられないという話になるのだが。


「うん、飲んでみる」


 エリーは、躊躇わずグラスを握り、オレンジジュースをごくごくと飲んだ。

 しかも「冷たくて美味しい」なんて台詞まで吐いて。


(冷たくて美味しいか。参ったな、冷たいものが苦手じゃないってことだ。だとしたら、やはり)


 事の顛末は、金属か。


(その可能性が高いな。よし)


 アロイスは、ナナ! と彼女を呼んで、木製のカトラリー(フォークやナイフ)を持って来るように言った。ナナは「分かりました」と返事して、それらを用意した。


「エリー、これは使えるかい。触っても痛くないかな」


 木製のフォーク。エリーは恐る恐るそれに触れるが、

「大丈夫みたい」

 と、薄っすら笑顔を浮かべて言った。


「良かった。もしかしたら金属アレルギーの類なのかもしれないな」

「金属アレルギー……。でも、ネックレスの金属は痛くないよ? 」

「……あっ」


 そう言われてみれば。ネックレスの金属装飾には反応を示していない。


「まぁ、フォークに使われてる対する何かに反応したのかもしれんし、気にしなくて良いんじゃないか」

「そうなのかな? 」

「そうだとも。さ、今はそのフォークでお腹いっぱい食べると良い。俺も食べようかな」

「うん」


 話を流したが、どうにも引っ掛かる。本当にアレルギーの類であれば良いのだが。

 取り敢えずエリーは木製のカトラリーは難なく使えてるようだし、今は良しとしよう。


「美味しい……! 」


 すると、焼き立てクロワッサンを頬張ったエリーが目を輝かせた。

 さくっとした表面は香ばしく、中身は何層にも重なった小麦のミルフィーユで、ふわふわと柔らかい。一口噛む度に滑らかな甘さがいっぱいに広がって、思わず手が止められなくなる。


「美味しいか、そうだろう。ナナはパンを焼くのが上手なんだよ」

「うん、とっても美味しい。 こっちの小さい丸パンも、サラダも、全部美味しいっ」

「そりゃあ良かった」


 エリーは、本当に美味しそうに料理を口いっぱいに頬張った。こうして見る限り、純粋な少女にしか見えないというのに。

 アロイスが少女の様子を見つめていると、ふと、祖母がパンを食べながら、アロイスさん、と名前を呼んだ。

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