涙の酒(2)
……それから数日後。
【2080年10月7日。】
カントリータウンは、大雨と風が吹き荒れる嵐に見舞われていた。古時計が21時を告げたと同時に、ナナは「暇ですねぇ」と呟いた。
「今日は暇だな、確かに。外も大荒れだからなぁ……ふぁぁ……」
アロイスも眠たそうに欠伸する。今日、まだ21時だというのに酒場には客がいなかった。
「うーん、このまま店を開いててもしょうがないよなぁ」
「そうですね。今日は閉めちゃいますか? 」
「少し早いけど終わりにしようか」
せめて22時前くらいまでは粘ろうと思ったが、今日ばかりは見込みがない。アロイスは手をぱんっ! と叩いて、店仕舞いだ、と言った。
「でも勿体ないですね。仕込んだお料理とか残っちゃってますよね」
ナナはカウンター側に入って、肉が美味しそうに煮込まれた大鍋を覗きながら言った。
「これは家で食べれば良いさ。お婆さんも喜んでくれそうだし」
「あっ、それは良いアイディアですね♪ 」
「それでも余ったら別の料理にしたりして日持ちさせるさ。取り敢えず今日は店仕舞いするから、軽く掃除だけ頼むよ」
「はーい、分かりました! 」
アロイスは大鍋を煮込んでいた火を消し、カウンターに目立つよう並べていたオススメの酒を背後のラックにに仕舞って、キッチン周辺を掃除する。ナナも、テーブルと、床の掃除を簡単に済ませた。
「終わりました、アロイスさん」
「さて、明かりも消しちまうけど、忘れ物とかは無いよな」
「大丈夫です」
「分かった。それじゃ全部消すぞ」
テーブルに置かれた魔石ランプのスイッチを次々と消して、後は最後のカウンター一席を残すだけ。それに指を掛けてスイッチをオフにしようとするが、その時だった。
「おや……? 」
ガチャリ、と。店の扉がゆっくり開き、そこに、男性が一人立っていた。
「お店、やってますか……」
店を閉めようとした矢先のお客さんらしい。正直アロイスは断ろうとも考えたが、彼の姿を見て、直ぐに考えを変えた。
その男性客は、大雨の中を傘すら差さないで歩いてきたのか、全身が酷く濡れていた。本当は整った顔立ちだろうが、顔の形が変わるくらい腫れた頬は涙を流し続けたのだろう。大きめの腰のベルトに巻かれた銀色に片手剣と、道具入れに背負ったズタ袋は冒険者の証。それなりに若い冒険者の気負いすぎた雰囲気に、只事ではないと察する。
「ナナ、タオルを彼に渡してくれるか」
ナナも彼の異様な雰囲気を理解して、客の為に用意していた乾いたタオルを素早く手渡す。男は、小さく「ありがとう」と、返事すると、それを使って力無く髪の毛と顔を拭いた。
(この客はもしかして……よし)
アロイスは男の傍で、一つだけランプに照らされたカウンター席を指差して、言った。
「今日はお客さんで最後の客です。俺は看板を下ろして来るから、お客さんは明かりの点いてる席に座っていてくれますか」
男は体を拭きながら頷いた。本来、客が居る間に閉店するなんてとんでもない話だが、敢えてアロイスは彼を思って敢えて閉店を決めたのだった。
「タオル、どうも……」
アロイスが外に出た一方で、男は身体を拭き終えたタオルをナナに渡す。それを受け取ったナナは「こちらへどうぞ」と、明かりの点いたカウンター席に案内した。
男はゆっくり席に腰を下ろし、持っていたズタ袋と銀色の剣も床に置いた。その間に、キッチンに立ったナナは、水を注いだグラスを「店長が戻るまで少々お待ち下さい」と男に差し出した。
「どうも」
男は小声で返事する。ゆっくりとテーブルに手を伸ばし、水を一口飲みながら店内を見渡した。
「……おや、あの剣は」
少し狭い店内の端っこに、どう見ても邪魔だろうと思う巨大な剣が掛けられていたことに気づく。剣身150cm、横幅20cm前後はある。最早、斬り掛かるより側面で相手を叩いたほうが早い気がする代物だった。
「随分と見栄っ張りな剣だな……」
男は無表情で言う。ナナは「あの剣ですか? 」と、それについて説明した。
「えっと、あれはアロイスさんの現役時代に使っていた大剣ですね」
「ということは、店主は冒険者だったってことかな……」
「そうですよ。アロイスさんは、とーっても強いんです」
「へぇ。あれが使っていた剣ねぇ……。クク……嘘をつくにも程がある、馬鹿らしい……」
男は心底馬鹿にして言った。それを聞いたナナは、男の様子がおかしいと分かっていても、少しムっとしてしまった。
「どうして嘘だと思うんですか」
「あんな大きい剣、使えるわけがないでしょ……」
「そんな、嘘なんて言わないでくださいよ」
「どうだか……。本当だとしても、随分と見栄っ張りの冒険者だ……」
この男に何が合ったのかは知らないが、。アロイスを嘘つき呼ばわりする客にナナはますます膨れ顔になる。すると、いつの間にか看板を下ろし終わったアロイスが会話に割って入った。
「どうもお待たせしました。あのオブジェがお気に召さなかったなら謝りますよ」
「別に気に召さないわけじゃないですけどね……」
「ははは、そう言って頂けると」
アロイスはキッチンに立って、濡れた小タオルで手を拭きながら客に注文を尋ねる。
「さてと、お客さん。まずは何か飲みますかね」
そう言いながら、酒瓶の並んだラックとバックの棚の間接照明を再び点灯させれば、瞬間、暗闇に黒く濁っていた酒瓶たちが息を吹き返したように様々に煌き始めた。
「お、おっと……。酒、想像以上にたくさんあるんですね……」
その品揃えと彩られた美しき光景。今度こそ、この男も良い意味で驚いたようだった。
「そりゃあ少しでもお客さんに楽しい時間を過ごして欲しいですからね」
「そうですか。楽しく、か……。なら、今の俺に合う酒なんか……出せますかね……」
「ふむ、貴方に合うお酒ですか」
落胆した若き冒険者。アロイスが彼の想いを察するのはあまりに容易だった。故に、用意する酒は直ぐに決まった。
「……君に合うお酒はちょっと準備が必要ですね。少し、話しながら時間潰しをしましょうか」
アロイスは酒を準備しながら、男と会話を交わす。
「折角こうして知り合えたんです。名前を聞かせて貰えませんか。俺はアロイス。君の名前は?」
名を尋ねると、男は「バロン」と小さく呟いた。




