3.美味しいご飯
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(さて、俺はどうしてこんなところにいるのだろうか……)
ナナの祖母の誘いを断れなかったアロイスは、どうしようもない顔で彼女の自宅で卓を囲んでいた。
「ボロ家でごめんなぁ。狭くて汚いだろうさねぇ」
祖母は笑いながら言った。
ナナの自宅は、町外れに在る木造平屋の長方形状の小さな家だった。
卓を囲んでいる居間には大きい木造テーブルが1つ、周りに5つの桃色クッションが敷かれた背もたれ付きの椅子が並んでいる。家の大きさから、居間を除いて部屋はあと3,4部屋だろうか。生活するには中々快適そうだ。
また、側に見えている大きい窓を開けば、縁側に座って垣根に囲まれた庭を楽しめた。
因みに、外の物干しには、ナナのものと思わしき洗濯物が幾つか掛かっていたが、出来る限り見ないようにしておこう。
「いえ、すごく暖か味のある住み易そうな良い家だと思いますよ」
「そう言ってくれるかね。うっふっふ、褒めても何も出ないさね」
嬉しそうに祖母。
と、アロイスの上着を見て指差した。
「随分と上着が真っ赤に汚れているねぇ」
「あ、すみません。土汚れは落としたんですが……」
それは討伐した竜の返り血だったが、濁した言葉で説明した。
まぁ竜の血自体は凝固が早くバリバリに固まっているし、実は高貴な医療用に取引されるくらい高値で取引されるものだったりするが、やはり真っ赤になったシャツは見ていて気持ちが良いものではない。
「その格好じゃ居辛いだろう。そのシャツは大事なもんかね」
祖母が尋ねる。アロイスは首を横に振った。
「普通のシャツですし、大事なわけでは」
「じゃ、捨てちまっていいかね。代わりに私の息子が着てたシャツがあるから、着替えないかい」
「お手数ですが貸して頂けるなら、お願いします」
恥を忍んで答えた。
早速、祖母が別室からシャツを持ち出し、それを受け取るが、アロイスは少し驚いた。
(む、サイズがぴったりかもしれない)
着用する前から分かった。アロイス自身それなりに大きい体をしていると自覚していた分、用意されたシャツは小さいものだと覚悟していたが、鍛えた肉体にも丁度フィットするサイズだった。
「有難うございます。着替えさせて貰いますね。では失礼ですが此方で着替えても? 」
「構わんよ。私も若い体を見るのは嫌いじゃないからね……なんて、ハハハ」
それを聞いたアロイスは「では、遠慮なく」と、血塗れのシャツを脱ぎ、用意されたシャツに着替える。それは予想通り、ぴったりと合うサイズだった。
「有難うございます、ピッタリですね」
「よかったさね。では、こっちは捨てておくが良いかい」
「すみませんが宜しくお願いします」
祖母は血塗れシャツを丸め、居間の隅に合ったゴミ箱にそれを捨てた。
と、それと同時に居間の隣にあるキッチンから、アニメ調の猫顔がプリントされた桃色エプロンを身につけたナナが、巨大な革カゴに焼きたての丸パンを詰めて「お待たせしました」と現れた。
「アロイスさんはいっぱい食べそうなので、たくさん焼いてみました! 」
テーブル中央にドン、と革カゴを乗せた。
丁度よく焼き色がついた丸パンから、香ばしい匂いが立ち上る。食べずとも美味しいだろうと分かる見た目と香り。最初は遠慮しがちだったアロイスだが、それを見た瞬間どうしようもなく食欲が湧き上がった。
「あとはカボチャのスープも出しますね。ソーセージも少し切って、新鮮な野菜もサラダにしますね」
ナナが提示するメニューはシンプルながら魅せられるラインナップ。
「おお、豪華だな。焼きたてのパンにスープ、副菜まで作ってくれるのか」
「折角のお客さんですから、腕を振るいます。……て、アロイスさんのシャツ」
ナナが、いつの間にか真っ白なシャツに身を包んでいたアロイスに反応した。
「お婆ちゃんの息子さんのシャツらしいけど、着させて貰ったよ」
アロイスの言葉を聞いたナナは、何故か一瞬ばかし呆ける。
小さく「お父さんの…」と呟いたが、口元を僅かばかり動かす程度でアロイスの耳に届かなかった。
「……ナナ? 」
彼女の呆けた姿にアロイスは声を掛ける。
ナナはハっとして、明らかな作り笑いをして言った。
「あっ、は……はい。えっとアロイスさんに似合ってると思います。着心地はどうでしょうか、古いものなのでチクチクしたり虫食いしてたりしてませんか? 」
早口気味に言うナナ。アロイスは、彼女の態度がおかしいと気づく。しかし、突っ込むべきではないと判断して普通に返答した。
「大丈夫だよ。お婆ちゃんにも言ったが着心地はバッチリ。虫食いもないよ」
「それは何よりです。着替えたところで美味しいご飯も食べれると思いますし、作った料理を運んじゃいますね! 」
そう言ってナナはキッチンに戻った。
正直、彼女が何を思ったか訊きたいと思った。
だが祖母は彼女の態度を見ても何も言わず黙っていたし、アロイスも無言で席に腰を下ろして料理が運ばれるのを待つことにした。
(ま、この婆ちゃんやナナの態度から察するよ。込み入った話はしないほうが良いな)
自分たちは顔見知りにも満たない仲。内情に踏み入る会話はするもんじゃない。
(だけど……)
ナナの態度に呼応して、急に雰囲気が薄暗くなった。
居た堪れなくなり、ふぅ……と、ため息をつくが、そこへナナがそれを吹き飛ばすかのように、お盆にいっぱいに料理を次々と準備して、元気な声を上げてくれた。
「アロイスさん。沢山作ったんで、どんどん食べて下さいね! 」
「おっ……」
山盛りの焼きたて丸パンに始まり、次に運ばれたのは、白い皿に映える黄色のとろみ掛かった具沢山のカボチャのスープ。続き、やや大きめのソーセージ。更にパンやソーセージのディップ用で温かなトロけるチーズ、四角に切り分けられたハードチーズ。最後に、輪切りされたキュウリにディルハーブと酸味あるプレーンヨーグルトを和えたサラダが登場した。
「おぉ、旨そうだなぁ! 」
ご馳走を前に顔が綻ぶ。持て成しがあるとは思っていたが、中々どうしてボリュームがある。
「本当は時間があればもっと手間かけるんですけど、出来るだけ直ぐ出来るものを用意してみました」
嬉しそうなアロイスに、自信満々に言った彼女の可愛らしい『えへん顔』。彼女の微笑みは、さっきまでの重い空気をどこかをどこかにやってしまった。
「お口に合うと良いんですけど」
「うん、じゃあ早速……」
頂きます、頭を下げる。
そしてテーブル中央のバケットから熱々の丸パンを一つ手に取って、食べ易いようにちぎり、ゆっくりと口に運んでみる。
「あっつ。はふっ……。おうっ、美味い……」
きつね色に焼きあがった、まん丸なパン。焼けた香ばしい小麦の匂いが口いっぱいに広がる。フワリとした食感に、甘美な味わいが何とも旨い。
「どれ、スープは……」
銀色のスプーンでトロトロのかぼちゃスープを掬う。オレンジ寄りの黄色いスープ。湯気と共に甘い匂いが舞い昇る。さて、実際に一口飲んでみよう。
「……っ」
やっぱりな。匂いで既に分かってた。
それは野菜の優しい甘みが存分に生かされた、濃厚かつ滑らかで深い味わい。
「ああ美味しいな。優しい味だ。野菜の旨味が存分に出ているよ」
「えっ、嬉しいです。一応それは私の手作りなんです」
「惣菜じゃないのか。とっても美味しいよ。因みに、滑らかな味の秘密は生クリームか何かを使ったのかな」
アロイスの指摘に、ナナは「え、正解です! 」と言った。
「あと焼いた玉ねぎも使っていると見た。どうかな」
「そこまで分かるんですか。凄いです! 」
「わざわざ手が込んである料理を作ってくれるなんて。最高の持て成しに最高の気分になれるよ」
「えへへっ、そう言ってもらえると、とっても嬉しいです」
ナナは、胸の前で両手を合わせ喜んだ。
「まさか空で昼寝してただけなのに、気づいたらこんな美味しい料理に有り付けるとは思わなかった。こんな旨い料理を前にして遠慮は出来そうにないな」
そう言うと、アロイスは持っていたパンをさっさと食べ終え、スープを飲み干す。更にもう一つパンを摘み、用意してくれたソーセージやディップ用のチーズにも手を出して、余すところなく料理を楽しむ。
「……っと、このサラダも頂かないとな。このサラダは随分と変わってるね」
「キュウリにプレーンヨーグルトを和えて、ディルというハーブを細かくして入れてます」
「ディルはセリの一種だったね。どれどれ……」
珍しく、話を聞く限り涼しげな料理だ。どんな味なのか。食してみよう。
「……おっ、これは変わった味で面白い」
パリっとした輪切りのキュウリ自体に味はなく、ディルを噛んでいるうち僅かな甘みと苦味を感じさせた。しかし、苦味はプレーンヨーグルトの酸味がかき消して、舌はさっぱりとした爽快感が溢れる。甘みと苦味、それを酸味がかき消すというコンビネーション、単品で見れば異端気味な料理だが、今日のラインナップにはこれ以上ふさわしいサラダは無いと感じた。
「甘めで脂っこい料理が多いですから、さっぱりした苦味のあるサラダが良く合うと思いまして」
「確かに脂と甘みでいっぱいだった舌がリセットされて、またパンやスープが食べたくなるよ」
「わぁっ、本当ですか。お代わりがありますが持って来ますか? 」
「さっきも言ったけど、運んできた分すべてを食べてしまいそうなくらい美味しいよ」
「……おかわり、持ってきますね! 」
彼女は振舞った料理が美味しいと喜んで貰える事が、この上なく嬉しかったらしい。
そもそも、実はナナが他人から料理を褒められるは初めての体験で、アロイスが喜んでくれた事が嬉しくて、いっぱいの笑顔を見せて次々と料理を運んだ。無論、アロイスはそれに応えて遠慮を忘れ、料理を食べ続けた。
―――……そして。
「……ふぅ、もう食えん」
濃厚な食事の時間はアロイスの「ご馳走様」という一言で、ようやく終了したのだった。