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天に向かう想い

「始めようぜ魔王様……最後の喧嘩をな」


外。それも天空に向けて上っていく陣の上で尋賀とナゲリーナは向かい合う。

無表情のナゲリーナに、前を向いてナゲリーナの顔を見ようとしない尋賀。

尋賀の望まぬ戦いが始まろうとしていた。


「なら早く向かってくる」

「んだよ。突っ込んでいくのはオレの流儀じゃねーって」

「…………」

「へっ。冗談の相手、してくれねーと寂しんだけどな」


ナゲリーナは無表情に白衣のポケットから蓋のついた試験管を取り出し、蓋を少し開けると、尋賀にゆっくりと投げた。


「さようなら」


ゆっくりと山なりの軌道で試験管は飛んでいく。

地面に落ちた衝撃で蓋を外し、中の薬品を尋賀の周りにばらまくのが目的だろう。

当然、尋賀は黙って見ているわけがない。

尋賀は、試験管を鉄パイプを一回転させ弾いたようにみせた。

だが試験管はどこかに飛んでいった訳でもなく、割れた訳でもないようだ。


「ほい、どーも」


尋賀は鉄パイプをゆっくりと立てると、穴から試験管が出てくる。


「抵抗しないかと思った」

「まだ喧嘩、始まったばかりだろ。まだまだ楽しもーぜ」


尋賀は試験管の蓋をしっかりと閉めると、ナゲリーナに投げ渡した。

投げ渡されると思っていなかった彼女は、落としそうになるも、受け取った。


「……なんのつもり?」

「なんのつもりって、そりゃお前、返しただけだろーが」

「……どうして返したと聞いている」

「こんなことになっちまってもオレ達仲間だろ? 仲間の落とし物、返しただけだって」


尋賀は何でもないように笑うが、ナゲリーナは表情を変えて言う。

怒りに満ちた表情で。


「お前がなぜそんなことを言う!?」

「んだよ。たまにはそんなこと言わせてくれたって良いじゃねーか」

「計算違いは何度もあったが今までの一番の計算違いはお前という存在だ! 消えろっ!」


ナゲリーナは注射器を数本構えると、一斉に投げた。

それに対して尋賀は、鉄パイプを目の前で旋回させ、飛んで来た注射器をすべて弾いた。


「んじゃ、今のは計算違いだったか?」


くるりと鉄パイプを回し、肩に乗せる。


「『消えろ』って、オレの身体を奪うんじゃなかったのかよ」

「うるさい!」


ナゲリーナの右指の先が光り始める。

ナゲリーナが魔法を使う合図。

光は、空中に浮かび上がり幾何学模様を形成していく。

彼女が陣を描き始めると同時に足下の陣が光り始める。


「なんか盛大だな」


尋賀は足下を見ながら、呟く。

空中に浮かび、模様が回転し、ナゲリーナの魔法に反応して光り始める足場、それと幾何学模様の隙間から見える地上の景色などが、普通の人間には経験できない体験だと尋賀は思った。


「……なぜ止めにこない」

「そりゃーてめえを傷つけたくねーからじゃね?」


ナゲリーナは表情を変えるが、黙って陣を描き続けることに集中する。

しばらくすると、大きな幾何学模様が完成した。

尋賀は何が飛び出すのか警戒したが、何も飛び出さず、代わりに幾何学模様が尋賀に迫って来た。


「落ちろ!」


ナゲリーナの言葉で幾何学模様はさらに横に、縦に広がり、尋賀には足場から落とそうとしているように見えた。

尋賀はすぐに横に逃げられないかと思ったが、ナゲリーナが今発動した魔法の壁の方が横幅が広く、足場の魔法よりも広くなっている。さすがに足下の陣が描かれていない場所は落ちるだろう。


「どうすっかな?」


ならどうすればいいか。尋賀は既に決まっていたにも関わらず考える振りをする。

すぐに考える振りを止め、尋賀は壁に向かって走りだす。

途中で鉄パイプを立て、彼はジャンプした。

棒高跳び……というよりも鉄パイプを上っただけと言った方が良いのかもしれないがとにかく彼は棒高跳びの要領で飛んだ。

尋賀は壁を越えると、空中で鉄パイプを上に放り投げる。


「よっと」


一足先に尋賀が着地すると、鉄パイプも回転しながら吸い込まれるかのように手に落ち、そのまま肩に乗せた。


「十点、十点、十点の着地ってな」


要するに満点の着地ということだろうか。

その冗談をナゲリーナは当然のごとく無視する。


「ちょっとくれえは反応してくれたっていいだろ?」


尋賀のその言葉さえも無視する。


「……なあ魔王様。オレ達が戦う理由なんてねえだろ? やめにしないか?」


尋賀がそう言った途端、ナゲリーナの表情は変わる。


「理由ならある! お前の身体を奪い、新たな器とする!」


表情を変え、尋賀を指差し彼女は宣言した。

しかし、その表情もまたすぐに変わる。


「……うっ」


すぐに彼女は頭を押さえながら、うずくまる。


「……理由ならある。わたしを……殺して……」

「ナゲリーナ……」


器にするのが目的なのか、殺してほしいのが目的なのか。

どちらにせよ、ただ一つ言えることは尋賀はどうすればいいのか分からなかった。

彼女を真の意味で救う方法がこれっぽっちも見つからない。

どうすればいいのか、一つも思い当たるものが、ない。


(どうしてこんなことになっちまったんだ? もう全ては元に戻らないのか?)


尋賀は一人、首を横に振る。


(――まだだ。まだ終わった気になるな。死ぬのは全てが終わってからだ。まだオレは……オレ達は死んじゃあいねえ! 生きてる限りオレは……諦めるわけにはいかねえ!)


尋賀はぎゅっと鉄パイプを握る。

彼の覚悟に対して、ナゲリーナは無表情で陣を描き始める。


「てめえをブレアーの呪縛からぜってえ救うぜ、ナゲリーナ!」

「お前ごときの安い命で何を言う」

「一人なら安いかもな。でもオレは今、仲間の想いを背負って誓っちまった。だからてめえを救うためならなんだってする。絶対になぁ!」

「……仲間」

「なあ、戻ろうぜ。みんなのところに」

「…………」


彼女の陣を描く指が止まる。

だが、すぐに指は動き始める。

尋賀は静かに口を開く。


「……魔王様。オレ達の出会いはなんだったんだ? オレ達の友情を壊すのか? オレ達は友達じゃなかったのか?」

「……黙れ」

「オレ達は普通は出会うことさえもできない異世界で巡り合った。てめえはオレ達のことを友達って認めた。だってのにその友情を壊すのかよ」

「黙れと言っている!」


尋賀の説得は届かず、幾何学模様は完成する。

その幾何学模様に尋賀は見覚えがあった。


「消し炭になれ!」


その幾何学模様は龍の模様があり、尋賀達の世界で魔物を焼き尽くした魔法だ。


「まだ消えるわけにゃあいかねえんだよッ!」


尋賀は炎が飛んでこない位置にまで逃げる。


「!」


ナゲリーナが指を尋賀の方に向けると、描かれた幾何学模様も一緒に尋賀の方に向いていた。

陣から炎の龍が飛び出す。

尋賀は鉄パイプを地面に擦りながら走る。

足場になっている陣は金属との摩擦が起きるのか、火花が散る。

全力で足場を走り、ナゲリーナは尋賀を追うように指を向ける。炎の龍というよりも火炎放射が尋賀を追う。


(くっ……!)


魔法による灼熱。

触れてはいなくとも、高温が尋賀を襲い、さらに炎が近づくほど温度は高くなる。

魔力や超常的な力も持たない彼にできることは、足場のギリギリを走り続け、逃れ続けることだけだった。


(なんで動かせんだよ!?)


尋賀はどんどん速度を上げ、それに伴い、鉄パイプから飛び散る火花の量も多くなる。

大きな足場を二週、三週と走ったところで、幾何学模様は消え、炎も消える。尋賀は急ブレーキで止まると、彼はそのまま何もすることなくその場で立ち止まった。

そのまま隙だらけのナゲリーナに攻撃することもできたが、尋賀はそのようなことはしない。


「そう簡単にオレを消せるかよ」


鉄パイプで自身の肩を軽く数回叩く尋賀。

少し、汗が流れているものの、余裕気な顔は崩していない。

それを見てナゲリーナは立ち止まった尋賀に向かって黙って注射器を投げる。

飛んできた注射器を、鉄パイプを腕だけ動かして弾く。


「しつこい」

「そう簡単にくたばれねえからな。つーか魔法って途中で動かせたか?」

「それが?」

「……つれねえな。今までみてえにベラベラ喋ってくれよ。頼むからさぁ」

「……この足場の陣は、陣の位置に関する魔法。この上にいる限りわたしの魔法は空間上を自由に魔法を扱える」

「俗に言う補助魔法ってやつか。魔法を自由に向き変えられるって類の」

「……最期に聞く言葉はそれだけ?」

「いいや。ブレアーとか、お前が今どういう状態だとか、どうしてお前がちょこちょこ態度を変えるかとか色々聞きてえんだけど」

「それを全て聞き終えるまでに生きていればだけど」


ナゲリーナはまた新しい試験管を取り出す。

だが今までの試験管と異なり、中には小さな卵が数個入っていた。

その卵は紫やら青やらで不気味な色をしている。


「気色のわりー卵だな」

「わたしはそうだとは思わない」

「……オレは食欲、起きねえけど」


ナゲリーナは蓋を開けると、もう一本液体の入った試験管を取り出す。

液体の試験管の中身を卵の方に注ぐと、蓋をして卵の方の試験管を足下に捨てる。


「そんで次は何見せてくれんだ?」

「魔物化した卵が孵化をする瞬間」

「へへ。ちゃんと目に焼き付けておくぜ」


嫌なものを見せてくれるなぁと思いつつ尋賀は鉄パイプを構える。

卵はすぐに変化が起きた。

卵が割れ、試験管が割れ、そこからは異形の虫が五匹、孵化する。

幼虫だった虫は、あっという間に成虫になる。

人の顔ほどの大きさの蜂。

体色は緑色で、蜂の象徴とも言える針は、代わりに剣になっていた。


「さあ、あの者を殺してしまえ!」


ナゲリーナがそう宣言すると、尋賀の周りを虫たちは飛び交う。


「魔物なら容赦なくぶっ潰せるな」


尋賀は少しだけ笑って見せる。

しかし、表情こそ笑ってはいるが心の中は笑いという感情とはほど遠く、暗い。

彼女が別人に思えるほど、攻撃的で、どんどん彼女を救うすべをなくしているように感じたからこそ、不安や色々な感情が彼の中で渦巻いている。

そんな彼を嘲笑うかのように五匹の魔物は尋賀の死角と隙を狙い、高速でぐるぐると周りを飛んでいる。

その内の一匹が尋賀の首を狙う。


「……!」


驚いたのはナゲリーナの方だった。

尋賀が逆立ちをして、蜂の剣を足で受け止めたのだ。


「おら! 潰れろ!」


尋賀は、逆立ちの状態で、手で飛び上がり、全体重を乗せて魔物を踏み潰した。

踏み潰された魔物は黒い靄となり消滅する。


「ただの人間風情がどこまでも抗ってくれる」

「ああそうだよ。オレは魔法も使えない、超がつくほど強えわけじゃねえ。ただの人間だ。でもオレは普通の人間よりも五倍強い。なんでか知ってるか?」


ナゲリーナは答えない。

正確には今までのように無視しているのではなく分からないからこそ答えなかった。

なぜ五倍なのか。

ハッタリで言っているのだろうか。

それにしては微妙な数値だ。

ハッタリで言うなら百倍だとか千倍くらい言うのが坂巻 尋賀という人間だ。


「んじゃ、答え発表と行こうじゃねーか」


尋賀がそう言っている間にも、魔物は正面からその剣で尋賀を貫こうとする。

だが尋賀はその棘を指で挟んで止めた。


「その力は昔のオレにはなかったもんだ」


尋賀が足場の外に向けて魔物を投げ捨てる。

魔物はその羽でバランスを取ることができず、姿が見えなくなるところまで落ちる。


「何かの力を手に入れたということ?」

「ああ。望んじゃあいねえのに、なぜか手に入っちまった」


尋賀の前後に魔物が迫る。

尋賀は屈んで剣を躱すと、二匹の魔物は尋賀の頭の上を交差する。

その隙をついて脇から鉄パイプを通して魔物の背中を突く。

そしてもう一匹の飛んでいる魔物の羽を手で掴むと、足場の外に放り投げる。

二匹の魔物もまたバランスを失ったまま落ちていく。


「よく聞いておけよ、魔王様。オレの力はな四人の力を借りてんだよ」

「四人……? 借りる……?」

「そうだ。だから今のオレは普通の人間より五倍強いんだよ」


最後に残された魔物は彼をどこから狙うか迷ってるかのように周りを飛び回ったまま、尋賀に近づこうとしない。

そんな魔物を尋賀は鉄パイプで殴り飛ばした。

高速で空を飛び回っていた魔物を、空中で。

魔物はまた黒い靄となり、消える。


「お前が言っている事はデタラメ。他人から力を借りるなどあり得ない」

「あり得ないかどうかはすぐに分かるぜ、魔王様」

「……じゃあお前に誰が力を貸している?」

「んなもん決まってら。騎士殿に優等生にのの女、魔王様。――美玲に、優作にルシェールに、そんでお前だよ魔王様。合計四人、オレも含めて五人分。だからオレの力は五倍ってな」

「何を言っている? わたしは力など貸した覚えなどない」

「覚えがなくても借りてんだよ」


ナゲリーナは彼が何を言っているかをしばらく考えると、口を開いた。


「根拠のない根性論。やはりお前はただの人間で、わたしに逆らうのに相応しい存在じゃない」

「根性論舐めんなよ。オレの根性、信頼して、オレに命を預けてる奴らがいんだよ」


尋賀は思わず失笑した。

しかし、その顔は暗いものが心にありつつもどこかに明るさを感じさせるものだった。


「…………」


ナゲリーナは、尋賀の背中に、優作や美玲、ルシェールの幻が見えた気がした。


「だからてめえをぜってえ殺したりはしねえ! 死なせもしねえ! 苦しませもしねえ! 全てが終わったらぜってえ母親の元に帰す! だからオレは……オレ達はぜってえにてめえを救って見せる! オレ達の想いは何にも負けやしねえ!」


尋賀が声を荒げながら言った。

吠えるように、自分の中にある全てを吐き出すように。


「母親……お母さん……」


彼女が尋賀の言葉に反応したかのように、俯きながら頭を押さえる。

しばらく下を向いていたナゲリーナはやがて歯を剥いて怒りを見せる。


「器の心を……何度揺さぶれば気が済む!」

「何度だって揺さぶってやるぜ! その器の真の主が誰かってのを教えてやる!」


ナゲリーナは幻が一人増えていることに気づく。

それが、自分自身だと言うことにひどく驚き、そして怒りもまた大きくなる。


「根性論に感化されたか……! わたし自身がわたしを裏切ったというのか、器風情が!」

「…………」


尋賀は彼女が何を言っているのか分からなかった。

もっとも異常者の記憶を引き継いでいるからこそ、感情に任せた暴走をしているのだと尋賀は思っていた。


「ほら落ち着けよ。そんで帰ろーぜ。地上に、みんなのところに」


尋賀はゆっくりとナゲリーナに近づく。

警戒しつつ歩いたが、やはりとでも言うべきか彼女は注射器を振り回してきた。


「いい加減にその口を閉じろ!」

「閉じろじゃねーだろ。それ、閉じさせてるって言うんだよ」


ナゲリーナの動きにあわして尋賀は軽々と躱す。

躱されても躱されてもナゲリーナはしつこく注射器を振り回すが、子供の体力相手に躱すのは容易かった。


「くっ……! もういい! お前は器にする予定だったが、処分することに決定した!」

「処分って今までそのつもりじゃなかったのかよ」

「今からお前を、本気で殺す!」

「……殺せるもんなら殺してみやがれ!」


いよいよ殺気すら感じるようになってきたナゲリーナ。

そんな彼女に対して、今まで以上に気合いを入れ、彼女を本気で救おうとする尋賀。

時間と共に上がってきた高度は、もはや自分たちが今までどこにいたのか分からなくなるほど離れていた。


「…………」


尋賀はナゲリーナの行動を注意深く観察する。

彼女のことだ。

また何かの薬品を使ってくるのは考えなくても分かる。

だがその薬品がどのような作用があるかは予測できない。

それは魔法も同じだ。

彼女の魔法の弱点は発動が遅いことにある。

だがその魔法を妨害しなければ、遅かろうが早かろうが同じだ。

魔法など無縁な尋賀にとって、どれほど凶悪なものが飛んでくるか分からない。

だからこそ、どちらを使われてもすぐに対応できるように、十分な警戒をしなければならない。


「…………」


ナゲリーナが取り出したのは試験管だった。

液体の色は赤色。

蓋を開けると、


「な、何してやがる……!?」


ナゲリーナは自身の足下に液体を全て垂らした。

それを見た尋賀は既にそれといつかと同じ光景が重なっており、彼は眉を寄せた。


(くそ!)


尋賀は、その場から一歩も離れようとしないナゲリーナを掴むと、液体から離れた。

彼の予想通り……というよりも、前と同じように爆発が起きる。


「ぐっ……ぅ……!」


爆発には巻き込まれなかった。

だが、爆風が強く、尋賀はナゲリーナを背中で庇う。


(いや、これは……!)


尋賀が罠だと気付いた時には注射器が彼の首、目掛けて迫ってきていた。


(……っ! ぶねえ……!)


尋賀は首の皮、一枚分の所でナゲリーナの腕を掴んだ。


「しつこい……!」


ナゲリーナが悔しそうに顔を歪めている間に尋賀は彼女から離れる。


(あの時と同じ手口かよ……)


尋賀は思い出す。

彼女と初めて出会った時。

彼女は面倒な戦いをすぐに終わらせるために自爆してすぐに戦いを終わらせようとした。


「……危ねえ」

「いいかげん抵抗をやめる!」


ナゲリーナは怒りで顔を歪める。

だが、怒りはすぐに消え、涙目で後悔混じりの顔に変わり、自身の首を爪で引っ掻き始めた。


「やめて! どうしてわたしはこんなことを!? 嫌だ嫌だ嫌だ……!」

「おいやめろ! それ以上掻くんじゃねえ!」


尋賀の言葉で彼女はぴったりと止まる。


「お前は……また器の心を揺さぶったな!?」


ナゲリーナの瞳はもはや憎しみにも似た、暗い光を宿していた。


「……どうすればお前をその苦しみから救えんだ?」


尋賀は下唇を噛んだ。

もし彼が早く彼女と出会っていたら、彼女にブレアーの意識と記憶を植え付けられなかった。

もし彼が早く前の器に出会っていたら、代わりに彼が器として意識と記憶を代わりに植えられれば、彼女は全てに関わらずに済んだ。

そんな想像をし、後悔混じりに尋賀は彼女との出会いを振り返るが、もはや器にされてしまったナゲリーナは手遅れだ。

今から尋賀が器になったところで、ナゲリーナは消滅する。

それでは何の意味もない。


(寒くなってきやがった……。風も強くなってきやがる)


すでに尋賀とナゲリーナの息が白くなっており、空気も薄くなってきていた。

どれほどの時間が経ったかは分からないが、かなりの高度になってきていることしか分からなかった。


「へ……へへ……。こんな寒い時は……昔が懐かしくてたまんねえ、ぜ」


尋賀は昔を思い出す。

帰る場所がなく、外の寒い風に当てられ続け、誰も彼を助けてくれる者などいなかったかつての時を。


(……オレの昔の苦しみよりも、こいつは苦しんでんのかもな)


だが、すぐに尋賀は空いた手で自身の頬を二回、三回と叩いた。


(……でもオレは一人だったがこいつは違う。オレはこいつを救うことができる。だから絶対に救う! 絶対にな!)


尋賀は無理な作り笑いをナゲリーナに見せる。


「魔王様。一緒に帰ろうぜ。な?」


尋賀はゆっくりと歩き、彼女に手を差し伸べる。


「…………」


ナゲリーナは差し伸べられた手に、自身の手を伸ばし。


「っ! てえな」


尋賀の手を弾いた。


「また……揺さぶった……! 友達だって思っていたのに!」

「オレは裏切ったわけじゃねえって!」


尋賀の言葉は届かない。

彼女はまた、卵が数個入った試験管と、液体の入った試験管を取り出す。


「お前は……わたしが長年研究し、開発した究極の魔法で葬り去る」


卵の入った試験管に、液体を注ぐと、彼女は蓋をし、頭上に陣を描き始めた。


「オレは味方だ! 友達だ! オレは敵じゃねえって!」

「わたしと対等に口を開くな!」


陣が完成すると、ナゲリーナは試験管を上に放り投げた。


「お前をこれから、わたしが今まで研究してきた中で最高の研究成果を見せる」


頭上に描かれた幾何学模様から炎が飛び出し、試験管が炎に飲み込まれる。

炎がはるか上空へと昇っていき、試験管があった場所には蜂の魔物が四匹飛んでいた。


「……また魔物か」


尋賀は鉄パイプを握りしめるが、魔物は彼を襲わず、魔物の剣の先が光り始めた。


(なっ……! 魔法使えんのか!?)


魔物はナゲリーナがいつもやるように光で陣を描き、光は空中で留まる。

足場も今まで以上に光り輝き、あっという間に空に巨大な幾何学模様が出来上がる。


「さあ、異世界のゲートを開く!」


彼女の宣言と共に幾何学模様が半分に割れ、黒い空間が空に現れた。


「この先を通れば異世界へと行ける。ただし、お前の全身をバラバラとなり、身体のパーツはバラバラとなって異なる様々な世界に送り込まれるがな!」


ナゲリーナは両手を広げ、高々と声を挙げる。


「コネクターズカオス現象を予測不可能カオスの世界の数々に強引に接続した! これがわたしが長年かけて研究した究極の魔法! 名付けるなら究極魔法、無秩序接触コネクターズカオス!」


もはや彼女の顔は少女とは思えぬほど狂気で歪んでいた。


「さあ、異世界へと渡れ!」


ナゲリーナの言葉と同時に黒い空間が風を吸い込み始めた。

ただでさえ上空で風が強いのにも関わらず。


「やな掃除機だな! 一家に一台くらい欲しいくれえだぜ!」


尋賀は軽口を叩くが、吸い込む力はどんどん強くなり、魔法の上を飛んでいる一匹の魔物を除いて全て吸い込まれていった。


「つーか異世界をブラックホールみたいに使ってんじゃねーよ!」


尋賀はどうにかして、この魔法を止める方法はないかと考えるが、刻一刻と吸い込む力は強くなっている。


(魔王様の魔法は永遠じゃねえ! 時間でも待てば止まるか?)


尋賀は自身の考えにすぐに頭を振った。


(そんなことする前に異世界に渡っちまう……か!)


しかも、今までの陣の中で一番大きい。

そんなものがすぐに消えるものとは思えなかった。


「とめ……ないで……」

「ナゲリーナ?」


不意にナゲリーナが小さな声で呟く。


「この魔法で……わたしは、わたし自身を……止める、から」

「……何?」

「わたし……もう、もう……いや」


彼女はうずくまり、頭を押さえた。

そして、消えそうな声で呟き始める。


「わたし……わたしを止められそうにない……!」

「止められそうにない、か」


尋賀はすぐに、魔王の意思を止められそうにない、と言おうとしているのだと気づく。


「……てめえを苦しめてるのは過去の記憶だけでもねえってことか」

「……わたし、あなたを新たな器にしようとしてる」

「へっ。オレはそう簡単に御しきれるかってーの」

「それだけじゃない……あの眼鏡の人を器の予備にしようと考えてる。騎士だと言ってる人も、二度とうるさい事を言わぬように魔物にしようと……。元騎士は首を切断して……首を騎士団に送りつけて、わたしの存在を知らしめようと……残った身体も実験の材料にして……」

「……つまり、オレ達を傷つけたくないから苦しんでたのかよ」

「どうしても! 衝動が抑えられなくなってる……! それどころかわたしの考えている事は、魔王の意思なのか、わたしの意思なのか……どっちの気持ちか分からなくなってる……だから、わたしは酷い事をする前にわたしを……」

「ふざけんな!」


尋賀は喉が張り裂けそうな勢いで叫ぶ。

かつての時の彼のように。


「ふざけんなよ、クソガキがぁ! オレ達を傷つけないためだぁ!? 人を苦しませている記憶が苦しいだぁ!? だから死んで逃れようと、死んで解決しようってか!? 死んじまったら……残された奴はどーなるんだよ! 死んじまったら残された奴が傷つくだろーが! オレは孤独が嫌なんだよっ!」

「でも……今止めないと、わたしは……」

「知るかよ! てめえが世界の全人類滅ぼすって言っても、全人類滅ぼした魔王だったとしても、生きる権利はあって罪は償わなきゃーなんねーんだ! てめえはちゃんと生きて、それで人を助けて行きゃーいいだろッ!」


尋賀は鉄パイプを片手に持ち、陣の上で飛び続ける魔物目掛けて投げた。

もしかしたら、あの魔物を倒せば魔法が止まるかもしれないと考えたからだろう。


「くっ……!」


結果は無惨にも鉄パイプは異世界へと冒険する羽目になった。


「もう……やめて……お願いだから……わたしを殺して」

「うるせえ! オレは絶対に人間を殺しやしねえ! 殺させやしねえ! 死なせやしねえ!」

「どうして……?」

「悪人は殺されて当たり前だってんならオレの命も否定されるからだ!」


尋賀の過去の罪。

自身が生きるために他人を容赦なく襲った罪。

他者を暴力で傷つける……喧嘩を楽しんでやっていた罪。

悪人である彼だからこそ、自身の罪を知り、他者を傷つけたくないと考えるようになった。

悪人だからこそ、悪人は殺されて当たり前なのではなく、傷つけたく分の罪を償わなければならないと考える。

ナゲリーナは頭を押さえると、また表情が変わる。


「……さあ、扉よ。このわたしに、予測不可カオスの世界の知識と可能性を見せろ」


また、ナゲリーナはその狂気の研究者の片鱗を見せつける。

彼女の言葉に反応したかのように、黒い空間は大きくなり、それに合わせて上空を飛ぶ魔物もさらに高度を上げる。


「もう誰にも止められない! これで……これでわたしは……! わたしは……? わたし自身を殺せる? 邪魔者を殺せる?」


彼女の当初の目的はなんだったのだろうか。

尋賀を殺すために究極の魔法を使ったのか、それとも自殺のために使ったのか。

両方の意思が混じっている彼女にはもはや分からなかった。

しかし、今言えることといえば、この状況はどちらも危険な状態に置かれているということだ。


「おい、そっから離れろ! 吸い込まれるぞ!」


尋賀の言葉が届かないのか、彼女はゆっくりと、黒い空間に近づく。

そして、彼女の足が浮き始めた。


「くっ……!」


尋賀は、急いでナゲリーナの腕を掴む。

だが、少女であるナゲリーナよりは体重がある尋賀とは言え、徐々に黒い空間に近づいている。


「くそっ! 何してやがる魔王様!」

「わたしは……わたしはこの魔法で……」


この魔法を止めるすべはないのか。

魔物を止めようにも、魔物は尋賀の手の届かない陣の上にいる。

先ほど、彼の長年の相棒とも言える鉄パイプは投げてしまい、無くなってしまったばかりだ。


(止める方法、ねえのかよ!)


尋賀は何か方法はないかと考える。


(ん?)


尋賀は一つだけ。

最後の希望があることを思い出した。


「なあ魔王様。てめえの想いがオレを助けてくれそうだぜ」


反応のない少女に尋賀は語りかけ、自身のポケットに手を突っ込んだ。

ポケットの中に入っていた物。それはナゲリーナの注射器。

優作が風邪を引いた時、彼女から『栄養剤』と言われて渡された注射器だった。

尋賀未だにその中身を使っておらず、ナゲリーナにも返していなかったのだ。


「てめえから借りた力! 使わせてもらうぜ、なんつってな!」


尋賀は、黒い空間に気をつけて、魔物目掛けて注射器を投げる。


「行けッ!」


投げられた注射器は途中で軌道が変わる。

それは尋賀の計算通りで、強風と吸引で曲がった注射器は魔物の羽を貫いた。


「へへ。ざまあみやがれってんだ!」


尋賀は、口の端を上げる。

ただ、やや悪人ヅラになってしまっているのは問題だが。

魔物は、そのまま高度を落とし、黒い空間に吸い込まれていった。


「……よくも。よくも止めたなァ!」


ナゲリーナは再び少女らしからぬ声で声を荒げる。

だが、止めたという割には黒い空間の吸引は止まっていない。


「死ねぇ!」


ナゲリーナは尋賀の首を目掛けて、注射器の針を振り下ろす。

注射器を投げ、ナゲリーナの腕を掴んでいる無防備な彼に。

ガッ! という音が鳴り響く。


「な……に……!?」


尋賀は注射器を歯で受け止めたのだ。


「ひんでははるはよ! はらほわっへへえ!」


死んでたまるかよ! まだ終わってねえ!

尋賀はそう言いたかったのだろう。

尋賀は歯で乱暴に注射器を奪い取ると、捨てる。


「てめえを救うまでは、そう簡単に終わってたまるかよ」

「相変わらずわたしの思い通りにならない男だ……! だがこれでいい」

「は? 究極魔法ももうじき止まるんじゃねーのかよ。それともまだなんかするつもりか」


ナゲリーナは不気味な笑みを浮かべ始める。


「もう一つのわたしの最大の研究成果。一度はお前に破られたが、すでに前準備はできている」

「オレが破った……最大の魔法?」


尋賀はそこでハッと気づく。

そして、また自滅を利用した罠だということも。


「転生の魔法ってか? 諦めたんじゃねーのかよ!」

「くくく。お前は一度わたしの魔法を受けている! そこから強引に転生を行うこともできる! こうやって触れることでな!」


ナゲリーナがそう言うと、ナゲリーナの手が光始め、それに呼応するように尋賀のナゲリーナを掴む手に黒い靄がかかり始めた。


「……これが魔王の証ってか? いつの間にかオレは魔王の一部を分けられていたって訳か? それとも転生の準備が整ってたってわけか?」

「好きに解釈すればいい。さあ、改めて転生の儀式を行う!」


尋賀の意識がそこで途切れた。



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