遠い南の島からの便り(6)
彼女を凝視する。アロイスに睨まれた彼女は、猫耳と尻尾をピンッ!と跳ねさせた。
「ケットシーじゃないか。何だ、俺に何か用事か? 」
ケットシーは、かなり小柄な身体を持つ魔族の一種。このカトレア火山諸島に住むのは『猫人族』と呼ばれる猫に類似した魔族である。
アロイスら冒険団が海底ダンジョンの攻略の際、ケットシーらに協力を仰いでいた事もあって、村に滞在させて貰っていた。どうやら木陰に隠れる彼女は、自分の何かを伺っているようだ。
「……待て。お前はどこかで……そうだ。確か、俺らが世話になってる村に居たケットシーだな。その全身の灰色の髪と瞳、尻尾と耳。よーく覚えてるぞ」
ケットシーの村で族長に挨拶しに行った際、家屋の壁に隠れて出てこなかった女の子だと思い出す。今もこうして影に隠れてる辺り、自分たちに敵意でも持ってるのだろうか。
「テイルとか言ったな。族長の娘だったはずだ。違うか? 」
アロイスが尋ねると、彼女は木陰に隠れながら小さく頷いた。
「やっぱりな。どうした、何か俺に用事じゃないのか? 」
彼女は首を横に振る。
「そうかい。じゃ、俺は海に行くからな。お前も早く村に戻れよ」
片腕を上げ挨拶して、再び来た道を戻ろうとする。
しかし彼女は木々の隙間を飛び跳ね、アロイスの目の前に移動して、また木陰に隠れながら見つめてきた。
「……やっぱり何か用事なんじゃないの。どうした、何か話があるなら聞くぞ」
彼女は、身長差のある自分が怖いのかもしれない。アロイスはその場で腰を下ろし、胡座を組んで目線を合わせた。
するとテイルは尻尾をぷるぷる震わせていたが、ようやく姿を現してくれた。赤黒の薄い布の上着とスカート、民族衣装のような格好をした彼女は、ゆっくりとアロイスの元に近づき、小声で言った。
「えっと、アロイス……? 」
「やっと口を聞いてくれたな。ああ、族長に挨拶した時に俺の名前は聞いてただろ」
「ん……」
小さく、小さく、頷く。
「それで、俺に何か話でもあるのかい」
「……アロイス、お化け、やっつけてくれたの? 」
不安そうな目で、アロイスを見つめながら言った。
「お化け? お化けってのは……カルキノスやシーサーペントか」
彼女が言ったお化けとは、巨大蟹や巨大海蛇など、今回の海底ダンジョンに潜んでいた奴らだった。
奴らはいつの間にかダンジョン棲みついたらしい凶悪な魔獣で、先住民族だった猫族のケットシーは、見た目通り戦闘には向かず、奴らが浜辺に上がっては、残酷にも奴らの糧にされるばかりで危機に瀕していた。
だが、クロイツ一行はダンジョン攻略のついでに討伐した。結果として、彼らの未来を救ったことになったのだ。(そもそもはリンメイが彼らに世話になるお礼に、全て討伐しようと言ったのだが)。
「……倒したよ。もうお前らが襲われる事はねーさ」
「本当? 」
「ああ、本当だ」
「本当の本当? 」
「うん、本当の本当だ」
何度も何度もテイルは訊いた。その度にアロイスは頷き、彼女の欲しがっていた答えに応えた。
「……本当なんだ! 」
そして、数分もの押し問答が続いた後、ようやくテイルは笑顔を見せてくれた。
「アロイス、ありがとう! 」
「別に俺だけが倒したわけじゃないけどな。……てか、あれっ……」
おや……何だろう。あれほど宝が無かった事に落ち込んでいたというのに、彼女が喜んだ顔を見たら、モヤモヤがちょっとばかり晴れた気がする。
「……何だ。お前の笑顔を見てたら、どうでも良くなっちまったよ」
「んー、何が? 」
「色々だよ」
近づいたテイルの顎の下を、人差し指でコチョコチョと触る。
彼女は「んー♪」と、嬉しそうにした。
「テイル。平和になって嬉しいよな 」
「うん、嬉しい♪ 」
「そうか。誰かが幸せになったなら、別に宝はいらねえか……」
アロイスの優しい発言を聞いたテイルは、彼の組んだ胡座の上に座った。頭をコシコシとアロイスの上半身に擦り付け、何とも満足そうな表情を浮かべる。
「何だ。そんなことして楽しいかい」
「うん♪」
「そうか。なら良いんだ」
アロイスは彼女の頭を撫でた。満面の笑みを浮かべる彼女に、アロイスも何となく楽しい気持ちになる。二人は暫く、そんな状態でゆったりとした時間を過ごした。
……ところが、彼女とアロイスの親睦が深まっていた、さ中。アロイスの頭の上にボフンッ、とした感覚があった。
「うおっ、今度は何だよっ!? 」
突然、何かが頭に覆い被さった衝撃にはさすがに驚く。咄嗟に、頭の上に乗った何かを掴んだ。
「何だ、巨大な虫か何かか! 」
ここはジャングル、何が出てもおかしくはない。しかし、掴んでみたそれは、元々小柄なケットシーより更に小さな身体の、同じ猫人族の男の子だった。
「だ、誰だ……」
黒い短髪、目はクリクリと大きく、大きい木の葉模様の布切れで作られた服装が可愛らしい。……が、彼は、どうも自分に敵意を抱いているような顔つきをしていて、柔らかい猫パンチをアロイスの顔面をペシペシと殴った。
「あたたっ、止めろって。ど、どうしたんだよ。遊んで欲しいのか」
彼を少し離れた位置に下ろして訊いてみるが、返事はない。
それどころか、さっき木陰に隠れてたテイルのように尻尾をカタカタ震わせて、再び攻撃を仕掛けるような構えを取った。
「どうした。俺は、お前に喧嘩売られる筋合いはねーぞ」
アロイスは渋い顔をして言う。と、胡座の上に座っていたテイルが飛び出し、彼の元に近づいて口を開いた
「大丈夫だよ、セルカーク。アロイスは皆を助けてくれたの」
「……っ」
「本当だよ。敵じゃないよ」
どうやら、テイルと彼は知り合いらしかった。セルカークという男の子は、彼女に諭され、ゆっくりと構えを解く。
テイルは「うん」と頷き、アロイスに彼を紹介した。
「アロイス。こっちはね、セルカークって言うの」
「セルカークね。俺が敵だと思われたのかね」
彼は無口なのか、喋るのが難しい年齢なのか。どちらにしても、セルカークは自分を良く思っていないのだけは確かだ。
「たぶん、敵だと思ってたんだと思うの」
「え、そうなの」
「うん……。あのね、セルカークは私のお守り役なの」
「……お守り? 」
「私のお父さんが、ぞくちょう? っていうのだから、ずーっと守ってくれる家族なんだって」
断片的な説明だったが、理解は出来た。
族長を守るため、代々仕えてる一族か何かなのだろう。だから、彼女と親しくしている自分が憎たらしくなったのか、敵と間違えたのか、いずれにせよ、その小さな身体で向かってくるとは見上げた根性をしている奴じゃないか。
「ふーん。そうだったのか、セルカーク」
アロイスが名を呼ぶ。彼は、ピクンッと反応して、此方を睨んだ。
「そう構えるな。今、その話を聞いて お前も男だなって思ったんだ。俺はお前の大事な人を傷つけようとか、奪おうとか思っちゃいないよ。どうだ、お前も俺と仲良くなっちゃくれないかな」
そっと手を伸ばしてみる。一瞬こそ彼はその手に触れようとしたが、手を叩き落とし、逃げ出した。
「あらっ。嫌われたか……」
折角、仲良くなりたかったんだけどな。
走り出したセルカークの背を見ながら溜息を吐くが、それは、次の瞬間に起こった。
「キイイィィイイッ!! 」
突如、鳴り響く、耳に激痛を与える声。セルカークの逃げていた付近の木々の隙間から、大人一人を丸呑みできるような大口を開いた、巨大な蛇が飛び出した。
「シ、シーサーペントッ!? 」
青色の巨大な蛇は、海底ダンジョンで全て沈めた筈のシーサーペントだった。恐らくは生き残りか何か、地上に逃げていた一匹が姿を現したに違いない。
しかも驚いている間もなく、シーサーペントはセルカークに襲い掛かった。
「やべぇっ! おい、ガキ! 逃げろぉっ! 」
アロイスは、セルカークを助けようと飛び上がるが、その手は届かなかった。シーサーペントの大口は、セルカークを丸呑みしてしまったのである。
「ば、馬鹿なっ!! 」




