深夜のBBQ
「馬鹿じゃないの?」
「ばか」でも「バカ」でもなく、きちんと「馬鹿」と発音した。柚木加奈子は、つまりはそういうタイプの女だったが、そんな柚木先輩が、(また)唐突に言い出した。
「バーベキューをやりましょう」
そういった。
「ああ。いいですね。今週末とか?」
「今よ」
「唐突すぎるでしょ。もう八時ですよ?」
「スーパーマルマるの閉店時間は?」
「21時」
「一時間もあったら、材料を買うには十分だと思わない?」
「場所は? 最近はどこも厳しい」
「ここでいいじゃない」
「この部屋で?」
「大胆ね。あなた」彼女はため息をついた。理不尽。「屋上でやればいいでしょ」
そんなわけで、会社の屋上でバーベキューをしている。バーベキューの器具は、会社の倉庫に保管されていた。なぜだ。倉庫にソファがあったので、それもついでに屋上に運んできた(僕が)。なぜだ。
「星空ってロマンティック...」柚木先輩は年甲斐もなくそんな普通なことを言い出す。「アルタイルとベガのつぎがデネブって、なんか変わってない? ABときたんだから、次はCにすればいいのに」
「ベガの頭文字はVですよ」
専門以外は馬鹿の子だった。
「ほら、私の専門って、固体物理だし?」
「でもまあ、あれも地球からみてるから三角形なだけですけどね」
「そういうわかりきったこという子供、好きじゃないな」
彼女はにっこりと笑う。笑うと魅力的なのだ、この人は。
「はあ」
笑顔を褒めたかったが、焼き肉のたれの臭いが充満している屋上では、いささか言いづらかった。歯に青海苔ついてるし。
「うまくいかないものですね」
「星はきらい?」
「好きです」
これだけは即答できた。
「中学の頃の話、しましたっけ?」
「ドラグスレイブの呪文を覚えてた話?」
「いえ、その黒歴史じゃなくて」
「僕の通ってた中学って、けっこうな進学校だったんですよ」
自分語りをする趣味はないが、しかしそういった趣味がない自分を維持するのにも疲れてきた。ビールはすでに生ぬるくなっていたし、お腹はいっぱいだった。アルタイルとデネブとベガは三角形だった。
「だから、帰りも遅くなることが多くて。補習とかで。だから僕が家に帰るときには、もう暗くなっていて。僕は毎日、星は何できれいなんだろう、って思いながら、家に帰ってたんですよ」
「それが君の原点?」
「なんですかね。あとはおきまりのコース。ブルーバックスとか読んで、宇宙論の通俗本を読んで、そんな感じですかね」
「航空宇宙工学の方にはいかなかったんだ」
「ええ。なぜか。なんででしょうね。そういうのって、なんかアメリカ人じゃないとやっちゃいけないことのように、中学生の頃の僕は思ってたんですよ」
「なるほど」先輩は笑った。「なんとも中学生らしい話だ」
「まあ、工学よりも、科学の方が好きだったんでしょう。解析力学とか好きだし」
「工学系だって解析力学ぐらいやるだろう」
「まあ、そうなんですけどね」
「輝いてる星をみて、その輝きが美しいとか、あの星に行ってみたい、とか。まあ少しは思うんですけど。それよりも、なんであの星の分布は一様じゃないんだろう。天全体が輝いてないんだろう? って思うんだよね」
「いささか技巧的な疑問だな」
「でも、そうじゃないですか? 空間が並進対称なことが運動量保存則に結びつくって、素敵じゃありません?」
「この上なく素敵だよ」先輩はほほえんだ。
「眠くなってきたな」先輩はソファに横になる。
「風邪引きますよ」
「なあに、夏だから大丈夫さ」
狭いソファの上で体を預けあった。一時間も寝たら引き返そう。