叡智ノインシュタイン(4)
そして、数分後。
酒場に戻った二人は、雨天時に用意していたタオルを中央のテーブル席に重ねて簡単なベッドを作り、その上に少女を寝かせた。アロイスはキッチン内側の戸棚から取り出した止血剤で血を止めた後、少女の隣に腰を下ろしたナナの傍に立ち、改めて少女をまじまじと見下ろした。
(やっぱり、ただの女の子にしか見えないな……)
白銀のような美しい長髪、整った顔立ちと、美麗な人形のように可憐な少女。だが衣服はズタボロの布切れで、さっきの攻撃的行動を考えると、この子の存在は想像がつかなかった。
「アロイスさん、こういう子って世界を旅してきて見たこと無いんですか? 」
ナナが尋ねる。
アロイスは「うーん」と、考えてみるが。
「噛み付いたり、出血毒を使ってくるの相手は魔獣として存在してるんだ。例えば、この女の子の襲ってきた方法に基づいて考えると……」
コウモリ、ヒル、モスキートなんかが近いんじゃないか、と言ってみた。
「コ、コウモリにヒルに、蚊ですか……」
ナナは顔を青ざめさせた。
「うむ。魔獣コウモリやヒルなんかと、人型の何かのハーフかもしれない。しかしなぁ」
アロイスは、彼女の頬に人差し指で優しく触れる。
「腑に落ちない点が幾つかある。例えばナナ、この子の頬を触ってみろ」
「え? は、はい」
ナナが彼女の頬に触れると、氷とまではいかなくとも、ヒヤリとした冷たい感触だった。
「あっ、冷たい! 」
「生きてる人間の体温じゃないんだ。それに、さっきの俺の攻撃だってな……」
打ち込んだ渾身の一撃、気合砲を物ともせずに立ち上がった生命力。不可思議な点が多すぎる。
「普通の魔族だとしても、ちと頑丈過ぎるんだよな」
アロイスが少女を観察する。そのうち、胸元に何か光っている事に気がついた。
「なんだこりゃ」
それは、細いチェーン状で首に括り付けられていた少し小さめのネックレスだった。黄金色のチェーンを引っ張って、そのネックレスをさらけ出してみる。練磨された真っ赤な鉱石が使われたネックレスで、施された金細工がとても丁寧に造られている。
「何かの鉱石で出来たネックレスのようだな」
「凄くキレイですね」
「魔石のようだが……少し違うな」
中央に陣取る赤い鉱石は、中央付近に反射した光をグニャグニャと歪ませる。濁った泥水のように蠢く怪しく光る鉱石に、思わず目が奪われてしまう。
(魔力ではない何かのエネルギー体に見える。だけど、こんな妖々しい物は見たことがない……)
見たこともない輝きを前に、思わず見惚れてしまうアロイスだったが、そのタイミングで少女はゆっくりと瞼を開いた。
「アロイスさん、女の子が! 」
「……むっ」
しかし声をかける間もなく、少女は二人の存在にハっとした表情を浮かべ、アロイスからネックレスを奪い返して、寝転んでいた椅子から転げ落ち、店内の隅に急いで移動した。
その時、アロイスは少女に対し思わず身構えたが、森で出会ったような邪気は完全に失われ、少女は店の隅でカタカタと小さく震えるばかりだった。
「だ、誰……? 」
少女は、か細く揺れる声で言う。
アロイスは少女の言動で、ある事を直ぐに察した。
(さっきの気配とまるで違うようになっている。意思の疎通は適うようだが、しかし記憶が……)
少女は辺りを見回すばかりで、ここがどこか、自分たちが誰かを理解していない。さっき自分が戦ったことですら、覚えていない様子だった。
「あ、あなたたちは誰。ここはどこ……? 」
恐怖に怯え切った少女は、小さく丸まって二人を見つめた。アロイスは少女に優しい声使いで喋りかけた。
「君に危害を加えるつもりはないよ。落ち着いてほしい。君は何も覚えていないのか? 」
「覚えてるって何を……。私はノインシュタインで……」
「……ノインシュタインだって? 君は、ノインシュタインから来たのか」
「そこから来たって、何。何が……どうしたの。分からない、何も分からない……! 」
少女は混乱したように言う。あまり問いかけても頭を悩ませるばかりのようだ。一つ一つ、落ち着いて質問をしてみよう。
「混乱させた、すまない。俺はアロイス、君の名前を教えてくれないか」
「私……。私はエリー……」
「エリーというのか。そうか、いい名前だ。君はノインシュタインに住んでいるのかな」
「ノインシュタイン……。うん、そこに住んでる……」
少女は頷いて答えた。落ち着いて話をすれば、少女はきちんと応答してくれる。
「君は最後に何を覚えているのかな。自分を辿って、最後に覚えてるのは何だい? 」
「暗くて、狭い場所に、閉じ込められて……」
「閉じ込められた……? 」
少女の話を聞く度、逆に謎が深まっていく。もしかして、何か誘拐の類の事件に巻き込まれ、そのショックで一時的に記憶障害を起こしているのかもしれない。踏み込んだ質問をドンドンぶつけたいが、また混乱されてしまっては困る。
(待てよ……)
少女は、何か思い出すきっかけになり得るアイテムを持ち合わせているじゃないか。
「エリー、君の胸元にある赤いネックレスは綺麗なものだね」
「ネックレスって……これ」
エリーは首に垂れ下げていたネックレスを手に取った。
「これはお父さんとか、みんなが作ってくれた大事なもの……」
「みんなって、エリーの知っている人かい」
「うん……。おじさんとか、おばさんとか……」
「ふむ、そうなのか」
親戚一同でアクセサリ細工の稼業でも営んでいるのかもしれない。そういえば、ノインシュタインには城下町の彼方此方に銀細工や宝石細工屋があったハズだ。
「君のお父さんとお母さんもノインシュタインにいるのかな」
「うん……。おうちにいるよ……」
話してるうち、少女は少しずつだが落ち着き、心を開き始めたようだ。最初のような慌てる様子もなく、徐々に話す姿勢も安定してきている気がする。
(さて、話をしてくれるのはわかったけど、ここからどうするか。彼女はどうやってカントリータウンに来たか定かじゃないが、それを伝えないわけにはイカンしな)
会話から考えて、少女はココがカントリータウンだと認識をしていない可能性が高い。早いところ、それを伝えることにした。
「そうか。それじゃエリー、あまり驚かないで聞いてほしいんだけど、君が今いる場所はノインシュタインじゃないんだよ」
前もって断りを入れる。それでも台詞を聞いたエリーは、当然「えっ」と目を丸くした。
「ここはカントリータウンという田舎町なんだ。ノインシュタインから、かなり離れた町でね……どうやってこの町に来たか覚えてはいないかい? 」
エリーは首を横に振って、
「ここはノインシュタインじゃないの……? 」
と、不安げに尋ねてきた。
「ああ、ここはカントリータウンという田舎町の小さな酒場さ。俺は酒場の主人でね、えー……林で倒れていた君を保護したってわけだよ」
エリーは「どうして……」と、右の親指の爪を噛んだ。無理もない反応だった。
(さてと、ノインシュタインから来た迷子の魔族ちゃんか。どうしたもんか)
様々な謎は残されたままだが、とにかく少女は家族の元に返してあげたい。警衛隊に預けて、家族の元に返すよう依頼してみようか。
(でも、あの時のような攻撃的な面を見せられたら、ここの警衛隊では対処出来なそうなんだよな。逮捕だってされ兼ねないし)
少女をどうするべきか、悩んでしまう。
すると、考え込むアロイスに対してエリーは、アロイスが仰天するような言葉を口にし始めた。
「私、おうち大きいから、誰かに聞いたら、分かると思う……」
「おうちが大きい? 」
「うん……。ノインシュタインだとね、みんな私のおうち知ってたから……」
「有名な場所なのかい。何処らへんに在るのかな? 」
エリーは一言。
『お城』
と、答えた。
「……お城? 」
「うん。ノインシュタインの大きいお城……」
その台詞に、まさか、と思ったが。一応、尋ねてみた。
「ノインシュタイン城のことかな」
「うん」
エリーは間髪入れずに頷く。アロイスはそれを聞いて懸念というか、不審な念を抱いた。
(何だ、冗談でも言ってるのか。ノインシュタイン城に住んでいるだと? あそこの居館も観光地としてしか使われていないはずだ)
しかし、エリーが嘘をついている気配は無い。瞳は真実であると訴えていた。
「……エリーは、お城のどこに住んでいるんだい? もしかして、お城の近くに自宅があるんじゃないかな」
エリーはお城の周辺に家を構えているのかもしれない。そう思って訊いてみるが、エリーは再び首を、ふるふると横に振った。
「ううん、お城の中。3階のはじっこに私のお部屋があるよ」
「つまり居館ということ……かな」
「うん。お父さんとお母さんは、隣のお部屋で寝てるの」
ノインシュタイン城の3階端、そこが確かに人々が住まう居館の場所だ。しかしそれは大昔の話で、今は観光地の限りである。
どういう事だ、と難しい顔を浮かべるアロイス。エリーは更に、アロイスが混乱するような一言を「あ、あとね」と、付け加えてきた。
「おじさんとか、おばさんも、みんな住んでるよ」
「叔父さんや叔母さん? 親戚のみんなが住んでるってことなのかい? 」
「うん」
つまり、エリーの一家はノインシュタイン城に居城しているという事だ。しかし、そんな馬鹿な話があるわけない。再三の話だが、現在の城は観光地としてレジャー施設になっていて、誰が住めるわけないのだ。大昔に権力の在る『一族』が住んでいた、というだけで。
(……待て。豪族が住んでいたんだ)
アロイスは、ハっとした。
(い、いや。まさか、そんな)
冗談だと思ったが、少女が嘘をついている様子はなく。
……それならば。
アロイスはエリーに尋ねた。
「エリー。君の本名を教えてくれるかな。FirstからLast nameまで、全部を教えてほしい」
その質問に、エリーは直ぐに答えてくれた。
私の名は『エリー・ヴァン・ノインシュタイン』だよ、と。




