第35話 恐るべき罠
ダンジョンの最下層では、スクリーンの前でヒミカとタキリ、そしてニミがソファに腰掛けていました。ソファの前のローテーブルには、座敷童のチョコが用意してくれたホイップクリーム入りの大きなシュークリームと紅茶が置いてあります。
今回、ヒミカとタキリだけでなくニミがスクリーンの前にいるのには理由がありました。それは、コヤネ達神々がついに30階層へと到達したからです。
「30階層からは、ニミちゃんが罠を設置してくれた階層ですね」
ヒミカがニミとタキリに話しかけると、タキリがうんうんと頷きます。
「ニミが作った罠はどんなものなのですか?」
タキリも気になっているのか、ニミに質問をしました。
ニミは薄く微笑みながら返事をします。
「別に特別な罠は設置していませんよ。
ただ確実に殺せるように、数を減らせるように罠を設置しただけですよ」
ヒミカとタキリは、えっと思いながら、顔を見合わせ、そしてスクリーンに目を移したのでした。
◆
コヤネ達は30階層の探索を進めていました。
階段を下りてすぐに、大きな広い部屋があり、全員でその部屋の中へと入ります。すると、全員が部屋の中へ入りきった途端、タイミングを見計らったかのように、入ってきた扉が大きな石でふさがれました。
異常を察知したコヤネは、皆に走れと大声で声をかけ部屋の反対側にあった出口へと向かって走り出します。
出口は入り口とは違い、非常にゆっくりと大きな石で上からふさがれていっていました。
「急げ! 閉じ込められてしまうぞ!」
コヤネは焦りながらも、全力で部屋の中を走ります。
走りながらもコヤネは、出口が閉じられていくのは非常に遅いため、この調子なら全員問題なく部屋を脱出できると思いました。
しかし、コヤネが出口まであと5メートルというところまで近づくと、出口の下から、デュバという音と共に、突然大きな岩が生えてきて出口をふさいでしまいました。
全力で駆けていたコヤネは急には止まれません。
出口に生えてきた岩に勢いよくぶつかり、目を回してしまいます。さらに運の悪いことに、コヤネに続いていた神々もすぐには止まることができず、コヤネを踏みつけたり、岩にぶつかったりしました。
◆
「うーん」
うめき声をあげ、コヤネは目を覚まします。
「おお、起きたか、コヤネ」
出口のそばで固まっていた神々の1柱が、目を覚ましたコヤネに気が付き、声をかけました。
「ああ、それでどうなった?
皆で出口を取り囲んでどうしたのだ?」
「うむ、まずいことに俺たちは閉じ込められたようだ。
さらに天井が下がってきているし、部屋の中の酸素も減ってきている。
そして、一番の問題が脱出方法がない」
眉間にしわを寄せながら状況を説明していた神が、コヤネを出口をふさいだ大岩の前へと案内します。そして、表情を曇らせてさらに説明を続けました。
「正確にいえば脱出方法は示されているが、誰かを犠牲にしなければならない」
コヤネは出口をふさぐ大岩に刻まれた文字に目をやりました。
<ひとつの生命を捧げよ>
<さすれば道は開かれん>
コヤネは、大岩に刻まれた文字を読み、犠牲にしなければならないという意味を理解しました。この部屋に囚われてしまったら、誰かを犠牲にして残りの全員が生き残るか、全員が死ぬかの2つに1つしかないのだと理解してしまったのです。
コヤネも表情を曇らせ、周りの神々の顔を見回します。
誰もが表情を曇らせて、どうしようかと悩んでいます。このダンジョンで死ぬことはありませんが、好きこのんで死にたいという者もいるわけがありません。
そんな中、コヤネは意を決して、皆に語りかけます。
「ここでオレの生命を捧げるから、あとは皆で先に進んでくれ」
すでに腹をくくったのかコヤネは良い笑顔です。そんなコヤネに反対意見をいう者も当然いました。
「それはならん。統率者がいなければ、この先のダンジョンを進むのに支障が出る」
「そうだ、我ら神に取って、自ら生命を立つというのは禁忌だ。そんなことを認める訳にはいかぬ」
「しかし、それならば、どうすればいいのだ?
皆で死ぬか、1人が死ぬか、単純な計算ではないか」
コヤネと仲間の神々はどうするかを話し合います。
結局、良いアイディアが出ることなく、時間だけが過ぎていきました。
天井が下がり、すでに立っていられなくなった頃、話し合いではどうしようもないという結論になり、同じ杯を人数分用意し、その中に1つだけコヤネが毒を入れました。他の神々は、どの杯に毒を入れたのかわからないように、部屋の壁際に移動し背を向けています。
その時、部屋の隅に移動した神は、部屋の角に小さな黒いネズミがいることに気が付きました。そのネズミは神に見つかったと気づくと、両方の前足を上にあげ、さもびっくりしましたというリアクションを取ったあと、さささと逃げていきます。
小さな黒いネズミのリアクションを目の当たりにした神は、ふふと笑いがこみ上げてきました。
「こんな階層にもネズミがいるのだな」
ネズミを見つけた神がぽつりと呟いたあと、コヤネが準備ができたぞと大きな声を出しました。壁際に移動していた神々は部屋の中央へと集まります。コヤネ以外の神々が順番に杯を取っていきます。毒を入れたコヤネは最後に杯を取ることになっていました。
杯がひとつ、またひとつと減っていきますが、毒入りの杯は誰の手にも渡りません。
これは全くの運なのです。杯はどれも見た目は同じで、中身の酒も違いはありません。臭いもまったく違いはなかったのです。
そして、最後に1つ残った杯を、少し青ざめた表情でコヤネが手にとります。
コヤネ達神々は、和になって座り、杯を1つずつ手に持って、コヤネの合図で一斉にぐいっと飲みました。そして、コヤネがううと胸を押さえて、光となって消えていきました。
こうして、部屋に閉じ込められていた神々は、コヤネの犠牲によって脱出することができたのです。神々はコヤネの犠牲に胸を痛めながらも、先へ先へと進みます。神々はここからヒミカ様のダンジョンの恐ろしさをその身をもって知ることになるのでした。
◆
コヤネが光となって消えた様子を、ヒミカ達はダンジョンの最下層で見ていました。
ヒミカとタキリは、目を潤ませながら、「こ、コヤネ」と呟きます。ニミは特に表情を変えることもなく、紅茶を飲んでいます。
ヒミカは、そっと小指で目尻に溜まった涙をそっとぬぐいます。そして、ニミにちょっと頬を膨らませながら文句を言いました。
「ちょっと、ニミちゃん!
誰かが死なないといけないなんてひどいんじゃないですか!
もっとこう別のやり方も用意した方が良かったと思いますよ!」
ヒミカの言葉に、タキリもうんうんと頷きます。
ニミは紅茶のティーカップをローテーブルに置き、ふぅと大きく息を吐きました。
「ヒミカ様、私は挑戦者のだれかの生命を捧げよという罠を設置している訳ではありません。言っては悪いですが、彼らが勝手に間違った判断を下して、自ら毒入りの杯を煽ったのです」
ヒミカは頬を膨らませたまま、首をひねります。
「先ほどの部屋の中には、合計10匹のブラブラマウスがいました。ブラブラマウスを倒せば扉は開いたのです。せっかく1匹見つけたのに見逃した理由が私には理解できませんわ」
ニミは本当になんでブラブラマウスを殺さなかったのか理解できないといった様子で首を左右に振りました。ヒミカはえっという表情でニミを見つめ、タキリが自信なさげにニミに問いかけます。
「えっ、じゃぁ、コヤネは無駄死にですか?」
「そうなるわね」
ニミはあっさりとコヤネは無駄死にだったと認めます。そして、タキリにむけて言葉を続けます。
「タキリ、考えてみて。もしも、1人で30階層まで到達し、あの部屋に入った場合、誰かが死なないと先へ進めないのなら、その時点でもうクリアできないじゃない」
ヒミカとタキリは、はっとしながら、ニミの顔を見つめました。
「た、たしかにそうですね」
タキリは呆然としながらもニミの言葉に相づちをうちます。ニミはスクリーンを眺めながら、「こんな罠はまだ序の口ですから」と、ぽつりと呟いたのでした。
ヒミカとタキリは、互いの手を握り合い、ニミの冷たい微笑みに身を震わせたのでした。




