ブラン・ニコラシカ(1)
【2080年6月18日。】
その日は、週初めの酒場の休店日。
しかも午前中から畑仕事もお休みで、6月18日は全くのフリーデイとなっていた。
その為、アロイスは日がな一日を利用し、午前8時から酒場の掃除をするべく赴いていたのだが、共にナナも、それを手伝っていた。
「折角の休みなのに、別に手伝わなくても良かったんだぞ? 」
「いえ、私が出来ることならお手伝いさせて下さい! 」
「……大変嬉しいんだけど、休める時に休んでいても良いと思うんだが」
「私にとっては、これは休んでるうちに入るようなもんですっ」
ガッツポーズを作って言う。
……まぁ、それなら良いんだけど。
「じゃあ大まかな掃除はナナに任せて、俺はランプの手入れなりするかなぁ」
やろうと思えば、開店時間の合間には出来ないことが沢山あるし、今日は一日みっちりと酒場の手入れをしよう。そう思った。
……が、思ったところで、玄関の扉がギギィと開いた。
「ん……」
玄関に目を向けると、そこにはマイルが立っていた。
「どうも、お久しぶりです。お元気そうですね」
「おお、マイルさんじゃないか」
セントラルのヘンドラー社に所属する青年、マイル。頭には白いターバンを巻いている端麗な顔立ちをしている男で、ヘンドラーの厳選した食材を大量に納品してくれる商人だ。
「今日も納品に来てくれたんですかね ?」
「はい。と、言っても今日は少なめですけどね。それと手紙も預かってます」
マイルは懐から大きい封筒を取り出して、アロイスに渡した。
「また手紙か。電信機で連絡よこせばいいものを」
取り敢えず手紙を開けてみる。今日のは随分と大きい。中身は2枚、1枚は文言の書かれた手紙で、もう1枚は折り畳まれた地図だった。
「地図……? 」
見たところ、真新しい紙に描かれたもので、ダンジョンマップのようなものだった。とはいえ内容の分からない地図を見つめてもしょうが無い。それは一旦放っておいて、先に手紙に目を通した。
「どれどれ……」
手紙の内容は、簡潔に、こう書かれていた。。
『a beloved friend アロイス』
元気かアロイス。ワイは元気です。
貴様、電信機で連絡寄越した方が早いとか言わなかったか。分かるで。
まぁええわ。ほなら二度目の食材納品やけど、今回は世界から厳選素材をメインに取り寄せたから数が少ないけど堪忍な。
んで、本題。以前の納品から時間が空いてアレやけど、お前に塩の話をするの忘れてたんや。
カントリータウンの、とあるダンジョンから良質な岩塩が採れるいうことでな、ジブンにはそれを取って使って欲しい思ってたんやけど、結局連絡忘れとった、スマンスマン。
今回は地図も送付しとくから、岩塩採って来てくれや。
んでは、また連絡する。
『ヘンドラー・アップサイド』
何てシンプルな内容だ。というか、全力でバックアップするといっておいて、酒場主人に岩塩を採らせようとするとは何事か。アイツらしいといえば、アイツらしいのだが。
「やれやれ、ヘンドラーの奴め。しかし、さっきの地図はそういうことか」
もう一度、地図を手に、テーブルに拡げてみる。それに気づいたナナは、大きい地図に近づいて訊いた。
「これ、何かの地図ですか? 」
ナナの質問にアロイスは手紙を見せて、これがカントリータウンに在る地下ダンジョンの地図であると伝えた。
「え、ダンジョン地図ですか? 」
「そうみたいだな。まさか塩採りにダンジョンマップを送ってくるとは……」
拡げられた地図には、何層かに分かれたフロア別の断面図と鉱脈の他、生息する魔獣の情報が書かれている。入り口から地図に在る岩塩採掘場までは約20kmとかなり長い。また、洞窟最深部は100kmと更に5倍以上、長く、深い縦坑を幾度も越えるようで、Cenoteと記載された区間以降の情報は記載されていなかった。
「20kmって相当遠いですよね……」
「それなりに深い位置だ。割りと遠いな」
「やっぱりですか。それと、この端っこのCenoteって表記はなんですか? 」
「セノーテは洞窟内の泉だ。本来はセノーテ内部も地図が描かれてるモンなんだが、記載が無いってことは未踏区なんだろう」
未踏区とは、そのままの意味で、冒険者が踏み入れない区域の事だ。
基本的に、ダンジョンは古代戦争時代に遺された遺跡である為、地図が存在することも少なくない。だが、長期間放置されたダンジョンは情報が失われることは珍しくなく、地下鉱脈を利用した地下壕などは地震やら湧き水やらで地形の変化が生まれてしまう。
「攻略済みのダンジョンなら未だしも、未攻略のダンジョンに気軽に行けっていうのか、ヘンドラーの奴は」
「やっぱりアロイスさんでも難しいってことですよね」
「いや、これくらいは難しくないよ。未踏区ダンジョン挑戦なんて、酒場主人にさせることかと思っただけだよ」
「ふふっ、そうでしたか。では、今から行って来るんですかね? 」
「うん、どうするかな……」
地図を見る限り、20kmと割と遠い上に魔獣の巣が多そうだ。向かうなら、久しぶりに『大剣』の出番が必要だろう。自宅の玄関脇に立て掛けたまま放置していたし、少しばかり動かすなら良い機会かもしれない。
(だけど、絶対にナナは連れて行けないな)
ナナに目配せすると、彼女は笑って頷いた。
「アロイスさん、今日のお掃除は私に任せてください♪ 」
「あ、いや。まだ、今日行くとは決めては……」
「顔に書いてありますよ、行きたいって」
「……あ、本当に」
慌てて頬をパンパンと叩く。
「スマン、ナナ。本当は俺も手伝うところなんだが、近いうちに旨いモンでも作るから! 」
「やった。楽しみにしてますねっ」
「うむ。では、俺は一旦自宅に戻って大剣持ってくるかな。冒険服は……いらねぇか」
たかが20kmくらい、地図で見る限り問題ない。確かに魔獣が蠢いたり足場は複雑そうで、難易度高いダンジョンのようだったが、それは一般的な冒険者の話であって、アロイスに当て嵌まる事ではないのだ。
「この格好で行って来るよ」
黒いエプロンを脱ぐと、黒の半袖ワイシャツと鼠色の薄いズボンだけの姿で両腕を拡げて見せた。
「そ、そんなラフな軽装で大丈夫なんですか? 」
「問題無いさ。じゃあ、掃除は頼んでおいて良いのかな」
「はい。でも、怪我とかしないで、絶対に帰ってきてくださいね」
「もちろん約束するさ」
笑って親指を立てる。ナナは「はいっ」と笑顔で言った。
「では、マイルさん」
地図と睨めっこしてる間に、既に店内に荷物を運び終えて待機していたマイルに話をかけた。
「はい。えーと、ダンジョンに向かわれるんですか」
「そうですね。一度、自宅に戻るので、途中まで一緒に帰りましょう。ヘンドラーの話も聞きたいですし」
「あはは、面白い話がいっぱいありますよ」
「うむ。それじゃ、ナナ。すぐ行って、すぐ帰ってくるよ」
アロイスは彼女に手を振ると、玄関からマイル共に店を後にした。一人になったナナは、ずっと笑顔で応えていたが、どれだけ彼が強いと分かっていても、その心中は穏やかじゃなかった。
(……大丈夫ですよね、アロイスさん)
いつの日か、こうして見送った両親が帰ってこなかった思い出が蘇ったからだ。また、実はアロイスも、きっと彼女が自分を見て思い出を蘇らせているんだろうと分かっていたが、敢えてそれは突っこまなかった。
アロイスが林道を歩きながら思った事は、
「俺が何事もなく無事に戻ってくる事が、彼女の尊い辛さの1つを癒す事になるだろう」
……と、考えていたからだった。
そして、アロイスは、マイルにヘンドラーの面白い話を聞きながら自宅に帰った後、玄関脇に立て掛けていた大剣を久々に手に取ると、その感触に思わず笑ってしまう。
(この感触、久しぶりだ。今まで放置してて悪かったな。だけど、お前を忘れた事は無かったぞ。今日はちょっとばかし働いて貰うからな)
地図1枚と大剣、半袖シャツにズボンというシンプルなスタイルで、アロイスはダンジョンに向かうべく足を向けた。
……しかし、アロイスがそのダンジョンに入場する数時間前。
とある新人冒険者が、同じダンジョンに潜っていたなど、知るわけが無かった。
岩塩採掘が可能なダンジョン『魔窟壕』は、元々、天然洞窟を利用して造られた地下壕だ。長い年月を経て所々が崩壊し、半ば迷宮化した洞窟の奥には吸血蝙蝠ヒルバットの巣が至る箇所に生息する凶悪なダンジョンであった。
そして、その凶悪な道を進む冒険者が一人、長い洞窟の果てを目指し歩みを進めていたのだ。
「はぁ、はぁ……。さすがにキツイや……」
冒険者の名は『ブラン・ニコラシカ』。
今年で20歳の冒険者養育学校を卒業して間もない、新人冒険者である。
少し長めの茶色掛かった髪の毛と、凛とした顔立ちには、ダンジョンに赴いた緊張が見えていた。




