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19.新たなるスタートライン

 

「何ですって……」


 アロイスは起き上がり、テーブルから顔を半分だけ覗かせて言った。


「別に酒場経営を薦めるわけじゃないけどね、アロイスさん言ってたじゃないかい」

「な、何をです?」

「田舎生活がしたいって。それを踏まえて、アロイスさんがこの町に根を下ろすは悪い話になるかね」

「それは悪い話じゃないですけど……」


 社交辞令や空世辞じゃなく、それは本心から思う。

 大自然の中、空から見えた景色に感動を覚えたし、まだ行ってみたい場所もある。過ごし易い良い町だと知っている。それに、もう既にこの町には慣れ親しみ始めている自分がいる。


「むしろ俺は、この町が好きになってるくらいです」


 それを正直に伝えると、祖母は。

「それなら…」

 と、笑みを浮かべて言った。


「アロイスさん、こんな言い方したら拒否する事を億劫にしてしまうかもしれないけど言わせて欲しいよ。アンタがこの町を気に入ってくれたのなら、少しばかり根を下ろすのも悪くないと思うさね。でも、アロイスさん自身どうしたいのかだけが重要だよ」


 祖母から放たれる優しい言葉。

 するとナナも「そうです!」口を開いた。


「そ、そうですよ。お酒だってアロイスさんが見つけてくれなかったら、ずっと気づけず朽ちていたと思います。ですから、アロイスさんがやりたいようにやるのが一番だと思います」


 アロイスは二人の台詞に「二人とも…」と呟く。

 そして最後、心が揺れ動いているアロイスに、ヘンドラ―はその腕を強く掴んで言った。


「アロイス、二人がこう言ってるんやで。でもな、ワイが誘っておいてアレやが、二人の話を聞いてて分かったわ。やっぱり、自分がやりたいことをやることが一番や。無理やり誘ってるわけやし、嫌ならワイも諦める。せやけど、酒場やるならワイが本気でバックアップするってのは約束する」


 ここにきて、急に弱気な発言するヘンドラーだったが、これも作戦だった。

 これぞヘンドラ―流、押して駄目なら少しばかり引いてみろ作戦である。

 人の心理は不思議なもので、あれほど押された事に対し急に引かれると、引かれた事に何故か惹かれてしまう面がある。しかも昔からの付き合いがあるヘンドラ―だからこそ、この状況に必ずアロイスが食い付くだろうと読んでの言動だった。


「……っ」


 ここまで言われては、否定し続けた酒場経営について嫌でも想像してしまう。

 俺はこの町で酒場を経営するというのか。経営なんて出来るのか、と。


(誰がたまたま落ちてきた町で、どうして酒場を開く話なんてされると思う。そもそもはヘンドラ―が余計な事を言わなければ……。っと言っても正直なところ、田舎で酒場を開く生活ってのは、どこか憧れる所もあるんだよな……)


 やりたい気持ちはゼロじゃない。それに自分には頼もしいバックが居る。これ以上の心強い味方はいないだろう。となれば、やらない理由はないのだが……。


(ふむ……)


 アロイスはヘンドラ―を向いて言った。


「お前、例えば俺が酒場を開くとしてどんな経営方法を考えているんだ」


 その問いにヘンドラ―は、直ぐさま答えた。


「優秀な酒蔵と、アロイスの元冒険者という肩書を活かすつもりや。あ、部隊長という事じゃなくて『元冒険者』ということな。ワイが元冒険者のイメージで世界中の酒を集めて酒蔵に詰めるから、それで色んな酒を売れるようにする。あとはアロイスが渓流で釣った魚とか、この町の産物も日替わりで活かしたりって考えとる。どや、面白そうやろ」


 なるほど。良く考えられている。悔しいが惹かれてしまう。面白そうだ、楽しいだろうと想像が尽く。

 それにしてもこの男ヘンドラ―、本気で酒場をやらせるつもりでいるようだ。


「く、悔しいけど面白そうだ。だけどもな……」


 イマイチ踏み切れないアロイスは、様々な質問を投げつけようとする。

 しかしヘンドラ―は「待てや」、アロイスの両肩を掴んで言った。


「この地に落っこちたアロイスは、ナナちゃんらと出会った。ワイも来て、興味ある事に手を出すチャンスを得たというのに、元冒険者がそんな億劫でええんか。行く宛もないんなら、ちょっとは冒険者時代と同じように興味を持った事には挑戦してみたらどうや」


 その言葉に、アロイスは「うっ」と声を漏らす。

 こいつ、上手く心を燃やすような事を言ってくれる。


「……じゃあ、俺が店をやると言ったら、どこに店を建てるつもりだ」


 アロイスは小さな声で訊く。

 と、ヘンドラ―は「あの廃屋と土地を使おうや」と答えた。


「おい、それはだめだ。ナナと婆ちゃんの思い出の場所だぞ、そんな使えると思うか」


 アロイスは否定するが、ヘンドラ―は祖母に「ええですよね」と聞くと、祖母はさっきと同じで軽い感じに頷いた。


「構わないさね、使えるなら使っていいよ」


 呆気ない回答に、再びアロイスはずるりと床に転んだ。


「え、ちょ。思い出の土地ですよ、そんな軽く決めていいんですか」

「別に良いよ。使い道もない土地だし使っておくれよ」

「つ、使っておくれって。ナナも、そんなん軽い感じでいいのか」


 ナナは「全然良いと思います」と答えた。


「ンな馬鹿な。本気で俺が店をやる流れじゃないの、これ……」


 唖然とするアロイスの隣、ヘンドラ―はニヤリとほくそ笑み、ぽんぽん肩を叩いた。


「結局お前の運命はこうなることに決まってたんやで」

「……おい、おいおい。本気かよ」

「本気や。それとも何だ、ここまで色々話をして断るんか?」

「ずりぃぞ、お前……」


 今さら断れない流れだ。それに自分自身、無理にでも断ろうと思えば断れたと思うが、いよいよ反論しない辺り、きっと、そういう事なんだろう。


「分かったよ。分かった、どうせ俺は行く宛なし、根なし人間だ。ちょっとばかし元冒険者の酒場店ってのをやらせて貰おうか……ね」


 ついに観念したアロイスは、大きく項垂れるが、その瞳の奥は、どこかやる気に満ち溢れていた。


 そして、ついに了承を得たヘンドラーは「っしゃ、オラァアッ!」と、大声でガッツポーズをすると、テーブルに置いていた魔石プレートを引き寄せ、物凄い速度で何かの計算を始める。専門用語ばかりで何を目的とするのか理解できなかったが、それを書きながらヘンドラ―のブツブツとした独り言で模索している事だけは分かった。


「この町の工務店に建築は依頼。食い物の店も多かったし、自給する店があるなら、卸売の一部の依頼もして地元貢献に携われる。そうすりゃ地元民の客も来てくれるだろうし……」


 ふん。ヘンドラ―なりに地元に活気を沸かせる考えは持っていたんだなと少し感心した。

 しかしアロイスは、算段するヘンドラ―の頭に手を乗せ、一応の忠告はした。


「ヘンドラ―。言っとくが、俺がここで店を開いたって、俺の名前を使って周知すんなよ」

「えっ、何でや。お前が店を開いたって書けば有名人やし客もがっぽがっぽやろ」

「いつかバレる事だろうけど、最初は大人しくやりたいんだ」

「せやけど」


 ヘンドラーはどうしてもスタートダッシュを決めたかったらしいが、アロイスは真剣な表情で、

「この話を受けないなら俺は店はやらない」

 と、絶対的な意見を伝えた。

 その勢いに圧倒されたヘンドラ―。渋々とはいえ了承して頷く他はなかった。


「それと、ナナとお婆さん」


 ついでにナナと祖母にも伝えることがあり、アロイスは二人に話しかける。


「酒場をやる以上、土地使用料と自分が買い取る酒代は絶対に受け取ってもらいます」

「……別に気にする事はないんだけどね。酒代だって、売れたお金から差し引くだけで」

「いえ、そういう事を疎かにしてはいけませんから」


 そう言うと、アロイスは手のひらを拡げ『五』本の指を祖母に向けた。


「あまり高値で言っても二人は受け取ってくれないでしょう。毎月土地の使用料の他、売上の5割は受け取って下さい。売上がない場合でも、絶対に土地使用料は受け取って貰います」


 土地使用料に加えて、それに売上の5割とは。

 マージンを受け取る側にとって良い意味での衝撃的な価格付け。

 ナナと祖母は「貰うには高過ぎる」と、首を横に振った。


「では、この話は受けられません。これは絶対だと考えていますから」

「本当にそんなに高値はいらないんだよ。私らの優しさとして受け取ってくれないかい」

「それは出来ません。今度は私から二人に御礼をしたいのです」

「そうは言ってもねぇ……」


 本来ならナナたちにとって、棚からぼたもちと言うべき案件だ。ただ、欲のない二人が受け取るにはあまりにも受け入れる事が出来ない額だった。


「んん、うーん。じゃあ、こうしたらどうだい」


 祖母は、思いついた案を提案した。


「ナナが、アロイスさんの酒場でお手伝いするってのはどうだい」

「え、私?私は全然良いけど……」


 対してアロイスは「いやいや」と、断りを入れる。


「一人で大丈夫ですよ。お手伝いまでされては……」

「ナナはずっと畑仕事ばかりで社会経験が無いんさ。だからアロイスさんの場所で社会経験させてくれないかい」

「あぁ、そう仰られると。しかしですね……」


 大事なのはナナの気持ちだ。

 アロイスは本当に自分と仕事をしたいのか尋ねた。

 するとナナは二つ返事で「はいっ、大丈夫です」と答えた。


「大変な仕事になるかもしれないぞ。本当に良いのか」

「私は構いません。だけどアロイスさんが、私が居てご迷惑なら……」

「い、いや。ナナと仕事出来るならこれほど嬉しい事は無いよ。ナナが良いなら大歓迎だ」


 本当のことだ。ナナと仕事が出来るなら嬉しい他ない。

 ナナは彼の台詞を聞いて「あう……」と、少し顔を赤くした。


「ではナナにお手伝いして頂きます。そしたらお金は受け取って頂けますね」

「……うんにゃ、もう一つ在るよ」

「っと、他に何かありましたか」


 受け入れられることは受け入れる。お金を受け取ってもらうのなら、祖母のお願いは聞いてあげたいと思うが―……。


「アロイスさん、どうせ住む場所がないなら家に居候しな」

「……へっ? 」


 予期せぬ言葉である。

 一瞬ばかり頭が白くなるアロイスは、ついでに隣のナナまでも呆気に取られた。


「……この家に居候しろと」

「一週間もいたら、後はずっと居ても一緒さね。どうだい」

「た、滞在するのと、先に見えない居候は大分違いますよ。普通に住むって事ですよ?」

「そうだよ」

「そうだよって……」

「別に良いじゃないか。ナナだって喜ぶし、女二人で住むよりよっぽど安心だよ」


 いつもならナナは「お婆ちゃん! 」と声を上げるはずが、この時ばかりは何故か沈黙し、アロイスを見つめていた。


「確かに俺はこの家とお二人は大好きですけど、居候といえばまるで家族と一緒ですよ」

「好きなのかい。なら決まりさね。汚くて狭い家だけど、それでも良いかい」

「狭くて汚いって……そんな事はありませんよ。温かくて良いお家です。ですけど……」

「くどいさね!」

「えぇっ!?」


 祖母はテーブルをバンと叩いた。


「新しい家族のパーティをするよ! 腹も減ったし、ナナ、料理の準備さねっ! 」


 かなり無理矢理に、アロイスの断る隙も与えないよう詰めて言った。


「う、うんっ。お婆ちゃん! 」

「アロイスさん、お酒も飲むだろ。今日の酒は美味しくなるよ! 」


 アロイスが「あ、あの……」と戸惑っている間、祖母は返事も聞かず、ナナを押してキッチンに消えて行った。残されたアロイスとヘンドラ―は彼女たち圧倒され、ストンと椅子に腰を下ろすと、一瞬の間の後で思わず笑ってしまった。


「ぷっ……なははっ! 」

「ククッ……ハハハッ! 」


 大声で笑い合う二人は、肩を叩き合う。


「ワイが誘っておいてアレやけど、中々大変な家族が出来たようやな」

「ああ、出会って短いけど優しい二人だよ。だけど、こんなトントン拍子で良いのかどうか」

「なーに、運命なんか一瞬で変わるっていうのは、俺もお前もよーく知ってるやろ」

「……それは嫌っていうほどに知ってるよ」


 彼の言う通り、運命が変わるなんて一瞬の出来事だ。

 特に生死を切り抜ける冒険者に身を置いていた自分は、自分が体験するだけじゃなく、他人についても、あらゆる生に関する運命の切り替わりを目の当たりにしてきた。


「……まっ、こうなっちまった以上は腹を決めろや」


 拳を突き出すヘンドラー。アロイスは同じように拳を構えて言った。


「覚悟は決めるさ。バックアップを全力で頼むぞ」

「当たり前やろ、任せとけ。ワイも儲けるつもりやから、着服するんやないぞ」

「こっちの台詞だっつーの」


 ごつんっ。拳をぶつけ合う二人。

 この瞬間、拳の音はアロイスの『酒場計画』が始まったのだ。


「頼むぜ、相棒」

「任せろや、相棒」


 この日、4月10日。

 やがては世界を巻き込む酒場店主『アロイス・ミュール』の新たな人生が始まったのである。


 そして、次の日には、腕利きのヘンドラ―は計画を形とするべく足早に行動を開始する。


 むろん一件の酒場を建てる事は容易ではなく、様々な問題も発生したが、ヘンドラ―とアロイスを主軸に、ナナ、祖母、加えて商店通りの住民たちにも協力を仰ぎ、酒場は早急に形を成していった。

 特に問題視していたゴブリン工務店の店主カパリについてだが、実際のところ、文句を垂れつつも本気で仕事に従事してくれた事が大きかった。


 やがて、1ヶ月後。


 光指す丘の下、彼女たちの思い出の土地に建った新天地にて、いよいよアロイスの新たな挑戦が幕を開けるのだった。


 …………

 ……

 …



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