逃げ出したリーフ(1)
【2080年7月10日。】
その日、午後16時。
少し早い開店だったが、アロイスの酒場は既に美味しそうな肉料理の香りが店内に踊っていた。その理由は、彼が訪れたからである。
「アロイスさん、これ美味しいです! 」
「それは何よりだ。しかし、落ち着いて食べなさい」
トマトソースの掛かったチキン・ステーキを頬張るのは、新人冒険者ブラン・ニコラシカ。少し前、アロイスがダンジョン魔窟壕で助けて以来、度々店に足を運ぶようになっていた男だ。
「ブランさん、お水を入れておきますね」
「あ、すみません。有難うございます」
ナナがグラスに水を注ぐ。ブランはデレッとして、礼を言った。
「ブランさん、アロイスさんじゃないですけど、そんな慌てて食べずとも」
「あ、あはは……すみません。とっても美味しくて、つい」
それでもブランはパクパクとチキンステーキを次々に口に運ぶ。メインの鶏肉が無くなると、添えられたポテトにフォークを突き刺し、トマトソースをディップにしてペロリと平らげる。最後に水を一杯流し込み、ブランの食事は終了した。
「ぷぅーっ、食べた食べた! 」
カウンターテーブルに乗っていたティッシュで顔を拭く。お腹を押さえ、満足そうな表情を浮かべた。
アロイスは「お粗末さん」と言って、食べ終えた皿を回収し、流し台で洗う。
「アロイスさん、本当に料理お上手ですよね」
「そうかね。人並みくらいだと思うぞ」
「いやいや上手ですよ。それでお酒にも精通してるんですから、完璧ですよねぇ……」
見た目は格好良いし、その通りに強いし。料理は出来るし、優しいし。同じ男として、月とスッポンじゃないか。
(ぼ、僕ってアロイスさんと比べ物にならないな。情けなくなるよ)
それを自分で考えておいて、少しヘコんでしまった。しかし、ふと、アロイスを見つめていて気になっていた事を思い出す。
「あっ、そうだ。アロイスさんて、元冒険者と仰ってたじゃないですか」
アロイスは「そうだな」と、頷く。
「だったら、相当強いアロイスさんですし、やっぱり結果は残してきたんですよね」
「結果っつーと、ダンジョン攻略でクリアしたか否かってことかね? 」
「はい。やっぱり色々なダンジョンを攻略してきたんでしょうか」
あまり意識したことのない質問に、アロイスは考え込む。隣に立っているナナも、その話題に気になって耳を傾けた。
「ダンジョンの攻略数か。かなりの数に挑んできたが、宝が在る無し関係ないなら……どんくらいだ。えーと、大体……」
考え込んだアロイスが次に放った数字は、とんでもない数だった。
「三百箇所以上は確実に攻略してるな、多分……」
「えぇっ!? 三百箇所以上って、本当ですか!? 」
ブランは大声を上げた。だが驚くのも無理はない。ダンジョンとは、一箇所も攻略を成せずに散ってしまう事は少なくないし、そもそも二桁に達したレベルですら、誰もが羨望の眼差しで見る存在になり得るものだ。それを百桁単位以上など、到底考えられる数字じゃない。
「冗談ですよね。三百以上といったら、確実に歴史に名を残すレベルですよ!? 」
興奮したブランは、さすがに嘘だろうと思った。
「いやいや本当だって。嘘つく理由はないし」
アロイスは平然とした態度で言う。どうやら嘘はついていないようで、その話は事実のようだ。一体、アロイスという男は何者なのか。
「ほ、本当の話なんですか。ちょっと待って下さいよ、アロイスさんて一体何者……」
ブランは焦って顔を強張らせて言う。
……と、その時だ。
「こ、ここにあったッスー!! 」
急に響く黄色い声。更に店の扉がバカンッ、と軽快に開いた。何だなんだと三人が玄関に目を向けると、そこには背中に巨大なハンマーを背負った、金髪ツインテールの少女が一人、泣きそうな顔をして立っていた。
「お、女の子のお客さんですか? 」
「あれっ、小さな女の子だ……」
ナナとブラン、小さな少女のお客さんに、
「どうして子供が? 」
と、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
しかし、アロイスだけは、よく知る彼女を「嘘ぉ」と、目を丸くして見つめた。
「お前、どうしてココに! 」
アロイスが叫ぶ。すると、少女はアロイスを見て泣きそうな声で叫んだ。
「あっ、やっぱりアロイスさんの店だったッス……。やっと、やっと見つけたッス―――ッ!! 」
叫びながら少女はアロイスに向かい、ドダダダ、と足音を立てて突進してきた。不味い、と思ったアロイスはキッチンから急いで飛び出し、カウンター席の前で彼女と衝突、「どうどう! 」と抑えた。
「落ち着け、リーフ! お前の力じゃ店が壊れるだろうが! 」
「で、でもやっと会えたッス。リーフは、リーフは、アロイスさんにずっと会いたかったッス! 」
「分かった分かった、その気持ちは有難いよ! だけどな……」
まずは落ち着け!
アロイスは、火の点いた闘牛が如く動きの止まらないリーフを抱きかかえ、頭をポンポンと撫でた。
「まずは落ち着け。分かったから、落ち着け、良いな? 」
「ううう、アロイスさん。アロイスさん……」
少女は、涙を浮かべた顔をアロイスの胸にグリグリ押し付ける。アロイスは微笑み、彼女を宥め続けた。
「ほい、泣き止んだか。リーフは笑っていたほうが、ずっと可愛いんだぞ」
そう言われて、少女は落ち着く。アロイスは抱いていた彼女を床に立たせると、頭をポンポンと撫でた。
「……アロイスさん。分かったッス、リーフ、笑うッス! 」
自らをリーフと名乗る少女。宥められて気持ちが落ち着いたのか、ニコリと笑った。
アロイスは、
「とりあえずココに座ってくれ」
と、リーフにブランの隣の席に座るよう促すと、高めの椅子にピョンと飛び乗った。
「うっふっふ、アロイスさんお久しぶりッス! 」
「お、おう久しぶりだ。つーかお前どうして……」
アロイスが尋ねようとすると、先にナナがアロイスに質問した。
「アロイスさん、彼女はどちら様ですか? 知り合いのようですが」
「……おっと、先に紹介するか。コイツはリーフ。俺の冒険者時代の副隊長だよ」
「えっ、副隊長!? 」
こんな小さな少女が副隊長だというのか。信じられないといった様子でナナは言った。
「そんな驚かずとも、ほら……格好は冒険者だろ? 」
「ま、まぁ……それはそうなんですけど」
確かに、背中には自身の身の丈ほどある銀色のハンマーを所持していて、青色の作業用ズボンから伸びたショルダーストラップ付きオーバーオール、腰に取り付けたポシェットなど、冒険者といえば、それならしい格好だ。しかし彼女は長い金色のツインテールに、やや幼くて可愛らしい少女の顔つきが目立って、どうにも信じ難い。
(凄く大きいハンマーは持ってるけど、本当なのかな? )
ナナには、拭い切れない疑問だった。しかし、リーフの隣に座っていたブランは、本気で驚いたようにリーフを見つめている。
「どうしたんだブラン」
アロイスが尋ねた。
するとブランは「嘘だ」と、か細い声で言った。
「何が嘘なんだ? 」
「リーフさんて、あのリーフさんですか」
「どのリーフさんだ」
「あの……クロイツ冒険団のリーフ・クローバーさんじゃ……」
「知ってたのか? 」
それを聞いた途端、ブランは、ずぇぇぇっ! と叫び、椅子から転げ落ちた。




