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最期の一杯(1)

【2080年5月14日。】


「……ありがとうございましたっ! 」


 ナナの一声で、店内に残っていた最後の一人がようやく店を出たのは、深夜24時を回っての事だった。


「つ、疲れましたぁ……」

「ご苦労様。今日はちょっと忙しかったな」

「さすがに眠いです……」


 ナナは中央のテーブル席にヘナヘナと腰を下ろした。今日の来客数は相当なもので、あちこちから「店員さーん」と呼ぶ声が響き、アロイスですら注文を数回間違えそうになるくらい混乱を極めたのだから無理もなかった。


「明日は畑仕事も無かったよな。家に帰ったら風呂に浸かってゆっくり休もう」

「そうですね。お風呂で寝ちゃわないと良いけど……」


 ふわぁ、と大きな欠伸をするナナ。

 その様子を見たアロイスは、

「本当にお疲れ様」

 と、言いつつ、小さなグラスを大事そうに磨いていた。


「アロイスさん、そんなグラスありましたっけ?」


 きらきら光るグラスを見て、首を傾げるナナ。

 閉店間際の薄明かりの中でも七色に反射していて、何とも綺麗だ。


「ん、これか。今日のお客さんから貰ったんだよ」

「お客さんからのプレゼントですか」

「うむ。しかも、俺の名前が彫ってあるんだ」

「……えっ! 」


 ナナは立ち上がって、キッチンカウンターに近づいた。アロイスが「見てみろ」とそれを手渡すと、落とさないよう細心の注意を払いながらグラスをクルクル回してみれば、側面の一部にアロイスの名前が確かに刻まれていた。


『aloys mule』


 グラスの側面に小さく描かれた剣の絵に、被さるよう名前が書かれている。グラス自体も高価そうで、そう安くない品だと素人目でも分かる。


「凄いですね、これを貰ったんですか」

「開店祝いだってさ。こういうのって本当に嬉しくなるよな」

「そうですね。アロイスさん、町の皆さんに人気者になってますよね♪」


 何だか自分のことのように嬉しくなったナナは、笑顔を見せて言った。


「そう言って貰えると嬉しいよ。これはしばらくの間、ココに置いとこうかな」


 一応グラスは丁寧に磨いた後で煌く酒瓶が並ぶ酒棚の脇に置いてみたりした。


「いい感じだと思います。しばらく飾っておくんですか?」

「飾るだけじゃなくて、たまには使うけどね。くれたお客さんと酒を飲んだりするのに使おうかなと」

「なるほど、凄く良いと思います」


 実用品なんかをプレゼントした側は、された側が使っているのを見た時くらい嬉しいことはない。きっとプレゼントしたお客さんも喜んでくれるだろう。


「うん。じゃ、そろそろ閉店にして帰ろうか」

「そうですね」

「他のテーブルの明かりを落としてくれるかな。俺はカウンター側から落としておくよ」

「はい~」


 1つのテーブルに1つずつ乗せられた、丸型ガラスに蝋燭を模した洒落たランプ。アロイスとナナは、それらの明かりを消して回った。


「……よし、これで最後だ。暗くなるから足元気をつけてなー」

「はいー」


 そして、カウンター席の最後の1個を消そうと手を掛ける。が、その時だった。


 ガチャッ、ギィィ……。


 鈍い音を立て、突然、玄関の扉が開いた。


「えっ?」

「おや……」


 二人が扉に目を向ける。と、そこには立っていたのは老いた男だった。

 彼は灰色のハンチング帽を被り、眉と、鼻下から顎まで立派なフサフサの白髭を伸ばし、何とも優しそうな顔をしたお爺さんだった。しかし顔色は若干赤いように見える。


「ん、お客さんですか。すみません、もう店仕舞いでして」


 アロイスが断ろうとすると、お爺さんは、

「ファッファッファ!」

 と、爆笑しながら、フラフラと歩いて、残り1つだけランプが点灯していたカウンター席に勝手に腰を下ろした。


「店主、酒を飲みたいな! 一杯だけ!」


 口ぶりが明らかに酔っ払いのソレだった。顔が赤い理由はそれか。


「……お爺さん、店仕舞いなんですよ。明日改めて来て貰えれば嬉しいのですが」


 ナナも疲れていることだし、早く店を閉めておきたい。

 ところが、その話をしてもお爺さんは気にせずといった様子で、未だ「酒をおくれっ!」と言った。


「お爺さん、今日は店仕舞いでして……」

「ファファファッ、ここは良い酒場じゃと聞いてな。少しだけ酒を飲ませておくれっ!」

「言葉は嬉しいんですけどねぇ……」


 一点だけ明かり灯した薄暗い店内に、陽気な爺さんと疲弊した店員と店主。何とも形容しがたい図だが、この爺さんは飲ませるまで帰ってくれない気配だった。


「……仕方ないですね」


 ナナを見つめ、手で仰いで「座っていて良いよ」と伝える。だが、頑張り屋のナナは首を横に振って、笑顔でお爺さんに近づき注文を聞いた。


「お爺さん、いらっしゃいませ。ご注文は何にしますか?」

「おっ、可愛らしい店員さんじゃな。ふむ、ご注文は……旨い酒が良い!」

「美味しいお酒ですか。お任せということで良いでしょうか。おつまみは何か?」

「うんにゃ酒だけじゃ。酒、酒、酒っ!」


 お爺さんは片腕を伸ばし人差し指を立てて、それをゆらゆら動かして踊るように明るく振舞う。


「ふふっ、承知いたしました。アロイスさん、聞いていらっしゃったと思いますが、以上だそうです」

「旨い酒だけの注文って、中々難しい事を仰る爺様ですな……」


 旨い酒なんか人によりけりだ。

 といっても、その人に見合う酒を作るのも酒場店主の仕事だろうが。


(この爺さん、既に顔が真っ赤で出来上がってるから、あまり度数が強いのは出せないよな。だけど高齢の方々はウィスキー類でいうバーボンやスコッチなんか強い酒をガンガン飲んできた世代だ。生半可に凝ったカクテルを造るより、ストレートで出したほうが良いだろうか)


 いざ酒を出すとなると、乗り気じゃないにしろ店主という立場上、本気で考えてしまう。


「……お爺さん、ご出身はどちらで?」


 情報に探りを入れる。お爺さんは笑顔で、

「北方大陸じゃ!」

 と、だけ答えた。


「北方とはノースフィールズですか。北方大陸なんて珍しい名前をお使いになりますね」

「そうかね、ふぁふぁふぁっ!」


 北方大陸とは、セントラルフィールズを中央大陸として、東西南北それぞれを東方、西方、南方、北方に大陸を付け合せ呼称したものだ。

 今はイースト、ウェスト、サウス、ノース、セントラルフィールズと呼んでいて、旧名で呼ぶ人を初めて見た。


(ふむ。しかし北の国か。なら……)


 情報はそれだけで十分。ピンポイントなカクテルにはならないかもしれないが、北国の地方出身なら、その国で作られた酒を使ったカクテルにすればいい。


「承知しました。では、お待ちください」


 今回作るカクテルに用意するのは3つだけと非常にシンプル。

 ウォッカ、レモンジュース。それと、キュラソー・リキュールという、オレンジ果皮をアルコールに漬け込み、砂糖と水を加えて煮詰めた甘いリキュールだ。キュラソーには多様なカラーバリエーションがあるが、今回は『白色』をチョイスする。


(材料もシンプルならば作り方も簡単だ。今回はバー・スプーンじゃなくて此方を使うが)


 カクテル・シェーカー。

 主にステンレスを素材とした銀色の、楕円かつ水筒のような形をした酒を混ぜるための器具。

 酒を注ぎ入れ、上下に振ることで酒を混ぜることに特化したもので、カクテルを作るといえば、やはりこのシェーカーというイメージが強いのではないだろうか。

  また、周知されている誤解としてシェーカーは特段強く『振り抜く』ことはしてはならない事をご存知だろうか。酒によりけりという事もあるが、実際には繊細に行わなければならない作業なのだ。


(ナナの親父さんが遺した王印のシェーカーは、魔力も宿った特製銀を使ったおかげで多少乱暴にしても旨い酒は出来る。だけど、だからこそ繊細に混ぜ合わせれば極上の味わいが生まれるんだ)


 まずシェーカーの栓を開いて『氷』を投入する。軽くまわして全体が冷えたら、先ほどのウォッカ、レモンジュース、キュラソーを適量注ぐ。酒が零れないように栓をきっかりと閉めて、利き手(右手)親指で蓋部分を、逆手(左手)の中指で底面をガッチリ固定する。


 そして、例の動作を行う。

 利き腕と逆側の肩前方にシェーカーを構え、その位置を基点とし、斜め上に振って、基点に戻す。次に斜め下に振り、同様に基点に戻す。腕全体を振るのではなく、手首のスナップを意識して振ることが重要である。


(本当はシェーカーの前準備とか色々あったんだけど、片付け終えてたし、そこだけは勘弁してくれ爺さん……)


 そう思いながら、アロイスはシェーカーを振った。

 カッカッカッ、カッカッカッ。

 軽快な音を立てる。そして、十何回ほどシェーカーを振って終えると、カクテルグラスに、中身を注ぐ。


「……できました」


 カクテルグラスに生まれた今日の宝石は、少し透き通る白濁色のカラー。

 名称は『バラライカ』。

 北に伝わる楽器をモチーフにしたカクテルである。


「お待たせしました。バラライカです」


 グラスをスライドさせて、お爺さんの目の前に置く。

 と、彼は「洒落たもんが出てきたな!」なんて大声で笑った。


「度数が若干強いので、ゆっくり飲んで下さい」

「ほう」

「果皮を煮詰めたリキュールを入れてあるので、ふわっとした柑橘系の香りと、僅かな甘みがあります」

「ふむ」


 カクテルの説明をしながら、お爺さんが酒を飲む様子を伺う……が、しかし。


「ですが、果皮を利用しているためあっさりとしていて……て、うぉおっ!?」


 説明している途中、お爺さんは「ファファファ」と笑いながら、度数20を越す強力な酒を一気に飲み干したのだった。



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