母と娘
「ウェルカムデラッセ村って、どうして日本語なのさ! 尋賀、ここって本当に異世界なの?」
優作はいつかの尋賀のように村の看板を見ながらツッコム。
「なあ、優等生。この世界とオレ達の世界は繋がっているってことは、だ。オレ達の世界の文化がこっちの世界に流れてきてるんじゃね?」
「ああ、なるほど。そう言われたらそんな可能性もありそうな気がするね」
「ま、はっきり言ってどうでもいいけどよぉ」
「……深く考えないのは君の悪い癖だよ」
「いいだろ? 短所は裏から見た長所、人の個性だっつってな」
尋賀と優作の二人が話し合っている時に、村の入り口近くに立っていた一人の女性がナゲリーナを凝視する。
「ナゲリーナ!!」
女性はナゲリーナの名前を挙げ、悲しさや嬉しさや様々な感情が入り混じっていた顔をしながらこちらに走ってくる。
紅い髪に、誰かに似ている顔の女性。
「……お母さん」
不意に呟かれたナゲリーナの一言に優作は驚く。
「ええ! それじゃああの人、君のお母さんなの!?」
「…………」
ナゲリーナは答えを返さずに黙っている。反対に女性は娘だと確信しているのか、大きな声で彼女の名を呼ぶ。
「ナゲリーナ!!」
母親はナゲリーナに抱きつく。その瞳には涙を浮かべて。
「ナゲリーナ! あなた、魔王になったって本当なの!?」
ナゲリーナは静かに頷いて返事をする。
母親はどこか複雑そうな顔をしているが、突然何かを思い出したかのように表情を変える。
「そうだわ! ナゲリーナ、早く逃げて! 今、騎士団長のグレゴワースがこの村に来てあなたの事を探しているわ!」
「…………」
「あなたは魔王の記憶と意識を植えつけられているのでしょ!? だったらここにいるのは危険だわ!」
母親はナゲリーナの両肩を強く掴む。
その母と子の間に割って入るかのように、尋賀は横から口を挟んだ。
「なあ、今は危ねえのは分かるけどよ、オレ達この村の馬車に乗りたいんだわ。どこか教えてくれねえ?」
「それは無理よ。この村の北に馬車業者が定期的に来るのだけど、今は騎士団が見張っているの。馬車に乗るなんて不可能よ」
「……んじゃあ、騎士団がどっかに行くまで匿ってくれね? あんたに聞きてえ事があるんだわ」
「ダメよ! この村のどこに隠れてもいずれ気づかれてしまうわ! その前に引き返して!」
「……ここでずっと待っててもいいんだぜ? 騎士団が、あんたの大事な娘のナゲリーナに気づくまでな」
「や、やめて! 分かったわ! 私の家でしばらく隠れてて!」
母親は急いで立ち上がり、四人についてくるように言う。
四人は母親の後をついて行くが、歩いている中、美玲は怒った表情で尋賀を問い詰める。
「貴様! 母君を脅すとは!!」
「しゃーねーだろ。オレ達には馬車が必要なんだ。それに異世界の騎士はやたらナゲリーナを目の敵にしてっからな。ここは匿ってもらおうぜ」
「くっ……! 我々にはこれ以外に方法がないのか……!」
「ま、そーいうこと。……後は問い詰めるだけだな」
四人は案内された家の中に入っていく。
家の中は静かで、窓から差し込む陽の光だけで家の中を明るくしていた。
「座って」
母親は食卓の前に置かれた椅子に座るように促す。
皆が座る中、尋賀は一人立っていた。
「なあ、あんた。旅行は楽しかったか? 娘を置いて出かけた旅行はよぉ?」
「…………」
「黙ってねえで答えろよ!」
尋賀は布でしまっている鉄パイプを取り出す。その顔はナゲリーナが美玲に魔物化の薬品をかけようとした時のように怒りで満ちていた。いや、正確にはその時の一歩手前と言ったところか。
「ちょっ! 尋賀!!」
「優等生は黙ってろ。オレはこいつに聞いてんだ」
母親は沈黙を貫き通す。
そんな母親に尋賀は鉄パイプを母親に向ける。
「父親はどこだ? あんた、宿のガリガリおっさんから手紙を貰って、旅行を中断して帰ってきたんだろ? 父親は一緒に帰ってきたんじゃねーのか?」
「……一緒じゃ、ないわ」
「舐めやがって……。なぜガキを宿に預ける事をやめた! なぜガキを一緒に旅行に連れて行かねえ! てめえらが結婚記念日の旅行って抜かしている間にナゲリーナは山に行ったんだぞ! だってのにふざけやがって! 親ってのはこんなダメな奴ばっかだな!!」
尋賀はナゲリーナの母親と自身のもはや顔すら思い出すことが困難な親の姿を重ねた。
そうしているうちに込み上げてくる怒りにほとんど身を任せ、声を荒げる。
怒気の孕んだ大きな声で問い詰め続ける尋賀に、優作は内心ハラハラしていた。
(尋賀……まさか殴ったりなんか、しないよね?)
優作の思いは空しく、尋賀の怒りは収まるところを知らず、殺気すら感じさせる。
それでも詳しく話そうとしない母親に対して、どんどん怒りが大きくなっていく。
「てめえ、さっきから黙りやがって!! なんとか言いやがれ!!」
「……やめて」
ナゲリーナは尋賀の腕を掴み、注射器を取り出した。
いつもよりも。血の気が引いたような顔をしながら。
「……何の真似だ」
「動けば薬品を投与する。これは体の内側から爆発させる薬品」
「……へいへい、動かねーよ」
尋賀は鉄パイプを手から落とし、微動だにしない。
鉄パイプが床に落ち、カランカランと金属音が鳴り響く。本当ならば、彼女くらいの拘束なら簡単に振りほどくことにできたが、ナゲリーナに従うことにした。
静まりかえった空気の中、ナゲリーナは母親の代わりに話始めた。
「わたしを置いて旅行したのは、わたしが残りたかったから。お父さんとお母さんは仲がいい。記念日にはお父さんとお母さんには二人だけで旅行を楽しんで欲しかった。だからわたしから一人で残った」
「…………」
「わたしが山に行ったのは野いちごが採れるから。だからわたしは一人で山に行った。悪いのはわたし一人。お母さんもお父さんは悪くない」
「……そうかよ。それじゃあ父親が帰ってこねえのは?」
「お父さんは騎士に従属する職業。わたしが魔王になったと知れば、わたしを殺す可能性がある」
「そうかよ。てめえが望んだって言うならおめえの両親の責任じゃねーよな」
尋賀はナゲリーナの腕を掴み、もう何もしないという事をアピールすると、ナゲリーナは注射器を白衣のポケットの中にしまう。
先ほどまでの怒りが収まった尋賀は椅子にどかっと座ると、食卓の上に肘を置く。
「悪かったな。突然怒鳴って」
尋賀は誰に対して言ったのか、明後日の方向を向きながら呟く。恐らくはこの場にいる全員に対して言ったのだろう。
母親は膝をつき、ナゲリーナの手を掴むと、彼女に謝り始めた。
「ごめんなさい、ナゲリーナ。私、何も言い訳できないのに……私を許してくれるの?」
「……悪いのは山に行ったわたし。お母さんは何も悪くない」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
母親はその場で泣き崩れる。ナゲリーナはそれを見て、いつものなにも感じさせない顔から、悲しげな表情になる。
十分、二十分ほど泣き続けていた母親は、椅子に座り、息を整える。
「大丈夫だろうか?」
美玲は心配そうに母親に尋ねる。
「ええ、大丈夫よ」
母親は気丈に答える。
彼女の精神が安定している事を確認すると優作は母親に質問する。
「すみません。辛いところ申し訳ありませんけど、聞きたいことがあるんですけど、よろしいですか?」
「ええ……。なんでも聞いて頂戴」
「魔王についてです。ボク達はどうも魔王に先入観を抱き過ぎていて、魔王というものを勘違いしているみたいなんです。ボク達は遠くの地方の出身でそういった話には疎くて」
優作は嘘を織り交ぜつつ真剣な表情で尋ねる。
美玲には質問の意図が良く分かっていなかった。
「どういうことだ、天城 優作! 彼女は魔王の囮ではなかったのか!?」
「君が話に混じるとナナメの発想でややこしくなるね。いいかい?彼女は多分、正真正銘の魔王。ただし、世界を支配しようとか考えていない魔王って感じかな」
母親は彼の考えに続ける形で答える。
「そうよ。魔王というのは魔科学の王、その略称が魔王。一度は勉強する程の人物だし、本当はもっと別の呼ばれ方をしてもいいはずだけど、生態系を狂わしたり、人間を実験道具にしたり、非道な行いをあまりにも多くしすぎたの。だから物語でよく登場する魔王という略称で呼ばれるようになったの」
尋賀は興味がないのか、窓の外を見続ける。
母親は話を聞いている美玲と優作の顔を見ながら話を続ける。
「探究心の高い魔王は、様々な実験を成功させたわ。ほとんどの知識は魔王が独占しているけど、人々に広まった道具は魔法のようなすごいものが多いの。夜には明かりになる物だったり、水が湧き続けたり、何も育たない砂漠地帯を森林に変えたり、騎士団が所持している魔法が使える様になる剣だったり……」
母親は遠い昔に勉強したことを思い出しながら話す。
「でもこれらが人を犠牲の上で成り立っている技術だから、魔王を許す派と魔王を処刑する派で別れるのだけど……魔王の持つ知識があれば人々の生活は魔法が溢れた未曾有の発展ができるから、微妙なのよね。魔王に恨みを持っている人や、騎士団のほとんどは魔王を殺そうとするでしょうけど」
美玲は話を聞いて残念そうな表情をする。
「その話が本当ならば……魔王とはただの科学者なのだろうか? 人類の脅威でも、闇の王でもなく……」
「え? ええ、そうよ。生物を実験で魔物に変えたり、擬似的な永遠の命を得るために他者に自身の意識と記憶を植えつけたりはしたけど、基本的にはただの研究者よ。その気になれば世界の仕組みを根本から変えてしまう研究者だけど」
「……そうか、魔王は魔王でも世界の脅威ではないのか。……はぁ」
露骨にがっかりする美玲。
母親にはその意味が全く分からなかった。
自身の妄想の期待を裏切られ、美玲は落ち込みつつ優作に尋ねる。
「……いつから魔王がただの研究者だと気づいていたのだ、天城 優作?」
「そこまでは分からなかったけど、ボクが感じたのは違和感かな。ナゲリーナは魔法は使えるけど、その魔法はあまりにも一人で戦うには不便で、頂点や世界の脅威になれる戦い方じゃない。ちょっと失礼な言い方すると魔王の肩書に比べて弱い。魔王って言う割には邪悪な感じもしないし」
優作は根拠を述べ、美玲は頷く。
優作はもう一つの疑問を母親に尋ねる。
「それからもう一つ。ナゲリーナに植え付けられた魔王の記憶とか意識ってどういう意味ですか? さっきも、『擬似的に永遠の命を得るために他者に意識と記憶を植え付ける』って言ってましたけど」
「……それはナゲリーナに直接聞いてみたらどうかしら?」
母親に促され、ナゲリーナは無表情に答える。
「意識と記憶を植え付けて、その者をわたしにする……魔王に転成させること。この術でわたしは永遠の命と変わらぬものを得た。しかし、対象となった人間の意識と記憶が混在してしまう」
「尋賀から体を奪おうとしたって話は聞いていたけど、そういうことだったのか……」
「先ほども記憶から感情が強く揺さぶられてしまった。これだから子供は困る」
「そんな言い方しなくても……」
「……話はここまで」
ナゲリーナは優作との会話を打ち切ると、母親の顔を見ながら、どこか悲しげな表情で話す。
「……今言った通り、この体はわたしのもの。わたしは魔王、ナゲリーナ・フォン・シュヴァルツレーヴェ。お母さんの知っているナゲリーナ・フェルトは死んだ」
「……ええ。私の知るナゲリーナはもっと……笑顔を見せる明るい娘だったわ」
「山に行った時、以前の器からわたしの器に魔王を受け継いだ時に、ナゲリーナ・フェルトは死んだ。だから……さようなら」
「ナゲリーナ、そんな事を言わないで! あなたは私の娘よ! たとえ魔王の記憶を植え付けられていても家族の記憶がなくなったわけじゃないでしょ!?」
「そう。だからわたしはお母さんとお父さんの娘であるのは変わりない。だからこそわたしはここにはいられない」
「ナゲリーナ……!」
「さようなら」
ナゲリーナは立ち上がり、家から出て行こうとする。
そのナゲリーナの肩を背中から掴んだのは尋賀だった。
「おい、魔王様。どこに行くつもりだ?」
「放す。ここにいるのは得策じゃない」
「そんな泣いた顔で外になんか出られねえだろーが」
「?」
ナゲリーナは手で目元を触る。
その手は濡れていた
「……涙が」
「外に出て行く前に家で泣き止むまでいればいいんじゃねーの? その方が母親に甘えてられるんだからよー」
「わたしは魔王。ここにいれば……。少しでも長居すればわたしの魔王の心と器の心が混ざってしまう。それはダメ」
言いながら、彼女の瞳からボロボロとこぼれて行く涙。ナゲリーナの器の心が母親から離れると言うことに、少女の心が傷ついてるのだろう。
尋賀は、少女の心が混ざることを拒むナゲリーナに対して言う。
「それでいいんだよ」
「? どうして?」
尋賀はナゲリーナの頭の上に手を置く。
「おめえが魔王だとしてもガキだからだ」
「わたしは千年生きる魔王。子供じゃない」
「うるせえーよ。ガキみたいにトラブル引き起こしやがる癖に何言ってやがる。もっと感情豊かに生きやがれ、もっと心を痛めたり泣いたりしやがれ。そもそもてめえが無感情に生きていたから、いらねー事しても心を痛めねーんだろうが。だから魔王なんて呼ばれるようになるんだろうが。だったらガキの心を大事にしやがれ。他人の事をもっと分かるようになれ」
「感情豊かに生きればいいと?」
「ああ、そうだ。もっと笑ったり泣いたりして生きろよ。そんで善悪の区別くらいできるようになれ。んで賢者様とでも呼ばれるくらいにでもなれよ」
「…………」
「ほら、母親ともっと話すことあるだろ」
尋賀はナゲリーナの腕をゆっくりと引っ張り母親の前まで連れてくる。
ナゲリーナは白衣の袖で涙を拭きながら、母親に答える。
「……わたしは魔王。だからこの家にわたしの居場所はない」
「……そんな事はないわ」
「わたしがこの家にいるとお母さんにもお父さんにも迷惑がかかる……から」
全員がナゲリーナを見守る。彼女が何を思っているのか、意識と記憶が混じっているという話が本当なら彼女には母親と過ごした日々と、魔王として、他者に記憶と意識を植え付けて生きてきた、およそ千年の記憶が混じっているはずである。
しかし、彼女の中の娘としての感情が大きく揺れ動く。
「だけど……この体の寿命までには……また帰って来てもいいかな?」
「もちろんよ。あなたが私の娘だということに変わりはないもの」
その一言を発すると彼女の目から再び涙が溢れ出る。
三人は、いつもの無表情な彼女から想像できない光景を黙って見ている。
「……ありがとう。でも、もう行く。ここにいれば騎士団もいずれは気づくかもしれない。……それに離れるのが辛くなる」
「外は危険だけど……あなたが必ず帰って来てくれるって約束してくれるならいいわ。……帰って来るまでにはお父さんを説得するから、必ず帰って来てくれる?」
「約束する。わたし、絶対に帰って来る……から」
涙を拭きながら懸命に答えると、ナゲリーナは家から出て行こうとする。
「待ってよ! ナゲリーナ! やっぱり家でやり過ごすことはできないのかな!?」
優作は急いで立ち上がり、ナゲリーナを止めようと立ち上がる。
ナゲリーナの代わりに尋賀が首を横に振る。
「やめとけよ、優等生」
「どうして!? 騎士団もやり過ごせるし、もう少しだけでも母親と一緒にいられるのに! 君だってその方がいいってさっき……」
「あんまりつれー事を後回しにするんじゃねーよ。それにオレがこっちに来た理由、オレ達が今解決するべきトラブルを忘れたとは言わせねえぜ?」
「でも!」
「でももストレーションもねーよ。オレは騎士団相手に喧嘩ができる。魔王様は辛いのを我慢して母親から離れるって言ってんだ。もうここにいなくても充分だろ」
「……ナゲリーナ、辛いのかな?」
「じゃねーと泣かねーよ。悲しくて辛いから、一緒にいればいるほど離れるのが辛くなるのが分かっているから出て行くんだって。その気持ちを汲んで、オレ達も出て行こーぜ」
ナゲリーナは一人、家から出て行く。尋賀も彼女の後を追うように家から出て行く。それを見て、優作と美玲は急いで立ち上がる。
「ああ、もう! あの、お邪魔しました!」
「む、私も失礼した!」
二人は礼を言う。
母親は、 こちらこそと言う。
「娘と一緒にいてくれてありがとう。娘の事、どうかよろしくお願いします。あの白髪の子も娘の事を心配してくれて怒ったんでしょ? お礼、言っておいてくれないかしら?」
「はい! 必ず」
「うむ、必ず伝えるぞ!」
二人が家から出て行き、家の扉がバタンと閉まる。
母親は誰もいない家の中で一人、佇んでいた。娘を失った喪失感か、娘が帰って来てくれる嬉しさ、魔王の心が混じっているハズなのに自身のことで泣いてくれた時の嬉しさ。
様々な複雑な感情が彼女の中で渦巻き、彼女は佇むことしかできなかった。




