第9話 初めての犠牲者
ダンジョンがオープンして3日目の朝。
晴れわたった空の下、今日も多くの挑戦者がダンジョンに挑もうとアメノイワトに集まってきます。
2階層まで到達した挑戦者の女たちも、昨日に引き続きダンジョンに潜ろうと集まってきました。女たちの1人が頬をゆるませながら、仲間の女に声をかけます。
「今日もシバちゃんいるかな?」
「いるでしょう。今日ももふもふを堪能しましょう」
まだダンジョンに入ってもいないのに、イッヌと遊ぶという仲間の女たちに、アツコは苦言を呈しました。
「あんた達、あたい達がダンジョンに潜るのは、ダンジョンをクリアしてヒミカ様に帰ってきていただくためだよ!
遊ぶために、ダンジョンに潜るんじゃないんだからね。気を引き締めな」
「わかってるって。でも、アツコ。
その手に握りしめているボールは何?」
アツコは持っていたボールを仲間に指摘され、慌てます。
昨日、遊んだイッヌ、モデル・アキタと今日も会えるかなと思い、ボールを握りしめていたのです。
「な、なんでもないよ」
「ほんとに?」
「いいから、行くよ!」
頬を赤らめながら、アツコはダンジョンに早足で近寄っていきます。
そんな挑戦者の女たちの横を、今日もダンジョンに挑む子供たちが駆け抜けていきます。
「第2階層にはワンちゃんがいるんだって!」
アスハちゃんが今朝聞いたばかりの話を友達に話しながら、元気にダンジョンに向かって走っていきます。
「待ってよぉ、アスハちゃん。早いよぉ」
キョウコちゃんたちはアスハちゃんに少し遅れて、ダンジョンを目指して走っていきます。
ダンジョンに挑もうとする挑戦者たちが数多く集まったとき、突如ダンジョンの上空に光が煌めき出します。何事だと、挑戦者たちは足を止めて、上空を見上げました。
「なんだい!? あれは?」
「うわー、きれい!」
アツコが呆然としながら上空を見つめ、アスハちゃんは感動した様子で空を見上げます。
それは最初は小さな光でした。
小さな光が数多く空中に浮かび、光は徐々に1カ所に集まり、大きな光の固まりになっていったのです。光が輝きを失っていった後に現れたのは、とても大きな一匹の龍でした。
とても大きな龍が突如現れた事に、ダンジョンに挑戦しようとしていた挑戦者たちは空を見上げて固まってしまいました。
固まってしまった挑戦者たちに見向きもせず、とても大きな龍は、天に向かって大きな咆吼をあげます。
「ぐぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
とても大きな龍が咆吼をあげたことで、空は晴れているのに、小さな雨が落ちてきました。
そして、龍は挑戦者たちに何もすることなく、バチ、バチと紫電をその身に走らせながら、飛び去っていきました。
「な、なんだったんだい?」
アツコは龍が飛び去った方向を見て、つぶやきます。
そのつぶやきに答える者は誰もいませんでした。
◆
ヒミカたちは300階層にて、朝食を食べ終わった後、本日の予定を伝え合います。
ニミはダンジョン内の罠の設置を手がけることを、クッチはダンジョン内の監視体制を整えることをヒミカに伝え、それぞれの仕事に出かけました。
ヒミカとタキリは、特にすることもなかったので、何をしようかと話し合います。
「タキリちゃん、何かしたいことはありますか?」
ヒミカの問いかけにタキリは、首をひねりながら、答えます。
「私は特に……。
私はヒミカ様のお手伝いをしたいです」
「そうですか。では、今日はダンジョン内の視察に行きましょう。
昨日までの調子なら、第3階層に到達する者が出てくるまでは、挑戦者たちの動向は放っておいても良いでしょう」
ヒミカは、第3階層に挑戦者が訪れたらわかるように、ダンジョン作成キットで第2階層と第3階層の間にセンサーを設置します。そして、そのセンサーが反応したら光るブレスレットもダンジョン作成キットで作り出し、自身の左手首にはめました。
「それではタキリちゃん、ダンジョン内を見て回りましょう」
「はい!」
タキリは大きな声で返事をし、ヒミカと一緒にダンジョンの上の階層へと向かいます。
座敷童兼家政婦のチョコが「いってらっしゃいませ」とヒミカたちを送り出しました。
◆
ヒミカとタキリは階段を上り、299階層へと訪れました。
そこは果ても見えぬ、広大な空間でした。天井は暗く、まるで夜空のように所々に星がきらめいています。
「ふわわ、すごいです!
ヒミカ様、ダンジョン内とは思えない空間ですね!」
「ふふふ、その通りです。
このダンジョンの最後の階層として、挑戦者の人たちを驚かせようと思ってがんばりましたから」
えへんと胸を張りつつ、ヒミカは得意げな表情をし、タキリはヒミカを褒め称えます。
「さすがはヒミカ様です!」
「ええ、それにこれには挑戦者を驚かすだけではなく、当然、他の理由もあります」
「他の理由ですか?」
「ええ。それはね。
あっ、ほら、来ましたよ」
「来た、ですか?」
タキリは、ヒミカが指さした方向に顔を向けると、とても大きな龍が飛びながら向かってくるところでした。タキリは驚き、慌ててヒミカに声をかけます。
「あ、あわわわわ。
ひ、ひ、ひ、ヒミカ様! 龍です!
おっきい龍が飛んで来てますよ!」
「ええ、ニミちゃんやくっちゃんに怒られた100階層に配置した100匹の神龍をこの階層に配置していますからね。ダンジョンの最後にふさわしく、この階層に訪れた者を排除するように神龍達には伝えています」
「ええええ!
100匹の神龍ですか!?」
「ええ。周りを見てください。
あの龍だけじゃなく、たくさん集まってきているでしょう」
ヒミカは落ち着いた様子でタキリに周りを見るように伝えます。
タキリはヒミカにしがみつきながら、周りをきょろきょろと見回します。ヒミカが言ったように、多くの神龍がヒミカ達を目指して飛んで来ていました。
タキリは、はぅとうめき声を上げ、目に涙を溜めながら、ヒミカにぎゅっとしがみつきます。
「はわわわわわ、ヒミカ様!
どうしましょう!? 囲まれてしまいますよ。
早く逃げないと」
タキリが慌てながら逃げ出そうとヒミカに声をかけるも、時はすでに遅し。
すでにヒミカとタキリは神龍に囲まれてしまいました。
「タキリちゃん、落ち着いてください。
別に神龍達が何かをしてくるわけじゃありませんよ」
ヒミカが苦笑をしながら、タキリをなだめます。
「で、でも、ヒミカ様。
先ほど、ヒミカ様自身が、この階層に訪れた者を排除するように伝えているっておっしゃられたじゃないですか!?
ヒミカ様の言い方だと、ヒミカ様自身も対象になってしまうのではないですか!?」
タキリの言葉を聞いて、ヒミカははっとした表情を浮かべます。
ヒミカは周りを取り囲む神龍達を見つめました。
神龍達は鼻息も荒く、ヒミカとタキリをにらみつけています。ヒミカは額に汗を浮かべながら、必死に冷静さを装い、タキリに声をかけます。
「た、タキリちゃん。
いいですか、これはダンジョン内の視察なのです。
さすがに、クリア出来ないような難しいダンジョンだと問題ですからね。
私たち自身が身をもって体験する必要があるのです」
「さ、さすがはヒミカ様です!」
タキリの感嘆の声に、ヒミカは落ち着きを取り戻します。
ヒミカはキリッと表情を引き締めます。
「神とはね、他者に対して厳しいだけではダメなのです。
他者以上に対して、自分自身にも厳しくなければならないのですよ」
ヒミカはタキリへ神の心得を伝えます。タキリが、「さすがは、ヒミカ様」と言おうとした時に、神龍の中でも一際大きな神龍が前に出てきて、ヒミカとタキリに声をかけます。
「よくぞ、ここまで来たな。挑戦者よ」
ヒミカは神龍ってしゃべれるんだと驚きながら、神龍に声をかけます。
「初めまして。私はヒミカといいます。
私とタキリちゃんは挑戦者ではなく、ダンジョンの視察に来ているだけです。
ですから、神龍の皆さんは他の挑戦者をお待ちくださいね」
「何を言っておる!
我が言いつかっているのは、この階層へと訪れた者を排除することのみ!
おぬしが視察をしていようと、何をしていようと関係ないわ!」
大きな神龍があげた声に、周りに集まっていた神龍達も「そうだ」「そうだ」と声をそろえました。タキリは神龍達に怯えつつ、ヒミカを見上げて不安そうな声をあげました。
「ひ、ヒミカ様」
ヒミカは冷静に状況を分析します。
「私が伝えた『訪れた者を排除する』という事をしっかりと守ってくれるようですね。
でも、ダンジョンを作った私ですら、敵としてみてくるとはどういうことでしょう?」
ヒミカはダンジョン作成キットの説明書、モンスターの作り方の項目を読みはじめます。
神龍は、無視されつつも、律儀にヒミカが自分の言葉に返事をするのを待っています。
ぺらぺらと説明書をめくるヒミカは、とある記述を見て「あっ」と声をあげました。ヒミカの声を聞いて、タキリは不安そうにヒミカを見つめます。
「タキリちゃん、どうやら、モンスターには攻撃をしない相手を設定することも出来るみたいですね」
タキリは、神龍達に囲まれているプレッシャーからか、ぶんぶんぶんと首を縦に振ります。
「そして、私は特に設定をしなかったので、ダンジョン内のモンスターは全て、モンスター以外に対して与えられた役割をこなすみたいです」
ヒミカは冷静にタキリに事実を伝えていきます。
「つ、つまりどういうことなのですか、ヒミカ様!?」
「つまり、私たちも排除対象ということですね」
◆
しびれをきらした大きな神龍は、大きな声で叫びました。
「挑戦者よ、このダンジョンに訪れたことを後悔するがいい!」
大きな神龍は叫び終わるとすぐに口をあけ、その口から灼熱の炎を吐き出しました。
ヒミカとタキリはあっという間に、灼熱の炎に呑み込まれて、その姿が見えなくなってしまいました。灼熱の炎にダンジョンの床すらも溶けはじめます。炎をしばらくの間吐き出し、神龍は挑戦者の跡形もなくなったであろうと判断したのか、炎を吐き出すのを止めました。
赤く溶けた床の中央には、ヒミカとタキリが傷1つ負うことなく佇んでいます。
その足下の床にも溶けた様子はありません。大きな神龍は目の前の様子を理解することができず、大きく目を見開きました。
「さすがは、神龍ですね。
この炎を受けたら、多くの挑戦者が死んでしまうでしょうね。
誰も死なない設定にしておいてよかったです」
ヒミカはうんうんと1人で納得したように頷いています。
「ひ、ヒミカ様ぁ」
とタキリは泣きながら、ヒミカにしがみついています。ヒミカはキリッとした表情で神龍を見つめながら、タキリに話しかけます。
「泣かないで、タキリちゃん。
神には辛くても、怖くてもやらなければならないときがあるのです」
タキリは涙をこらえ、ヒミカの顔を見上げた後、わかりましたと言わんばかりに大きく頷きました。
そんなタキリの頭をなでて、ヒミカはしがみついているタキリの手を離させます。
「せっかくなので、神龍にどの程度の防御力があるのか調べておきましょう」
そういうやいなや、ヒミカは軽やかに大きな神龍の前まで移動します。さらに気づいたときには、いつのまにか神龍の頭の上にいました。ヒミカはスカートの裾を抑えながら、神龍の頭の上でしゃがみ込み、右手をそっと神龍の頭に触れさせます。
「それでは、少しだけ衝撃を加えさせてもらいますね」
ヒミカの手から、本人はたいしたこともないと思っている、とてつもない衝撃波が放たれました。
ズォンという鈍い音が299階層に響き渡ります。
大きな神龍は、ヒミカの一撃で死んでしまうほどのダメージを受けました。このダンジョンでの最初の犠牲者は、大きな神龍でした。
大きな神龍は、光の粒となって消えていきます。
ヒミカはいつの間にかタキリの横に戻ってきており、「えっ、し、死んじゃった?」と呆然とした様子で呟きます。
タキリも周りに集まっていた神龍も、無言でヒミカを見つめます。
周りからの視線に気づいたヒミカは、はっとしながら、目の前に大きなスクリーンを出現させました。
スクリーンにはダンジョンの入り口が映し出され、今し方ヒミカに死んでしまうほどのダメージを与えられた神龍が復活していきます。ヒミカは、タキリや周りの神龍に向けて話しかけます。
「ほ、ほらね!
モンスターもちゃんと復活するのです!
それを証明するために、あの神龍には辛い役目を担ってもらったのです」
「さすがは、ヒミカ様!
そこまでお考えになられていたのですね」
「え、ええ。もちろんです。
ただ、モンスターもダンジョンの外に復活するのはよくないですね。
大きな神龍はどこかに行ってしまいましたし、呪いの静電気はモンスターにもかかってしまうみたいですから。モンスターの設定と、復活場所の設定を見直しましょう」
「はい、ヒミカ様!
でも、あの大きな神龍さん、泣いていましたね。
少しかわいそうでした」
「そうですね。あの神龍には、謝罪の手紙と品を送っておきましょう。
それでは300階層に戻って設定していきましょうか、タキリちゃん」
ヒミカとタキリは300階層に戻っていきました。
残された神龍達は呆然としながら、ヒミカとタキリを見つめるばかりでした。