魔王との決戦
「見つかった?」
優作はナゲリーナの研究所の外を探していた美玲に声をかけた。
「むっ! これを見てくれ!」
美玲は指差す先には、魔物が落ちていた。
大きな蜂のようだが、針が剣になっている。
だが、翼が折れており、すぐに黒い靄となって消えた。
「この近くに尋賀達がいたのかな?」
優作は二人がどこに行ったのか、考える。
恐らく、今消滅した魔物は尋賀がやったのだろう。ということは外に出たのは間違いない。
ならば尋賀は、ナゲリーナを追っているのだろうか、と。
「……空に、なにか……あるの」
草の上で仰向けで寝ていたルシェールが呟く。
魔物との戦いのダメージが響いてきており、息も切れている。
「空?」
優作は目を凝らす。
よく見ると、上空に点ほどの大きさの何かがあるように見えた。
「あれは?」
「坂巻 尋賀だ! 坂巻 尋賀があそこにいる!」
優作にはそれが何か分からなかったようだが、美玲には分かったようだ。
「ど、どういうこと? まさかあんな上空に!?」
「さすがにあの距離は見えぬが……あそこには坂巻 尋賀がいる。私には感じるぞ!」
「だとしたら、ボク達は尋賀に任せるしかないってことか……」
美玲は天を見上げ、いつもの演技口調を止めて呟く。
「尋賀、お願い。尋賀は本物の騎士だから、ナゲリーナを救って」
優作もルシェールも彼女に続いて呟く。
「これで犠牲になったら……ボクは絶対に許さないよ、尋賀」
「とっとと……帰ってくるの」
ーーー
「ん?」
尋賀が目を覚ますと、青やら黄色やら混ぜた毒々しい色……夢の時と同じ景色がそこには広がっていた。
今回は、見えない足場があるらしく、その上を警戒しながら歩く。
「……へっ! 魔王様は相変わらずセンスがいいねぇ」
皮肉を言いつつ辺りを見回す。
「……わたしの世界にようこそ」
「出やがったな旧魔王様」
突然どこからともなく出現した黒い髪の少年が現れる。
夢の中で出てきた時と違い、黒い服装に黒いマントを羽織っており、異様な雰囲気を醸し出し、さながら『魔王』のようだった。
ナゲリーナが苦しむ原因となった者に尋賀は臆することなく話す。
「そんでここはどこだって?」
「ここはわたしの精神世界。わたしの領域。あんたの精神をわたしの世界に招待したのだよ」
「身体乗っ取るってくらいだからお前がオレの精神世界に来るんじゃねーのかよ」
「本来ならばそうなのだが、今回は強引な手段を取った。本来は器を薬品を使って、安全に主導権を握るのだが……」
「あっそ、そいつは残念なこった」
尋賀はそう言って、自身の手を広げたり握ったりして感覚を確かめる。
当然のように精神世界と言われ、自身が本来の肉体を持っていないのではないかと考え、色々と試しているが、違うようで違わないような、要するに彼には分からなかった。
彼のボロボロのカッターシャツも普通に着ているし、足もある。
強いて違う点を挙げるとするならば鉄パイプを持っていないことだが……精神世界に来る前に鉄パイプは知らない世界の彼方に旅立っている。
「気になるようだな」
「まあ、そりゃ。不思議体験には耐性ねえからな」
「……つまらない冗談が好きな男だ」
「へへ。そりゃーどうも」
尋賀は笑って見せる。
別に褒められてはいないが。
「そんでこれからどうするつもりだ」
「今の状態のあんたを消滅させ、あんたの器を手に入れる」
「ま、そりゃそうだわな。ここまできててめえが味方な訳ねーよな。……別にオレを消滅させなくても空っぽのオレの器に入ればいいんじゃねーの?」
「そういうわけにはいかないのだよ。今のわたしは意思と記憶だけの存在。それでは空っぽの器に入れても意味がない」
「じゃあどーすんだよ。オレを消滅させんだろ?」
「完全に消滅させるわけではない。精神世界の奥底で眠ってもらい、我が意思に叛かなくなればそれでいい」
「ま、細けえ事は分かんねーけど、要するに喧嘩、すりゃーいいんだろ」
「好きなように考えればいい」
ブレアーは手を挙げると、地面から音も立てずに何かが生えてくる。
(ビル?)
毒々しい色をした背景に、無数の摩天楼の数々が並んだ。
「あんたの世界の知識は素晴らしいものだった。このわたしが役立ててやろうではないか」
「……図書館行った時に勉強しやがったのか。優等生め、余計なことしてくれたな、全く」
ブレアーはゆっくりと宙に浮き、摩天楼に近づく。
摩天楼の壁を触り、彼は嬉々として語る。
「見ろ。これこそが、これからわたしが作り直す世界の姿だ。わたしは国を滅ぼし、新たな世界として作り直す。知識を独占したわたしに、誰も逆らうことはできまい」
「そいつは大層な計画なこって」
ブレアーの笑みは消えない。
「あんたの世界の知識は素晴らしいものだった。これで新たな世界は完成する!」
「やっぱ魔王様をオレ達の世界に渡らせなきゃ良かったな……」
尋賀はため息を吐いた。
「まずはシナリオの第一歩だ。あんたを潰してあんたの身体を頂く。それから本格的な世界再編はそれからだ」
「……それよりも前にコネクターズカオス現象で世界が滅びるんだろ? そっちの解決を優先しよーぜ?」
「だが今の器は、あの小娘は役に立たない。わたしの意思に叛いてくるからな」
「結局、オレの器を手に入れる方が優先か。でも趣味のわりー変な名前にされそうだから遠慮しとくわ」
奪われたらヒロガ・フォン・シュヴァルツレーヴェだろうか。
趣味が悪いというよりもただ単純に頭が悪そうだ。
軽口を言う尋賀とは会話を断ち切るかのように、ブレアーは背を向ける。
「さらばだ」
そう言って、ブレアーの姿は忽然と消える。
「さらばって、どこ行くつもり――ってうおっ!」
二つの摩天楼が音もなく、迫ってくる。
尋賀は急いで逃げ出すと、二つの摩天楼がぶつかり合う。
このまま立っていたら、尋賀は今頃ぺちゃんこになっていただろう。
「つーかどういうことだって。なんであいつ魔法も使ってねーのにこんなこと出来んだよ」
そう呟いた瞬間再びブレアーが姿を現わす。
「ここはわたしの精神世界。わたしが作ったルールに従ってもらう」
「つまり、てめえはやりたい放題できるってことかよ。最悪だな」
「頭の中ならば誰だって好きなことができる。ただそれだけのことだ」
そう言ってブレアーは消えた。
「……随分と律儀に答えるのな」
尋賀は呆れつつもツッコム。
なんの説明もないよりはマシなはずだが。
「あぁ?」
急に尋賀の周りが暗くなる。
彼が何事かと上を見上げると、そこにはビルがあった。
しかも尋賀のいる地点目掛けて落ちてきている。
「へ、へへ、無茶苦茶してくれるじゃねーか……!」
彼は全力で走る。
巨大な建築物が落ちてきているのだ。
それを押し返したりできる力など、彼は持っていない。
「くッそがぁ!」
尋賀は、全力で滑り込む。
摩天楼は音もなく着地し、黒い靄となって消える。
「――あっぶねえ……」
寸前のところで逃げ切った尋賀はゆっくりと消え行く摩天楼を見つめながら呟いた。
「今ので潰れたと思ったのだが……しぶとい」
「…………」
尋賀の目と鼻の先にブレアーが逆さまに現れ、尋賀は無言で拳を繰り出す。
だが、ブレアーは瞬間移動したかのように、上空にいた。
「このわたしに逆らうつもりか?」
「始めっからそのつもりだっつーの」
「虫けらのほどの命の価値しかないあんたがこのわたしに逆らったところで大したことなどない」
「へっ! オレの命の価値が虫けらって言うんだったら、てめえの命の価値も虫けら並みだよなぁ?」
「わたしの命は価値ある命だ」
そう言ってブレアーは指パッチンをした。
「あんたの命なんていつだって奪える」
突如、摩天楼の窓ガラスが全て割れる。
(なっ――)
割れたガラスの破片が降り注ぐ。
尋賀は咄嗟に頭を伏せるが、一向に破片が落ちてこない。
「ふははは! どうした? 何を怯えている?」
ブレアーは大声で笑う。
摩天楼の窓ガラスは割れた跡などなく、落ちてくる気配もない。
「随分と舐めたことしてくれるじゃねーか。喧嘩で手ェ抜かれるのはオレ、嫌いなんだけどよ」
「虫をすぐに殺してはつまらないだろ? 足を捥いだり、天敵の側に置いて遊んでから虫は殺すべきだ」
「趣味がわりーのな、旧魔王様は」
「そうすることで新たな発見があったりする。有益なことだ」
しかし、と言ってブレアーは顎を触って考える素振りを見せる。
「あんたはこのわたしの計算違いを何度も起こさせた。虫は虫でも厄介な害虫と言うべきか」
「……害虫だったらどーすんのか、是非とも聞きたいねえ?」
「早めに潰しておくのが吉……ということだよ」
「潰せるならな」
ピクッとブレアーの眉がわずかに動いた。
「……どういうことだ?」
「あんたにはオレは潰せねえ」
反対に尋賀の口角は上がっている。
「ここに来てやっと新魔王様――ナゲリーナが助かる術が見つかってきたんだ。そう簡単に殺されてたまるかよ」
「何を言っている。あんたはこの世界では何もできない。そんなあんたに何ができる?」
「でもてめえをどうにかできれば新魔王様はてめえの呪縛から解放されんじゃねーの? んな時に死んでる暇ねーよ。ここで死とかあるのかは知らねえけどよ」
尋賀はブレアーを指差し、宣言する。
「ここが……誰の世界で誰のものかって、教えてやるぜ旧魔王様!」
その言葉でブレアーは怒りで表情を歪ませる。
「またあんたは……このわたしの邪魔をするつもりかぁ! ならばあんたを潰してこの数奇な運命を終わらせてやるッ!」
数奇な運命。
尋賀には何を言っているのか、それが何を意味するのかまでは分からなかった。
「潰れろ!」
ブレアーは両手を挙げると、摩天楼が全て集まっていく。
(へへ……ちょいとキツイな)
尋賀は上空を見上げる。
だが、ちょっとキツイでは済まされない状況だ。
「怖気ついたか? 潰されたくないか? 今なら虫から価値ある命にしてやってもいいぞ?」
「へっ。てめえなんかに乗っ取られたくねえよ」
「……やはりあんただけは早めに潰した方が良さそうだ!」
全ての摩天楼が空に集まり、山のように巨大な塊のようになっている。
空から摩天楼の雨が降ってくる。
当然そんなことになれば、尋賀は一溜まりもないだろう。
「へっ! 潰せるもんなら潰して見やがれってんだ。ガキを救えるまで、オレは負けたりしねーよ」
「強がったところで何ができる!」
「強がるって言うかそーゆー約束なんだよ」
尋賀は絶体絶命の状況だというのに笑ってみせる。
決して強がりなどではなく、追い込まれてもナゲリーナを真の意味で救うことができる光明が見えてきているからこそ、彼は笑ってみせる。
(へへっ。さて、どうしたものか)
しかし、やはりとも言うべきか絶体絶命の状況を打破する術は持たない。
「ん?」
突如として、尋賀の目の前に黒い靄がどこからともなく集まってくる。
尋賀は突然の出来事に身構える。
「馬鹿なッ! そんなはずはない!」
驚愕の声を上げるブレアー。
どういうことか尋賀は一瞬分からなかったが、答えがすぐに出てくる。
「こいつは……!」
黒い靄は形を宿し、鉄パイプの姿になる。
「新魔王様がくれたのか……? くれるなら別の武器くれよ」
こんな時に力を貸してくれる人物など、一人しかいない。
だが、尋賀は不満そうだ。
渋々言いながらも、宙に浮く鉄パイプを掴むと、バトンを扱うかのごとく上に放り投げ、つま先でターンし、華麗にキャッチすると肩に乗せる。
そうやって使い勝手を確かめた後、上空の摩天楼を見つめる。
「ま、しゃーねぇや。折角借りた力だからな、世紀の特大場外ホームラン決めるしかねーよな?」
ただの鉄パイプ一つで尋賀は何ができるのか分からなかった。
だからこそ彼にできることなど、限られている。
「小娘ぇ! 何度もお前はわたしに逆らえば気がすむ!!」
だと言うのにも関わらずブレアーは目が怒りのあまり充血してきているようだった。
(……何度?)
尋賀はその言葉の意味を考えるが、そうこうしている間にブレアーは手を振り下ろし、摩天楼が落ちてくる。
超高層建築物が空から降ってくるその光景はまさしく、地球をひっくり返したかのようだった。
(折角、何もなしの状況から鉄パイプ一つもらったんだ。最後まで抵抗してやるぜ!)
尋賀は鉄パイプを上空に一度向けると、野球の構えのように鉄パイプを持つ。
摩天楼が、彼の目の前まで迫ると、
「オラァッ!! ホームラン!!」
彼はバットを扱うが如く、振り切った。
だが、摩天楼は飛んでいくことはなく、次から次へと摩天楼は落ちていき、人口建築物の山となる。
「潰れたか」
ブレアーは薄く笑いながら呟く。
だがその表情は長くは続かない。
「な……に……?」
山のようになった摩天楼が、真っ二つに割れた。
二つに分かれた真ん中部分は背景が見えている。
ただ、何もないと言う訳ではない。
そこで一人、尋賀が鉄パイプを旋回させ、肩に乗せていた。
「へへ、いくらなんでも強すぎだろ」
尋賀は、鉄パイプを撫でるように触る。
ただ、あまりの強さになんとも言えないような呆れた目で見ている。
彼がそんな表情をするのも当然だろう。
打撃武器かと思えば、触れてもいない部分を切断できる武器だったのだ。
しかもそれが本来は武器ではない鉄パイプなのだ。
あと、建物を組み立てる鉄パイプが建物を破壊するのは何かの皮肉だろうか。
「この天才であるわたしに……楯突こうと言うのかぁ小娘ぇ!?」
ブレアーが手を上げると、尋賀の背中から岩で出来た巨大な手が現れる。
その巨大さは摩天楼にも負けるとも劣らない。
「死ねぇっ!」
手は尋賀を囲うように閉じる。
つまりは握りしめようとしているのだ。
「っ!」
ブレアーは驚きを隠せないでいた。
岩で出来た巨大な手は木っ端微塵に砕け散り、巨大な手だったという片鱗すら失った。
ついでに音がないことはそういうものなのだろうか。
「マジですげえな、これ。つっても当然か」
鉄パイプを一度くるりと回転させながら言った。
「……何が当然だ?」
「へへ。そりゃーそうだろーよ」
尋賀はもう一度片手で鉄パイプを旋回させながら言う。
「ここ、てめえの精神世界じゃなくてナゲリーナの精神世界だろ? ここでは好き勝手やりたい放題できるんだろ? だったらここで一番偉いのは新魔王様ってだけの話」
「小娘如きの想像力で、このわたしの天才的頭脳を凌駕できるはずがないっ!」
「天才って言うなら現実、受け止めろよ? 天才研究者がそんなんじゃダメだろ?」
尋賀は煽るように言う。
「貴様ァ! このわたしを誰だと思って言っているっ!」
ブレアーの煽りに対する耐性は低いようで、すぐに乗った。
「あんたが小娘の力を借りても所詮、あんた自身は部外者! あんたを潰すことなど容易い!」
ブレアーはそう言って右手を上げる。
それを見た尋賀は鉄パイプを構える。
(何か来るな……!)
尋賀は背後から飛んできた小さな『何か』を鉄パイプで振り向きざまに叩く。
その何かの正体は注射器だった。
「『潰す』とか言っておきながらセッコい真似しやがる。てっきり力技で来るかと思っちまった」
「あんたを消すなら小娘の力を借りられない形で消さねばならない! 故に――」
ブレアーが指パッチンする。
今度はどこから何が襲いかかってくるのか。
尋賀は警戒しているが、一向に何も起きない。
「馬鹿め! 上を見ろ!」
ブレアーの大きな声に尋賀は上を見ず、むしろその場を跳んで離れた。
上から何かが起きることはなく、下に落ちてある注射器が突然爆発した。
「へっ! やっぱりな!」
尋賀は鉄パイプを旋回させる。
鉄パイプはとんでもない力を他にも持っているようで、尋賀が意図せずとも突風を巻き起こし、爆風を消し飛ばす。
もう超展開にはなれたのか、尋賀はそのことに全く触れずにいる。
「意味ありげな指パッチン。突然の上を見ろ宣言。随分と旧魔王様はセコイ手が好きなようで」
「……ちっ!」
「ま、突然のUFO宣言と考え方は一緒ってやつだな。UFO言って通じるかは知らねえけど」
UFOだと言って視線を逸らすアレのことだろうか。
ブレアーは静かに深呼吸し、息を整えると顎を触り、考え始める。
次の一手を。
「だがあんたは最後まではもたない。あんたを何度も攻撃すればあんたは消える」
「ま、そりゃーそうだわな。てめえを止めればいいだけの話だけど」
尋賀が喋っているうちにブレアーの姿が消える。
「普通そうしてくるよなぁ?」
姿が見えなければ、相手に攻撃することができない。
姿を仮に消せなかったとしても、遥か上空にいれば相手に攻撃できない。
遠距離攻撃を永遠と続けられれば、いつかは敗北という形で終わりが来る。
勝利を確信したかのような声が、どこからともなく聞こえてくる。
『これであんたはわたしに手出し出来まい』
こんな時にどうすればいいのか尋賀は考えてみるが。
「……考えるまでもねーな」
考えるのが嫌いな尋賀ではあるが、考えたところで解決策がないのは明白だった。
可能性があるなら、鉄パイプしかなく、彼は鉄パイプをじーっと見つめる。
すると突然、鉄パイプが黒い靄を帯びる。
(なんだ?)
何が起きているかは、彼には分からなかった。
だが、すぐに状況が一変する。
「な、んだ? どうなっている!?」
ブレアーは上空で姿を表す。
表したもののその高度は徐々に下がってきている。
「魔力無くしたとかじゃね?」
尋賀は適当に答える。
「馬鹿なっ! ここは魔力などという概念はない! 何故、わたしの想像した通りにならない!? 」
ブレアーが、宙に浮くことができず、目に見えぬ地面の上に立つと、彼の身体も鉄パイプのように黒い靄を帯びる。
(どうなってやがる……?)
何はともあれ尋賀にとっては好機だった。
だが、彼はこの好機に動こうとはしない。
「クソッ! そういうことか小娘ぇ! このわたしの存在を消そうとしているのかぁっ!!」
ブレアーの方は、苦しそうに胸を押さえ、動くことができないでいる。
「……消そうと? 新魔王様が?」
「この靄は……わたしの実験の影響を表している……!」
「? で、その靄が出ているから、なんなんだ?」
「存在に影響が出る時に……発生する……ということだよ」
尋賀は今までの黒い靄が出た時を思い出す。
初めて魔物を倒した時。
植物の魔物を倒した時は炎に包まれて分からなかったが、ナゲリーナの研究所で出会った魔物は黒い靄になり、元に戻った。
尋賀もまた、魔法を受けた影響からか、ナゲリーナが何かをした拍子に、それに呼応する形で黒い靄を帯びた。
「そんで、この鉄パイプもまた……てめえの影響を受けたナゲリーナからの贈りもんだから、こうやって黒い靄が出てんのか」
「それは……半分正解だ」
「あん? 半分?」
「吸収しているのだ……! ただの小娘が、このわたしの存在を食いつぶそうとしているのだよ! 出ているのではなくて吸収……!」
「へっ! 新魔王様が圧倒してるって訳か」
尋賀はそれを聞いて、だから鉄パイプ一本でブレアーを圧倒できたのだと考える。
「だがっ! あんたを潰せばすぐに解決する!」
ブレアーが尋賀に手を向けると、尋賀の首の皮ギリギリに注射器の針が出現する。
(――ッ!?)
一瞬尋賀はやられると思ったが、注射器の針は黒い靄となって、鉄パイプに吸収されていった。
「……ぶねえ。新魔王様の力がなけりゃー即死だったぜ」
「何度も何度も何度も何度も何度も何度もわたしの邪魔をしたら気が済むッ!! 揃いも揃ってわたしの邪魔をぉおおおおおぉぉぉおおお!!」
狂ったかのように叫び声を上げるブレアー。
尋賀は、空いた手で耳を塞いでいる。
「そこまで何度もって言う――」
「黙れッ! あんたがコネクターズカオス現象の低い確率を引いた時から数奇な運命は始まっていた!!」
「あっそ。でも損してるのは俺のほ――」
「あんたがコネクターズカオス現象の僅かな確率を引き当てた確率! あんたがコネクターズカオス現象で器を変えたばかりのわたしに遭遇した確率! 『蒼炎』が世界を渡り、なおかつ弟子を取り、その弟子がコネクターズカオス現象で異世界に渡る確率! 器である小娘が母親と接触し、その心が目覚めてわたしに反抗する確率! どう考えても天文学的数字の確率! だというのにもかかわらず数奇な運命を辿り、わたしの悪い方向へと物事は進んでいった!! 何故だ!?」
「うっせえって! 途中から話、聞く気にもならねえわ」
ブレアーが長々喋っているのに対し、尋賀は適当に流す。
「その答えは単純にして明快。あんたの存在だよ!!」
「オレの存在?」
「そうだ!! 初めてあんたと出会った時! その時から小娘は無意識のうちにあんたに助けてもらおうとしていたのだよ!」
「初めて……あった時にってか?」
尋賀は初めてナゲリーナと出会った時を思い返すが、思い当たる節などない。
「わたしの意思で動いて! わたしの意思であんたの器を奪おうとした! だが、わたしの異世界への興味に付け込んで小娘はあんたについて行こうとしたのだ!」
「……そーいやーちょい不自然かもな。オレへの興味のためだけに一日で元の世界に帰るなんて、さ」
「そう! そして決定的なのは母親だ! 母親とあんたのせいで! 小娘の心が目覚めてしまった! そして小娘はあることを望むようになってしまった!」
――そう、わたしからの解放を。
ブレアーは忌々しげにそう言った。
「そんで、制御の効きにくくなった新魔王様は、魔物を解放して殺してもらおうとしたり、上空行って酸欠で死のうとしたわけか」
「そして! このわたしからの解放を望んだのだよ! まさか、転生の魔法には相手に自分の意思を僅かに伝えられるとは、わたしも知らなかったぞ!」
「……そんでナゲリーナの声が突然聞こえたのかよ」
ナゲリーナの研究所で聞こえた彼女の声。
彼女が尋賀に救いを求めたからこそ、彼にその言葉が聞こえたのだろう。
ブレアーは両手を広げると、上空に無数の剣が現れる。
「お喋りはココまでだッ! わたしはあんたを潰し! 永遠を手に入れるッ!!」
ブレアーが声を荒げながら言うと、無数の剣が降り注ぐ。
しかも、次から次へと剣が上空に現れており、現れてはまた落ちる。
「今日の天気は剣の雨ってか。つーかボケ神様と同じ手じゃねーか」
『神託』に同じ事をされた時はナゲリーナが呼び止めて、武器の雨が降り注ぐ事はなかったが、今回も止まってくれるわけではない。
だが、前回と今回では圧倒的に状況が違う。
「……さてと、力借りるぜ。ナゲリーナ」
降り注ぐ剣の雨を、鉄パイプを振り回して防ぐ。
時には疾風を巻き起こし、時には黒い靄となって鉄パイプに吸収され、時には粉々に砕け散る。
「くそ! くそ! くそ! わたしの命は世界の宝とも言える研究者だ! そのわたしに虫けらが逆らうなど!」
剣の雨は次第に量が少なくなっていく。
「わたしがいなければ……わたしの知識がなければコネクターズカオス現象も解決できないのだぞ!」
剣が落下する速度は遅くなっていく。
「わたしは……永遠の存在……」
剣の雨は最後に、一本の剣が力なく落ちて……終わる。
「永遠なんざ存在しねえーんだよ」
尋賀は鉄パイプをゆっくりと肩に乗せて言った。
ーーー
「さてと、ガキにてめえの罪を背負わせた償い、してもらうぜ」
そう言って尋賀はゆっくりとブレアーの元へと歩いていく。
ブレアーは恐怖に怯えた顔で後退りする。
「や、やめろ! やめてくれ! わたしは消えたくない! わ、わたしは永遠の存在でいたい……!」
「へえーそうかい」
尋賀の歩みは止まらない。
「言っただろう!? わたしの知識がなければコネクターズカオス現象は解決しない!」
「そりゃー分かってるさ」
やはりとでも言うべきか、彼の歩みは止まらない。
「わ、わたしの無限の知識があればあんたが望むようにできる! 欲しい物も、世界すらも手に入れられる!」
「あっそう。んじゃー遠慮なくオレの望み言うか」
尋賀は、ブレアーの胸ぐらを掴む。
「てめえを殴らせろ」
「なっ!?」
尋賀は、ブレアーの顔を全力で殴った。
「がッ!」
殴られた勢いで、ブレアーは飛んでいく。
「ほい、願いしゅーりょー」
尋賀は手をブラブラさせながら言った。
ブレアーは殴られた場所を手で押さえながらゆっくりと起き上がる。
「くぅう……」
「オレの願い事はこれで終わりな」
「消さずに……殴るだけだと……?」
「そーだよ。わりーか」
尋賀はゆっくりとその場に座り込む。
「なぜだ!? あんたはわたしを消すつもりじゃ……?」
「話聞いてたのかよ? オレ、てめえを『どうにかすれば』ナゲリーナを救えるって言っただけで、てめえを殺すつもりなんざー初めっからねーよ」
「……わたしが、あんたの器を手に入れようとした時と……同じか」
「そんなところだな。てめえがどんな悪人だろうが、てめえがどんなに狂った奴だろうが、死んでいい理由なんてねーんだよ。『元』魔王様?」
「……甘い人間だ」
「甘いんじゃなくて、オレは悪人だからな。……これ以上の罪は背負えねえよ」
ブレアーは自らの手を見つめながら言う。
「今のわたしは『生きている』とは言いにくい状態だというのにか?」
「てめえが精神だけの存在だとか、あんたを殺しても法に触れねえとか『罪』ってのはそーいうもんじゃねーんだよ。『罪』ってのは約束みたいなもんだ」
「『罪』が……約束?」
ブレアーは、こいつは何を言ってんだと言いたげな表情だ。
「まーその……なんだ? オレは昔、騎士殿と約束しちまったんだよ。変わるってさ」
「だから『罪』は約束だと?」
「他人の痛みの分からねえ大バカ野郎だったオレが、他人の痛みを知って……オレが間違っていたって気付けて……そんで約束したんだよ。だからてめえを殴りはしても殺したりはしねえ」
「矛盾しているな。痛みを与えることを間違いだというならわたしを殴らないはずだ!」
「しゃーね。殴らなきゃ分かんねー奴は一発殴らねーとな? そー言うとこは臨機応変ってことで」
尋賀は手に持った鉄パイプを見つめる。
彼は静かに語る。
「……てめえは、かつてのオレと一緒なんだよ。他人の痛みに気付けねえ。知ろうともしねえ。自分のことしか考えていねえ。――でもそんなてめえでも変われるんじゃねーのか?」
「……わたしが変わる? わたしは変わるべきなのか?」
まるで反省でもしたかのように、しゅんとしている。
「へっ。随分と物分かりいいじゃねーか。良すぎて……」
尋賀はブレアーが投げつけた注射器を人差し指と中指で挟む。
「罠だってバレバレだっつーの」
ブレアーは演技を止め、凶悪な本性に戻る。
「誰が『罪』など償うものか! わたしは優秀な科学者だ! わたしのやることは全て正しい! 全て正――ぐぅ!」
彼が大きな声で喋っている時だった。
突如、ブレアーが大量の黒い靄を帯び、胸を押さえながらその場に倒れこむ。
黒い靄は、尋賀の持つ鉄パイプへと移動していく。
「おい! どうなってやがる!」
「……かつて、『神託』が言っていた。わたしの……存在が小さくなっていないか……と」
「どういうことだ? 存在が小さくなってるだぁ?」
「わたしのこの姿を維持できない……ということだよ。小娘は、このわたしの存在をその鉄棒に吸い取ってしまうつもりらしい」
尋賀は鉄パイプを見つめた後、遠ざけようとしたがブレアーは無駄だと言って首を横に振った。
「それって……死ぬってことか!?」
「……まさか、小娘ごときに存在を食いつぶされる……ほど……。わたしの存在が簡単に消えるほど……小さくなっていたとは……」
「じゃあてめえは相当弱ってたってことか? オレが来なくても、消えちまうほどに……」
ブレアーはその言葉に憎しみの炎を目に宿らせて尋賀に向ける。
どうやら、ナゲリーナ一人ではどうにもならなかったらしい。
「あんたさえ来なければ……あんたがここで小娘をさらに目覚めさせなければ……そもそもあんたが存在しなければ……。小娘一人ならばこんな結末にはならなかった。……全てはあんたによって歪んだのだよ」
「待てよ!? てめえが傷つけた奴らにまだ謝ってもねえのに死ぬんじゃねーよ!」
「このわたしに……あんたは死ぬなと言うのか?」
「当たり前だっつーの! 殺されて当然の人間なんざこの世にいねえ!」
ブレアーは倒れた状態から手を挙げる。
尋賀は、すぐにその腕を掴む。
「どうすりゃーいい!? 何か消えずに済む方法はねえのかよ!?」
「あ……る……」
「ホントか!?」
ブレアーはゆっくりと空いた手を動かす。
「……あんたの器を手に入れればな!」
その手に注射器を持ちながら。
尋賀の首に目掛けて、真っ直ぐ注射器は進む。
「そう言うとは思ってたんだけどな。……そう来るよな」
尋賀はブレアーの腕を掴む。
「流石にオレの器、渡したら本末転倒だしな」
「く……そ……」
ブレアーの注射器を持った手が黒い靄となって消えていく。
「消え始めたってか。……てめえを殺すつもりじゃなかったのに」
尋賀は自分の意図しない結果になってしまったことに、悲しく呟く。
反対にブレアーは急に笑い始める。
死を間際にして狂ったかのように、知的好奇心をくすぐられ笑う子供のように、常人には理解しがたい感性の持ち主らしく、狂気の笑い方で。
「ふへぇはははは……! そうだ。面白い……アイディアが浮かんだ…………。その……鉄棒…………のように…………をできる…………物を……。名をレ――」
最終的にブレアーの全身は黒い靄となり、黒い靄は鉄パイプに吸い込まれた。
「……最期までんなこと考えてるんじゃねーよ!」
尋賀の声はどこか虚しく。
どこか悲しげだった。
ーーー
「おい、ナゲリーナ! 聞こえてんだろ!? とっととオレをここから出してほしーんだけど!?」
尋賀は、鉄パイプを持って辺りを歩く。
どれほど歩いても、背景の毒々しい色が変わることがない。
「……ったく。恥ずかしがって隠れてんのかね?」
尋賀はその場を座り込むと、鉄パイプを回転させて、退屈しのぎを始める。
色々と考えながら、どうすれば正解だったのかを思いながら。
数回ほど回すと、
「おっと」
鉄パイプを落とす。
だが、その瞬間変化は訪れた。
「なっ! ヒビ入りやがった」
落下の衝撃かどうか不明だが、鉄パイプにヒビが入る。
遥かに巨大な摩天楼を真っ二つにできる、桁違いの強力な武器だった物がこうも容易く壊れてしまったことに、尋賀は驚きを隠せないでいる。
ヒビは次第に大きくなり、鉄パイプは粉々に砕け散った。
「なんだよ……一体……」
そして砕け散った鉄パイプから現れたのは黒い靄の塊。
形を持たず、宙に浮くそれは、まるで黒い炎。
尋賀が、その黒い靄を警戒心を持って近づいた瞬間。
「触っちゃダメ!」
少女の声が響く。
いつもよく聞く虚無的で感情を感じさせない声で喋る少女と同じ声。
尋賀は声をした方を向く。
「よっ、魔王様」
紅色の髪。無理やり美玲に着せられた黒と紫を基調としたドレス。大きさの合っていない白衣。
そんな格好をしている少女……ナゲリーナに尋賀は久しぶりとでも言いたげに手を挙げた。
「…………」
彼女は何を喋ろうか困ったような表情をしている。
「へっ! 折角挨拶してやったのに、最近のガキは冷たいねえ?」
「……だって、迷惑一杯かけちゃったから」
「あん?」
「だって! わたし、器を奪おうとしたり、魔物に変えようとしたり、魔物を解放しちゃったり、傷つけようとしちゃったから……だから!」
「あのな……」
尋賀は、ため息を吐きつつ、こめかみを抑える。
「てめえは何も悪くねえんだよ。悪人はブレアーで、てめえは何一つ悪い事しちゃーいねえっての。てめえが責任だとか、考える必要はねーんだよ」
「だけど……!」
「てめえはただ巻き込まれただけだ。てめえは何も悪いことはしてねえ。今までのは全部覚めねえ悪夢だったんだよ」
「覚めない悪夢……。本当にわたしは……何も悪くない?」
「悪くねえよ。極悪人に操られてたてめえが、悪人なわけねーよ」
「……ごめんなさい」
沈む表情で小さな声で彼女は呟く。
「ちげーだろーが」
だが、すぐに尋賀はその言葉を否定した。
「こういうときはしっかり目を見ながら『助けてくれてありがとう』だろーが。天才の器にされてたのに、言葉の選択を誤るんじゃねーよ」
「どうして……? わたし、一杯傷つけて、わがまま言ったのに?」
「てめえは何も悪くねーし、それに傷ついてねえよ。誰もな」
尋賀の言葉にナゲリーナは首を傾げる。
尋賀は目を逸らしながら言う。
「なんつーか、てめえを失えばオレ達の心がぽっかり穴が空いちまうっというかなんというか……」
尋賀は色々と言葉を選んでいるようだった。
要するに、身体の傷が増えることよりも心の傷の方が大きいということだろうか。
身体の傷はいつか癒えても、失ってしまったものはもう二度と戻らない。
尋賀が言いたいのはそういうことなのだろう。
「えっ〜と…………?」
「あん? どうした?」
少女は何かを言いにくそうにしている。
感謝の言葉がそんなに言いにくいのか、それとも別のことなのか。
しばらくすると彼女は言いにくそうに口を開く。
「名前が……分からないよ」
「あん? 記憶でもなくしたか?」
「そうじゃなくてその……あなたの名前が分からないの!」
怒られるのを覚悟で大きな顔を真っ赤にして声を出す。
今まで一緒に行動していたのに、名前すら知らないのは失礼だと思っているからだった。
そんな姿の彼女に尋賀は笑顔で返す。
「へっ! そーいや、てめえが一度もオレらの事、名前で呼ばねーで、二人称でずっと呼んでたよな?」
彼女はコクリと小さく首を縦に振る。
『お前』やら、『お前達』やら。
ブレアーにしても『あんた』。
ブレアーは他人の名前に興味がないらしい。
もっとも、尋賀の人の呼び方はもっとひどいが。
「いいぜ、今度はちゃんと覚えな。優等生は天城 優作。騎士殿は矢薙 美玲。のの女はルシェール・ノノ。そんでオレは魔王軍最強の坂巻 尋賀様な」
彼女はもう一度小さく頷くと、小さな声で言う。
「……ありがとう、尋賀様。助けに来てくれなかったらわたし一人じゃあ、あの人を止められなかったから」
彼女の言葉に尋賀は笑顔で返す。
「やっぱ『様』はなしで」
『様』は冗談だったが、通じずに滑ったギャグのようになってしまった。
尋賀のその言葉に沈んでいた表情だった彼女が少しだけ笑った。
滑ったギャグに対する失笑のようなものだが。
「さてと……この黒い靄。どうすりゃーいいんだ? つーかこれって、元魔王様なんだろ?」
「うん……。正確には意識と記憶の集合体……」
「これを消せば、てめえを苦しめてた元魔王様から解放されるわな」
「でも同時に、コネクターズカオス現象を止める術も失っちゃうよ」
尋賀は考え込む。
しばらく精神世界に静寂の時が流れてから尋賀は言う。
「……世界の為に、てめえが苦しむ必要なんかねえ」
「えっ? どういうこと?」
「そのまんまの意味だよ。ガキの犠牲と世界を天秤にかけられるかってんだ」
「でも……お母さんもお父さんも……世界の人も、みんなみんな死んじゃうんだよ!?」
「へへ。そりゃー魔王様の大事な人間が生きてるこの世界が消えるのを黙っていられないよな」
尋賀は、ゆっくりと黒い靄の塊に手を伸ばす。
「これをオレが取り込めば、オレが魔王様になれんだろ? どうすりゃーいい?」
尋賀は決意のこもった瞳で、決意のある声で言う。
しかし、ナゲリーナは反対のようだった。
「ダメッ!」
尋賀の前後左右に鉄格子が現れ、黒い靄の塊に近づけなくなる。
この鉄格子はナゲリーナが呼び出したようだ。
「魔王様? なんのつもりだ?」
「……あれは、わたしが取り込む、から。だから……」
「魔王様、それ自分で言っている意味わかってんのか? んなことしたら、また同じことになるだけだろーが!」
「……今まではわたしはブレアーに支配されていた。でも今度はわたしがブレアーを支配する」
「オレ達の行動の意味がなくなるだろうがッ! てめえはもう元魔王様に解放されたんだよ! てめえだって、自殺を覚悟してまで苦しみからの解放を望んでたろ!!」
「わたしが……いつ完全に解放されたって言ったの?」
「……どういうことだ?」
「ブレアーを倒すってことは、ブレアーの意思を一旦止めるっていうこと。死ぬわけじゃない」
「へっ。ここは現実じゃねーから、ブレアーの死ってのがねーのか。結局、意識と記憶は消えることはねえってか」
尋賀は鉄格子を強く握りしめる。
言葉にできない感情を、鉄格子にぶつけている。
「でも、今の状態なら主導権をわたしが握れるから」
「……異常者の殺人の記憶がてめえを苦しめるかもしれねえ。異常者の狂った行動を平気で行うようになるかもしれねえ。要するに闇に堕ちるってことだぞ」
「……うん。でも世界を救えるから」
「自分から闇に堕ちるってか? ガキがそんなもん背負うんじゃねーよ……」
「わたしはこの精神世界で何もできなかったから。頼りっぱなしだったから。だからせめてものブレアーの記憶は取り込まなくちゃ」
笑顔で彼女は言う。
彼女の表情はいつも虚無的で、彼女の笑顔など知らない尋賀でも、無理をした作り笑いだとすぐに見抜けた。
「……そんなことねーよ。オレが来たところで、てめえの鉄パイプが無かったら、元魔王様にすぐに潰されてたに決まってらー」
「ううん。わたしだけだったら、抵抗できなかった。でも、尋賀を助けたいって強く思ったから、出来たの」
「…………やめろ。もう、十分だろ? オレが代わりに背負い込めるんだぞ?」
「やめない。……わたしはブレアーの記憶を取り込んでみせるから」
「…………バカ野郎が」
尋賀は見たくないとでも言いたげに目を閉じ、ナゲリーナはゆっくりと黒い靄の塊に手を伸ばす。
「魔王様。……また、てめえがブレアーの記憶で苦しんだら、オレが救ってやるよ。……何度でもな」
ナゲリーナが黒い靄の塊触れた途端、辺り一面が真っ黒に染まっていく。
「――――ッッッッ!」
ナゲリーナは歯を食いしばって、黒い靄の塊に触れている。
「ナゲ――」
尋賀は少女の名を呼ぼうとした。
だが、発した言葉は最後まで言えず、意識は薄れていった。
ーーー
(…………さみぃ)
尋賀は肌を刺すような風で目を覚ます。
目を開けると、彼の顔を覗き込むように見ていたナゲリーナがいた。
「うおっ! 魔王様!」
尋賀は急いで起きあがる。
どうやら精神世界というところから出たらしく、今まで二人のいた上空のようだ。
「…………」
彼女は静かに、何も言わず。
虚無的な瞳は今までと変わりない。
「……ブレアーを完全に取り込んだ」
唐突に彼女は口を開く。
その声はいつも通りで、感情を何一つとして感じさせない。
「……そうかよ」
「もうこれでブレアー記憶はわたしのもの」
「……結局オレはてめえを救えなかったって訳か」
静かに、冷静を装いながらも、悔しそうで、自分に対して怒りをぶつけているようだった。
「違う」
「何が違うんだぁ!? 結局てめえは魔王様のまんまじゃねーか! ただのガキに戻れてねーじゃねーか!」
「でもわたしは救われた」
尋賀はハッとした表情で、黙る。
「わたしの心は……ブレアーによって意識と記憶を植えられた時に奥底に沈み込んだ」
でも、と彼女は続ける。
「『尋賀』はわたしの奥底に沈んだ心を呼び戻した」
「……何もしてねえよ、オレは」
「そんなことはない。お陰でブレアーの意識と記憶を完全に取り込んだ」
「……主導権を、握るってやつか?」
「そう。だからわたしのシュヴァルツレーヴェは今までと変わりない」
もう一度彼女はでもと続けた。
「今度はわたしの意思で歩む」
尋賀には彼女がちょっとだけ笑ったように見えた。
すぐに無表情な少女の顔が見えるが。
「異常者の意識と記憶を取り込んでも大丈夫なのかよ? 非道な実験の記憶とか、なんか衝動的なのはねーのかよ?」
「わたしは、何が間違いで何が正しいのかは分かっているつもり」
「大丈夫ってことか?」
「好きに解釈すればいい」
「……どうだか」
尋賀はそれでも何一つとして納得していない表情だった。
空は暁。
仄暗く、もうすぐ日が昇り、新たな一日を迎える一歩手前。
「ここから降りる」
ナゲリーナが淡々と言うと、陣を空中に描き始めた。
尋賀はその姿を見て、今までと何が変わったのか分からなかった。
少女らしからぬ冷めた態度。
感情のないような淡々とした声。
光のない瞳。
ただ一つ尋賀はあることが変わっている事に気づく。
「なあ、魔王様」
「これから、下降の陣を描く」
「いやそうじゃなくて」
ナゲリーナは何かと思い、陣を描いていた指を止める。
「足場、狭くなってね?」
尋賀の気づいた変化。
それはナゲリーナの本人ではなく、陣で描かれた足場のことだった。
「……消える一歩手前まで来てる。急げば間に合う」
「つーか、もう消えてね?」
二人は急降下を始めた。
「魔王様ッ! 早くどうにかしてくれッ!」
尋賀は急降下しながらも、ナゲリーナの腕までたどり着き、腕を掴んで言う。
かなりの速度で落ちているらしく、大きな声を出さないと相手に声が聞こえないほどに。
「…………」
ナゲリーナは何も言わずに指先を光らせる。
いつもはこのまま描いていたが、いつもと違う軌跡ができている。
まっすぐ一本の光の線。
今の状況を簡単に説明すると。
落下中だから、陣を空中で描けない
「うおおおおいっっっ! 嘘だろォ!」
尋賀が珍しく声を荒げて、冷静さを失う。
もっとも、パラシュート無しのスカイダイビングをして焦らない人間は少ないだろう。
「…………さようならお父さん、お母さん」
「万事休すってか!? つーか完全に諦めてやがる!」
完全に冷静さを失い、余裕たっぷりの嫌味も言えなくなっている。
「なんかねえのかよ! 薬品とか! 魔法とか!?」
「魔法ならある。翼を生やし、飛翔する魔法が」
「それ、オレの背中とかに描けねえ!?」
「狭い」
終わる。
その一言だけで全てが終わる。
死に直面しているのにたったの一言で終わる。
他の言葉など不要などと言わんばかりに終わる。
「クッソ役に立たねえのな! 魔王様の魔法は!?」
時間はかかる。
正確に描かないといけない。
落ちている時は描けなくなる。
(役に……立たない……?)
尋賀は自分で言ったその一言が妙に引っかかる。
そんな人物を、尋賀は知っている。
強者で、異世界の管理を行う神だという男。
強さは役不足と言えるに相応しいほどの力を持ってはいるものの、同時にまるで役に立たない。
「…………」
尋賀はゆっくりと自身のポケットに手を突っ込むと、隅っこの方にあった。
絶対の、絶対に役に立たないと思っていたのに、極めて限定的な状況しか役に立たないそれを。
「魔王様……魔王様の魔法って空中か、物に描いて発動するんだよな?」
「そう」
少女は無表情に何かを祈りながら答える。
何かの宗教かは分からないが、一つ言えることは完全に諦めているということだろうか。
「よし、ちょいと待ってろ」
小さな石をポケットから取り出す。
「板ぁ出しやがれ!」
尋賀は大きな声で言うと、石からにゅぅ〜っと嫌な音を出しながら木の板が出てきた。
だが、地上には確実に近づいており、尋賀がツッコム暇はなく、すぐに板を持つ。
「魔王様! この板に描けねえ?」
ナゲリーナは、何が起きたのか一瞬分からないでいたが、すぐに頷く。
「任せる。しっかりと持つ」
「あいよ、任せてろ!」
言うが否やすぐに板に陣を描く。
現在進行形で自由落下中ということもあり、尋賀は板を片手で持ちながら、もう片方の手はナゲリーナの腕を持つ。
そのナゲリーナは冷静に、無表情ながらも、陣を描いていく。
冷静というよりもいつものように冷めている感じだが。
「…………」
「…………」
尋賀はこんな状況で声を出したところで仕方がないと思い、声を出さないでいるが、いつも以上に無理をしているのが表情に出ていた。
「完成」
ナゲリーナはそう言うと、尋賀の足を抱きつくようにがっしりと掴んだ。
尋賀も板を両手で持って、上に持ち上げる。
「しっかり掴まってろよ、魔王様!」
板に描かれた大きな幾何学模様。
その幾何学模様から、木の板には相応しくないほど巨大で、純白の翼が生え、ゆっくりと翼は動く。
それに合わせて急降下していた二人が、ゆっくりと落下速度を落とす。
最後には空を飛んでいるかのようにゆっくりと下降していた。
「さ、流石に死んじまうかと思ったぜ……」
「……わたしも」
尋賀の足にしがみついたままのナゲリーナと話し合う。
「……さて、地上に戻ったらあいつらになんて説明すればいいんだろーな? 魔王様?」
「わたしの事を気にしてる?」
「……まーな」
「これが一番全員にとっての幸福な選択」
「その代わりてめえが不幸なのは変わりねーけど」
「そんなことはない」
彼女の虚無的な言葉の中に、尋賀はどこか力強い意思のようなものを感じ取った。
「……へっ! まーいいや。てめえがまた苦しんだ時にゃーてめえを救ってやるぜ。異世界の壁とかぶっ壊してな」
「無理だと言いたいが、期待している」
高度が落ち、やがて地上が見えてくる。
地上には、優作や美玲。草の上で寝そべっているルシェールの姿が見える。
「へへ。魔王様、お出迎えが来たぜ」
「……うん」
優作と美玲が二人の真下に来た時だった。
木の板についていた不自然な翼が消え、木の板は何の変哲も無いただの木の板に戻る。
「どわっ!?」
「……!」
尋賀とナゲリーナは真っ逆さまになって落ちる。
しかも悪い事に、尋賀は美玲の頭の上に、ナゲリーナは優作の上に。
「イテっ!」「痛っ!」「うわっ!」「……」
尋賀と美玲は頭同士をぶつけ、優作にはナゲリーナがぶつかり、彼を押し倒し、ナゲリーナは優作の上に馬乗り状態になる。
「てえな!」
「うう、どうして空から……」
尋賀と美玲は頭を押さえながら横になっている。
「ちょっ! ナゲリーナ重いよ!」
「…………」
ナゲリーナは上に乗っかったまま優作の首を絞め始めた。
「女性に重いは失礼」
「ぐるじぃ〜! ごめんっでば〜!」
優作のその言葉を聞いて、ナゲリーナはゆっくりと優作の上から降りて、草の上に寝転がる。
「へへ、全員、草の上でお寝んねか」
尋賀は空を見る。
日が昇り、新たな一日を告げる太陽の光が彼らに当たる。
「太陽が、オレ達に笑いながら紫外線飛ばしてきやがるぜ」




