プロローグ
「世は冒険時代である! 」
―――英雄冒険家ヘルトの言葉だ。
遥か昔、人間と魔族が熾烈な勢力争いを繰り広げた"古代戦争時代"に残された遺跡群。
忘却するほどの時間の果て『現代』において、それは失われた叡智と宝物が眠る迷宮『ダンジョン』と呼称された。
そして、いつしか眠りについた宝物と名誉は人の夢となって、命を賭す夢の旅人たちが現れる。
世界は彼らを『冒険者』と呼んだ。
故に、英雄冒険家と呼ばれた冒険者の象徴『ヘルト』の言葉を復唱しよう。
「世は冒険時代である! 」
………
…
この物語は、そんな冒険時代真っ只中より始まる。
『M.C2080年4月1日』のこと。
ウェストフィールズに在るダンジョン『空中都市』は、不落とされる屈指の難易度を誇っていた。
朽ちた道、入り組んだ迷宮、危険を挙げればキリはないが、特に冒険者たちに不落とされた理由はただ一つだけ。
「グルッ……! グオォォォオッ! 」
彼方此方に"災厄"とされた凶悪な魔獣、多くの竜たちが支配していたからだ。
翼を拡げて嵐を呼び、片腕を振れば肉を断ち、尾を叩けば地が揺れる。その姿はまさに空の王者そのもの。歴戦の冒険者とて奴らの前には塵に過ぎない。まさに、災厄とされる相手だった。
……しかし今日という日。
世界に名だたる冒険団が挑戦に名乗りを上げて失敗してきた昨今において、この瞬間、とある冒険団が踏破目前と迫っていた。
そして、その奇跡を起こせた理由は時代の進歩か、はたまた、この男のお蔭であったのか……。
「うおぉぉぉオオッ!! 」
竜とも変わらぬ怒号が飛ぶ。
今年26歳を迎えた冒険者アロイス・ミュールが振り下ろした大剣の一太刀は、まるで豆腐を切るように滑らかに竜の肉体を切り裂いた。
それは、竜にとって初めての体験だった。自分の翼を拡げるよりも早く、腕を振るより早く、尾で叩くより早く、敵の刃が自分に届いたと思えば、あまつさえ視界は敵を見上げていたのだ。
「ガ……ッ!? 」
悲痛で渇いた叫び声が漏れる。竜は、身に何が起きたか理解が出来なかった。
ただ訪れるのは、相手が自分を見下しているという屈辱。それと全身に走る激痛ばかりだった。
痛い。痛いと……。これが、痛みというものかと……。
「グ……ッ」
意識が遠のく。何故。とても眠い。敵が目の前にいるというのに、この眠気はどうしたことか。
「……ッ」
……そうか。この眠気は。
竜は、最期の最後に理解した。これが、死であることを。
我慢の利かない眠りへの誘いに、竜は身を任せ静かに目を瞑れば、その巨体は"ズズン"と崩れたのだった。
「うっし、終わったか」
竜を討伐した男、アロイスは竜に近づいて呟いた。上から竜を見下ろすと、どうやら完全に絶命しているようだ。アロイスは「ふぅ」と溜息を吐くと、持っていた大剣をその場で地面に突き刺し、「どっこいしょ」と倒れた竜の左腕に腰を下ろした。
「これで担当は終わり。少し休むとしますかね」
携えた水筒を手に取って水を一口飲むと、竜の返り血に染まった黒シャツで額の汗を拭く。「ううーん」と腕を伸ばすアロイスは、災厄と対峙したというのに表情は余裕に満ちていた。
「しかし、こいつも中々にでかかったな。ハハハッ」
アロイスは笑い、尻に敷いた竜の体をペシペシ叩く。
まるで余裕のように討伐を成したが、実際には討伐した竜はその『腕一本』がアロイスの身長百八十センチに匹敵し、全長十メートルもある化け物である。
「さてと……」
そんな脅威も物ともせずに屠り、アロイスはその腕をベッド替わりに寝転ぶ。
空を見上げて「空のダンジョンはいつも晴れていて良いね」なんて呟くくらいだ。
「眠いな。こんな良い天気、ダンジョンなんかよりピクニックのが楽しいってな」
両腕を後頭部に回し、足を組む態勢は昼寝寸前。温かな陽気にウトウトしたアロイスだったが、眠りに落ちるか否か……と、いうところで「おーい、アロイスさん!」と呼ばれた声に現実に引き戻された。
「ああン、良いところで……」
折角程よい眠気が心地よかったというのに。アロイスは頭を掻いて、ぶしつけに体を起こす。竜の腕に腰かけ、声の主である『フィズ』に「はいよ、終わったんだな」と口を開いた。
「はい!『竜の巣』を制圧完了したそうです!俺も自分の仕事は果たしましたよ!」
大声で答える青年のフィズ。
目立つ赤髪に炎柄のバンダナを巻き、腰のベルトに装備した二本の短剣。鼻筋の通った端麗な顔立ち。笑みを浮かべた顔はまた爽やかだ。
「はいよ、制圧完了ね。怪我人は出たか? 」
「怪我人は何名か出てます」
「重傷者は」
「いえ。アロイス"部隊長"の下した配置のお蔭で、重傷者は出ていません」
フィズは嬉しそうに言った。
アロイスは「そりゃ何より」と立ち上がると、地面に刺した大剣を抜き、自身の肩に乗せてトントン鳴らす。
「ご苦労さん。で、このダンジョンに眠るっていう宝は見つけたのかい」
「それについては別動隊が捜索中ですが、きっと直ぐにでも連絡が来ると思いますよ! 」
「直ぐに、ね。ふむ……」
それを聞いたアロイスは自身の黒い短髪をワシャワシャと掻き毟る。
……うーん、宝が見つかって欲しいような、欲しくないような。
そう、呟いた。
「えっ、見つかって欲しくないってどういう意味ですか。だって、もし発見されれば! 」
「分かってるよ。それは分かってるんだが……」
何故かアロイスは苦笑する。
その妙な態度にフィズは尋ねようとするが、その時。
遠くから「部隊長さーん、連絡ッスー!」と元気の良い声が響いた。
「やった、部隊長さんいたッス!お疲れッス!」
慌てた様子で現れたのは『 リーフ 』という少女だった。
黄色掛かった髪の毛は後ろで結ってポニーテール。
幼い顔つきは可愛らしい子供そのもの。
だが、彼女に子供かな? なんて、一言でも言ったが最後。背負っている巨大な銀色のハンマーが飛んでくるので注意されたし。
「おうリーフ、お疲れっす」
アロイスはそれを知ってて、早速ぽんぽんとリーフの頭を撫でた。
「な、何で頭を撫でるッスか!? 」
「可愛いからっす」
アロイスの言葉にリーフは「えへへ~」と笑う。
だが、直ぐに我に返って。
「そうじゃなくて! 」
と、声を上げた。
「いやいや、リーフちゃんは可愛いからつい撫でたくなっちゃうっす」
「そ、そんなこと言わないで下さいッス! 」
「俺から見たら可愛いのは本音っす」
「う、うぅ……。な、なんか意地悪ッス……」
恥ずかしくなったのか、人差し指をクルクル回して顔を赤くするリーフ。アロイスは薄ら笑いで彼女の頬を指先でプニプニ突いた。
「うにゅ、うぅ……」
リーフはアロイスにされるがまま沈黙する。
しかしフィズに「お前、何か用事があったんじゃないの」と言われた途端、ハっとした表情を見せて、叫んだ。
「そうだ、アロイス部隊長に伝える大事な言伝があるッス! 」
「ことづて? 」
「そうッス。だから撫でるのは今度してほしいッス!」
「撫でては欲しいのね。……で、その言伝とやらは何だい」
「えっと、別動隊がダンジョンの宝物庫らしき場所を発見して、古代遺物『竜の瞳』が発見されたらしいッス!」
それを聞いたフィズは「おぉ、ついにやった! 」と喜びの声を上げる。
しかし、アロイスは反対に「見つかったか……」と、素っ気無い反応を見せた。
「……どうしました? 嬉しそうじゃないですね」
「んにゃ、まぁ嬉しいよ。一応これで俺らの冒険団は世界一になったって事になるんだから」
アロイスは虚ろな目で言った。
「いやいや、全然嬉しそうじゃないんですけど。どうしたんですかホントに。今回のダンジョン攻略結果を連合に出せば、ウチの冒険団は名実ともに世界一に認定されるってことなんですよ。団長も喜びますよ! 」
フィズは興奮した様子で言うが、それでもアロイスは喜ぶような表情を見せない。
リーフも首を傾げて「世界一になって嬉しくないッスか?」と訊いた。
「嬉しいことは嬉しいに決まってる。だけどな、ふぅむ……」
少し困ったようなアロイスは、その場で高くジャンプして竜の遺体の背に飛び乗った。そして一番高い位置で大剣を肩に置き、トントンと鳴らしながら二人を見下ろした。
「……なぁ二人とも、一つ聞きたい。お前らはさ、冒険者として楽しんでいるか? 」
唐突な質問だったが、直ぐに二人は「はい」「はいッス! 」と声を揃えた。
「そうだろうな。俺も楽しんでいるよ。冒険者は夢の旅人なんて言うがその通りだと思う。俺も夢を追い続け、気づけば冒険団クロイツの部隊長。挙句に今日という日、世界一の冒険団の部隊長サンになっちまった」
アロイスは空を見上げて言う。それに合わせて二人は「世界一、そうですよ!」「世界一ッスよ!」とまた声を揃える。
「そうですよ。アロイスさんは最強の部隊長ですよ! 」
「アロイスさんは世界一ッス!それが嬉しくないっていうッスか!? 」
二人は決して過大評価ではない言葉でアロイスを持ち上げるが、本人は「ハハ…」と渇いた笑いをしながら言った。
「世界一か。俺が目標か。嬉しい言葉だ……礼も尽きない。俺もお前らが『副隊長』に居てくれて本当に良かったと思う」
意味有り気な台詞を吐く。リーフは「当然ッス! 」と答える。しかし勘の鋭いフィズは、その言葉を聞いて何かを感じ取る。
「アロイスさん待って下さい。今の言葉は……」
まさか、という感じに言う。世界一になっても喜ばず、いつもの調子が見えないアロイスにフィズは一抹の不安を覚えたのだ。
「ん、今の言葉が何だ? 」
「いえ、気のせいならいいんですけど……」
この時、フィズの嫌な予感は当たっていた。
……そう。既にアロイスには『ある考え』があったのだ。
それは冒険団が『世界一』を迎えた時、いつ何時においても、必ず決めていた事だった。
「まぁ、話を戻そう。俺は冒険者だ。俺は夢を追うことにはいつだって全力だってことをお前らは知ってるよな」
二人に背を向けたアロイスはゆっくりと左腕を上げる。それは高く、高く突き上げた。
フィズとリーフの位置からは、竜の上に立つアロイスの左腕はまるで太陽を掴んでいるようで、二人はアロイスに羨望の眼差しを向ける。
そして、アロイスは自分を見つめる二人を見て、大きく口を開いて言った。
「お前らに、俺からの"最後"の命令だ」と。
「さ、最後って……、どういう意味ですか!? 」
「何言ってるッスか!? 」
二人は慌てる。アロイスは白い歯を見せて笑い、高く上げた腕の指先をパチン、と鳴らした。
刹那、空の彼方から太陽を裂いた巨大な影が雲を抜け、風を斬って、三人の前に轟音を立ててソイツは現れた。
「グルル……ッ! 」
それは、やや小さいながらも、紛れもなく天翔る災厄の一種、翼竜であった。
「ドラゴン!まだ敵が残ってたッスか!? 」
リーフは背負っていたハンマーをすかさず構える。が、フィズは「待て!」と、その腕を止めた。
「こいつはアロイスさんが使役してるドラゴンだろ。……アロイスさん、一体貴方は何をするつもりですか」
「ま、取り敢えずは冒険者を辞めるつもりだよ。つまり冒険団も辞めるってことだ」
そう言ったアロイスは、降り立ったそれの背に飛び乗った。
「冒険者、冒険団を辞める…!? 冗談でも面白くありませんよアロイスさん! 」
「……部隊長さん、そんな事言うとリーフも怒るッスよ! 」
しかし二人の呼びかけにアロイスは応じず、翼竜に「飛べ」と命令する。大きな翼を広げた翼竜は高く飛び上がり、バサバサと辺りに強い風が舞った。フィズとリーフは強烈な風を前に、飛ばされまいと必死に踏ん張り、アロイスを見上げて声を荒げる。
「アロイスさん!! 本当に辞めるつもりなんですか!?そんなのダメですよ!! 」
「待って下さいッス!! 部隊長さんがいなくなるなんて嫌ッス!!」
切望の塊であるような、二人の強く気持ちの篭った呼び止める声。高く飛んでその様子を見下ろすアロイスは、本当は、これ以上は何も伝えずこのまま飛び立ってしまおうと思っていたが、二人が今も自分に憧れの眼差しを向け続けることに、今までの思い募り堪らず口を開いた。
「……俺はこれから、のんびりと田舎町にでも行くつもりだ」
「い、田舎町ですって!? まだまだ現役でやれるじゃないですか! 」
「行かないでくださいッス! リーフはずっとアロイスさんと一緒にいたいッスー!! 」
まだ自分を求めてくれる二人の声。アロイスは思わず笑みを浮かべる。本当にお前らと冒険が出来て楽しかったと、心底思う。
「だけど決めた事なんだ。俺は俺の夢のままに生きる。すまん、許せ」
アロイスは「行け」と翼竜の首を叩く。
大きく翼を拡げ、翼竜はグゥッ! と唸って飛翔した。
「また会おう、二人とも。このドラゴンは後で冒険団本部にでも、正式な冒険団脱退依願書を持って向かわせっから調教でもしてくれ! じゃあな、またっ!! 」
そう言ったアロイスは、もう二人の止める声に耳を貸すことなく、翼竜と共に一直線に空の向こう側へと消えていったのだった。
「……あぁっ! い、いっちゃったよ」
フィズはその場にペタンと膝を崩し、リーフは下唇を噛んで目を潤ませた。
「嫌ッス……。部隊長さんがいなくなるなんて嫌ッス。嫌ッス!! 」
「俺だって嫌だ!だけど飛んでっちゃったよ……」
「何とかして下さいッス! フィズは副隊長じゃないッスか! 」
「そ、それを言うならリーフだってそうだろうが!! 」
それから二人は何度かつまらない言い合いを繰り返した。しかし答えなど出るはずなく、やがて言い合いに疲れたフィズは頭を抑えながら言った。
「……分かった、分かったよリーフ! とにかく落ち着こう! ギルドマスターに報告するんだ。一緒に伝えよう、部下の皆にも」
「つ、伝えるッス……。でも、部隊長さん本当にいなくなっちゃったッスか……」
「あの人のことだ。考えてみれば、こんな突拍子ない行動を起こしても不思議じゃないっちゃないとは思うよ。だけどさ……」
フィズは、ぴょん! と飛んで、アロイスが立っていた竜の遺体の上に立つと、ため息混じりに言った。
「アロイスさんは、いつか戻ってくると思う。なんたって、世界一の冒険団の部隊長なんだからさ」
そう言うと、竜の遺体の上で「こっちに来いよ」と手招きするフィズ。リーフは「何スか?」と飛んで同じ場所に立ってみると。
「……あっ! 」
リーフは、そこから見えた光景に思わず叫んだ。
「これ、全部アロイスさんが……」
二人の前には壮観な景色が広がっていた。いま自分たちが上っている"災厄"のドラゴンが、何十体という列を連ねて倒れていたのだ。
「リーフ。あの人はずっとずっと強くある冒険者だ。きっといつか戻って来るに決まってるよ」
「……そうッスね。アロイス部隊長はいつまでも不滅ッス! 」
リーフは、両手を強く握り締めたガッツポーズを決めて、目を輝かせて言った。
「そうだよな。だけどアロイスさんの話が本当なら、その田舎町……ちょっとした騒ぎになりそうだよなぁ」
「アロイスさんは知る人ぞ知る有名人ッスからね。それを抜きにしても、アロイスさんのいる場所にはみーんな集まっちゃうッス!」
「そうそう。みんなあの人に惹かれちゃうんだ、不思議とね」
二人は太陽が落ちるその時まで、アロイスの消えた空を眺めていた。
…………
…