最終話 一つのダンジョンの終わりと始まり
ツクヨは光となって消え去った神龍たちを顧みることなく、ダンジョンの最下層の階段を降りて行きます。ツクヨの顔には冷たい微笑が浮かんでおり、ヒミカと会ったら何を伝えようかと考えているようでした。
◆
ツクヨはダンジョンの最下層へ行くとそこには大きな門がありました。
門の前まで行くとツクヨを招き入れるかのようにゆっくりと開いていったのです。
「ようこそ、ツクヨ様。ダンジョンの踏破おめでとうございます。
ここがダンジョンの最下層でございます」
門の中では、座敷童のチョコがツクヨを出迎えます。
「あら、ダンジョンの外で見ないと思ったら、あなたはこんなところにいたのね」
ツクヨの問いかけに、チョコは当然とばかりに答えました。
「はい。私はヒミカ様のお世話をするのが生き甲斐ですから。
それではツクヨ様、屋敷でヒミカ様がお待ちです」
チョコの案内でツクヨは最下層をゆっくりと歩いて行きます。
最下層はダンジョン内とは思えないほど広い空間が広がっており、緑の草原が広がり、所々に木々が生え、小さな川も流れています。そんな自然あふれる中に一本の石畳の道が大きな屋敷まで繋がっています。
屋敷の前まで着くとチョコが扉を開けました。
「どうぞ、ツクヨ様。
正面の階段を上り、そのまま目の前の扉を開けて中にお入りください」
「そう、ありがとう」
ツクヨはチョコに礼を言い、屋敷の中に入り、階段を上って目の前にあった扉に手をかけました。
すると扉の中からヒミカの声が聞こえてきます。
「来ました! 来ましたよ!
ツクヨちゃんが来ましたよ!」
「お、落ち着いてください、ヒミカ様。
そんなに大きな声を出すとツクヨ様にばれちゃいますよ」
「タキリも、声が大きい」
扉の中ではヒミカだけでなく、タキリとクッチもいるようです。
ツクヨは少し眉をひそめながらも、扉を手前に引いて開けました。するとパンパンパン、少し遅れてもう一つパンという音が鳴り、紙吹雪が舞い降ります。ヒミカ達がツクヨに向かってクラッカーを使ったのです。
「ダンジョンのクリアおめでとう! ツクヨちゃん!」
ヒミカは笑顔でツクヨのダンジョンクリアを称えます。ツクヨは冷たい微笑を浮かべたまま、ヒミカに目線をやります。クラッカーから出されたリボンや紙吹雪はツクヨに届く前に、ツクヨから放たれる冷気によってヒミカ達の方に吹き返されました。
長いリボンがヒミカの顔にまとわりつき、あっぷあっぷしながら、ヒミカはツクヨに文句を言います。
「ちょっ、ツクヨちゃん!
冷気! 冷気が出てますよ! ちょっと抑えてください!」
ツクヨはヒミカからの文句を無視します。
「ヒミカ姉様、これで私がダンジョンを踏破したということでいいのですよね?」
ヒミカはリボンを手でクルクルとまとめながら、「そうですよ」と返事をしました。
そして、ヒミカはそのまま部屋の中央に用意されている料理やデザートに手を向けて、じゃーんという効果音が聞こえてきそうな得意げな表情で胸を張りました。
「見てください!
ツクヨちゃんのダンジョンクリアをお祝いするために、料理やデザートを用意しました!
ほらほら。ツクヨちゃんの好きな物をたくさん用意したんですよ」
ヒミカは満足そうな笑顔でツクヨに料理をアピールします。
「さぁ、一緒に食べましょう」
ヒミカが食事を促してもツクヨは冷たい微笑を浮かべたまま部屋の中には入っていきません。
ヒミカは首を傾げながらツクヨに問いかけます。
「どうしたのですか? ツクヨちゃん。
料理が冷めてしまいますよ」
「ねぇ、ヒミカ姉様。
このダンジョンをクリアしたら、ヒミカ姉様は地上に戻ってくれるのよね?」
「ええ、もちろんです。
それとクリアしたツクヨちゃんのお願いを1つ叶えてあげます」
ヒミカは料理が用意されたテーブルに近づきながら、ツクヨに返事をします。
ツクヨはうれしそうに微笑を浮かべてヒミカの言葉を繰り返しました。
「へぇ、私の願いを叶えてくれるの?」
「ええ、私に出来る範囲で、ですけどね」
ヒミカが振り返ってツクヨを見ると、今までに見たことがないような優しい微笑をツクヨが浮かべていました。ヒミカは今までこんな優しい表情をしたツクヨを見たことがありません。
「つ、ツクヨちゃん?
どうしたの。そんな優しい表情を浮かべて……。
!? 何かよからぬ事を考えているのね!」
ヒミカはツクヨから距離を少しとり、身構えました。
「よからぬ事なんて考えていないわ。それに私の願いはヒミカ姉様には簡単なことよ。
今後は休むことなく働いて頂戴ね」
「!!?」
ツクヨの言葉にヒミカは言葉をなくして驚きます。
「や、休むことなく!?
じょ、冗談ですよね、ツクヨちゃん」
ツクヨは静かに首を振ります。
「私が冗談を嫌いなことを知っているでしょう。さぁ、私はヒミカ姉様が用意してくれたお祝いの料理を食べてから帰るから、姉様はもう地上に戻って働いてください」
「えっ、私も食べたいのですけど……」
「私の願いを叶えてくれるのですよね」
「はい」
ヒミカは額に冷や汗を浮かべながら、ツクヨを不安げに見つめます。
「私はヒミカ姉様に休むことなく働いて欲しいのよ」
ツクヨはとても優しい微笑みを浮かべて、ヒミカに近寄っていきます。
「つ、ツクヨちゃん、ひどいです!」
ヒミカが涙目でツクヨに抗議の声をあげます。
タキリやニミに、クッチは無言で、ヒミカとツクヨのやりとりを見守っていました。
あわあわとしながら、タキリはツクヨに話しかけます。
「あ、あの! ツクヨ様!」
勇気を振り絞ってツクヨに声をかけたタキリの声は震えていました。
「何? タキリ?」
優しく微笑んでくるツクヨを見て、何かを悟ったのでしょう。タキリは「あっ、だめだ」と小さく呟きました。タキリの心中の変化に気づくことなく、ヒミカは期待のこもったまなざしで、タキリを見つめました。
「私たちが責任を持ってヒミカ様を地上に連れ帰りますから、安心してください!」
タキリは目をつむりながら、大きな声でヒミカを連れ帰ることを宣言しました。
それに驚いたのはヒミカです。
「えっ、タキリちゃん!?」
呆然とするヒミカの横に、ニミとクッチがすっと音もなく近寄りました。
「ヒミカ様、残念」と呟きながら、クッチが諦めてというかのごとく頭を左右に振りました。
「そうです。神に二言はないのです。
これもヒミカ様が軽々しく願いを叶えるといったからですよ。
さぁ、地上に戻りましょう」
「えっ、ニミちゃん、くっちゃん!?」
両腕をニミとクッチに掴まれ、ヒミカは部屋の外へと連れ出されていきます。
「えっ!? えっ!? 料理は!?」
部屋の外からは聞こえてくるヒミカの戸惑う声はどんどん離れていきました。
タキリは扉をゆっくりと閉めながら、ツクヨにお辞儀をしてヒミカの後を追います。
「ふぅ、これで一段落ね」
ツクヨは料理の用意されたテーブルに近づくと優雅にイスに座りました。
するといつの間にか現れたチョコが、飲み物を持って来てくれます。
「ツクヨ様、私もツクヨ様のお食事が終わられましたら、地上に戻ります」
透明なグラスを受け取り、のどを潤しながらツクヨはチョコに問いかけます。
「ねぇ、ところでこのダンジョンはどうなるの?」
「ダンジョンですか?
そうですね。ヒミカ様がいなくなったので、ダンジョンを維持する力がいずれはなくなると思います。でも、ヒミカ様は膨大なエネルギーをダンジョンに注ぎ込んでいたので1000年ほどはこのままなのではないでしょうか?」
「そう。ここのモンスター達は、思ったよりも頭が良さそうだったから、自分たちで何とかやっていくでしょう」
「あっ、もしもツクヨ様がダンジョンに変化を加えられるのでしたら、1階にダンジョンのコントロールルームがあるのでそちらを利用してください」
チョコの言葉にツクヨは驚きました。
「私でもダンジョンに変化を加えられるの?」
「はい。今、このダンジョンの最下層で最も強く、ツクヨ様がダンジョンマスターであったヒミカ様を打ち破られたことになりますので、ダンジョンマスターの権限はツクヨ様に移っております」
「そう、私がダンジョンマスターなのね」
ツクヨはしばし考え、冷たい微笑を浮かべました。そして、ぽつりと呟いたのです。
「軟弱な神々を鍛え直そうかしら」
◆
ヒミカはクッチとニミに両脇を抱えられ、タキリに励まされながら地上へと帰還しました。
ダンジョンの最下層から、地上までの直通ルートを用意していたため、地上への帰還は一瞬で終わります。
ヒミカが地上に戻ったことで、太陽は光輝き、木々や草花は青々と生い茂り、小鳥たちが青空を舞い踊りました。ただ、ヒミカがダンジョンにいても、太陽は光輝いており、木々や草花も青々と生い茂っていましたし、小鳥たちも自由に青空を飛んでいたので、特別に何かが変わったことはありませんでした。
ただ地上に生きる人々や神々に変化がありました。
まず始めにヒミカが地上に戻ってきたのを見つけた子供達が、「あー、ヒミカ様だ!」「ヒミカ様がいるよ」と大きな声をあげながらヒミカに駆け寄りました。
ヒミカは子供達に、「みんな元気でしたか? 私はツクヨちゃんがダンジョンをクリアしたから帰ってきたのですよ」と優しく微笑みながら語りかけました。
子供達がヒミカに近寄ったことにより、大人や他の人々もヒミカに駆け寄ります。
「ヒミカ様が帰ってきた!」
「ヒミカ様、おかえりなさい!」
「ヒミカ様!」
人々はヒミカを中心にどんどん集まってきます。ヒミカも集まってきた人々に笑顔で手を振ります。
神々も遠くから、ヒミカが地上に帰ってきたことを涙を流しながら喜んでいます。
「ヒミカ様が帰ってこられた。本当によかった……」
「ああ、これでツクヨ様に責められないですむ」
「ええ、本当によかったわ」
しかし、神々はこれから試練が待っていることを知りません。ツクヨがダンジョンマスターとなって、神々は強制的に挑戦せざるを得ない状況に追い込まれるということを。
こうして、ヒミカの働きたくないという気持ちから始まったダンジョン作成は、ツクヨのダンジョン踏破により幕を下ろしました。そして、ヒミカはこれ以降休むことなく働き続ける事になったのです。ただそれは休日がないというだけで、必要十分以上に休憩を時間をとりながら働いたのでした。
◆
ダンジョンマスターとなったツクヨが、ダンジョン作成にはまったというのは、また別の話です。




