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5.王都ブランカ

五章王都ブランカ



 転送の衝撃は距離に比例する、と教わった。

 ということで、異世界から転送されたことを思えば今回は近距離だといえるよね、と思っていた。


 が、甘かった。衝撃はゼロになると言われたわけではなかったのだ。

 今回は平気かも、と楽観視していたあたしは、ブランカ郊外の木立の陰でかれこれ半刻ほど、ダウンしていた。

 尋常ならざる力は、多少弱くなったとしても人があがらえるものじゃないのだ。ようく理解できました。

 というか、すごく便利な技だとは思うけど、人に優しくなるような改良とかできないものだろうか。


「大丈夫か、カサネ。これ飲めるー?」


 目の前に皮袋が差し出された。のほほんとした声の主は、セルファだ。


「向こうの川で汲んできた。冷たいぞー」


「ありがと……。セルファは、あれ平気なんだね」


 まだくらくらしている頭を押さえながら体を起こした。皮袋を受け取って、口をつける。

 ああ、おいしい。ふはあ、と肩で息をついた。


「それなりに負担はかかってるよ。でもまあ動けるかな」


「そっかあ、すごいね」


 喉が潤うと、辺りを見渡せる程度の余裕が生まれた。

 さっきまでは、ぺた、と地面にくっつけた顔の眼先にある、青い草しか見えない状態だったのだ。


「あれ、カインは?」


 木々が立ち並んでいるそこには、セルファとあたししかいなかった。


「向こうにブランカが見渡せる箇所があるんだ。そこにいる。カサネが動けるようになったら行こうってさ」


「あ、待たせちゃったよね。ごめん、じゃあ行こうか」


 立ち上がりかけて、ふらついた。セルファが慌てて手を貸してくれる。


「急がなくていいって。まだ時間はたっぷりあるし。ほら、座って」


「あ、ありがと」


 セルファの手を借りて、木の幹にもたれるようにして座り込んだ。

 朝日が差し込むまでにまだ時間がある、そんな早朝にオルガを出た。

 今もまだ木々の葉には朝露が残り、空を見上げれば月が名残惜しそうに淡い光を放っている。

 転送後、へにゃへにゃと倒れこんだあたしに「想定内だ」とカインは言ったけど、こうなることを見越していたのだろうか。


「ここから正門までたいした距離じゃない。慌てることはないよ」


「そうなの? あ、セルファはブランカに詳しいんだよね。どんなとこ?」


 ブランカにはレジィとカインと行くのかと漠然と思っていたのだけれど、カインの部屋に行ってみれば、セルファが待っていた。

 セルファは長くブランカに住んでいて、神殿に籠もりっきりだったカインよりもよほどブランカに詳しいのだという。

 それに加え、ブランカで名を馳せた、凄腕の仕立て職人だったそうで、裕福な商人の娘から歌姫、貴族のお姫様まで、セルファのドレスをこぞって欲しがったのだとか。

 出会ったときに、『予約が二年待ち』とか言っていたっけ、と思い出す。

 ブランカに詳しく、顔も広いとなれば、情報収集しやすい、というわけだ。


「ブランカって一口に言っても、結構広いんだよ。色々区切られてるしね。

大雑把に言うと、ビビ山の中腹、下々を見下ろすような高みに王城と貴族の住居地がある。高い塀と四つの門で区切られててさ、ここは許可証がないと出入り不可能。

 その次に神殿管轄区があってー、一部を除いて一般開放されてる。

 その下には港や市場、その他何やかやがある。一般的な庶民はこの辺りから居住区になるかな。ま、王城から離れれば離れるほど身分が低くなると考えていい。

 オレが知ってると言えるのは、神殿管轄区の下からだな。それも全部じゃなくて、一部だよ。

 あとは、そうだなー。王都ってだけあって、いろんなものが集まってる、ごちゃごちゃしたところだよ。

 この国は海に囲まれて孤立してる、ってのは知ってる?」


 隣に座ったセルファの問いに頷いた。

 カインの授業の中でそれは教えてもらった。


「隣のハイナムトス大陸までは、間に点在する島々を船で渡っていかなくちゃいけないんだよね。

ブランカはこの国最大の港があって、ヘルベナ大陸の玄関って別名がある、であってる?」


 いつだったかカインが見せてくれた、この世界の地図を思い描いた。

 アデライダ国が支配しているヘルベナ大陸は、世界地図で見てみれば意外にも小さなものだった。カナシス海を挟んで位置するあるハイナムトス大陸はその数倍は大きく、しかもその全容は途中で切れており。

 不思議に思って訊けば、そこから先は地図を起こせない未開の地なのらしい。どんだけ広いのかは、分からないとのこと。

 というよりハイナムトス大陸だけでなく、世界全体がまだ正確に把握されていないのだそうだ。

 地球儀や微細な世界地図を見慣れていたせいか、最初は少し不思議な感じがした。世界っていうのは、全てが明確になっていることが当たり前だと思っていたから。

 でもどうしてだか、不確かなほうが世界は大きいような気がするのは、何故だろう。


 思い出しながらのあたしの説明に、セルファが満足したように頷いた。


「そう。カインの生徒って優秀だなー。

 港があるお陰で、ブランカは自国のみならず、他国の人や物も溢れてるんだ。ま、だからこそ王都がそこに置かれたわけなんだけどね。

 これもカインから聞いた? この国の創成王と言われるリアヌ王は、元々は他国の者らしい。航海中にヘルベナ大陸を発見し、移り住んだんだって」


「あ、それは初耳」


「それなら、続きを話そうか。

 分かりやすいように、アデライダの子供が多分一番最初に聞く昔語をしてやるよ。

 むかーしむかーし、リアヌという強い巫力を持った若者がおりました」


 本当に子供に語るように、セルファは節をつけて話を続けた。


「その力と信仰心は果てしなく、それは武神パヴェヌにまで認められるところとなりました。

 ある日のこと、パヴェヌはリアヌの頭に直接話しかけてこられました。どこそこの島から荒海を渡って西へ行き、新たな大陸へ向かうように。そして、その土地で神である自分を奉り、自分に仕えるための神殿を建立すること。

 そうすれば、自分はお前たちを加護し、土地を守り続けることを約束しよう、と。

 彼は神の言葉を信じ、数人の仲間と共に船を出すことにしました。でまあ、それからは物語らしく化け物に襲われたり嵐にあったり、なんつー紆余曲折があったりするわけだけど、そこらへんは、いーや。

 とにかくリアヌはヘルベナ大陸を発見し、その国の王となりました。そして天啓に従いヘルベナ神殿を建てました、と。

 お陰でアデライダは武神パヴェヌに加護された平穏な国になりました。めでたしめでたし」


 ぱちぱちと自分で拍手をして、セルファは不快そうに顔に咲く花を歪めた。


「なんて、全然めでたくないけど。これって、王家が作った嘘なんだよね。他国から侵略しにきた、じゃ体裁が悪いから、さ。

 大体、神が命じて造らせた神殿にしちゃ、欲まみれで汚いったらないよね」


 花びらを歪めて、吐き捨てるように言った。それからすぐに、普段見せない嫌悪の表情に驚いたあたしに向かって、取り繕ったような笑みを浮かべてみせた。


「っと、話逸らしちゃったね。とにかく、リアムが最初に足を踏み入れた土地が、ブランカなんだ。そして渡ってきた航路がそのまま貿易路になってる。

 まあ、化け物なんていない、安全な海路なんだけどねー」


 セルファのあんな厳しい顔、初めて見た。憎しみに溢れた顔だった。

 いつもの顔つきに戻って、皮袋に口をつける横顔を窺った。

 確か、妹さんを神武団に殺されたんだったよね。神殿を憎んでいるんだろうな。


「……カサネ。具合はどうだ?」


 ふいに低い声がして、木陰からカインが姿を現した。


「あ、もう平気。ごめんね、時間とらせて」


「いや、構わない。じゃあブランカに向かうとしよう。セルファ、用意はいいか?」


「ああ、いいよ。『ユーマ』も、分かってるよね?」


 二人の視線があたしに向けられて、頷いて答えた。

 あたしはこれから、仕立て屋セルファの弟子、『ユーマ』という男の子になるのだ。

 リレトに姿を見られてしまったとは言え、少しでも人の目を欺いたほうがいい、というカインの考えからだ。

 それに、女にしてはあたしは髪が短すぎるので、そうする他に良策はないようだ。

 まあ、男のフリをしても違和感はないようだし(結構悲しいのだけど)、パンツ姿はスカートよりも動きやすいので、文句はない。

 ちなみにカインは『ユーマ』の兄弟子という設定で、名前は『ゼフ』だ。


「あ、ユーマ。対珠はしっかり隠しておけ。絶対に他人に見せるな」


「あ、はい」


 カインに言われて、しっかりボタンを留めた首元に手をあてた。対珠はこの下にある。

 白い布地の上から、小さな膨らみに触れる。と、カインの首元にも首飾りがあるのに気がついた。


「あ、れ? それ、対珠?」


「え? ああ、まあ……」


 あたしの視線に気付いて、飾りを服の中に押し込んだ。

 あれが、カインの対珠なのかな? あたしが持っているのと、よく似てた、というか、そっくりだったような気がしたけど。


「さ、行こうか。久しぶりの王都だ」


 先に立ち上がったセルファが、手を差し出してくれた。それを掴んで立ち上がる。


「ユーマに街を案内する。迷子になんなよ?」


 少し、緊張してきた。

 今から、サラのいた神殿や、両親のいるブランカに行くのだ。


「は、はい。先生」


 顔が強張ってしまって上手く笑えない。そんなあたしにセルファがくすりと笑った。


「そんなにガチガチの顔すんなって。サラの実家に行くのは明日。今日は市内で情報収集するだけだから、安心しろよ」


「え? そうなの?」


 気負っていたのに、行かないの?


「ヘヴェナ家の屋敷には、明日伺うように手配してある。窺見の報告だけではなく、この目で現状も見たいし、今日は市内を回る。それに」


 カインがふい、とブランカ方向に顔を向けた。


「捕らえられたかもしれない友人について、早く調べたほうがいいだろう」


「あ……」


 ちゃんと考えてくれてたんだ。

 つん、と背けられた横顔に頭を下げた。


「あの、ありがとう、カイン」


「ゼフ、だ。間違えるな」


「あ、はい。ごめんなさい、ゼフさん」


「ああ。じゃあ、行こうか。セルファ先生?」


 カインの言葉に、セルファがにんまりと笑った。


「うわ、カインから先生だなんて、気持ちいーなー。楽しいなー」


「先生、へらへらしてないで早く行くぞ」


「うわ、かわいくない弟子だな、おい」


 並んで歩き出す二人の後を追った。




 思えば、あたしはこの世界の極々偏ったところしか見ていなかった。

 何しろ、家畜小屋と平原、山の中の隠れ集落しか知らないのだ。

 異国、いや異世界においての『街』は初めてで、ブランカに足を踏み入れたあたしは口をあんぐりと開けっ放しだった。

 超大作ハリウッド映画のセットに迷い込んだ、なんてもんじゃない。

 迫力が違う。溢れかえる生活臭が違う。


「間抜けな顔しないで、行くよ。ユーマ」


 ぽんぽんと背中を叩いたのはセルファだった。


「あ、ごめんなさい。あの……すごいね」


「ん? まだ驚くには早いよ。これから中央市場に向かうけど、そこはここ以上だ」


 セルファが辺りを見渡して、あたしもそれに倣った。

 今立っているのは、ブランカへ入る三つの大門のうちの一つ、中央門を入ってすぐの場所だ。

 たくさんの馬車や、様々な荷物を抱えた徒歩の人々に混じって門をくぐれば、そこにはレンガ造りの建物が並んでいた。赤茶のレンガに、濃茶のものが混じったものが多い。

 そのどれにも煙突がついていて、ゆるりと煙を吐き出していた。

 足元をみれば、剥き出しの地面ではなく、大きさの揃えられた赤茶の石(レンガの欠片なのだろうか)が敷き詰められていた。

 遠くに見える高台には、白いお城のような大きな建物。重厚な構えのそれを、高い塀がぐるりと取り巻いていて、一層の物々しさを感じる。

 さっきのセルファの話からすると、あれが王城だろう。豊かな緑が映える真っ白なそれは、王様が住むにふさわしい気品があるように思う。しかし、結構な距離がありそうなのにこんなに大きく見えるなんて、一体どれくらいの規模があるんだろうか。


 あ、そうだ。神殿もここから見えるのかな。ええと、どこだろう。


「いい加減落ち着け。俺たちと離れたりしたら人攫いにあうぞ」


 きょろきょろしていたらぽこんと頭を叩かれて、そのこぶしの主を見れば、むす、としたカインがいた。


「あ、人攫いなんて、いるの?」


「そりゃあな。ユーマみたいに浮かれてぼけぼけしてる田舎モンが一番危ない」


「……じゃあ、行きましょうか」


 浮かれてとか、ぼけぼけとか、突っ込みたいところがないわけではないけど、言えない。初めての場所に心奪われていたのは事実だし。

 人攫いは怖いので、セルファの服の裾をぎゅ、と掴んで歩きだした。

 はぐれない程度に、辺りに視線をやる。

 しかし、騒がしいくらいに、賑やかだな。

 行き交う馬車からは馬の嘶きと、ガラガラという車輪の音。

 物売りだろうか、「採れたてだよ!」とか「今なら安くしとくよ!」なんて声もそこかしこからしている。

 子供の笑い声に、泣き声。母親の叱咤するような声も聞こえる。


 すれ違う人は容姿も様々で、髪の色だけでも、金、黒、赤。白かと思えば、銀色という人もいた。瞳も、黒、青とここまではよかったのだけど、驚くことに緑と紫という色があった。

 こっそりとセルファに訊けば、緑や紫の瞳はハイナムトス大陸の人に多い色なのらしい。どうりでオルガでは見かけなかったわけだ。

 「カラコンじゃないんだ」と思わず呟いたら、セルファが食いついた。説明すると、非常に興奮していた。


 それから人ごみをしばらく歩いて、中央市場というところへついた。

 そのまだ先に港があって、そこから流れてきた品物が売買される場所なのだそうだ。

 木柱に布を張っただけの簡易な店がずらっと並び、様々な品物を陳列している。

 さっきの大門前も活気があったけど、こちらのほうが格段に人が多くて賑やかしい。

 人の流れに乗るセルファにくっつきながら店先を眺める。

 見たことのない食べ物や、魚。芳しい香りを放っている、奇妙な形をしたフルーツのようなものもある。

 テーブルと椅子がたくさん並べられたところは料理屋らしい。

 美味しそうな湯気を立ち昇らせる大皿を持ったお姉さんが、忙しそうにテーブルの間を走り回っている。ちらりと見れば、見たこともないくらい大きい海老がどーん! とお皿に乗っかっていた。

 綺麗な反物を並べた店の横には、ネックレスや髪留めを扱う店。かと思えば木箱に衣服を無造作に盛っているところもあった。山からいくつも服を引っ張り出し、真剣に品定めをしているおばさんの姿。

 すごい。まるでお祭りみたいな場所だ。国の首都って、華やかで豪華なものなんだ。


 あ。あれは何の店だろう。


 所狭しと品物を並べた他と違い、すっきり片付いたテーブル。その前に座しているのは、フードを深くかぶった全身黒尽くめの人。おおよその年齢も性別もわからない。


「セル……じゃない、先生。あれは何の店ですか?」


「ん? ああ、あれは占い師だよ。カードを持ってるから、あれで占うんじゃない?」


「占い、かあ」


 見ていれば、ちょうどお客が来たところらしかった。

 あたしよりいくつか年上だろう、若草色のドレスを着た綺麗な女の人が椅子に腰掛けた。

 ほんのりと頬を赤らめて話している様子を見ていると、セルファが肩を竦めた。


「聞かなくっても分かるな。恋愛相談、だ」


「でしょう、ねー」


 どこも同じだよなあ、なんて思う。


「あ、やっぱりあれって巫力を使うんですか?」


 実際に力を持つ巫女や神官がいるこの世界だ。占い師だって力があってもおかしくないかも。的中率が高かったりして。

 しかしセルファは顔の前で手を振って見せた。


「そんな大したもんじゃない。巫力のある奴は神殿入りだから、こんなところにいるわけがない」


「あ、そうか。そうでしたね」


 カインの授業で聞いたっけ。失敗失敗。


「それに、いくら巫力があっても先読みはできないらしいよ。未来を見通す力なんてのは、神しか持たないんじゃない?」


 なんだ、この世界でも占いは不確かで頼りないものなのか。

 考えたら、そりゃそうか、とも思うけど。

 占いが確実なものだったら、リレトの策略なんて最初から潰せたはずだもんね。

 それでも異世界の占いはどんなのだろう、と気になってしまう。占いのテーブルを通り過ぎようとしたとき、ふと視線をやると、女の人が「きゃあ」と黄色い声をあげた。嬉しそうに胸元で手を叩いている。

 想いは成就する、なんて言われたんだろうなあ、とそっと笑った。気休めかもしれなくても、悪いことを言われるよりは、いいよね。


「……あれ? 先生、ゼフがいません」


 気付けば、あたしたちの数歩あとを歩いていたはずのカインがいなくなっていた。


「え? あ、本当だ。ユーマを叱ったくせに、自分が迷子になったかな」


 やれやれ、とセルファがため息をついた。立ち止まって、来た道を振り返る。

 のんびりとこちらに向かってくるカインの姿を認めた。


「ゼフ! こっち!」


 セルファが手を振ると、カインが少し早足になった。どうやら何か手にしているようだ。


「迷い子になりそうだった? ゼフ」


「そんなんじゃないさ。ユーマ、手を出せ」


「へ? はい」


 言われるままに手を差し出せば、カインはそこに小さな袋を乗せた。


「中は、ルドゥイという果実を干したものだ。頭の芯の痛みや揺らぎを取ってくれる効果がある。必要なときに口に入れろ」


「え? ええと」


「ああ、カサネがさっきへばってたからか」


 セルファが手の平を覗き込んで言った。

 もしかして、あたしが転送後にダウンしたから? 確かに、頭痛とめまいがしたっけ……。


「試しに食ってみなよ。結構美味いぜ、それ」


「あ、うん」


 袋の口を縛っていた紐を解いて、中身を手の平に溢す。ころころ、と転がり出たのは鮮やかなオレンジ色の粒。形や大きさは、レーズンによく似ていた。

 一粒摘んで口に入れたら、柑橘系の甘酸っぱい香りと味がした。

 あ、爽やかだし、確かに頭痛に効きそう。それにこの味、好きかも。


「おいしい」


「そうだろ。オレも一口―」


 あーん、と口を開けたセルファにも一粒。


「あ、あの、ありがとう」


 カインに言うと、うん、と小さく頷きを返された。


「じゃあ、行こう」


 すい、と顔を逸らして、カインはセルファを促した。

 それからセルファと並ぶようにして歩き出す。その後ろをついていきながら、小さくため息をついた。


 あれから、カインにきちんと謝れないままでいる。


 ごめんなさい、そう言わなくちゃいけないのに、カインに向き合うとどうにも口が動かないのだ。

 ああ、嫌だなあ。カインはあたしの体調まで気遣ってくれてるのに。優しくしてくれてるのに。

 あたしはカインの些細な軽口で駄々をこねちゃって、しかも謝ることもできない。

 最低。馬鹿だ、あたし。

 次に、カインときちんと話せそうなチャンスがあったら、絶対に謝ろう。

 この間はあんなこと言ってごめんなさい、って。


「……ってふびゃ!」


 どすん、と先を歩いていたセルファの背中にぶつかった。

 考え事をして歩いていたせいで、立ち止まったことに気付かなかったらしい。


「いたた。どうしたんですか、先生」


「ユーマ、ここからは余所見せず、しっかりついてこいよ」


 セルファの声に、ぴんと張り詰めるものを感じた。


「え?」


「ここからが、オレの知ってる『中央市場』なんだ」


 セルファとカインが見つめる先は、細い路地だった。

 賑わっている市場の隅から伸びている、見落としてしまいそうな場所。

 あたしたち以外、誰も気にもしていない、そんな入り口。


「そっちって、市場から外れるんじゃないんですか?」


「いや、いいんだよ、こっちで。じゃ、行こうか」


 店と店の僅かな隙間を通って、活気ある場所を離れた。

 簡易な店の奥はレンガの建物が建っていて、セルファとカインはその建物の隙間を縫うようにして進んでいく。

 市場の喧騒も聞こえなくなって、周囲の建物がどんどん古ぼけていく。

 一体どこに行くんだろう、と不思議に思っていると、広い通りにでた。


「あ。市場につい、た、の?」


 セルファの背中越しに通りに視線をやって、言葉を失った。そこはさっきとは様相の違う、どこか暗い場所だった。

 土が露になっていて、でこぼことしている。さっきの整地された地面とは大違いで、濁った水溜りが至るところにあり、端には雑草が根を張っていた。

 店は並んでいるけれど、木柱に渡された布は元の色が分からないくらいにぼろぼろになっていて、何より土台となるべき柱が大きく傾いていた。

 並んでいるものと言えば、古びて色あせた衣服であったり、干からびた野菜であったりと、品物とは言いがたいものばかりだ。

 店主らしき人は顔を俯け、肩を落として陰鬱な様子。道行く人も少なく、いても皆表情が硬い。着ているものも、着古したような感がある。


「え? ここ、一体何?」


 さっきまでの様子とは全く違う。そんなに歩いた覚えはないのに、この差異は何なの?


「ブランカ中央市場、奥通りだよ」


 苦々しく、セルファが言った。


「あっちは港通り。他国の人間や貴族サマ、神殿関係者などなど、裕福な人間が行きかうところ。

で、ここはこの国の一般庶民の台所と呼ばれるところさ。この国の本当の姿は、こっち」


「本当の姿って、そんな……」


 子供の泣き声がして視線をやると、小さな男の子が赤ちゃんを負おぶっていた。

 裾の破れたズボンからは、か細い足が伸びていて、あやす声も頼りない。赤ちゃんの声も、さっき聞いたものと違って小さくて、掻き消えそうだった。


「なんでこんなことになってるの? どうしてさっきの場所とこんなにも違うの?」


「ここが、命珠の餌場だから、だよ」


 カインがぽつんと呟いた。

 命珠の、何て? 

 口を開きかけたとき、悲鳴が上がった。

 さっきまで無気力だった人たちが途端に色めき立つ。


「計ったようにきたか。できるなら避けたかったんだけどな」


 ち、とカインが舌打ちをした。


「マダムのとこ、急いだほうが賢明だね。こっち、ユーマ」


 セルファが手を取って、引く。急に走り出した二人に引きずられるようにして走った。


「な、なに?」


「いいから! そこ右に入って」


 訳がわからないまま、連れて行かれる。汚れて何て書いてあるのかも分からない看板が掲げられた建物に飛び込んだ瞬間、遠くで人のものとは思えない、思わず耳を塞いでしまいそうなほどの悲鳴を聞いた。


「…………はっ、はぁっ! な、何、今の」


 いきなりの全力疾走に呼吸が荒くなる。へたり込んで息をつきながら、カインとセルファを見上げた。


「は……っ、ぁ。後で説明、する」


 乱れた前髪を乱暴に掻きあげて、カインは外を窺った。

 もう悲鳴は聞こえてこないようだ。


「おや。懐かしい顔じゃないのさ」


 背中にハスキーな声がかかった。


「マダム・シルヴェーヌ、久しぶり。今日、部屋空いてる?」


 ふう、と息をついたセルファがあたしの後ろに話しかける。振り返ると、髪を高く結い上げた女の人が立っていた。

 グラマラスな体つきで、その起伏に富んだラインがよく分かる紫色のタイトドレスを身に纏っている。

 艶のある黒髪は、頭のてっぺんで二個重ねのお団子になっている。簪のような赤い髪飾りがお団子に刺さっている、少し変わった髪形。

 でも、彫りの深い個性的な顔立ちにはよく似合っている。

 しかし、年齢はいくつくらいだろう。ちょっと見た目で判断できそうにない。三十、いや四十代?


「空いてるとも。全員同じ部屋に押し込んで、いいのかい?」


 マダム・シルヴェーヌと呼ばれた女の人は、ジーノさんが愛用している煙管とよく似たものを手にしていた。 

 深紅の口紅を塗った唇から、煙を細長く吐き出す。


「同室で構わないが、二部屋続きがいい。用意できるだろうか、マダム?」


 外を窺っていたカインが聞いた。

 その顔をみたシルヴェーヌさんがくすりと笑う。


「おや、あんたいい男だね。いいよ、用意してあげる。

 それにしてもセルファ、あんた生きてたんだねえ。死んだんじゃないかと心配してたもんさ」


「そりゃどーも」


 手近にあった椅子に腰掛けながら、セルファが言った。ふう、と一息ついて、あたしにも椅子を寄越してくれた。それにお礼を言って座る。


「ふうん、こっちは可愛らしい坊や、かい。変わった取り合わせだねえ」


 シルヴェーヌさんがあたしの顔を覗きこんで、愉快そうに濃茶の瞳を揺らした。煙管を持った手で、頭を撫でる。

 ふわりと、ケイルの香りがした。しかしジーノさんのそれと、葉っぱの種類が違うようだ。こちらは麝香のような濃密な匂いだ。


「坊や、名前は? もう成人の儀は済ませてる?」


 色気が視覚で確認できそうだ。赤い唇が魅惑的に動く。


「え、ええと名前はその、えっと、カ」


「名前はユーマ。オレの弟子だよ。そっちのも弟子で、ゼフ。今は諸国回って色んな職人に会ってるんだ」


 シルヴェーヌさんの放つ色香に圧倒されていると、セルファが助け舟を出してくれた。


「ふうん、弟子、ねえ。ま、いいけど」


 ふい、とあたしから離れて、シルヴェーヌさんは奥へと向かった。


「今はまだ酒は出せないんだ。水でいいかい?」


「ああ、ありがとう」


 ヤバかった。うっかり本名を口にするところだった。セルファにごめん、と目で謝る。

 って、そういえば、酒? ようやく落ち着いて辺りを見渡せば、そこは『酒場』というような雰囲気のところだった。

 古びた椅子にテーブルが並び、奥にはカウンターらしきものがある。その向こうには大きな樽や壜。そして、何よりも店内に染み付いたお酒の香り。


「ここはね、一階は酒場、二階は宿になってるんだ。今日はここに泊まる。ちなみにあの人はここの主のマダム・シルヴェーヌ。多少問題はあるけど、いい人だよ」


「はあ。あ、先生はシルヴェーヌさんと知り合いなんですか?」


「まあね。一時期はここで生活していたし」


 セルファが上を指差した。その指をそのままカウンターのほうへ向けた。


「ほら、向こうの奥に階段が見えるだろ。あそこから二階へ行くんだ。何部屋あったかは憶えてない。ちょっと汚いけど、料理はまあまあだから安心して」


「汚いは余計だね、セルファ」


 トレイに木杯を載せて、シルヴェーヌさんが戻ってきた。はいよ、と手渡される。

 ブランカに入る前にセルファから水を貰って以来だったので、有難く頂く。

 レモン水のような爽やかな味がして、一息に飲み干した。


「はあ、美味しい」


「そうかい、そりゃよかった。そっちの眼帯の兄さんも、いい加減こっちに来な。今はもう大丈夫だからさ」


 入り口で外の様子を見ているカインにシルヴェーヌさんが声をかける。


「大丈夫、とは?」


「昼間は一回、って決まってるのさ。次は夕刻。だから大丈夫、奴等は来ないよ」


 その言葉にカインが眉根を寄せた。ちらりと外に視線を戻したものの、ため息をついてそこを離れる。セルファが押しやった椅子にどすんと座った。


「はい、飲みな」


「ああ、すまない」


 木杯を受け取り、口をつける。少し考えるようにしていたカインは、シルヴェーヌさんに顔を向けた。


「……毎日か?」


「最近、日に二人に増えたのさ。もちろん、法に触れた奴は、それに追加されるよ。それも結構多いときたもんさね」


「増えた、と……?」


「ああ。でも、一人も二人も一緒、みんなそんな心境さ。ただ自分の番が早まるだけ、ってね」


「そうか……」


 深刻そうな二人の会話。それを聞いているセルファも、苦々しそうに顔を歪めた。


「あ、あの。何の話、ですか?」


 意味が掴めず、訊いた。

 すると、シルヴェーヌさんが驚いたようにあたしを見た。それからセルファとカインに厳しい顔を向ける。


「あんたたち、何も知らない子を連れてきちまったのかい? そりゃ酷いよ。こんな坊やをなんでわざわざこんなトコに。

 セルファだけじゃないよ。ゼフっていったかい? あんたも知ってたなら、止めてやんなよ」


「連れてこなくちゃいけなかったんだよ、マダム」


 非難するような口調に、セルファが辛そうに俯く。カインはちらりとあたしを見て、顔を逸らした。


「あ、あの、シルヴェーヌさん。セル……先生たちについて行くといったのは自分、ですから。その、先生たちは悪くないんです」


 慌てて言ったあたしに、シルヴェーヌさんは真剣な視線を向けた。


「どんな理由で来たのか知らないし、訊かないさ。あんたにも思うことがあるんだろうしね。

 でも、それならきちんとこの街について知っておきな。命に関わるんだからね。あとからどういうことなのか、教えてもらいな」


「は、はい……」


 こくんと頷く。ブランカについては、確かに少ししか話を聞いていない。さっきの街並みについても気になるし、確かにきちんと話を聞いたほうがいいのかもしれない。

 後で二人に教えてもらおう。


「……失礼します、マダム。部屋の支度が済みましたが」


 低い声がして、次いで、のそりと男の人が姿を現した。

 背が高く、肩幅の広い大柄な人だ。癖のある茶色の髪は長く、前髪はカインのように顔つきを隠してしまっていた。

 この店の従業員さん、なのかな? 締まった体つきで、まるでオルガの男の人みたいだ。


「ああ、ご苦労さん。セルファ、注文通りの部屋をを用意したよ。夕食は、どうする? ここで飲むかい?」


「オレとゼフの分はいらない。ユーマの分だけ部屋に持ってきてくれる?」


「あいよ。じゃあ、さっさと上にいっとくれ。シル、客を案内してやっとくれ」


「はい、マダム」


 シルと呼ばれた男の人に案内されて、二階の部屋へと向かおうとした。


「ああ、そうだ。セルファ」


「ん? なに、マダム」


 シルヴェーヌさんの声に、セルファが足を止めて振り返った。


「あの手負いの獣は、元気なのかい?」


「……ああ。山で元気にやってるよ」


「そうかい」


 ひょいと肩を竦めて、シルヴェーヌさんは手を振った。


「それならいいんだ。さあ、部屋に行きな」


「ああ。さ、行こうか、ユーマ」


 二人の会話を見ていたあたしの肩をぽんと叩いた。


「獣って、動物か何かを保護したの?」


 並んで階段を上りながら訊くと、セルファは愉快そうに笑って頷いた。


「そう。けっこう間抜けなやつでさー」


「ふう、ん?」


 犬か何か? でも山に放したってことは、別の動物だろうか。


「お二人とも、こちらです」


 先にカインを案内していたシルさんが、廊下の先で手を上げていた。

 どうやら一番突き当たりの部屋らしい。

 中は、古びてはいるけれど綺麗に手入れされている、こじんまりとした部屋だった。奥に続くドアが開かれており、ベッドが置かれているのが見えた。


「生憎、ベッドは各部屋に一つしかありません。後でカウチと寝具を持ってきますので、それでご容赦願えますか」


「ああ、構わない。よろしく頼むよ」


「では」


 シルさんが階段を降りていくのを確認して、カインが手近な椅子に腰を下ろした。

 セルファは出窓に腰掛け、顎でベッドを指した。


「とりあえずカサネはそこに座りなよ。で、今晩は奥の部屋を使うといい」


「え? あたしが一番体が小さいんだから、カウチで構わないよ?」


「それだと、オレたちのどちらかと同じ部屋で寝ることになるよ? まあ、オレと一緒がいいっていうなら、カウチは断ってもいいけど」


「……すみません。奥の部屋、頂きます」


 ぺこんと頭を下げると、セルファがあはは、と笑った。


「数が増えた……」


 ぽつんとカインが呟いた。


「え?」


 カインに視線をやると、考え込むように顎に手をあてていた。

 どういう意味だろう、と思っているあたしと違い、セルファには呟きの意図が分かったらしい。す、と笑みをひいた。


「みたいだね」


「維持するだけなら増やす必要はない。となれば、どこかで大きな術を使ったはずだ。いや、これから使おうとしてるのかもしれないな」


「術、か。例えばどんなものが思いつくの?」


「大量の人間を転送、いや、距離をとるのかもしれないな。治癒、もあるか。貴族、王族の依頼ならば断らないだろうしな」


「あ、あのう……」


 おずおずと声を発した。


「あの、さっきのシルヴェーヌさんの言ってた話、してるの? あたし、よくわかんないんだけど、ええと、教えてくれるかな?」


 カインとセルファが顔を見合わせた。

 二人とも言い躊躇うように互いを窺っている。

 訊いてはいけないことだったのだろうか。でも、知らないままでいてはいけないような気がする。

 シルヴェーヌさんの言ったことも気になるし。

 少しの沈黙のあと、カインがため息をついた。

 言葉を選ぶように、ゆっくりと話す。


「知らないですむのなら、そのほうがいいかもしれないと言ったら?」


「でも、知っておいほうがいいってシルヴェーヌさんが言ったよね? 教えてもらえないの?」


「いや、そうは言ってないけど」


「じゃあ、教えて?」


 いつもは色々教えてくれるのに。今回はどうして渋るんだろう。

 疑問に思いつつ、まだ躊躇した様子のカインを見つめると、セルファが口を開いた。


「説明してやれよ。知らないままでここから出られるとは限らない。それに、無知が危険を招くことだってある」


「……確かに、な。わかった。説明しよう、カサネ。この街で起こっていることを」


「うん、お願いします」


 どうしてカインがすんなり教えてくれなかったのか。

 いつもの授業の延長、そんな感覚で説明を求めていたあたしは、そこを深く考えていなかった。

 重い口を開いたカインの話は、心の準備の足りなかったあたしに、衝撃を与えた。

 どうして二人が躊躇ったのか、教えようとしなかったのか。

 それをあたしが理解したのは、すぐ後のことだった。




「――さっきのは、リレトの命珠の為に、人が命を奪われた、断末魔の声だ」



 コンコン、とドアをノックする音がした。

 ベッドにうつ伏せていたあたしは、返事もできないままでいた。

 今は、誰とも会話をしたくなかった。いや、口を開けば吐いてしまうような気がした。


「失礼します。食事をお持ち致しました」


 隣の部屋で、シルさんの声がした。


「こちらに置いておいてもよろしいですか? ええと、ユーマさま?」


 ああ、そういえば二人とも出かけたんだっけ。


 あたしに話を終えたあと、カインはこの辺りにいる窺見に、セルファは昔馴染みに会いに行くと言って、出かけてしまったのだ。


「ユーマは絶対にこの部屋から出るな」と二人してキツく念押しして。


 言われなくても、出て行く勇気なんてないのに。


「あの、具合でも悪いですか? 薬をお持ちしますか」


 返事をしないあたしを心配してくれているのだろうか、遠慮がちにドアをノックする音がした。


「あ……いえ、平気です」


 こちらの気分で、仕事中のシルさんを無視するのも申し訳ない。嗚咽をこらえながら返事をした。


「腕のよい調合師を知ってます。こちらの部屋に出てこれますか。どういう風に悪いのか教えてもらえると助かりますが」


 無愛想な口調だけど、気を使ってくれているのが伝わった。


「出すぎたことだったら、申し訳ないんですが、その、ユーマさま」


「あ、あの。ちょっと、待ってください」


 ベッドから降りて、隣へのドアを開けた。

 眉間に少しシワを寄せたシルさんが立っていた。


「顔色が悪い。胸は苦しいですか? 食事は消化のよいものに換えますか」


「い、いえ、そんなわざわざ結構です。気を使わせてすみません」


 ぺこ、と頭を下げる。と、シルさんがあたしの顔をまじまじと眺めていることに気が付いた。

 具合をみるような目つきではない、値踏みするような、ひんやりした眼差し。


「あ、あの……?」


 問うと、は、として、曖昧に笑う。


「いえ。あの、そちらに食事をご用意しております。どうぞ」


「あ、すみません」


 あたしの勘違いだったのかな。

 では、と言い置いて、部屋を出て行こうとするシルさんの背中を見つめた。

 と、ドアノブに手をかけて、「ああ、そうだ」と思い出したように声をあげた。


「ユーマさまは占いはお好きですか?」


「うらない、ですか? ええと、まあ、それなりに」


「そうですか。今、下の酒場に当たると名高い占い師が来ております。よければ一度、カードを切ってもらったら如何ですか」


「は、あ」


 今は占いなんてしてもらう気にならないんだけどな。


「一人では退屈でしょう。よい時間つぶしになりますよ」


 時間つぶし、か。実際、二人はいつ帰ってくるかわからないのでずっと一人なわけだけど。先に寝てろって言われたし。

 返事を躊躇っていると、「初見だと無料ですし、ぜひ」と重ねて言われた。


「んー、ええと、はい。後で行ってみます。あ、でもあた……ぼくみたいな子どもが酒場でうろちょろしていいんですか?」


 訊くと、はは、と大きな声で笑われた。


「十五、は越している様子ですが? どちらからお越しか存じぬが、この国では十五から成人です。ご安心なさいますよう」


「は、あ」


 初耳。そっかあ。あたしってこの国だと大人になっちゃうのか。

 カインたちには子ども扱いされてるから、ピンとこないんだけど。


「では、失礼いたします」


 今度こそ、シルさんは出て行った。

 一人きりになって、近くにあったカウチに座り込んだ。

 目の前の質素な作りのテーブルの上には、湯気の上るトレイが置かれていた。

 食欲、ないんだけどな……。あ、でも。

 思いついて中身を覗くと、パンが二つと、野菜のスープ。炙った肉が少し。それと、並々と注がれたぶどう酒がのっていた。

 奥市場の廃れ具合を思うと、豪華な食事だと思う。

だけど、港市場でちらりと見た飲食店の食事からしてみれば、比べようもないほどに質素だ。

 通りを一つ違えただけなのに、こんなにも差がある。

 たった一つ違えただけで、命までも搾取されるのだ。

 ここは、そんな世界で、あたしはそこに足を踏み入れているんだ。

 思わず溢れた涙が、スープに落ちた。





『命珠維持のために、民の命が搾取され続けているんだ。

 さっきのマダムの説明だと、日に二人、それに加え、罪人扱いとして何人も。

 奥通りの民は、命珠の餌扱い、ここは餌場ってわけだ』


『餌場、ってそんな……』


 カインの言葉に、自分の顔色が変わるのが分かった。


『なんで? どうしてそんな酷いことがまかり通ってるの? 誰も非難しないの?』


『誰も非難できないほど、あいつは力をつけてしまったんだよ』


 は、とセルファを見れば、出窓から外を見下ろしながら続けた。


『神殿で最も力のあるのが大神武官なんだけど、そのゼームは今やリレトの傀儡で、奴の言うことなら何でも聞くんだ。ということは、神殿内は奴が牛耳っているも同然。

 それに加え、奴は命珠を使い、医師でも手の施しようがない難病をことごとく治癒させた。それも、恩を売れそうな貴族連中だけにね。

 神殿内にも、王宮内にも、リレトを表立って非難できるような人間はいないさ』


『そん、な……』


 毎日誰かが不条理に命を奪われることを、非難できない?


『そ、それならせめて、みんなで逃げ出すことはできないの? ここにいたら殺されちゃうんでしょう!?』


 逃げてしまえばいいんだ。ここから離れたところへ。


『どこへ? この国は海に囲まれた孤国だ。海路は国が押さえてるから簡単に出国もできない。逃げる場所なんて、ないんだよ。

 それに、もし逃げ出したら身近な者が罰せられることになってるんだよ。自殺も同じ。だから彼らはお互いを監視している。誰かのせいで自分の命が刈り取られないように』


 つい、とセルファがあたしに視線を向けた。


『みんな生きることに疲れてる。でも、死ねない。カインの言う通り、ここは餌場なんだよ』


その眼差しは冷たくて、背中がぞくりとした。


『餌場……だなんて。ただ殺されるのを待つなんて、そんなの』


 そんなの、ないよ。俯いて唇を噛んだ。


『……ごめん。言い方がキツかった』


 少しの沈黙のあと、セルファがぽつんと言葉を落とした。


『悪かった。ここに来て少し感情的になったみたいだ』


 顔をあげるとセルファと目が合って、申し訳なさそうに笑われた。その笑みはいつもと全く違って悲しげで、慌てて首を振ってみせた。


『う、ううん! そんなこと』


 こんな話、感情的になっても仕方ないと思う。それに、考えなしに逃げたらなんて言ったあたしも悪いんだ。


『あ! 命珠維持のためってことは、リレトは毎日ここに来るの?』


 ふと気付いた。日に二人ということは、二回、来るってことになるよね?

 てことは、さっきは近くにいたんだろうか。会わなくて本当によかった。


『いや、リレトはこんなところにわざわざ来ないさ』


 あっさりと否定したカインが、一つの指輪を取り出した。鈍い色をした、紋様が彫られた大振りのものだ。


『これさえあれば、リレトは神殿から出なくても命珠の維持ができる』


『これ、が……?』


 顔を近づけてまじまじと見る。中央に窪みと立て爪がある。石か何かが嵌まっていたのだろうか。

 どことなく気味の悪さを感じる、趣味の悪いデザインだ。


『魂喰い(たまくい)と呼ばれる、現在神武団員が所持しているものだ。本来は中央に術式を彫った石が入るんだが、この指輪に触れられると、命を喰われる』


『え!?』


 指輪を手にしているカインから、思わず身を引いた。


『大丈夫だ、これを触っても害はない。最も重要な石を取り除いているからな。

 巫力を持つもの、神武団員などがこれに力を込めて人に触れると、命を刈り取られる。搾取された命はリレトの命珠に還元される仕組みだ。

 自ら動かなくても命の摂取ができるってわけだ。上手いことを考えたもんだよな』


 皮肉に笑い、指輪を握り締めた。甲に青白い血管が浮かび、カインが強く握り締めているのが分かった。


『命を無理やり喰うんだから、当たり前だが苦しい。目の前で見たという窺見の報告によれば、地獄絵図だった、と。さっきの声、覚えてるか? あれは命珠に喰われた人間の断末魔の悲鳴だ』


 足が震えた。自分がどうやって立っているのか、わからなくなる。

 あの時聞いたのは、人が殺される声だったんだ。

 耳元で甦る声。あんな悲鳴をあげるほどの苦しみなんて、想像したくもない。

 だけど、その命は、あたしの深いところにいるモノが食べたんだ。

 いくら何も感じないといっても、あたしの中に確実にいるモノが。


『カイン。ストップだ。カサネの顔色がヤバい』


 いつの間に傍に来ていたのか、セルファが肩を抱いた。

 立ち尽くしていたあたしをベッドに座らせる。


『ほら、水。ついでにルドゥイを口に入れろ』


 言われるままに水を含んだ。さっき飲んだときは美味しかったのに、不思議と味がしない。

 のたのたと干しフルーツの袋を開けようとしていると、セルファが取って、開けてくれた。口に乱暴に突っ込まれる。

 おかしいな、まるで砂を噛んでいるみたいだ。


『すまない。見たままを後で説明したほうが受け入れやすいかと思ったんだが、先に教えておくべきだったか』


 指輪を仕舞いながら、カインが頭を下げた。

 言葉が出てこず、首を横に振った。

 教えてもらわずにいて、よかったんだ。

 そんな話を聞いていたら、恐怖でここまで来られなかったかもしれない。

 来れたとしても、いつ人が殺されるのかと始終怯えていただろう。もしかしたら、足が竦んで腰が抜けて、二人の足手まといになったかもしれない。


『それで、これからのことなんだが。こっちにいる奴らに直に確認したいことが幾つかある。俺はこれからそいつらに会ってこようと思うんだが、留守を任せていいか』


『あ、オレも馴染みの奴が気になるから出かける。カサネ、いいかな?』


『え……』


 二人とも出かけるの? 危険な場所なのに外に行くというの?

 顔色を変えたあたしの思いを、セルファは勘違いしたらしい。

 優しく頭を撫でた。


『心配しなくても、ここは絶対に安全だから。マダムがいる限り、神武団の奴らはこの建物の中には入ってこない。カサネは安心してこの部屋にいればいいよ』


『違っ、あたしじゃなくて、二人が危ないじゃない!』


 さっき、シルヴェーヌさんは夕刻にも一回、と言っていた。あれが命狩りのことだと分かった今、二人に不用意に外に出てもらいたくなかった。

 危険に飛び込むような真似、しないで。

 あの恐ろしい悲鳴を二人があげるかもしれない、なんて考えたくもない。

 焦って声が大きくなったあたしに反し、カインが静かに答えた。


『そういう危険性は元より承知の上だ。それに、俺たちは簡単には捕まらないから大丈夫だ』


『そんなこと……っ』


 そんなこと断言できるはずないじゃない!

 引き止めたい一心で、セルファの腕を掴んだ。

 少し離れた位置にいるカインに顔を向け、どう止めたらいいか分からずに、ただ駄々っ子のように首を横に振った。 


『下っ端の神武団員なんかに命を盗られるようであれば、リレトを殺すことなんか到底できないだろ。だいたい、俺が簡単に後れをとるはずがないだろう。

俺はあいつの骸を拝むまでは、死なん。だからお前は大人しくここで待ってろ』


 いつもの淡々とした口調で、けれど有無を言わさない強さでカインは言った。

 これ以上何を言っても、カインは聞いてくれないだろうと分かった。


『せっかくここまで来たんだ。カインもオレも、できる限りのことはしたいんだよ。

 充分気をつけるから、カサネは安心して待ってていいから』


 唇を噛んだあたしに、セルファが宥めるように言った。

 腕に縋っていたあたしの手をゆっくり解く。


『そうだ、カサネも約束しなよ。ここで大人しく待ってるってさ。君までうろちょろされたらたまんないし』


『そ、それは約束するけど……』


『うん、じゃあオレたちも約束。絶対に帰ってくる』


 花びらを揺らして、セルファは明るく笑った。

 こんなふうに笑顔を向けられたら、ごねられなくなちゃうよ。


『じゃあ……待ってる』


 しぶしぶ頷くと、よし、とセルファが立ち上がった。


『一緒に出るか、カイン。なるべくカサネを待たせないように気をつけようぜ』


『ああ、分かった。……行ってくる。この建物から出るなよ』


『はい』


『ああ、そうだ。カサネ』


『なに、カイン?』


『友達のことも、もちろん情報を探ってくるから』


『あ……』


 そうだ! 莉亜! 状況に驚きすぎて目的の一つを忘れるところだった。

 カインに言われてようやく気付くなんて。


『や、やっぱりあたしも行く』


『ダメだ。足手まといになる』


 カインは眉間に深くシワを刻んだ。突き放したような口調に、でも……、と食い下がる。


『でも、あたしも探したいよ!』


『土地勘の全くない者を長く連れ回るのは危険だ。俺たちに任せておけ』


『そうだよ、カサネ。オレもちゃんと調べるからさ、信じてよ』


 な? とセルファが取り成すように言う。


『二人のことは、信じてるよ。でも……』


『じゃあ、黙って信じてろ』


 ばさりと切り捨てるようにカインが言った。あたしが視線をやれば、ぷいと逸らした。


『この街に怯えてるカサネが役に立つとは思えない。連れて行く理由がない』


『カイン、キツいぞ』


『う、ううん。いいの、セルファ。わかった、ここにいる』


 セルファが咎めたが、慌てて止めた。


『ご、ごめんなさい。ここにいます』


 ぺこんと頭を下げた。


『……じゃあ、行ってくるね、カサネ』


『ん。行ってらっしゃい』


 出窓から、建物を出ていく二人を見送った。それからほどなくして、遠くから絶叫が聞こえた。

 ここへ来たときと同じ、人のそれとは思えない悲鳴。

 命を刈られている人が今まさにいるという、証明。


 二人は大丈夫だろうか。無事でいますように。


 恐怖のあまり、目に涙が滲む。耳を塞いで、奥の部屋へ駆け込んだ。


 固い枕に顔を押し付けて、ひいひいと情けなく泣いた。

 怖い。怖い。

 ああ、あたしって本当に役立たずだ。

 カインの言う通り、一緒に行ったとしても何の役にも立たなかっただろう。

 ううん、それどころか足手まといだ。

 カインはきっと気がついていたんだ。『一緒に探しに行く』と言ったあたしの手が震えていたのを。

 莉亜を心配する気持ちを上回りそうなほどの、恐怖心を。だからこそ、あんな言い方で諌めたのだ。

最低だ、あたしは。

 莉亜を心配しているといいながら、結局は自分の体がかわいいんだ。

 命を刈られるという人たちに衝撃を受けながら、酷いと言いながら、自分はここから出ることすら恐怖している。


 あたしは醜いくらい、自分が大事なんだ……。

 自分への嫌悪感が涙となって溢れて、止まらなかった。



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