三日目の暗雲
「…………」
ナゲリーナは忙しそうに研究所の一室を行ったり来たりしている。
時に機材を見直し、ファイリングされた資料を読んだり、紙に何かを書いたりしている。
その度に彼女の白衣は地面に着いたり、はためいたりを繰り返す。
「案外、大丈夫そうに見えるな」
「でも表に出さないだけで今は苦しんでるのかも」
「うむ、それは……間違いないぞ」
「だったら救うの。苦しんでいる仲間がいるなら助けるのが仲間なの」
四人は部屋の入口でこそこそ隠れながら様子を伺っている。
「オレ、特に案はねえけど、てめえら何かあんの?」
「うむ」「なくもないかな」「なの」
尋賀はその言葉を一応信じてみる。
「よっし、そんじゃ行ってこい」
まずはルシェールが先陣をきる。
その後に美玲と優作も続く。
「シュヴァルツレーヴェ、毛布持ってきたの」
「そこに置いておく」
「ナゲリーナよ。これは私が作った熊の人形だ。君にプレゼントしよう」
「そこに置いておく」
「ねえナゲリーナ。喉乾いてない? 水、持ってきたんだけど」
「そこに置いておく」
「おい、てめえら集合!」
尋賀のその言葉で三人は尋賀の元に集まる。
「全員、『そこに置いておく』しか言われてねえじゃねーか」
「仕方がないよ。今は反応を伺うことしかできないし」
「私も同じくだ」
「同じくなの」
尋賀はまあ確かにそうだろうと、考えた。
彼女を救うと決めたのはいいものの、どうすればいいのか、まるで検討もつかない。
だからと言って何もしないわけにもいかない。
ならば、今の彼女の状態を探ることが大事だろう。
なにせ、彼女の中には千年の狂気の記憶が混ざっているのだから。
「……それで、次の作戦はあんのかよ」
「任せろなの!」
「うむ! 次こそは上手く行くぞ!」
尋賀は黙って頷くと、ルシェールが再び先陣をきる。
「ここの研究所に面白い薬品ないの?」
「……ない」
ナゲリーナが素っ気なく返すと、今度は美玲が黒いマントをつけてやってくる。
いつの間にか手作りしたのだろうか。
「くくく……この娘の身体を乗っ取ってやったわー!」
「何をしている?」
美玲は何を言っているのだろうか。
次の優作は特に案の無さそうな困った顔をしている。
「喉渇いてたら、水持ってくるけど?」
「お前たち、わたしの邪魔をしないで」
「お前ら集合!」
尋賀は先ほどよりも怒った表情で招集をかけた。
「邪魔しに行ってんじゃねーよ、馬鹿ども!」
「馬鹿って言うななの!」
「うっせえ! 口答えすんじゃねーよ」
尋賀は三人の頭を順番に叩いた。
「痛いぞ、坂巻 尋賀」「何すんの!」「どうしてボクまで……」
「てめえらが意味不明なことしなけりゃー叩かねーよ」
「元はと言えば貴様が行って来いと言ったのではないか!」
「わりー、次からは頼らねーよーにするわ」
尋賀は呆れ八割で答えた。
「お前たち、さっきから何をしている?」
ナゲリーナは虚ろな双眸で尋賀達を見つめる。
夢の中では笑顔で、純粋で、疑うことを知らない姿だったのに対して、今のナゲリーナは虚無だけが彼女のすべてのように尋賀は感じた。
「魔王様が魔王の意思と記憶を植え付けられて苦しんでないかと思ってねえ」
優作は尋賀のあまりにも直接的な問いかけに驚いた。
もう少し慎重に探ってもいいと考えていたからだ。
だがナゲリーナは、静かに答える。
「特には」
「あっそ。そりゃーよかったぜ」
「聞きたいのはそれだけ?」
彼女は首を傾げる。
尋賀は頭を振った。
「そう。わたしは装置の見直しをしているから向こうに行っておく」
「へいへい。進行状況だけ聞いたらどっか行ってくるわ」
「……思わしくない。最近、嫌な記憶を思い出す」
「そっか。んじゃー頑張れよ魔王様」
尋賀はそう言って、美玲とルシェールの背中を押して歩き、優作も隣を歩く。
「坂巻 尋賀! 何をするのだ!」
「邪魔しねーようにって決まってんだろ」
ある程度歩くと、美玲とルシェールは尋賀から離れて自分で歩く。
尋賀はそのまま黙っていたが、優作が口を開いた。
「ナゲリーナは『特には』って言ってたけど、全然そんなこと無かったよね」
「……矛盾してること気付いてんのかねぇ? 嫌な記憶を思い出してんじゃねーか」
「……そう、だね」
悲しそうに、自身の無力さを嘆くかのように優作は呟く。
尋賀は少し考えた後、立ち止まる。
「ちょいと全員、待ってくれ」
「む?」
「どうしたの? サカマキ?」
尋賀は思いついたことを言う。
「これから時間交代制で魔王様の様子を見るてのはどうだ?」
優作はその考えに賛同する。
「なるほど。それはいい案だね。それじゃあ早速ボクが様子を見に行ってみるよ」
優作は背を向けて小走り気味でナゲリーナの元へと向かう。
ーーー
その日の夜。
仮眠室にナゲリーナの様子を見に行っていたルシェールが入ってくる。
「様子はどうだ?」
「特になの。邪魔するなって言われたくらいなの」
「邪魔してんじゃねーよ」
尋賀は特に何も起きなかったということと、邪魔をしたことの両方を含めてそんなところだろうなと判断する。
「さて、そんじゃオレは寝ずで様子を見ますかっと」
「ナゲリーナが寝ている時くらいゆっくり寝てればいいのに」
「気付いてなかったのかよ優等生。あいつ、ほとんど寝ずに頑張ってんだけどな」
「え?」
彼が問おうとした時、尋賀は仮眠室を出て行った。
ーーー
「魔王様。またオレが御守りに来てやったぜ。感謝しな」
尋賀は冗談を言いつつ部屋に入る。
彼らがナゲリーナを順番に見守ると決めてから、彼は二回目の担当だった。
「あん?」
尋賀は部屋にナゲリーナがいないことに気づく。
「……大人しくしてくれりゃーいいのにな」
尋賀は呆れたように呟くが、どこか不安が彼を支配する。
頭では理解できない、本能が警鐘を鳴らす。
「……とっとと探すか」
思うところは色々とあるが、彼はすぐに探しに行く。
全てが手遅れになる前に。
「魔王様! どこだ!」
彼は部屋の出て次々と扉を開けていく。
尋賀は研究所内で、ナゲリーナを探すのは二回目だったが、あまりの広さで部屋を覚えきれていない。
(どうする? どうすればいい?)
尋賀は考える。
そして、すぐに思考を停止する。
(考えたところで意味なんてねえ!)
彼は目を閉じて視覚を消し、他の五感、特に聴覚に集中させる。
昔、尋賀と美玲が仲が良くなってしばらくした後、二人が競争するために一緒に山に登ったことがある。
その時に美玲が狩りでやっていた事の真似。
こうすることで彼女は獲物の位置や数を特定した。
「…………」
本の僅かな音も聞き漏らさぬように、集中する。
静寂。
そんな静寂の中で、ドアが動く、小さな音。
「こっちか!」
尋賀は音がした方を目指し、狭い廊下を走る。
扉を開け、また次の扉を開ける。
「ここか……!」
彼はついに半開きになっている扉を見つける。
尋賀は勢いよくその扉を開けると、薄暗い部屋にナゲリーナがいた。
「へへ。やっと見つけたぜ、魔王様」
彼は軽く笑いながら安堵の息を漏らす。
だが、
「魔王様、何やってんだ?」
彼女は尋賀の言葉に反応しない。
彼女は黙って何かのボタンを押す。
押されたボタンは怪しく光り、ボタンに書かれた文字が浮かび上がる。
「『排水』? なーんか嫌な予感がすんだけど」
しばらくすると、部屋の中にある陣から光が漏れ出し、部屋の全貌が明らかになる。
広い部屋に、金属で出来た床や壁。
そして真ん中に設置された緑色の液体の入った巨大なガラス。
「なっ……! こいつは夢で出てきた……!?」
緑色の液体が入ったガラスの中に、夢の中で陛下と呼ばれた男、ブレアーによって姿を変えられた魔物が浮かんでいた。
ただ、身長が夢の中よりも1メートルほど大きくなっており、同時に羽も一回り大きくなっている。
しかもそんな魔物が入った液体がみるみるうちに減っており、魔物がゆっくりと動き始めている。
「おい魔王様! なんのつもりだ!」
「…………」
尋賀は叫ぶが彼女に反応はない。
それどころか、彼女は両手を広げている。
(どうぞ、私をその剣で好きにしてくださいってか? ふざけんじゃねー!)
剣などなかったが尋賀にはそのようにしか見えなかった。
彼はナゲリーナを片腕で担ぐと急いで部屋から出ようとするが。
「なんだ!?」
ガラスが割れる大きな音。
そして魔物の大きな咆哮。
魔物がゆっくりと尋賀とナゲリーナを見据えていた。
(喧嘩しよーにも鉄パイプ、仮眠室じゃねーか!)
それにナゲリーナを抱えた尋賀は、今戦うのは得策ではないと考える。
「ちっ! 戦略的撤退!」
彼が逃げようとした時、魔物の指が刃物のようになり、尋賀に向かって振り下ろされる。
「うおっ!?」
尋賀は咄嗟に飛んで躱したが、その拍子にナゲリーナを落としてしまった。
「悪い、魔王様! 大丈夫か?」
彼女は黙って立ち上がると一人、部屋から走って出て行く。
「おい、どこ行くつもりだ、魔王様!」
彼が追おうとしたその瞬間、再び尋賀に刃の指が振り下ろされる。
(しまっ――)
だが、いつまで経っても何の変化もない。
「優等生!」
尋賀の目の前で優作が、尋賀の鉄パイプの入った布を持って、魔物の手を防いでいた。
屁っ放り腰で、完全に戦闘慣れしていないのがバレバレで、もうすでに全体的にプルプル震えているが、彼は魔物の一撃を防いだのだ。
「尋賀! た、た、助けに来たよ!」
「おい、無茶してんじゃねえ!」
魔物は優作を力で押そうと力を込める。
込めた瞬間、魔物の手に矢が刺さった。
「ふっ。最強の騎士、矢薙 美玲。ここに見参!」
彼女は弓を掲げ、魔物の目の前だと言うのにも関わらず、名乗りを上げ、決めポーズまでとった。
「騎士殿。てめえもやるじゃねーか」
「うむ! 私が貴様を守ってみせるぞ!」
「へへ。さすがは騎士殿だぜ」
魔物はその手に刺さった弓矢を、もう片方の手で引き抜く。
矢が刺さった箇所が一瞬にして治った。
「おいおい、これって無敵じゃねーのかよ」
魔物はまたその手を尋賀達に向ける。
今度は何をするつもりだろうか。
尋賀は急いで優作から鉄パイプを受け取ろうとした時、魔物の腕があらぬ方向へと飛んでいく。
金で出来た、天使の羽のナックルガード。
その持ち主は尋賀を、二度の戦いにおいて追い込んだ女剣士の姿。
「元騎士団員にして、現魔王軍が一人。ルシェール・ノノ参るの」
彼女は細剣とマンゴーシュの二刀を構える。
「洗脳でもされたみたいな口上だな、のの女?」
「……不思議なの。まさかお前と一緒に戦うことになるなんてなの」
「ああ。オレもてめえが助けに来てくれるなんざぁーついこの間まで思わねーよ」
尋賀は余裕のある言い方をするも、急いで彼は優作から鉄パイプを受け取る。
引き裂け、完全に使い物にならなくなった布を彼は破り捨て、彼は獲物を構える。
「へへ。楽しい楽しい喧嘩の始まりだ」
尋賀は、いつかの時のように人間では味わうことのできない強敵に、心を震わせる。
だが戦いを楽しむ前に忘れてはならないことがあった。
「優等生、魔王様とすれ違ったか?」
「ううん。ボクらは大きな音が聞こえてから駆けつけたんだけど彼女の姿は見なかったよ」
「研究所内で入れ違いになったか……」
尋賀はどうするか考えた後、全員に伝える。
「おい、てめえら! 来たとこ、わりーけど魔王様探しに行ってくれ!」
全員に言った時、魔物の手が、細い枝のように伸びてくる。
それらは棘となって尋賀に襲いかかる。
「通じるかっての!」
尋賀は、足を上げ、かかと落しで指を踏みつぶす。
指がおかしな方向に曲がる。
「こいつはオレがぶっつぶす! だからてめえらは魔王様を捜してこい!」
尋賀は鉄パイプを一度旋回させ、構え直す。
言いはするものの、彼の言葉に従う者はおらず誰一人としてこの場から離れようとしない。
「行けって言ってんだよ!」
「……行かないよ。私は絶対にこの場を離れない」
芝居がかった口調をせず、美玲は弓を構えて尋賀の前に立った。
「魔王様を見つけ出すのはてめえでもできるだろーが!」
「私には無理だよ」
「どうして!?」
「だって尋賀にしかナゲリーナを救えないから」
尋賀には美玲の言葉が納得できなかった。
しかし、彼女の肩を持つかのように、優作が続く。
「行って来なよ尋賀」
「優等生。……てめえが行って来た方がいいんじゃねーのかよ」
「じゃあ聞くけど尋賀。もしナゲリーナを追った時、他の魔物がいたらボクじゃ何もできないよね」
また魔物が動き始める。
「腕が……! どうなってやがる……!?」
魔物の切られた腕は、黒い靄となり、腕の断面へと集まる。
すぐに腕が復活した。
それだけではなく、尋賀が折った指も一度、黒い靄となって元に戻っていた。
「頭のいる仕事ならボクが一番自信があるしね」
優作はやや震えながらも、眼鏡のブリッジを上げる。
具体的な策は無いに等しかったが、それでも彼はこのメンバーの中で一番策を練ることに自信があった。
「復活するなら〜、何度も何度も切り伏せてやるの、それが私の戦い方な〜の〜」
ルシェールは歌いながら魔物の指を細かく斬っていく。
「のの女。歌って踊って戦えるアイドルでも目指してんのかよ」
「別になの。こんな雑魚、歌いながらでも踊りながらでも余裕なの」
本当に余裕の相手とは尋賀には思えなかった。
細かく斬った指ですら全て黒い靄となって元通りになる。
全ての怪我が治るならば、勝つ方法などあるのだろうか。
そんな相手を目の前にしているにもかかわらず、尋賀の目の前で三人は魔物を目の前にして構える。
「どいつもこいつもやる気満々てか……。どうしてオレに任せたがるんだろーな?」
「私は尋賀なら全てを救えるって信じてるから」
「ボクは君の強さを信じてるからね」
「私は仲間を信じるの!」
三人は彼にサムズアップをして見せる。
「ぷっ! てめえらオレのこと、そこまで信じてんのかよ。ただの不良によぉ」
三人同時に親指を見せられ、尋賀は噴いてしまった。
彼は三人に任せた方がいいと思っていたが、彼も任されてしまったからには仕方が無い。
尋賀は、手に持った鉄パイプを強く握りしめて宣言する。
「分かった。てめえらの信頼、確かに受け取ったぜ。その代わりオレの信頼、裏切ったら地獄まで文句言いに行ってやるから覚悟しとけよ?」
ようするに絶対死ぬなだろうか。
捻くれた彼の、回りくどい気遣い方。
「ふっ、来れるなら来てほしいものだ」「信頼、受け取ったよ」「任せるの!」
三人はその信頼をしっかりと受け止める。
尋賀が部屋から出て行こうと走っていく。
魔物は彼を逃すまいと、指を伸ばす。
「貴様の相手は我々だ!」
美玲が弓で受け止め、受け止めた状態で魔物の顔に目掛けて、矢を放つ。
「むっ!?」
だが刺さった矢を、魔物は静かに抜き、異形の顔は元に戻る。
だが、美玲達の思惑通り、尋賀をこの部屋から出て行かせることには成功した。
「……ナゲリーナを助けてあげて、尋賀」
出て行く尋賀の背中を見ながら美玲は呟く。
「さあ! 貴様の相手は我々だ! 覚悟するのだ!」
三人は魔物を前に構えた。
ーーー
「どこだ! 魔王様!」
尋賀は、走りながら次々と部屋の扉を開けていく。
彼女の今の状態が心配であると同時に彼にはもう一つ心配ごとがあった。
(不死者に勝てるのか? 優作、美玲、ルシェール)
尋賀には不死者の攻略方法など、全く検討もつかなかった。
本当に不死者かどうかは分からない。
だが、今は託された信頼と託した信頼を胸に探し続けることしかできない。
「くそ! なんでこんな所を何度も探さなくちゃいけねえんだよ!」
探しても探しても、ナゲリーナを見つけることができない。
『助けて……』
「! 声!? どこだ魔王様!」
尋賀はナゲリーナの声が聞こえたような気がした。
「……外?」
なぜだか分からない。
だが、尋賀はナゲリーナが外にいるような気がした。
ーーー
外に出た尋賀の目にナゲリーナが写る。
「魔王様!」
その彼女の足下には、複雑で、巨大な幾何学模様。
今まで見て来たどの幾何学模様を大きく、幾何学模様の一部が時計回りしていたり、半時計回りしたりしている。
尋賀は、それがどういった魔法を行えるのか分からなかった。
だが、彼には突っ込んで行くしか選択肢はない。
「うおっ! なんだ!?」
尋賀が幾何学模様に足を踏み入れる一歩前に、幾何学模様がゆっくりと宙に浮く。
ナゲリーナはその上に立っており、おそらく空を飛ぶための魔法か何かなのだろう。
「ちっ! 何しようとしているのか知らねえけど、当たって砕けるまでだっての」
砕けてはいけないのではないだろうか。
彼はジャンプして幾何学模様を掴むと、飛び乗る。
幾何学模様はゆっくりと上昇し続ける。
尋賀は周りと、足下の陣に警戒をしつつも、ある程度の高度になったところでナゲリーナの下に歩いていく。
「魔王様、てめえ何やってんだ。これからお星様にでもなるつもりかよ」
「…………」
「答えろよ。どうして魔物の目を覚まさせた? どうして魔物に殺されようとした? そんで今、何してるんだ?」
「…………」
「だんまりときたか」
彼女はただただ黙っている。
だがしばらくすると、ナゲリーナは口を開く。
「……少し、ぼーっとしていた。特に、なんでもない」
「嘘つくなよ。ここまでやっておいて何もないわけねーだろ」
「…………」
「まただんまりか」
尋賀は何も答えぬ少女に鉄パイプを肩に乗せて黙って見ていた。
「オレ達、昨日お前の過去を夢で見たんだ」
「…………」
「そんで、多分ボケ神様が見せてくれたんだろーな? そんでブレアーってのと、歴代の魔王様の器を見た」
「…………」
「そいつらは完全にブレアーの意識と同化していて、元の奴の面影なんてほとんどなかったんだわ」
尋賀は返答もないが話し続ける。
「てめえも確かに笑わねえし感情を見せねえし虚無的だ。だけどてめえは今までの器と違って親に会えた時に涙を流し、オレ達を信頼した」
「…………」
「それで質問だ、魔王様」
尋賀は少し迷う素振りを見せたが、すぐに決断したかのように口を開いた。
「てめえはナゲリーナかブレアーか。どっちだ?」
少女はその質問にゆっくりと口を開いた。
「……なぜ?」
「なぜそう思うってか? ただの考えのねえ勘だって。意識と記憶を植え付けられた器の意識と記憶、器の心はどうなってんのかって思ってな」
「…………」
「前に言ってたろ? 器の心が混ざるって」
尋賀は優作のように顎に手を当てながら推測を話す。
「大人になりゃーどうしても精神が発達して、多少のことでは揺らがなくなるだろ。そんでガキのてめえは人生経験が少なくて色々なもので興味を惹かれるし、楽しく思う」
「……それが?」
「つまりだ。感情の変化のとぼしい奴ほど魔王に全てを乗っ取られる。逆に感情豊かで精神の未熟な奴ほど魔王の意識と器の心が混じるって考えたわけ。歴代の器は全部大人の男、そんでてめえを器にするときは仕方なくって器にすることを少しためらってたからな」
尋賀はもう一度質問する。
質問の選択肢を増やして。
「それでてめえはナゲリーナか? ブレアーか? それとも両方か?」
ややあって、彼女は弱々しく呟いた。
「りょう……ほう……」
彼女は小さな声で言った。
尋賀は納得したかのような口調で続きを言う。
「てめえの中にブレアーは入り込んで、次の器をてめえは手に入れようとした。このオレをな」
「…………」
ナゲリーナはまた黙って聞いている。
「だが計算外が起きた。少しでも良い器にしようとオレを選んだら転生が上手くいかなかった。だからその場しのぎの器であるナゲリーナで我慢し続けるしかなかった」
「……そう、計算外……だった」
「さらに計算外が起きた。器であるナゲリーナが母親と出会ったことで心が揺れ動いた。母親をオレに殴られるのを黙って見ていられない。もう二度と会えない、なんせ自分はフェルトではなく、シュヴァルツレーヴェだからな」
「それも……計算外」
「あの時を境にただの器でしかなかったナゲリーナの心が目を覚ました。ただ、ガキであるナゲリーナは千年の狂気に耐えられねえ。だからてめえは今こうやってトラブルを引き起こしている。違うか?」
ナゲリーナはその場で座り込んで耳を押さえ始めた。
まるで何も聞きたくないと言いたいように。
「黙れ! 器の候補が!」
「てめえがブレアーってか? それともブレアーの意識が強く出てんのか?」
「……どこまでも計算外を引き起こしてくれる!」
「質問に答えろってーの」
ナゲリーナはゆっくりと立ち上がり、尋賀を指差す。
「……もう一度、わたしは手に入れる! お前の器を!」
「こんな大層なことがてめえの目的じゃねーだろ? てめえの本当の目的はなんだ? ナゲリーナ」
尋賀は間違いなくナゲリーナと言った。
今度は彼女は胸を押さえて苦しそうに呟く。
「……どうして? わたしは人を殺してるの? なんでひどいことしてるの?」
「……ブレアーの記憶ってか。ただのガキに異常者の記憶は辛いんだろーな」
だから彼女はここのところ様子がおかしかったのかと尋賀は気づく。
初代魔王ブレアー・フォン・シュヴァルツレーヴェ。
その狂気の実験の数々の記憶が、少女に耐えられぬほど猟奇的であったことは想像に難くない。
「ブレアーってのはよっぽどの悪人らしーな? ガキに殺人者の罪を着せやがって」
彼女は座り込み、そして懇願するように呟く。
「助けて……わたしを――」
――殺して。
彼女は確かにそう言った。
(あの魔物も、今やってることも死ぬために、か……)
尋賀は『神託』の言っていた、『ナゲリーナが死ぬ』とは彼女の心を揺さぶるなとはこういうことだったのかと全てを理解する。
ナゲリーナの心を揺さぶれば揺さぶるほど彼女の心が目覚め、その心は殺人者の記憶に耐えられない。
そういうことらしかった。
「オレに……魔王様を殺せと?」
ナゲリーナの願いにして、彼女を苦しみから救える唯一の方法。
だが、
「オレはこれ以上罪を背負っていけねえんだよ……! 例え、本物の魔王が相手でも、オレは殺したくねえんだよ……!」
彼は殺しをやったことはない。
だが彼は昔、美玲に、優作に、師匠に誓った。
変わると。
だからこそ彼は決意できない。
例え相手が世界を滅ぼそうとしている許し難い悪人だろうとそうでなかろうと彼には悪を滅ぼす勇者になることはできない。
(どうする? どうすればいい? 何が正解だ?)
答えを導けない。
何をどう足掻いても、助けられない。
考えども考えども、ナゲリーナは苦しみ続けている。
ひどく苦しそうで、聞いているだけでこちらも苦しくなってくるような悲痛な声で。
「どうして……! どうしてわたしは人を殺してるの? どうして!?」
錯乱していた彼女は、やがて冷たい感情の込もらない声音に変わる。
「……この器は役に立たない。だが力があり感情も成熟したお前を、わたしの新たな器として役立ててやろうではないか」
彼女の中に混在した二つの人間。
そのどちらもが心を持ち、今の彼女の混乱を引き起こしている。
尋賀は彼女を見ていて、奥歯を噛み締めながらハッタリを見せる。
「へへっ。その勧誘、断らせてもらうぜ魔王様!」
尋賀は優作から一度聞いたことを思い出す。
高度が8000mを越えると、気圧や温度、空気が薄いなどの理由で人は生きていられないと。
しかも、ナゲリーナは子供。
もっと低い高度で限界は訪れるだろう。
つまりはそれまでがタイムリミットということだ。
尋賀は続いて下を見る。
時間とともに、地面から離れており、飛び降りるのも難しくなっている。
「デスマッチってか……」
尋賀にはどうすればいいのか分からない。
彼女を救って、自分も助かる道。
逃げることも助かることも何もかもを許そうとしないデスマッチ。
だが、考えてももはや答えなどなかった。
尋賀は、最も恐れていた選択肢を選ばざるを得なかった。
「しゃーね。魔王様、一人で死ぬのは寂しいだろ? 一緒に死んでやるからそれまで喧嘩……楽しもうぜ」
尋賀は何一つとして楽しむ気分になれなかったが、ハッタリで言った。
彼女と戦いたくなかった。彼女を救いたかった。
だが、この天空へと向かうデスマッチはそれを許そうとしない。
「これより、新たな器を手に入れるための儀式を始める」
ナゲリーナは無表情のまま注射器や薬品の入った試験管を指の間に挟み、構えた。
「てめえと……初めて出会った時、てめえとはいつかこうなるんじゃねーかって思ってた」
「わたしの予定では不意打ちだが」
「初めは関わらないように考えて、そっからてめえの事よく知って、てめえはガキでオレの敵じゃねーって考えたかったんだけどよぉ」
「わたしは敵でも味方でもない……ただわたしの目的が全て」
「そう……だよな。始めようぜ……最期の喧嘩を、な」
尋賀は言い淀むが、鉄パイプを構えた。




