素直な気持ち(1)
【2080年7月17日。】
その日、午後18時。
開店した酒場のカウンター席には、姉妹堂の妹ネイルと新人冒険者ブランが会話を交わす。少し離れた位置に、ワインをゆっくりと飲む姉リリムと、その対面にナナが腰を下ろしていた。
「アロイスさん、今度デートしようよー! 」
「今度、暇な時間があったら考えておこう」
「暇っていつなの! 」
適当にネイルをあしらうアロイス、面白くなさそうにするブラン。
するとナナが、ネイルとアロイスの会話を気にしている事にリリムが気づいた。
「あらあら? 」
おっとりした声で、ナナに言った。
「ナナさんてば、私と話をしてるのにネイルとアロイスさんが気になるんですか? 」
「えっ! い、いえ。そんなことはっ!」
ナナは両手を振り、慌てて否定する。とても分かりやすい反応に、リリムはくすっ、と笑い、単刀直入に訊いた。
「分かりやすいですね。ナナさんは、アロイスさんの事が好きなんですか」
「す、好きって……! 」
一応、リリムもナナも、アロイスらには聴こえないように小声で配慮して、極力抑えた形で会話する。
「えっと、あの。私は、そういうんじゃ……」
「分からない、かな」
「あうっ。は、はい……」
大人びたリリムの前で、ナナは萎縮してしまう。彼女は「それなら……」と、意地悪そうに、こう言った。
「妹の積極的な態度に、いつかはアロイスさんも折れちゃうかもしれないですよ。それでいても、私もアロイスさんが気になって仕方がないですから」
リリムは一口ワインを飲む。火照り赤めかす頬に、艶麗な雰囲気を振り撒く。魔性のフェロモンを醸し出し、同じ女性として彼女の魅力がヒシヒシと感じ、うぅ……と、益々小さくなった。
リリムは、そんなナナを見て、分かっていても訊かずにいられなかった質問をした。
「……ナナさんは、アロイスさんは恋愛対象として見ないんですか? 」
「あの……それは良く分からないです。リリムさんは、本当にアロイスさんを好きになっちゃったんですか」
「はい、あの一瞬で十分でした。私は妹のように積極的には出来ませんけど」
アロイスに対して「好きです」と、正面切って言えた辺り、充分積極的な気がする。
「恋って、そんな簡単に出来るものなんですか? 」
ナナが尋ねる。リリムはうーん……、と、少し考えてから答えた。
「そうですねぇ。好きも嫌いも一瞬だと思いますよ」
「一瞬……ですか」
「長い時間を経て恋する事もあれば、一瞬で恋する事もある。って感じじゃないですか」
リリムは、テーブルに乗ったチーズを頬張り、説明する。
「学生の頃なんかも、スポーツ大会で一瞬だけ活躍した子を好きになるのもありますし。それでいて、実はゴミをその辺に捨てちゃう人で一瞬で幻滅してしまう事だって。だから、好きも嫌いも一瞬ですよ。私の場合は、髪型を少しだけ変えた時に、他の男子のうち唯一、可愛いねって言ってくれた人を好きになりかけた経験がありますよ」
ナナは、その説明にちょっとだけ納得した。
「……仰る通りかもしれません」
「ですよね。ナナさん、もしアロイスさんが他の方と付き合ったらどうなるか考えた事ってありますか? 」
そう言われて、ナナはカウンターに立ったアロイスに目を向けた。彼は、未だ攻める事を止めないネイルに、少し困ったような対応をしていた。
「例えば、あのままネイルがアロイスさんと付き合ったらどうなりますかねぇ」
リリムが言った。
(……もし、ネイルさんとアロイスさんが付き合ったら……? )
もしそうなったのなら。一体、何がどう変わるんだろうか。少し考えてみた。
(あの二人が付き合ったら、ネイルさんは酒場には頻繁に遊びに来る事になるのかな。私は引き続きココのお手伝いをさせて貰えるかもしれないけど……アロイスさんがネイルさんと一緒に住む事になるかもしれないし、ウチを出て行くってこと……かな)
今の当たり前が、当たり前じゃなくなるということだ。既にアロイスはネーブル家の家族にも等しい存在だし、毎日彼の顔を見るのが当たり前だった。だけどネイルとアロイスが付き合ったのなら、それはきっと、祖母と二人暮らしに戻るということ。
(アロイスさんが、うちから出ていくことになるかもしれないんだ……)
違う。なるかもしれない、ではない。そうなるのだ。
普通に考えれば、付き合ってる相手が他人の女性と暮らしているのは、誰もが許さない話だ。常識的に見て、アロイスも快諾するに違いない。
(当たり前が、当たり前じゃなくなるんだ。アロイスさんが家から出て行くのは……い、嫌だな。だけど……)
自分の気持ちが分からない。
彼のことは人として大好きだし、実際、これからも自分の傍にいて欲しいと思う。でも、彼が、誰かと付き合う事を止めようとか、束縛したいとは思わない。それは自分が素直じゃないだけなのか……。
(私の本当の気持ちって……)
どうしたら良いんだろう。複雑な想いで、胸がいっぱいになる。
すると、ナナが思い馳せていた時、店の扉が開いて「こんばんわさねー」と、祖母が現れた。
「……あっ、お婆ちゃん! 」
突然現れた祖母にナナは立ち上がり、アロイスも気づいて「お婆さん! 」と声を上げ、二人は急いで祖母の元に駆け寄った。と、祖母は懐から一枚の手紙を取り出して、ナナに渡した。
「別に客として来たんじゃなくてね。さっき、ナナに手紙が来たんさね」
「手紙? 家に帰ってから見るのに、わざわざ持ってきてくれたの? 」
「うんむ、懐かしい名前があったからね。ランちゃんからだよ。どうやら、同窓会のお知らせらしいよ」
祖母が手紙の差出人を指差す。
そこには『ラン・ハシェ』と、ナナの学生時代の旧友の名が記されていた。
その隣には、同窓会のお知らせ、の文字がある。
「同窓会のお知らせかぁ……」
「うんむ。じゃ、確かに渡したよ。私は帰るさね」
祖母は振り返って帰ろうとする。アロイスは慌てて「待って下さい」と、呼び止めた。
「お婆さん、折角だから、お店に寄ってって下さい」
「でも、若いモンばっかで邪魔だろうさ」
「いえいえ、全然! 」
アロイスが言うと、席に座っていたリリム、ネイル、ブランらは「一緒に飲みましょう! 」と声を揃えた。
「……だ、そうです。一杯だけ飲むのもよし、料理を少しだけでも食べてって下さい」
「おやおや……。うふふ、そこまで言われたら断るわけにはいかないさね」
祖母は歓迎ムードに少し照れながら、近くの席に腰を下ろした。アロイスは早速キッチンに戻って、適当な料理を作り始める。ナナは手紙を貰った位置で止まり、それに目を通していた。
(へぇ、同窓会かぁ。えーと、今週末にやるんだ。隣町のスモールタウンの酒場で飲み放題……。うーん、久しぶりにランちゃんに会いたいなぁ……)
ナナはキッチンに立つアロイスに近寄って、手紙を見せて言った。
「アロイスさん、話聞いてたと思うんですが、今週末、同窓会に行ってきても大丈夫でしょうか」
「もちろんだ。友達は大事だからな」
「はい、有難うございますっ」
許可を貰えた事に、お礼を言う。すると、その脇でネイルが、
「じゃあその日デートしようー! 」
なんてことを叫んだりしたが、当然アロイスは「また今度ー」と、軽く流した。
「えー、何でぇ! 私のこと嫌い……? 」
「嫌いじゃないさ。ネイルを見てると、俺も元気になるよ」
「きゃーっ、そう言ってくれる所も大好きー! 」
いつもなら、キンキンとした彼女の声と、アロイスの会話が気になってしまう。が、今は久しぶりに旧友らと会える事に心躍らせていた。
(皆とは5年ぶりくらいに会う事になるんだ。なんか緊張しちゃうな。皆、どんな風になってるんだろう……)
田舎町で育った同級生は30人。ほとんどが町を出て行ってしまった。風の噂では、冒険者になったり、都市部で一流企業に就職したり、研究者になったり、色々と話は聞いていた。今、皆がどんな生活をしているのか是非聞きたい。
(うん。凄く楽しみだな、同窓会! )
ナナは皆と会える事を楽しみにして、笑顔になったのだった。
…………そして、時間は流れる。
その日【2080年7月21日。】
夕刻、ナナはカントリータウンから馬車の定期便を経て、隣町スモールタウンに降り立った。




