叡智ノインシュタイン(5)
「なっ!? 」
「今、名前にノインシュタインって……!」
アロイスとナナは顔を見合わせる。少女は自ら、ノインシュタインの血筋を持つ者だと名乗ったのだ。
「エ、エリー。君のLast nameにはノインシュタインと名が付くのか」
「うん。お城と一緒の名前なんだよ」
アロイスは、思わず自分の口元を右手で押さえる。もしそれが本当なら、歴史的にとんでもない話だ。失われた空白の時間を解く鍵が目の前に在るんだから。
(い、一体この子は何なんだ。言ってる事は嘘だと思えない。だけど……落ち着け。豪族は500年前に滅んだはずだ。なのにエリーが話す素振りは、豪族が居て当然のように言っている。自分の一族が、今なお目の前にいるように……! )
……と、考えた時。アロイスの脳裏に光が差し込んだ。
そういえば、夕方にブランとそんな話をしていたじゃないか。行方不明になった赤きネックレスと、地下深くから発見された謎のミイラの話を。
まさか、この子は。
とても信じ難い話だった。とはいえ、それなら全ての辻褄が合ってしまう。
時代を越えて現代に蘇った存在ならば、エリーの記憶の断片で出てきた「暗くて狭い場所」や、赤きネックレスの所持品についても合点がいく。
少女は現代に蘇ったミイラ……なのだとしたら。
(500年以上もミイラ化して、突然に生きているなんて有り得るのか。……いや、考えるだけ無駄だろうか。その可能性しか無い。だけど、それが真実でも、どうやってこの子にその事実を告げろというんだ)
もう、少女の正体は完全に固まりつつある。しかし、少女は記憶が曖昧になっている。だけど自分が気づいた現実を、未だ10歳程度の幼い女の子に伝えろというのか。
君の家族はもう存在していないんだよ、なんて言葉を。目が覚めた日、父も母も居なくなった世界を。あまりにも、残酷過ぎるじゃないか。
(それでも、この話は言わねばならないことだ。彼女が現代に再び生を受けたのなら、いずれは知ることなのだから)
決意する。
アロイスはゆっくりと歩を進め、エリーの前で片膝を着いて目線を合わせて喋りかけた。
「エリー、俺らは君に危害を加えるつもりはないんだ。信じて欲しい。ただ、君と話をしたいだけなんだ」
エリーは、アロイスの優しい声色に小さく頷く。
「有難う。でも、これから君に話すことは、信じられないかもしれないけど、真実として受け止めなくちゃいけないことなんだ。これはとても辛いことで、君は嘘だと思うはずだ。だけど、それが本当の事だって理解してほしい」
……どんなお話なの?
エリーは首を傾げる。アロイスは、悲壮に溢れつつ、とそれを述べた。
「君の言うノインシュタイン家は、もうこの世界に居ないんだ」
「……どういうこと? 私もいるしお母さんもいるよ? 」
「今は2080年。君の生きていた時代は1500年、もう500年も前の事なんだ。君は長い眠りについていたんだよ」
話を伝えたところで、エリーは頭の上に『?』を浮かべた。頭を掻いたり、何か考えたりしたり、ボケーっと考えたりした後、結局最後に出した答えは「嘘だよ」と、アロイスを否定した。
「どういう意味なの。全然わかんない。500年前ってなに? 」
「エリー、今は2080年なんだ。信じられないのは分かる。だけど……」
「違うよ、そんなのない。どうして嘘つくの? 」
アロイスは必死に説明するが、エリーは決して認めようとはせず否定し続ける。
しかしその反応こそ、アロイスは自分の考えが間違っていない事の確信となっていった。
「……辛い話だと分かってる。だけど、これは嘘じゃないんだ。よく思い出して欲しい。君が眠りについた日と、目覚めた日。その日を、ゆっくりと思い出してみるんだ。君はどうやって眠りについたか、どうやって目を覚ましたのか……」
軟らかで穏やかな声で言う。その言葉に、エリーの心が呼応した。
どうやって眠りについたのか、どうやって目を覚ましたのか。その記憶の断片を、ゆるりと呼び覚ました。
(私は……)
眠りについた夜。私の記憶は、あの日、自分が父と母に地下に連れて行かれたのが最後だった。
漆黒の闇、カビ臭い地下牢に閉じ込められ、誰も迎えに来ない恐怖に耐え続けた記憶。
確かに父と母は言った。「必ず、迎えに来るからね」と。
でも、二人は姿は現さなかった。
寂しさの極限で、母親から受け取ったネックレスを抱きしめ、泣きながら眠りについた。
その眠りは、長い夢だった。狭い部屋で一人、部屋の隅で座り続けている夢。
誰も迎えに来てくれない、誰とも話せない寂しさの極限の中で、気が遠くなるような時間を過ごした。
やがて忘却たる時間の果て、私は誰かに身体を触られ目を覚ます。
気づけば、この見知らぬ建物の天井を見上げていて……。
「あ、あれ……? 」
記憶の一部を呼び起こしたエリーは、目を泳がせた。夢の中で過ごした長い時間。あれが現実だったというのなら。目の前の男性が言うように、本当に500年の時を経ているのかもしれない、と。
「で、でも! 違うよ! 」
……それでも。
「お父さんとお母さんが……だって、迎えに来るって言ったもん! 」
アロイスとナナは、彼女が何を思い出したのかは分からない。しかし、彼女の様子から、きっと辛い体験をしてきたんだろうとは分かった。
「ち、違うよ……。違うもん! 」
「何が違うんだい」
「だって、お父さんもお母さんも迎えに来てくれるって言ったから! 」
「……迎えに来てくれる? 」
「約束したもん! 約束したんだからっ!」
エリーは声を荒げた。
「おうち帰りたい。こんなとこ嫌だ! お母さんに会いたいよぉ! 」
そう言って、エリーは両膝を折って腕を回し、体育座りの格好で顔を俯かせ隠した。小さく丸まり、震える身体。アロイスもナナも、その様子に居た堪れない気持ちになった。
「辛い話をしてしまったって事は分かってる。だけど、伝えなくちゃいけなかった話なんだ」
そう言いながら、アロイスはエリーの肩に手を乗せた。
「すまない。本当は隠しておこうと思った。だけど、いつか知る話だったから。君には真実を伝える他はなかったんだ」
エリーは小さく丸まったまま、返事をしない。
「顔を上げてくれ。君はきっとこの世に絶望を覚えてるかもしれない。でも、君が生きる為には一歩ずつ前に歩かなくちゃいけないんだ」
何を言っても、エリーは微動だにしなかった。それも当然だ。だけど、こんな少女がこの世に絶望をすることなんて、しちゃいけない。
「だからエリー。俺から君に提案があるんだけど、聞いてくれないか」
アロイスは、少女の正体を気づき始めた時から、ある考えを持っていた。
「……一緒にノインシュタインに行ってみないか」
アロイスが言った。
予想外な発言には、エリーも「えっ」と顔を上げた。
「君は、君自身の目で真実を知る必要がある。だから俺が君をノインシュタインに連れて行く。一緒に行こう」
アロイスは、手を差し伸べた。
「つれてって……くれるの? 」
「ああ。一緒に行こう」
アロイスの表情は、声と同じで穏やかで、優しい瞳をしていた。
彼は嘘をついていない。信じたエリーは頷いて、答えた。
「いく。ノインシュタインに行きたい。つれてって! 」
差し伸べられた手を握り締めた。
決まりだな。アロイスは笑みを浮かべて手を握り返した。
「ナナ。すまないが、少しの間だけ酒場は休暇だ。社内旅行といこうか」
「え、私も良いんですか? 」
「勿論だ。費用は酒場負担(アロイスの貯金を崩す)だから問題ないから安心してくれ」
「分かりました! 」
そしてアロイスは、エリーの頭を撫でながら言った。
「エリーは、少しの間だけお兄ちゃんとお姉ちゃんの家に泊まってくれるか。美味しいご飯を一緒に食べような」
アロイスはナナにウィンクする。勿論ナナは無言で、笑顔を浮かべ頷いた。
(この子から、出会った時の異様な気配は完全に消えている。この分なら、家に入れても大丈夫だろう。とはいえ気配は張り巡らせておかねばな……)
現役時代、ダンジョンで休まる日々が無かった事を思い出す。ナナや祖母に万が一があってはならない。緊張の糸は解かず、少女の動向は静かに探っておこう。
「それじゃ帰ろうか。エリー、立てるかな」
「うん、立てるよ。ありがとう」
ノインシュタインに帰ることが出来る。それが分かっただけでも、すっかり落ち着いた少女の心の持ちようは、優しいものだった。
(それにしても、この子は何なのだろうか。……ノインシュタインの謎か。まさか豪族の可能性があるとは思いもしなかったが、エリーがこの地に訪れた理由も含め、何にせよ実際に赴いて答えを探すんだ)
……全ての答えは『ノインシュタイン』にきっと在る。
アロイスは、人知れず、世界の謎に迫るのだった。




