異世界干渉
一人の少年が窓の外を見つめる。
ボロボロになった、学校の制服である白いカッターシャツの襟を正しつつ、意味もなく窓の外を見続ける。
「ぼちぼち家賃、稼がねぇとな……」
少年以外誰もいない部屋。
もっと言えば人一人が生活をしているわりには、何も置いていない部屋で少年は呟く。
「あんま、大家に贅沢ばっか言いたくないんだよな。折角いいところで暮らしてるのに、ここから追い出されたくねーし」
少年は年齢に似合わない白髪を掻き毟る。
しゃあねえなっと。
少年はそう言うと、部屋にあるバットケースを背負って部屋から出る。
ーーー
少年はアパートの一室から外に出る。
少年のボタンが全て外れているカッターシャツが風ではためく。少年はその風を気にする事なく歩いて行く。
アパートのブロック塀を曲がったところで、妙齢の女性に出くわす。
「よっ、大家。今日もせっせと掃除か?」
少年は右手を挙げて女性に話しかける。
「いつもの習慣さね。そう言う尋賀ちゃんはヘンテコ爺さんのところにお出かけかい?」
女性は箒を掃くのを止め、少年、坂巻 尋賀の方へと顔を向ける。
「いんや、違うよ。そろそろ家賃の時期かと思ってね。ちょいと稼いでこようかと」
「稼ぐって、そんな物騒な武器を持ってかい?」
大家の女性は背負っているバットケースを指差す。そのバットケースの中身は、バットではない事を大家は知っていた。
「ま、そんなとこ」
「そんなとこって、あんたねぇ……」
大家は俯く。
「そんな暴力までしたらあんた、もう生きてはいけないよ? あんた、ただでさえ嫌われてるのに……」
「なにか勘違いしてない? オレ、別にカツアゲしに行くんじゃなくて、山の方に行ってくるんだよ」
そう言うと、尋賀は軽く笑う。
『カツアゲ』、『暴力』。
バットケースの中身が物騒な物が入っているような言い方だった。
「最近山付近の畑で何かよく分かんねえのが荒らしてるって話だし、金になるんじゃねーかと」
「ああ、てっきりあたしはその、『武器』でカツアゲでもするのかと……」
「オレ、カツアゲなんてすると思う?」
大家は首を横に振りながら答える。
「いいや、全然。みんなが言うほどアンタは悪いやつじゃないよ」
「へいへい。それはうれしゅーござんす」
尋賀は空を見上げる。
時間はまだ、昼を過ぎたばかり。夜の闇にはまだまだ時間がありそうだった。
「そんじゃ、オレ、行ってくるわ」
「そうかい。早めに帰ってくるのよ。晩ご飯、作っといてあげるから」
「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」
尋賀はバットケースを背負い直すと、山に向かって歩き出した。
ーーー
学校のチャイムが鳴り響く頃、尋賀は山に着く。
本来ならば彼は、この時間には学校にいなければならないはずなのに、そんなことも気にせず、金の事を考えている。
「いやー。それにしてもたんまりだったなぁー、ありゃあ」
尋賀は歩きながら、山の地主から言われた報酬金額を思い出す。
「こいつは嫌でもできませんとは言えねぇーよな」
尋賀は口笛を今にも吹き始めそうな程、上機嫌だ。
尋賀が山の近くにある地主の家で、地主と話したところ、最近、山からの野生の生物が、夜な夜な、近隣の畑を荒らし回っており、罠を張って捕獲しようとしてもその罠が壊されていたらしい。しかも噂では化け物の姿をしているという噂もあった。
結局、その手のプロに駆除してもらおうという事になったが、ちょうどその時に尋賀がやって来たらしい。
「へへ、先に狩れば家賃3ヶ月分か」
まさしく取らぬ狸の皮算用をする尋賀。プロよりも先に狩ればそこそこの金になる。
意気揚揚としながら、彼は山に入っていく。
狩りの実力はそこまであるという訳ではない。だが、腕には自信があった。
ーーー
(……なんだ?)
山を少し登ったところで突然、空気が冷たくなる。気配が変わった、というよりも突然気候が変わったかのような寒さ。
今まで感じたことのない、異変に尋賀は周辺を見回すが、特に変わった様子はない。突然襲ってきた違和感に尋賀は、ただただ警戒する。
しかし、
「……気のせい、だよな」
尋賀は警戒したところで、何かあるとは思えず、あったとしても分からないものを警戒しても意味がないからと、結局なにも考えずに山の中の道を進む。
(こんな時に狩りに詳しいあいつさえいてくれりゃあーなぁ)
雨か風か、天気の変化の前触れか。
尋賀の言う、その人物ならばこういった状況で的確にアドバイスしてくれる。
だが、今は居ない者に頼る訳にもいかない彼には、考える事を止める事しか出来なかった。
「たしかあいつ、地面の僅かな足跡がどうとか言ってたな」
尋賀はその者と一緒に山に同行した時の事を思い出しながら地面に座り込む。
いかにも簡単そうに狩りをやってのける、『彼女』を見ていて、オレでもできるのではないかという甘い考えからの行動だった。
だが、現実は甘くない。
「全然分かんねえ。人の足跡くらいは分かるんだけどな……」
尋賀は考え込む。
考え込みはするが、彼はすぐに考えるのを止める悪い癖があった。
(しゃーね。とりあえず適当にこの足跡追ってみるか)
考えるのをやめ、彼は足跡を追ってみることにする。行く当てがないならば、何か適当な目印があればいいし、闇雲に山の中を歩けばいずれは獲物に出くわすだろう。
狩りに詳しくなくても、時間をじっくりかけても問題ない、ゆえの行動だった。
(誰かいるのか……?)
雨が一降りするだけで消えてしまいそうな足跡を追っていると、不意に声が聞こえてくる。
誰が何の目的で山を登ってきたのかは分からないが、普段立ち入る人がいない山に先客がいるということは、同じく獲物を狙ってる人間である可能性が高い。
尋賀にとって獲物を先取りされるのは、お金を手放すのと同じで、心中穏やかじゃない。
「へへ、もうプロを雇ったなんて聞いてねーんだけど」
尋賀は、地主が自分の事を清く思っていないことを思い出す。
確かに、金は渡してくれるとは言ったものの、その地主は彼をゴミでも見つめるかのような冷たい眼で見ていた。
その時の顔、すでにプロを雇っていたことを考えると、尋賀は鼻で笑うことしか出来なかった。いや、出来なかったというよりも、特に気にとどめていないから、怒りもせずに小馬鹿にするだけなのだろう。
『きゃあああああああああ!!』
「なんだ!?」
突然聞こえてきた悲鳴に尋賀は汗を流す。
聞こえてきた方角は……足跡の先。
「おいおい、餌になってんじゃねーだろうな!」
尋賀は叫び声のした方向へ走りだす。
普段は冷静、というよりも達観している尋賀だが、さすがに悲鳴を聞いたからには焦りをみせる。
走ると言ってもそれほど距離がある訳でもなく、すぐに彼は地面でうつ伏せで倒れている少女を見つける。
「あーあ、狩りに来たらとんでもねえの見つけちまった」
少女の首元を触ると、息をしており、尋賀は一安心する。
一安心したところで尋賀は、冷静になって少女を見つめる。
髪の色は紅色で、染めてあるというよりもこれが地毛なのだろう。
身長もかなり低く、子供であることは間違いない。
簡素な服に身を包んでおり、髪の色以外はどこにでも見かける普通の子供だった。
とりあえず尋賀は少女を揺すってみる。
「おい! 起きろ!」
揺すってはみるものの、少女は一向に起きる気配を見せない。
こいつを警察にでも届ければ謝礼金でも出るか?
尋賀はそう算段しつつ、獲物の懸賞金と天秤にかける。
しかし、尋賀は命と金を比べているのではなく、既に彼女を山から連れて降りることを決定していた。
仕方なく尋賀は少女を持ち上げた時、すぐそばに白衣と男性服が落ちている事に気づく。
「なんでこんな物が? まさか、この服の持ち主、裸でうろついてるんじゃねーだろうな?」
この服の持ち主が少女を襲ったのかもしれない。
だが、少女の着衣は乱れておらず、強いて言うならば、服が少し汚れている程度だった。
それにいかがわしい事件が起きていたとするならば、服の持ち主はどこに行ったのだろうか。尋賀が少女を発見するまでの時間があまりにも短すぎる。それはつまり、犯人が逃げる前に尋賀に見つかっていたからだ。
周囲の草木も、人が身を隠すには少し適していない。
だが、この服も、そして尋賀にはなんとなくの気配で、ここにもう一人誰かいたようにも感じていた。
「消えた? まさかな」
尋賀が 導き出した答えはあまりにも、現実離れした答えだった。でなければこの状況を説明できそうになかったからだ。
とりあえず尋賀は、どんなものであっても、少女にこの寒い気候は身体に良くないだろうと考え、白衣と男性服を掴む。
すると突然、その両方からガラスとガラスがぶつかりあう音がする。
尋賀はポケットに手を突っ込み、ガラスの棒状の何かを掴む。
取り出してみると、黒やら紫やら禍々しい色をした液体が入った試験管やら注射器が、ポケットからいくつも出てきた。
「随分とセンスの悪りー薬品だな。ま、これでも使えないことはない、か」
尋賀は、取り出した薬品をポケットに戻すと、少女に白衣と服を被せる。
一瞬、彼はもしこれが本当にいかがわしい犯人のものだったらとも考えたが、そんなことよりも、彼女を無事に山から連れて降りることが先決だと考えるのを止めにした。
「つーかなんでこんな山にガキが一人でうろついてんだって。ったく」
文句を言いつつも、尋賀は少女を片手で持ち上げる。
「さすがにこいつ連れて狩りなんてできねえし、一度下山するか。ん?」
ガサゴソと草木が揺れる音がする。そして近づいてくる気配。
尋賀はゆっくりと少女を地面に仰向けで寝かせると、彼は巻き込まれないように少女から離れる。
彼は担いでいたバットケースの中からバットではなく、木製でできた棒状の武器、棍棒を取り出し、それを構える。
(向こうからこっちに来てくれるなんて好都合だな)
彼は棍棒を両手には持たず、片手で持つ。
息を整え、いつでもどんな状況でも対応できるように集中力を高める。
だが、目の前に姿を現した生物、『らしきものに』尋賀は驚く。
「おいおい! なんだこりゃ!? そりゃあ化け物の姿をしてたとか聞いてたけど、本当に化け物じゃねえか!」
目の前に現れたそれは、全身が緑色の鱗に覆われた狼のような、まさしく化け物だった。
鱗は金属のように光沢があり、その鱗を隙間なくまとっている。そのため、目や口があるかどうかも分からない。
初めて見るその異形の生物に尋賀は初めのうちは動揺する。
そして、その動揺はすぐに狂喜へと変貌する。
「ま、化け物と喧嘩出来るなんざぁー、嬉しくてたまんねーぜ」
彼はそう言ってバットケースを投げ捨てる。
視線が目の前の化け物から逸れない。心臓が激しく動き、血液が全身に巡っていくのを強く感じる。見たことのない化け物に一瞬、動揺した時とは違う。神経を刃よりも研ぎ澄ませ、全ての感覚をフルに発揮する。一瞬が、一撃が全てを、勝敗を決する戦いの世界。一撃で戦闘不能にできる、一撃で戦闘不能にされる。
彼にとって、喧嘩とは僅差の勝負を楽しむプロのスポーツ選手のそれと相似だった。
「来いよ。カビ色狼」
尋賀のその挑発に乗ったのかは分からないが、先に動いたのは化け物の方だった。
顔と思われる部分の鱗が、二つに分かれ、その中から緑色の牙を覗かせる。
化け物は尋賀の足元に一瞬で駆け寄り、その膝を噛もうと飛びつく。
「ふっ!」
上と下の鋭利な牙は、目標を捉えられず、その目標は横に回り込んでいた。
「おらよッ!」
尋賀は棍棒を化け物の頭に振り下ろす。
力を込めた重い一撃に、ガツンという音が鳴り響き、化け物は伏せた状態になるが、それは決してやられたというわけではなく、尋賀の重い一撃で立てなくなっただけで、応えてはいなかった。
(くそ、なんだこいつ! かてぇー!!)
化け物が体制を立て直す前に頭に踵落としをする。
まるで金属の塊を蹴ったかのように尋賀の足に鈍い痛みは伝わるものの、化け物はやはり応えてはいない。
仕方なく彼は足で化け物を抑えつける。
(全身硬すぎだろ、なんで弱点がねえんだよ!)
尋賀はいろんな場所を棍棒で突いてみるが、全く手応えを感じられない。
力を込めているはずで、『普通の』生物ならば間違いなく、気絶なり絶命するなり、そこまではなくても生物らしく、痛みで反応の一つや二つはあってもいいはずである。抑えつけている今の生物には、尋賀の攻撃に何らかの反応を見せないで、尋賀の簡易な拘束から抜け出そうと暴れているだけだ。
こんな異形の生物に無謀な戦いだったか!
時間が経ち、棍棒の突いた回数が重なる度に相手の強さに焦りから、そう思うようになってくる。
「クソッ! こんなやつどうやって勝ちゃーいいんだよ! どこが弱点なんだよ!」
彼は、答えの見つからない、あまりにも強すぎる敵に、どうすることも出来ずに叫ぶ。
だがそう言ったところで彼はあることに気づく。
もう既に全ての部分を可能な限り、突いてみた。だが、そのどれもが効果がなかった。闇雲に弱点を探すよりも、一つ試す価値のある場所がある。
(試してみっか)
先ほどの焦りが嘘のように、冷静に判断する。
彼は押さえつけていた足をどけ、化け物を力の限り蹴り飛ばす。
(重ッ……!)
蹴り飛ばされた化け物は宙を舞い、そして地面に着地する。
尋賀は、魔物の想像以上の重さと硬さによる反動が、足の骨にまで響きそうな痛み。
激痛に一瞬、座り込みそうなる尋賀だったが、ここで隙を見せたら負けると思い、痛む足を堪えながら両足で立って見せる。
(さあ来い、カビ色狼!)
彼は棍棒を両手で持ち、先端を化け物に向ける。
集中している彼に、足の痛みはもはや感じない。
化け物は再び、鱗と鱗が別れ、その牙が露わになる。
そして、化け物を蹴った足に飛びつき、噛みつこうとする。
「おらぁ!口ィ開けろ!!」
足と足の距離が限界まで離れるほど踏み込み、姿勢を低くし、棍棒を化け物の口の中に突っ込む。
表情からは読み取れないが、化け物はなにが起きたのか驚いている。
尋賀はすぐに棍棒を上に振り上げる。化け物は尋賀の頭上でなにも出来ない。
「おらッ! 潰れろ!」
重い化け物を、棍棒から落とさないように気をつけながら後ろに振りかぶり、化け物の重さと、自身の力を併せて、力のあらん限り振り下ろす。
地面に叩きつけるとズシンッという音が土から鳴り響く。
「まだまだァ!」
さらに両手で化け物付き棍棒を両手で持つと、そのまま木に叩きつけた。
今度は、木がミシッという音が鳴り、上から数枚の木の葉が落ちてくる。
落ちてきた木の葉が全て地面に落ちきると同時に化け物はピクリとも動かなくなった。
「やっぱ、外側はガチガチにかてえけど、中身、内臓は脆いのな。あるかは知らねえけど」
絶命したかどうかを確認するために化け物を警戒しつつ、近づく。
だが、彼が確認する前に化け物は黒い靄になって消えてしまった。
「……ホント、何だってんだ。この世の生き物じゃねえなこりゃあ」
尋賀は自身の白髪を指で掻き分けて掴む。
夢か幻か。
尋賀は本当に化け物と戦ったのかということすら、疑わしく感じていた。
だが、それを否定するかのように、足の痛みが、手の感触が、そして人間ではないものの未知の生き物と戦った高揚感が尋賀に残っていた。
棍棒の化け物の口に突っ込んだ部分を確認する。
棍棒は汚れひとつ付いておらず、彼はバットケースを拾うと棍棒をケースの中に仕舞う。
「結局、オレの山での収穫はこいつだけって訳か……」
尋賀と化け物との一騎打ちをしていても今だに目覚ぬ少女を、再び持ち上げると彼は来た道を引き返す。
ーーー
結局あれはなんだったんだ?
尋賀は帰りながら考えるが、彼にはさっぱり分からない。
そもそも現代日本であのような生物に出会う事自体があり得ない。
「優等生ならなにか分かる……訳ねえわな」
彼は学校の友人の成績優秀な少年の姿を思い浮かべるが、すぐに消し去る。
例え、尋賀が学校に積極的に登校していないとは言え、流石にあのような生物は存在しないという事は分かる。
山の麓に着いたところで彼は違和感を覚える。
そう、あるはずだった風景が広がっていない。山に入った時とは地形が違うどころか、周りには何もない。
「あり得ない事がなんで何度も起きるのかねえ」
辺りを見回すが、彼にはこの様な場所に心当たりがない。
帰り道を間違えたとも考えられない。
第一、山の周辺は何かしらの畑ばかりで、山のどこから下りても畑が見えるはずである。
しかし今の周辺にあるものといえば、強いて言うならばコンクリートでできておらず雑草のない道くらいである。
「帰り道間違えちまってタイムスリップでもしちまったか? それとも……」
彼は狩の詳しいという者がいつも話していた事を思い出す。
騎士と魔法で溢れた異世界。常に目を輝かせながらその設定の話をする友人の姿。
「まさか、ちょっと狩りしてたら異世界に着きましたってか。冗談じゃねーぞ」
彼は、確信するには少々早すぎる気もするが、脳裏に浮かんだ異世界という言葉が、妙にしっくりきて、消えてくれそうになかった。




