最期の一杯(2)
「……旨いッ!」
まるで、駆けつけ一杯のビールを飲み干すようにして、グラスをカァンッとテーブルに置く。アロイスは慌てて身を乗り出し、彼を心配した。
「ちょっ、お爺さん、その飲み方は本当に危険ですから、本当の本当に止めて下さい! 」
「ファハッハッハ!」
「笑ってる場合じゃないですから、水も飲んで下さいよ!?」
それを聞いたナナは、慌ててキッチンに入り、大きいグラスに水をいっぱいに入れてお爺さんの前に差し出すが、彼はまた笑いながら言った。
「いらんいらん。別に大丈夫じゃ。いやしかし、旨い酒じゃて。同じもの、もう一杯貰えるかの!」
何とも気持ちのいい笑顔だ。
しかし本心では、あまり、こういう客に酒を提供したくなかった。
「勘弁して下さい。倒れられたら困りますし、その身を大事にして下さいよ」
「なーに言ってる若造が。じゃが、身を案じてくれるのは有難いのう」
「ですから、また今度来て下さいよ。次には、もっと美味しい酒を準備しますから」
話をしていて楽しめそうだし、もっとゆっくり語り合って酒を飲んでほしい。
ところがお爺さんは鼻の頭を掻きながら笑顔で、こう言った。
「いやいや。ワシは、もうこの地を離れなきゃならんのじゃ」
「む、どこかへ行かれるんですか? 」
「ううむ、呼び声が掛かってしまっての。これでも冒険者なんじゃぞ」
「……冒険者なんですか」
見てくれは本当に普通のお爺ちゃんなのに。本当だろうか。見た目によらないというやつか。
「元冒険者とかではないんですか。現役なんですか? 」
「むろん、生涯現役じゃ!」
細々とした腕を捲くり見せた。
「……怪しいところですね」
「何ィ!」
「うおっと、すみません」
「ワシを馬鹿にするとはいい度胸じゃ。どうじゃ、ワシと腕相撲するか! 」
「いやいやいや」
そんな細い腕、軽く握っただけでポキリといってしまいそうだ。
アロイスはお爺さんの興奮を下げるため、謝罪しながら、仕方なくもう一杯だけは出すことにした。
「もう一杯だけですよ。少し馬鹿にした態度をとってしまった代わりに次の酒は私のサービスしますから、次の一杯で今日は止めて下さいね」
お爺さんは、
「分かった、サービスされるぞ!」
と、自らの胸を鼓舞して言った。
「では、同じ酒を簡単に作りますね」
新しいグラスを用意して、もう一杯を作る準備を進める。
と、その最中にお爺さんは酒棚に置かれたアロイスの名が刻まれたグラスを見つけて「ソレを見せてくれ」と手を伸ばした。
「あっ、これですか。どうぞどうぞ」
客に貰った大事なグラスを、彼に手渡して見せる。お爺さんは、ほぉぉ……と、感心しながら見つめた。
「こりゃ良いグラスじゃのう。高かっただろうに」
「値段は聞いていませんけど、相当良いモノだと思いますよ」
「ほう。ほうほう」
お爺さんがグラスを見ている間に、カクテルはさっさと出来上がる。二杯目のバラライカを彼に差し出すが、彼はあろうことか、二杯目も一気に流し込んでしまった。
「うぉおおっ、だからその飲み方止めて下さいって! 」
「大丈夫じゃって」
「本当に寿命縮めてますよ! 」
「ファファファ、本気で大丈夫じゃて。ワシは相当に酒に強いからのう! 」
「そうは言ってもですね……」
しかし、お爺さんは割りと本気で大丈夫な様子で喋り続けた。
「ふぁっはっは、気にするな。それより、店主さんの名前はアロイスというのかい」
「ええ。手元に在るグラスで見て頂ければお分かりですが、アロイス・ミュールと言います」
「そうかい。ならアロイスさん……」
お爺さんは、さっきまでの笑みを少し崩して、
「1つお願いがあるんだが」
と、真面目な顔をして言った。
「何でしょうか。私に出来ることならばお聞きしますが」
「じゃ、お願いじゃ。このグラスを1日だけ貸してくれないかのう」
「……ん?」
てっきりお酒を作ってくれと言われると思ったが、予想外な依頼にアロイスの目が点になった。
「グ、グラスを貸してくれ……ですか?」
「うむ。この地を離れる前に、旨い酒をこのグラスで飲みたいんじゃ」
「なら今お作りしますから、そのグラスを使って飲んでいただければ」
「いやいや、一人酒をしたいんじゃ」
首を横に振りながら、お爺さんは話を続ける。
「良いグラスで一杯を飲みたいんじゃよ。酒好きなら一人酒をしたい気持ち、分かってくれるじゃろ。明日には旅立たなきゃいかんのでな、今日は帰って一杯をこのグラスでやりたいんじゃ。勿論、これを返す時にお礼はするから、頼む! 」
言っている意味は同じ酒好きとして大いに分かるが、さすがに頂いたものを見ず知らずの客に貸し出すわけには行かない。
「お爺さん、すみませんがそれは……」
当然断ろうとしたのだ……が。
「有難うの!明日には返すからな!」
お爺さんはグラスを片手に持ったまま、いつの間にか出口付近まで移動していたのだった。
「ちょっ、お爺さん! 」
「ファファファ、良い酒じゃった。必ず返すから安心せい」
「あのね、そういう問題じゃなくて!そもそも酒代だってまだ貰ってないんですよ! 」
アロイスの呼びかけに応じることなく、お爺さんは扉を開いて外に出る。して、扉を閉める隙間でウィンクしながら、
「テーブルの上に置いといたぞ」
と、消えていった。
「えっ、酒代を……どこに」
視線を落とすと、確かにテーブルの上には硬貨が2,000ゴールド分置いてあった。しかし、それらは可笑しかった。全てが酷く錆びていて、描いてある絵柄も、今のセントラルをモチーフにしたビルディングではなく、剣と盾が描かれたダンジョンから出土する、何世代も前の硬貨であったのだ。
(何だこの金、古すぎないか。博物館に寄贈する類のものだぞ。あのお爺さん、本当に冒険者で、実は優秀な方だったんじゃ……)
すると、そのお金を指先で摘んで鑑賞してた時。
ナナは「えぇっ!?」と、声を上げた。
「どうした! 」
アロイスはすかさず反応する。と、ナナは震えた声で言った。
「ア、アロイスさん。お酒が……」
「お酒が……どうした? 」
「そ、それ……」
ナナは震える指先で、カウンターを指差す。
一体どうしたんだろう。
指差す方向に目を向けると、そこにはお爺さんが飲んだグラスが2つ並んでいたのだが、明らかな異変があって、直ぐに気づく。
「……あっ? 」
どういうことだろうか。
先ほど確かに、お爺さんが一気飲みしたグラス。なのに、中身が全て残っていたのだ。というよりも、飲んだ形跡すらなく、ただそこに2つの新しいカクテルが並んでいるだけだった。
「な、何だ!? 確かに、あのお爺さんは2杯とも飲んだよな……? 」
「はい。一気飲みしてました」
「そうだよな。ど、どういうことだ……」
間違いなく、お爺さんは「旨い」と言って飲み干していた。それは絶対だ。
だが目の前に在る作りたてのカクテルもまた事実。お爺さんは、魔法使いか何かでカクテルの中身だけを戻したのだろうか。そんな意味のないことをするだろうか。
「何をしたんだ、あの爺さん。まだ外にいるかもしれん! 」
キッチンから飛び出し、玄関の扉を開くが、目の前には月明かりが照らす林道が見えるばかりで、お爺さんの姿形は既に無かった。
「いないか……」
店内に戻り、お爺さんが座っていたカウンター席に腰を降ろす。ナナも隣に座り、並んだ2つのカクテルを不思議そうに眺めた。
「あのお爺さん、何者だったんでしょうか。一体、このカクテルは……」
「分からんなぁ……。狐につままれた気分だよ……」
2つのうち1つのカクテルグラスに触れる。ヒヤリとした触感。持ち上げてみる。水面が揺れて、重みもある。間違いなく自分が作ったカクテルに違いない。
「……とりあえず、このカクテルは冷蔵庫に仕舞っておこう。明日に爺さんは来ると言ってたし、どんなトリックを使った聞いてみるよ。グラスを持ち逃げされたら最悪だが……」
もし持ち逃げされた折角プレゼントしてくれたお客さんにどう言い訳したものか。色々な意味で頭が痛む客だった……。
「今日は帰って休もう。なんか色々と疲れてしまった……」
「そうですね……。明日にお爺さんが来てくれることを信じて、帰りましょうか……」
カクテルを冷蔵庫に仕舞うと、明かりを消して、ようやく帰路についた。
(あの爺さん、本当に来てくれるんだろうな……)
とんでもないお客に散々振り回されてしまったが、何とか一日を終える事が出来て良かった。
だけど、本当にお爺さんはまた来てくれるかな。そんな心配をしつつ、二人は自宅に到着するとゆっくりと眠りについたのだった。
……そして、次の日の朝。
アロイス、ナナ、祖母の三人が自宅でいつものように朝食を摂っていると、まだ早朝だというのに、コンコンと玄関の戸をノックする音。誰か、来客の姿があった。
「私が出てきますね」
ナナが朝食途中で足早に玄関に向かい、戸を開く。するとそこには全身黒ずくめの警衛隊員が二人、険しい表情をして立っていた。
「おはようございます。こちら、ネーブルさんの自宅でよろしいでしょうか」
「えっ。あ、はい。そうですけど……」
警衛隊が何の用だろうか。
すると、彼らは言った。
「最近酒場を開いたアロイス・ミュールさんも、此方にお住まいですよね」
「……えっ。は、はい。そうですけど」
どうやら、彼らはアロイスに用事があるらしい。




