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3.再建の邑

三章 再建の邑


 

 ぐっすり寝たあとの目覚めは、瞼がぱち、と開く気がする。子供のころに持っていた、お休み人形を抱き起こした時のように、ぱか、と音がしそうなくらいの勢いで。

そんな風に目を開けたら、薄暗い部屋に寝ていた。

 あれ、なんであたしは寝てたんだろう。というか、見慣れない天井のここは、どこ?

 横たわったまま、ぼんやりと周囲を見渡した。


「え」


 真横、しかも至近距離に、レジィの寝顔があった。

 くーかくーかと気持ちのよさそうな寝息をたてている。


「ええ」


 何でレジィまでここで寝てるの? レジィと一緒に寝ている経緯が分からない。

目の前の無防備な顔を、ついまじまじと見てしまった。本物、なんだろうか。夢、だろうか? いや、もし夢だとしたら、あたしの脳はどういう処理の末に、レジィと一緒に寝ている夢なんか見せるんだろう。

 確認の為に、そろそろと指先で頬に触れてみた。張りのある肌に、つん、と触れたかと思うと、んふーと大きく息を吐いた。それにびくりとしたあたしに気付いているわけではないのだろうけど、へへ、と笑うレジィ。


 どうやらこの状況は、現実のようだ。


「えええええっ!」


 叫んで、慌てて体を起こした。そのまま、レジィから少し離れたところまで後ずさる。


「……ん? あ、カサネ起きたんだ。つーか俺寝てた?」


 ばたばたしたせいで、レジィを起こしてしまったらしい。瞬きを繰り返してから、ふあと欠伸をしながらレジィが言った。


「あ、あ、あの、あたし何で寝てたの?」


 んん、と伸びをして、レジィは起き上がった。片手で頭を掻きながら、もう一度欠伸をする。


「カサネの様子を見に来て、そのままぼんやりしてたんだけどな。俺もいつのまにか寝ちゃったみたいだ。あー、よく寝た」


「様子? ええと」


 混乱する。あたし、寝る前はどうしてたんだっけ。


「記憶があやふやか? カサネはあれから気を失うように寝ちまったんだ。助けが来て、安心したんだろうな。カインたちと話してたらさ、急にふにゃーって力が抜けたかと思ったら、寝息たててた。

無理をしたから、疲労が溜まってたんだと思う」


 ああ、安心したのは、覚えてる。

 ということは、あたしはあんな大勢の前で子供みたいな寝入り方をしたのか。恥ずかしすぎる。しかも、助けてもらっておいてそれって、すごく失礼なことをしてしまったのでは。


「ご、ごめんね。起こしてくれてよかったのに」


「別にいいさ。全部終わったあとだったんだから、問題ねーよ」


「それなら、いいんだけど。で、ここはどこなの?」


「あの場所から少し離れた場所に、陣を張ったんだ。ここはそのテントの一つ」


「テント?」


 室内を見渡した。中心と周囲に木柱が立っていて、それを支えに布が張られているらしい。


「本当だ。暗くて分からなかった」


「もう夜みたいだしな。俺がここに来たときはまだ夕刻まで時間があったんだけど」


 あたしの記憶では、朝日を眺めたはすだ。ということは、あたしは半日以上も眠っていたのか。


「レジィ、あたしこんなに長く寝ちゃってよかったの? 出発しなくていいの?」


「ああ。今日はここで休んで、明日の朝オルガに向けて出発するからさ。急がなくていいんだ」


「え? そんなことして、大丈夫なの?」


 リレトが他にも追っ手をかけているかもしれないのに。そう言うと、あたしの前に座りなおしたレジィが首を横に振った。


「それはない。リレトはもう兵を出していないはずだから」


「出してない、って、どうして分かるの?」


「あいつがこの状況を楽しんでいるから、だな」


 レジィの背中から声がしたかと思えば、人が入ってくるところだった。


「二人とも起きているようだったから、勝手に失礼した」


 火の灯った燭台を手にして近づいてきたのは、カインさんだった。

 テント内がそのお陰でほわりと明るくなる。急に光を見たせいか、目を瞬かせてしまったあたしに、小さく頭を下げてから、レジィの近くに座した。燭台をコトリと置く。


「あ、いえ。その、楽しんでいるって、どういうことですか?」 


「あいつは自分の命を狙っている俺たちのことを、玩具のように思っている。楽しい玩具としばらく遊ぼうと思っているんだから、簡単に壊すなんて真似はしない」


 並んで座る二人とあたしは、燭台を挟んで向かい合う形になった。ゆらゆら揺れる灯りを見つめながら、カインさんは言った。


「玩具、ですか……」


 リレトの冷たい笑みを思い出した。あの人ならば、そういうことを考えるかもしれない。人の命を簡単に潰せると言ったあの人なら。

 胸に広がる不快感に、唇を噛んだ。


「なので、ここで野営することを心配しなくてもいい。まあ、多少不便ではあるだろうけど、そこは我慢してもらいたい」


「いい加減嫌になったよな。ごめんな。もう少し頑張ってくれな?」


 申し訳なさそうに頭を下げるレジィに慌てた。


「え、あたし平気だよ? 今も十分寝られたし、いいってば」


 馬上でも寝られたんだから、あたしは多分どこでだって寝られる。それにここはテントとは言え屋内だし、しかも毛布を被って横になって眠れる。贅沢すぎるじゃん。ついでに追われる心配もないのなら、文句なんてあるはずがない。

 とそこまで考えて、気付く。最低条件が低すぎだろうか、あたし。

 でも、とにかく平気なことには変わりないので、大丈夫だよ、と眉を下げているレジィに何回も言ってみせた。

 その時、カインさんが前髪の隙間からあたしをじ、と見ているのに気がついた。観察するかのように、頭から、座っている足元まで視線が流れる。


「あ、あの、カインさん?」


「外見にサラとの共通点は、ないな」


 ぽつん、と小さく言葉を落とした。


「ああ、そうだな。けど、味は一緒だったぜ?」


「また舐めたのか、レジェスは」


 呟きを聞き取っていたレジィに呆れたように返して、カインさんは前髪を掻きあげた。それからあたしに手を伸ばした。


「あ。え?」


「少し触れる。君の魂を探るだけだから、痛くない」


 ひんやりとした指先が、頬に触れた。三指が、頬から顎を、ゆっくりと辿る。

 その間も、カインさんの目は真っ直ぐにあたしを見ていた。

 露わになった茶色の瞳は、綺麗なアーモンド形をしていた。長い睫毛に縁取られて、灯りに照らされて揺らめいている。肌は陶器のように白く艶やかで、鼻梁はなだらかに高い。 

 左目を覆う眼帯と前髪に隠された顔はそれでも端整なことが見て取れて、その容姿に一瞬心を奪われた。

 次に、引き込まれていたことに気付いて、慌てて目線を逸らした。きっと間抜けな顔で見惚れていたんだろうな。確実に見られたよね。


「逸らすな」


 顎に当たる指先に、やわりと力が入る。穏やかだけれど、有無を言わせない指示に、あたしは再びこちらを見る瞳に向かった。

 どれくらいの時間、そうしていたのだろう。冷たかった指先と、あたしの頬の温度が同じになったころ、カインさんが目を閉じた。

 ふ、と指が離れる。そして、


「サラに間違いない。命珠が……ある」


 静かに断言した。


 リレトがあたしをサラと呼んだ時に、もう疑う余地はないと思っていた。あたしは、サラだったことがあるのだ。その記憶がなくとも。

 カインさんの言葉を受け入れている自分がいた。


「ひっぺがせるか?」


 カインさんの顔を覗きこむようにしてレジィが聞いた。期待を込めた声に、首を横に振る。


「道具も何もないから、存在の確認ぐらいしかできない。その話はオルガに戻ってからだな。

まあ、リレトが君たちに会いに来た時点で、命珠の在処は確定したようなものだったし」


 やれやれ、と立ち上がって、カインさんはあたしを見下ろした。


「これからよろしく。俺のことはカインでいい。それと、その口調、堅苦しくなくていいから」


「あ、はい。いや、うん」


「湯浴みの用意が出来てる。起き上がれるなら、使った方がいい。

 レジェス、フーダが表で待ってるから、早く紹介してあげたほうがいいかも。じゃあ」


 言い置いて、カインはすたすたとテントを出て行った。

 ぱさりと閉じた出入り口を見つめる。

 冷静な人、という表現でいいのだろうか。飄々として、どことなくマイペース。表情は無に近くて、感情があまり窺えない。 

 さっき、『サラとの共通点はない』と言ったときも、ただ事実を述べるような淡々とした様子だったし。


 いや、違うのかもしれない。レジィの話だと、カインもサラと親しかったはずだ。それならカインはあたしをどう思っただろう。やっぱり、落胆したのだろうか。

 サラを知っているだろうリレトは、あたしを男と勘違いして『貧相な坊や』と言ったし、女だと気づいた時には、『かわいそう』とまで言った。よほど、サラの容姿から劣化しているのだろう。

 もしかしてそれにショックを受けすぎて、あんな風に感情が乏しくなってしまった、とか? 

 うわ、そんなのあたしもショックだ。見た目はどうしようもない。


「レジィ、カインって、普段からああいう感じ? いつもと様子が違ったりした?」


「ん? いつもより優しかったかな。嫌味がなかった」


 え、あれで優しいの? 目を見開いたあたしにくすりと笑って、レジィは続けた。


「よくそんなに毒が吐けるなってくらい、いつもはキツいんだ。神官ってのは性格がひねくれてないとなれないんじゃないか?

 まあ、それでも結構いい奴だけどな」


 最後に肩を竦めてみせたレジィの左腕に、包帯が巻かれているのに気付いた。


「あ! 腕、大丈夫なの!?」


 そうだ。あの時斬りつけられていたじゃない。どうして今まで忘れていられたんだろう。

 包帯の巻かれていない手首を掴んで聞いた。灯りに照らして、ずい、と顔を覗きこめば、頬にも薄く傷が入っていた。


「ここも怪我してる! 他は?」


 あたしを庇っていなかったら、怪我なんてしなかったかもしれない。見たところ平気そうにしているけど、体のどこかにまだ傷を抱えていたらどうしよう。


「ちょ、ちょっと、カサネ!」


 ぺたぺたとレジィの体を触る。黒い上着を着ている体に、包帯のような違和感はないようだ。袖を巻き上げて右腕も確認した。案の定と言うべきか、二の腕には包帯が巻かれていた。その他にも小さな傷がいくつか目についた。


「ごめん!」


 こんなに沢山の傷を負わせてしまった。もしも残ってしまったらどうしよう。あたしには一つもついていないのに。

 身を挺して庇ってくれたのだ。あたしにつけられるはずの傷も、レジィが受けてくれたんだ。


「あ。背中。背中は!?」


 背中を確認していなかった、と後ろに回り込んで服を捲りあげようとしたところを、止められた。


「ちょ、ちょっと待て。待って下さい」


 首根っこを捕まえられて、ぐえ、と蛙が潰れたような声がでた。そのままレジィの正面に戻される。


「あの、恥ずかしいんで止めてくれませんか」


「え、何が」


 レジィの手が緩んだので、顔を見上げた。あたしはただ、レジィの傷具合を確認しようとしていただけだ。特に変わったことはしていないはずだけど。

 しかしそこには激しく動揺している様子のレジィがいた。顔が赤いようにも見えるけど、燭台の灯りがそう見せているだけ?


 はて、と首を傾げていると、レジィが手の平で自分の顔を覆った。そのまま大きなため息をついて、指の隙間からあたしを見下ろした。


「レジィ?」


「だから。女の子は、男の体を不用意に触るんじゃありません」


「は、あ?」


 言っている意味を理解するのに、数秒かかった。


「……ああああああっ、ご、ごめんなさい!」


 べたべたと触って撫でくりまわしてしまった。理由はさておき、傍目にはまるきりの痴女のようじゃないか。

 レジィの動揺の原因が自分にあったことに、こちらが真っ赤になってしまう。


「いや、俺は別にいいっちゃいいんだけど。いややっぱよくない、のか?」


「あ、あの、怪我がないかとか気になって、その、ごめんなさい! すみません!」


 は、とすれば、あたしはいつの間にかレジィににじり寄っていて、ものすごく近くにいた。広い胸元にすっぽり収まっているような位置関係。


「うわ! 本当にごめんなさいっ」


 ずさささ、と後ずさった。

 馬上では密着していたけど、それはそうしなくてはいけなかったから。必然性があったから、どうにか気にしないでいられたのだ。それが、こんなところで、しかも自分からくっついていくなんて、レジィじゃなくても注意すると思う。何でそんなことにも気付けなかったんだろう。


「あー、いや、そんなに慌てて逃げられるのもなー」


 まだ上気している顔で、ぼそりと呟くレジィ。その声音に傷ついた色を感じて、焦って過剰に反応してしまったのかもしれないと思った。だけど、あのままくっついているわけにもいかないし。


「とりあえず、あの、これから気をつけます」


「あー。ハイ。そうして下さい」


「そろそろお邪魔してもいいですかね、長」


 不機嫌そうな声がふいにして、レジィが「あ」と口を開けた。


「このままじゃ湯が冷めちまうよ。だいたい、いつまで女の子にそんな格好させとく気だい」


「フーダ。悪い、すっかり忘れてた」


「そうでしょうとも。ようやくの再会ですからね。お気持ちは分かりますよ。しかしね、早くすっきりさせてやりたいと思う優しさが、欲しいもんだねえ」


「悪かったって。カサネ、この人はフーダ。これからお前の世話をしてくれる」


 立ち上がって、レジィは一人の女の人を、背中を押しやるようにして連れてきた。

 髪をきっちりと結い上げた、恰幅のいい年配の女性。つやつやとした顔は満面の笑みを浮かべていて、あたしを見て取ると、駆け寄ってきた。


「フーダと申します。カサネ様、と仰るんでしたね。私はお世話役として参りました。何でも言いつけて下さいましね。ささ、まずは湯浴みを」


 言うなり、あたしの手を引く。後ずさりしたままの体勢だったあたしは、彼女に引かれるままに立ち上がった。


「よ、よろしく。でも、あの?」


「ああ、まだお顔も汚れてるじゃありませんか。全く、ずっとお側についていたくせに、それくらい気をきかせられないもんかねえ」


 あたしの顔を覗きこんで、呆れたように頬を指先で拭った。その指先に黒ずんだものがつくのを見て、自分の顔が汚れていることに初めて気付いた。

 どれくらい汚れてるんだろう。手を頬にあてると、普段以上にがさがさしている。油でもついているのか、べたべたした箇所もある。はた、と体を見下ろせば、頼りない灯りの下でも分かるくらい、埃まみれで粉っぽい。しかも、どことなく臭う?


 こんな状態でレジィやカインの前にいたのか、あたし。それは、年頃の娘として恥ずべきところではないのか。思わずフーダさんの手を握り返していた。


「すみません。すぐに連れて行って下さい」


「はい、すぐに参りましょうかね。長。こんなことじゃカサネ様に嫌われるよ」


 フーダさんはあたしには笑顔を、レジィには冷ややかな一言を向けた。


「悪かったって」


 レジィはフーダさんに頭が上がらないらしい。叱られた子供のように、ばつの悪い顔をしていた。


「じゃあ、行きましょうか」


「お願いします」


 ごゆっくりー、と手を振るレジィに見送られて、テントを出た。


 衝立をいくつも張り巡らせて作った部屋の中央に、湯気を立てた桶がいくつも置かれていた。

 ここは草原のど真ん中だし、お湯で体が拭けるだけでもラッキーだな、くらいしか考えていなかったので、豊富にあるお湯に驚いた。


「さ、その服を脱いでくださいましな」


 よいせ、と腕まくりをしたフーダさんが言った。


「あの、こんなにたくさん用意するの、大変だったんじゃないですか? あたし水でも十分ですけど」


「あはは。せっかくカサネ様の為に用意したんですから、そう言わず。さあさあ、早く」


「ちょ、あの」


 桶の横には、火が焚かれていた。その側で、フーダさんはさっさとあたしの服を脱がせにかかった。

 煌々とした灯りの下で改めて自分の体を見ると、随分薄汚れている。白のシャツは灰色や茶色のまだら模様に変わってしまっていた。


「あらら。これは、洗いがいがあるってもんだね」


「あ、あの、自分でできます」


「そう言わずに、ほら」


 フーダさんは、近所に住んでいる中村のおばちゃんにどことなく似ていた。作りすぎたから、と煮物を持ってきてくれたり、外で会えば必ず声をかけてくれたりと、随分お世話になった人。あたしよりも大きな息子さんが四人もいて、スーパーで会うといつでもカゴいっぱいの買い物をしていたっけ。

 あたしの警戒心を解くように笑みを絶やさないところや、少し強引なところなんかも、おばちゃんとよく似てる。あと、少し太めのところも、と言ったら二人とも怒るだろうか。

 そんなフーダさんに親しみが湧いて、素直に頷いてしまった。


「あの、じゃあ少しお願いします」


「はいはい」


 お湯は程よい温度にまで下がっていた。それを頭からざぶんとかけると、気持ちよさにため息がこぼれた。

 ふー、と空を見上げれば、満天の星。爽快感と相まって、ちょっとした露天風呂気分だ。


「カサネ様は、おいくつですか?」


 粗布でごしごしと背中を擦りだしたフーダさんが聞いた。何の石鹸を使っているんだろう。ハーブのような香りが鼻をくすぐった。


「十六です。 だから、あの、そんな話し方は止めてください、様、とかもいりませんから」


 フーダさんは、あたしの両親よりも年上に見える。そんな人から敬語を使われるなんて、居心地が悪い。


「じゃあ……、そうさせてもらおうかねえ。しかし、今度はまた愛らしい姿に変わったもんだねえ」


「サラを、知ってるんですか?」


「ああ。サラのお世話役も、私がさせてもらってたからね」


「サラって、どんな人だったんですか?」


 サラについて、多くのことを知りたい。こうなった以上、きちんと知らなくてはいけないと思う。


「いい子だったよ。私のことをお母さんと呼んでくれてね。私には息子しかいなかったから、サラがそりゃあかわいくてね。だからもっと甘えてもらいたかったけど、あの子はそれが下手だった。三つ、いや、四つだったかね。そのくらいの頃に、実の両親と離れて神殿に仕えるようになったんだ。

 それに、神殿は厳しいところだって聞くから、甘えなんて許されなかっただろうしねえ。甘えたことがなかったんじゃないかね」


「そんなに幼いころから……。神殿に仕えると、親とは全く会えないんですか?」


「ああ。神殿に入ると、世俗と切り離されるんだ。いくら実の親であろうとも容易に面会できないし、親が死んでも、神殿の許しがない限り出ることは許されない。サラは、両親の顔をよく覚えていないと言っていたよ」


 思い出したのは、あたしの両親の顔だった。家を出て行って以来消息を知らない父と、あたしを振り返らない母。子供を放棄した両親。

 でも、それでも二人とも、あたしが子供の頃は優しかった。甘えさせてくれた。

 その先にどんな未来があるとしても、あの時感じた幸せを、あたしは知っている。


「人を気遣う優しい子だった。邑の子供たちの面倒もよく見てくれてね。そうそう、サラが神殿に入ってから生まれた妹がいるらしいんだけど、そりゃあ、会いたがっていたねえ。名前しか知らないそうだけど」


「そう、なんですか」


 家族の愛情を知らないサラ。甘え方を知らないサラ。

 無くなってしまったとはいえ、それを知っているあたしは、幸せだったと言えるのだろうか。

 ううん、分からない。知らないでいたほうが、失う悲しさも知らずに済むんじゃないかとも思う。


「ああ、カサネも綺麗な肌してる。白くて艶々だねえ」


 フーダさんの粗布は、背中から右の二の腕に移行していた。


「そうですか? 普通だと思いますけど」


「そんなことないさ。指先までこんなになめらかじゃないか」


 空いていた左手を広げてみる。ごく普通の手だ。ピアノを習っていたとき、指が長いと言われたことがあったけど、それだって人より抜きん出ていたわけではない。

 でも、褒められたことは、ちょっと嬉しい。


「サラもこんな肌してたよ。あの子はもう少し青みがかっていたかね。けど、指先はカサネの方が綺麗だ。サラは節くれだって……私みたいなごつごつした手をしてたよ」


 ほら、と泡のついた手を顔の前で広げられた。赤くなった手の平に、関節が大きくなった指。これは、知ってる。農家だったおばあちゃんと同じ手。働き者の手。


「神殿って、農作業もするんですか?」


「よく分かったね。神殿直轄の土地で、麦や野菜を作ってるよ。神殿には多くの供物が捧げられるけど、それだけじゃ足りないんだろうねえ。サラが言うには、そういう作業も全て修行なんだってことだけどさ」


 嬉しい、という気持ちが、恥ずかしさに変わった。指が綺麗だというのは、単に手の形を変えるほどのことをしていない、それだけのことだ。


「あたし……そういった作業をしたことないんです。そんな手より、働き者の手の方が綺麗に決まってます」


「おやおや、やっぱりサラと同じようなこと言うんだねえ」


「同じ?」


「ああ。『働き者の手なんだから、自慢すべきよ』ってね。頑張った証が綺麗じゃないはずがない、とも言っていたかね」


 当たり前のようにそう言い放つ女性の姿が、おぼろげに見えた気がした。ほんの少し、彼女が近くなった気がした。でもまだ遠い霞の向こうだ。


「おや、首飾りは外さなくてよかったのかい?」


「あ、これは、このままで」


 首に下げたままの珠を見てとって、フーダさんが聞いた。これを取ると非常に困る。

 赤い珠を摘んで、へへ、と笑って見せると、フーダさんは首を傾げた。


「カイン様の持っているのと、よく似てるねえ」


「え?」


「その鎖も。カイン様も同じような鎖をして、首から下げてたよ」


 そういえば、レジィはこれをカインの珠って言っていたような。もしかしたら、もしかしなくても、返さないといけないんじゃないだろうか。持ってるだけで言葉が理解できるなんて、ものすごく貴重なものだろうし。

 でも言葉が理解できないのは大問題だし、このまま貸してもらいたい。


 頼めば了承してくれるだろうか。


 とそこまで考えて、むう、と唸った。カインのとっつきにくい表情を思い出したのだ。

 『無理』とか万が一言われたら、それ以上踏み込めそうにない。そこを何とか、なんて言える気がしない。言い出しにくい雰囲気を醸していた。でも、今までこれのお陰で助かったのだから、お礼は言わないと。


「フーダさん、カインって、どんな人ですか?」


「カイン様かい? うーん、難しいねえ」


 フーダさんの手が止まって、考え込むように視線を彷徨わせた。


「部屋に籠もってお勉強なさってることが多いから、ねえ。

 でもいいお方には間違いないよ。麦を改良して、オルガの土地に合った種を作ってくださったし、病ともなりゃ、よく効くお薬を調合してくださる。

 ああそうだ。サリイの旦那が水虫に罹ったことがあるんだけどね。カイン様にお薬をお願いにあがったら、えらく臭い塗り薬を頂いたんだよ。それがもう臭いのなんの。一緒の部屋にいられないくらいだったんだ。その晩、サリイは旦那を家畜小屋に追い出して、豚と寝てもらったんだよ。翌朝は薬の臭いは消えたんだけど、豚臭くなっちまってねえ。

 それがあとで聞いたら、わざと一番臭い薬をだしたんだ、って。水虫なんかで手間かけさせた礼だってさ」


 思い出したのか、大きな口を開けて笑うフーダさんは、肩を揺らしながら続けた。


「長とはよく一緒にいるけど、しょっちゅう口喧嘩してるね。でも、カイン様はなにしろ弁の立つお人だからねえ。長はいっつも言い負かされて膨れてるよ。

 仲がいいことには変わりないんだろうけどね」


 いまいち把握できない。いい人だけど、気難しい、ってところだろうか。


「ええと、じゃあサラとカインは、どんな感じでしたか?」


「長以上に口喧嘩ばかりしてたよ。いい勝負だったけど、カイン様が少し上手だろうね。最後はいつも、サラがぶりぶり怒ってた。

 でも、カイン様はサラにはお優しかったよ。喧嘩の後は必ず、ご機嫌伺いに来るんだ。と言っても、怒りの収まらないサラとまた喧嘩になるんだけどねえ」


 懐かしそうに目を細める。その様子は微笑ましいものだったんだろうと思う。

 そうか、やっぱりサラと仲がよかったのか。

 じゃあ、あたしに対して失望しているかも、と思ったのは間違いじゃないのでは。

 せめて外見がサラに似ていたら、少しは受け入れやすかったかな。いや、中身が近いほうがいいのか。どちらにせよ、両方不足しているのだから、どうしようもない。

 ううむ、何だか声をかけづらくなってきた。でも、避けていいものでもないし。


「カイン様は怖い人じゃないよ。勘違いされやすくはあるけどね。きっとすぐに仲良くなるんじゃないかい?」


 顔に出ているのだろうか。頭の中を見透かされた言葉に、曖昧に頷いた。


「長と違って分かりにくいだろうけど、大丈夫さ」


 確かに、第一印象だけで勝手に判断してもよくない。カインはあたしのことを何とも思っていない可能性だって、ある。


「は、い。仲良くできるように頑張ります。それで、あの、『長』って、レジィのことですか?」


 さっきから気になっていた。レジィって、偉い人なんだろうか。


「ああ、レジェスはオルガの邑の長なんだよ。元々はレジェスの養父のロウム様が長だったんだけど、お亡くなりになってね。それで、残った邑人たちで話し合いをして、レジェスを新しい長にしたのさ。あの子はまだ若いけど、邑を支えていける力を持っている、ってね。

 だから本当なら、もっと敬った態度をとらないといけないんだろうけど、何しろあの子が寝小便垂れの頃から知っているからねえ。なかなか出来なくてね」


 やっぱり偉い人だったんだ。あの安心感や力強さは、人の上に立つ人の持つものだったんだ。


「知らなかった。そうだ。ライラもレジェス様って呼んでたっけ……」


「ライラ? 忍人の、ゼフの娘のライラかい?」


「そうです。あたし、ライラにも助けられたんです、って! ライラはあたしの代わりになったんです!」


 もっと早く気付かないといけなかったのに。ライラはどうなっただろう。無事だろうか。

 ヤシムスを離れた経緯をフーダさんに話した。


「身代わり、かい。でもきっと、大丈夫だと思うよ」


 手を休めて話を聞いてくれていたフーダさんが、眉間を寄せながら言った。


「そう、でしょうか?」


「ああ。ゼフと言えばオルガでも指折りの戦士だよ。娘一人守れないような男じゃない。絶対に逃げ切っているさ」


 断言するフーダさんに、ほ、とする。じゃあ、またライラに会える。


「さあさあ、話も大事だけど、今はこの湯が冷めないうちに使わなくちゃ。流すよ?」


「え、あ、ふびゃ!」


 頭から勢いよくお湯をかけられた。



 袖を通すのが躊躇われるほどの、瀟洒な服が用意されていた。

 さらさらと柔らかな生地は向こうが透けてみえるくらいに薄く、灯りに照らすと真珠のような淡い光沢を放っている。

 こんな生地、初めて見る。きっと高級なものに違いない。

 その布を惜しげもなく幾重にも重ねて形作っているのは、シンプルなデザインのロングドレスだった。生地だけで十分存在感があるのだから、凝った造りにしなくていいのだろう。


 しかし。話に聞くサラの容姿であれば、抜群の着こなしをみせるんだろうけど、残念、着るのはどうやらこのあたしなのだ。


「どうしたんだい?」


 ドレスを持って固まっているあたしを見て、フーダさんが不思議そうに言った。


「あの、これ、あたしには勿体無いというか、ドレスが可哀相というか」


「え? ああ、サラのことを考えて用意したからねえ。カサネには少し大人っぽいかね。とりあえず着てごらん」


「う……はい」


 肌を撫でるような生地は心地いい。だけど、そわそわする。ドレスなんて着たことがなかったんだから。

 ドレスの背中は、細い紐で編み上げるようになっていた。それをきゅ、と締めてから、フーダさんはあたしの前に立った。


「ふうむ、サイズが合ってないね」


「はあ……」


 サラは巨乳だったとみた。胸元にできたドレープはデザインではなく、あるべきものが欠けているせいだろう。

 呆然と己を見下ろすあたしの肩を、フーダさんが慰めるように叩いた。多分、あたしが恨めしそうに胸元ばかり見ているからだ。

 だって、悔やまれる。一つくらい、あたしにだってサラに勝っているところがあってもよさそうなもんじゃないだろうか。


「ちょっと待っといで」


 フーダさんは衝立の向こうに行ってしまい、ほんの少しして背の高い綺麗な男の人を連れて戻ってきた。がっしりした肩幅や、露になっている腕が逞しいことで男の人だと分かるけど、体型を隠していたら女性と見間違えたかもしれない。


 目を引くのは、碧眼の目尻だ。左の目尻に、紫の花の紋様がある。刺青、だろうか。白い肌に咲いている花はすごく目立っている。

それに加え、ふわふわの綿飴みたいな金髪を、頭頂部で一つに纏め、紫の飾り紐で結わえている。金色の雲を頭に載せたその人は、手に大きな箱を抱えていた。


「紹介するよ、セルファだ。カサネの着ているその服を仕立てた男さ」


「あ……、初めまして」


 胸元に余った布を掻き寄せて、頭を下げた。

 セルファさんはそれに小さく会釈をして見せて、でも視線はあたしをじろじろと見回していた。


「後ろ向いて見せて」


「あ、はい」


 後ろを向くと、背中にも同じ視線を感じる。と、ため息をついたのが分かった。


「ずいぶん貧相な体つきになったね、サラ」


「セルファ、今の名はカサネだと聞いたろ。それに、女の子に失礼なことお言いでないよ」


「ああ、そうだったっけ。だってさ、必要な肉までごっそりこそげてるよ。腰周りはそうでもないみたいだけど。パヴェヌもあんな容姿は二度とは作れないんだねー」


「カサネの姿もかわいらしいじゃないか。愛嬌がある」


「親しみやすいとは、思うけどね。でもまあ、これ位のほうがサラより手の加えがいはあるかな」


 どうも酷いことを言われているような気がする。

 貧相って、確かリレトにも言われたし。今まで自分の見た目を悲観したことはなかったけど、実は自分が思っているよりも壊滅的だったりするのか。


「もういいよ、こっち向いて」


 はいはい、もう好きに言って下さい。少し投げやりな気分で言われた通りに向き直る。


「こっち来て」


 足元に箱を置いたセルファさんが手招きした。箱の蓋を開けると、裁縫道具や布きれ、アクセサリーなどが綺麗に整頓されていた。


「え? ええと?」


「今からこの服をカサネに合わせて変えるから」


 あたしの前に跪いたセルファさんが、見上げて言った。手には裁ち鋏のようなものを持っている。


「あんたにタイトロングは合わないみたいだ」


 言うなり、ざっくざっくとドレスに刃を入れた。た、高そうな布を惜しげもなく! いいんだろうか。勿体無い。


「心配しなくていいよ。セルファは腕がいいんだから」


 おろおろしているあたしに、湯桶の片付けを始めたフーダさんが言う。


「当たり前。オレに仕事頼むときは、早くっても二年待ちだったんだから。それよりさ、フーダ。衣装箱に薄桃色のぺティコートがあるから持ってきてくれない? ロングのやつね」


「あいよ」


 ひんやりとした刃が足に触れる。びくりとなりながらも、動かないように意識する。もし動いて服をダメにしてしまったら大変じゃないか。

 直立しているあたしに、セルファさんがふん、と鼻を鳴らした。


「あんたを切ったりしないって。しっかしまあ、転生ってのは面白い。あのサラが、ねえ」


「や、やっぱり劣化してますか?」


「劣化?」


 セルファさんがあたしを見上げたのが分かって、視線を下ろした。眦の花が鮮やかだ。その花芯の青い瞳がじい、とあたしを見つめている。


「え、ええと?」


「劣化とは、違うよね。だって身体はサラとは違う、別人だし。それに、女としてサラのほうが土台がよかったのは間違いないけど、だからってカサネの土台が悪いとは言ってない」


 誉めているのかいないのか。とりあえずは、あたしの容姿はそんなに酷くない、ということでいいのだろうか。


「誉めてるつもりだけど」


 言葉の意図を量りかねていると、簡潔な答えをくれた。


「あ、ありがとうございます」


「うん」


 鋏から針に持ち替えたセルファさんにお礼を言った。しかし、セルファさん、運針早っ。

 流れるように布を渡る針。家庭科の苦手なあたしには信じられないスピードだ。

 セルファさんは切った布で花のコサージュを作り、膝下の長さになったドレスの裾に縫い付けていった。余った胸元もドレープを残しながら絞り、コサージュで留めた。


「これでいいかい?」


 出て行っていたフーダさんが戻ってきた。ふんわりとした薄いピンク色のぺティコートを持っている。


「ああ、それそれ。カサネ、これ着て」


「あ、はい」


 言われるままに、フーダさんから受け取る。手にしてみれば、細やかな透かし模様が入っていた。これも高そうなんだけど、本当にいいんだろうか。


「ほら、早く着て」


 セルファさんに促されて躊躇いながらも着ると、コサージュのついたドレスがふんわりと膨らんだ。裾からは淡いピンクが見える。


「うん、まあまあだね」


「わ、かわいい……」


 けど、こんな服装、果たしてあたしに似合っているのだろうか。ピンクなんて着たことなかったんだけど。


「似合ってるよ、カサネ。さっきよりぐんとよくなってる」


「ほんとですか? フーダさん」


「じゃあ次はこっち。座って」


 くるくる回って、ピンクと白が揺れるのを見ていると、セルファさんがあたしの手を引いた。手近にあった桶を椅子代わりにして座らされる。


「あの?」


「化粧。少しいじらせて」


 がし、と両手で顔を挟まれて、色々な角度に向けられる。


「肌は、よし。睫毛はちょっと短い。唇は荒れてる」


 ぶつぶつと呟いて、セルファさんは持ってきた箱の中から小箱を取り出した。


「あの、化粧するんですか?」


「うん。ここからはただの趣味だけど」


「は、あ」


 それから。陶器に入ったクリームのようなものをぺたぺたと顔に塗られ。粉をはたかれ。

 あたしは至近距離でメイクを施していくセルファさんにどぎまぎしながら、なすがままになっていた。

 この世界には、美形さんが多いようだ。レジィといいカインといい、会う人殆どが、各種様々な綺麗どころじゃないか。

 レジィと共にいたから、多少耐性がついてると思っていたけど、そうでもなかった。綺麗なものはやっぱり綺麗で、迫力があるものだ。


「ほら、上向いて」


 セルファさんの指先が肌をなぞる。

 うう、男の人にこんなことをされる日がくるとは。こんな顔を晒していいのだろうか。恥ずかしさに心の中でもんどりうってしまう。自分より綺麗な男の人に化粧してもらうなんて、精神修行の一貫なんじゃないかって気がしてきた。


「さて、これでおしまい」


 固まって動けないあたしにお構いなしにメイクを進め、最後に指先で唇に色を落として、セルファさんは笑った。青い花芯が細くなって、紫の花が揺れたように見えた。


「あ、ありがとうございます」


 初めて笑顔を向けられたことに収まりかけていた心臓の動機が再び強くなる。美しい人の笑顔というのは、無駄に衝撃がある。


「急ごしらえの割には、それなりに見られるようになった。カサネの土台からでは、いい出来だよ」


「アー、ソレハドウモ」


 いい笑顔で抉ってくるなあ、この人。でも悪気はないんだろうなあ。事実を述べているだけというか。


「あんた、もう少し言い方考えな。カサネ、これでもセルファは誉めてるんだよ」


「はい、それはなんとなくですけど分かります」


「何かひっかかる言い方だな。あー、髪忘れてた。飾り、どうするかな」


 あたしの髪を一筋摘んで、セルファさんは道具がたくさん入った箱を見た。


「カサネさあ、どうして髪短いの?」


「え?」


 短いって言っても、肩にどうにかつく程度の長さはある。セルファさんに不思議そうに訊かれて、こちらも首を傾げてしまう。


「普通の長さじゃないですか?」


「え? ああ、そうか。カサネのいたところはこれが普通なのか」


 箱からあたしに視線を向けて、納得したように言った。


「こっちは違うんですか?」


「ああ。女性の正装は髪を結い上げなくちゃいけないからな。長さの足りない幼子ならともかくとして、カサネくらいの年の女がこんな長さなんてことはないね」


 おお、文化の違い。そうか、この長さは異端というわけか。


「でもまあ、短いのも新鮮でいいね。カサネのいた世界では、女性の髪の長さに縛りはないんだ?」


「そうですね。好みの問題です。余りいなかったけど、坊主頭の女性もいましたよ」


「坊主!」


 セルファさんが急にいきいきとした反応を見せた。


「本当に? 罪を犯したとかじゃなくて?」


「違いますよ。たくさんあるおしゃれの中の一つです。この世界では出来るのか分からないけど、髪の色も好みで変えてました」


「は! 色を変えるってどういうこと!? 鬘とかそういう? それとも染料みたいなものでもあるの? 何色でもいいの? もしかしてこの色も変えてるわけ?」


 あたしの両肩を掴んで聞いてくる様子は鬼気迫っている。こんなに反応されると、自分から言ったこととは言え、正直戸惑ってしまう。そんなに興味深い話だっただろうか。


「え、ええとですね」


「はい、そこでおしまい」


 我を失ったかのようなセルファさんを、フーダさんが引き離した。


「フーダ! 今大事なところなんだって」


「大事なのは、カサネの登場を待っている長たちの方。あんたは後回し」


 ぶうぶうと文句を言うセルファさんを一蹴し、フーダさんはあたしの手を取った。


「皆、カサネの登場を待ってるから、行こうかね」


「待ってる、って?」


「長がね、夕餉の座で改めて皆にカサネを紹介したいって、待ってるのさ。これ以上待たせたら奴ら、ひもじさに喧嘩をおっぱじめちまう。さあ、おいで」


「あ、はい。あの、セルファさん、ありがとうございました」


「はいよ。お礼がしたいなら、また話聞かせてくれるよね?」


「はいっ」


 ぶう、と膨れたセルファさんに頭を下げた。



 テント群の端に、人が集まっていた。三十、いや四十人は優にいる。

 大きな焚き火を囲むようにして座っていた人たちが、あたしとフーダさんに気付いてばらばらと立ち上がった。

 こちらに駆け寄ってきそうな気配に足が竦む。炎に照らされた顔は、酷く厳しく見えて、怖い。

 顔が引きつる。笑みを向けられているのに失礼だということは分かるけど、笑顔がでないのだ。


「カサネが怖がるから、座ってろっつったろ」


 呆れたようなレジィの声に、皆が反応する。あたしも反応したうちの一人で、レジィの声にほっとしてしまう。


「ほら。あそこに長がいるから」


 フーダさんが指差した先に、レジィとカインの姿があった。

 レジィと目が合うと、ひらひらと手を振ってくれた。


「来いよ、カサネ」


「あ、うん」


 小走りでレジィの側に行った。レジィはあたしの姿をまじまじと見て、にか、と笑う。


「セルファの作った服だろ? よく似合ってる。すげえ可愛い」


「え? あ、ありがと」


 てらいもなく言われた言葉に赤面する。過剰な誉め言葉だと分かっていても、嬉しい。

 さっきの分かりにくい誉め言葉よりも真っ直ぐな分、照れるけど。

 レジィはカインとの間に空間を空けてくれて、そこに座るように促した。カインの隣? と一瞬たじろいだ。でも、ずっと待っていてくれたようだし、これ以上時間をとらせるのも悪い。

 とりあえず言われるままに座ると、レジィが輪の面々を見渡した。


「じゃあ、改めて。彼女がカサネだ。サラの転生後であることは、カインが確認している。

 サラの魂が戻ってきたことにより再び、リレトに死を与える為に行動できる。穢れた命の糧にされた同胞たちの為に、奪われた邑を取り返す為に、皆の力を貸してもらいたい」


 言い終えたレジィに賛同する声が、至るところから上がる。中には目頭を押さえている人の姿もある。

 奪われた邑、とは何だろう? オルガってところとは別に邑があるのだろうか。

 聞きたくて、レジィの方を向こうとして、感じた。皆の視線があたしを見ている。視線の熱気に焼き殺されそうだ。

 じゃなくて、どうも皆、レジィの後にあたしの言葉を待っている様子じゃないか。そろーっと見回すと、そこには期待に満ちた顔つきばかり。ここは何か言わないといけないのかな。いけない雰囲気のような気がするんだけど。


「よろしくとか適当に」


 ぼそりとカインの声がした。ああ、やっぱり勘違いじゃないんだ。


「え、ええと……、かさねといいます。仲良く、してください」


 ぺこ、と頭を下げて、すぐに後悔した。これじゃ転校生の挨拶じゃん。もっと気の利いたこと言わなくちゃいけなかったんじゃないの。

 だけど、皆拍手を返してくれた。「よろしく」なんて声も聞こえる。あんな挨拶でも受け入れてもらえたみたいだ。ほっとして胸を撫で下ろした。


「じゃあ食事にしよう。皆、飲みすぎんなよ」


 レジィの言葉をきっかけに、座の空気が変わった。宴会の始まり、といったところなのだろう。どこで支度をしていたのか、次々と料理が運ばれてくる。皆の前には木杯が置かれていて、それにはお酒が注がれていたらしい。あっという間に赤ら顔の人が増えた。

 あたしの前には山盛りの料理や果物が置かれ、皆がにこにこと懐かしそうに声をかけてくる。

 多分サラを知っている人たちで、再会を喜んでいるのだろうけど、記憶のないあたしには初対面で、初めて聞く話なのだ。

 ど、どうしよう、とレジィに助けを求めれば、レジィもまた沢山の人に囲まれていて、あたしに気付く余裕はなさそうだ。


「カサネ様、これはお好きだったはずですよね」


「あれからフェイが子を産みました。名付けて頂くのを待っております」


 入れ替わりやって来る人たちに曖昧に笑みを返していると、皆とは違う落ち着いた声がした。


「カサネと話したいから、少しいいか?」


 声の主は、あたしの横で静かに木杯を傾けていたカインだった。カインも偉い人なんだろうか。今まであたしの周りにいた人が、それに従って下がっていった。


「大丈夫?」


 解放されたことに一息つくと、カインが聞いた。


「ありがとう。ええと、話したいことって?」


「え? ああ、そうだな。何がいい?」


 もしかして、さっきのは助け舟だったんだろうか。木杯の中身をちろりと舐める横顔を窺った。眼帯をしていない方の瞳は、前髪に隠されていた。


「ええと、あ! あの、これ、これからも貸してもらってて、いいかな?」


 今がチャンス、とばかりに胸元の珠を取り出した。


「それは元々サラのものだから、カサネが持つのが正しい」


 ついとあたしの手の中を見やって言う。


「サラのもの……。これ、すごく便利だけど、魔法とかそういうものなの?」


「魔法、なんて言い方はしないな。『術』と呼ぶんだ。術は生来『巫力』を持つ者のみが使える。力を持つ者は半強制的に神殿へと入れられて、男なら神官、女なら巫女となる。

 その珠、『対珠』と呼ぶんだけど、それは術を発動させるときに必須。神殿に入ってすぐ、己で創る大切なものだ」


「創れるの? これを?」


「ああ。水宝珠という液体を、力でこねて形作る。大きさ・色は個人差があるかな。サラのは結構綺麗なほうだ。下手な奴は球体にもならないから」


 見下ろせば、赤い光を抱えたそれは完全な球体に見える。やっぱりすごく大事なものなんだ。


「あの、あたしがサラだっていうなら、あたしも術が使えたりするの、かな?」


 今まで自分に不思議な力があるなんて感じたこともないので、否定されることを承知で聞いてみた。

 しかしあたしの予想に反して、カインは頷いた。


「程度は分からないけどね。今だって、言語の理解ができてるだろ?」


「あ、うん。すごいね、これ。あ、でもレジィもこれ使えてたようだけど、神官なの?」


「いや、あいつにはそれほどの力はない。微々たるものだけど、使うのが巫女姫の対珠となれば、話は別だな」


「ふう、ん」


「それはカサネを助ける大事なものだから、体から離すな。それと、できるだけ隠しておくように」


「隠すの? でも、フーダさんやセルファさんには、もう見られちゃったよ」


「それはもう仕方ないな。でも、もうこれ以上は見られないように気をつけて」


 気付けば、カインと気負わずに会話が出来ていた。何も分からないあたしに、ぶっきらぼうな口調で、でも丁寧に説明してくれる。この人、フーダさんの言う通り、いい人なんだ。


「あ、じゃあ、カインも対珠を持ってるの?」


 勝手なイメージだけど、カインの対珠ってすごく綺麗なんじゃないかな。見せてもらいたいな、と思って聞くと、カインは口角を少しだけ上げた。


「あるけど、見せないよ」


 笑顔で拒否、ということでいいんでしょうか。言葉の終わりに、ふふ、と愉快そうな笑みをつけて、カインは木杯を傾けた。


「他に、知りたいことは?」


 対珠については拒否したけど、あたしとの会話は続けてもいいらしい。空になった杯をコトリと置いて、あたしに聞いた。


「え、ああ、うーん。あ、そうだ、さっきレジィが言ってた、奪われた邑って、何?」


 失礼しますと声がして、カインの置いた杯に手が伸びた。給仕をしてくれている、あたしと年の近そうな男の子が、大きな水差しから琥珀色の液体を注いだ。

 お酒、だろうか。果実のような甘い香りが鼻先をくすぐった。ちなみにあたしの前には水が置かれている。お酒は飲めないと、会話のついでにレジィに言ったことがあったけど、それが反映されているらしい。

 満たされた木杯を手渡され、カインは小さな声で礼を言った。

 男の子が去るのを見送ってから、あたしに顔を向けた。


「レジェスから聞いてない? あいつ、命珠のことは説明したんだよな?」


「うん。人の命を糧に、不老不死の力を手に入れられるってやつだよね。サラの体に溶けた、ってことまでは、聞いた」


「命珠を創るときにも、命を要することは聞いた? 創るには一度に沢山の命がいる。

リレトはその為に、オルガの邑を潰したんだ。神武団に、第一から第三までの国家騎士団まで駆り出して、邑人を殺した。今ここにいる奴らは邑人の生き残りや、神殿に家族を殺された者たちばかりなんだ」


「邑を、潰した……」


 思い返せば、レジィが命珠の話をしていたとき、辛そうに顔を歪めていた。あれは殺された仲間たちを想ってのことだったんだ。


「レジェスの養父、オルガの先の長もその時に命を奪われた。長の妻も、惨殺されたそうだ。フーダは夫と息子を二人。セルファはオルガの民ではなかったけど、神武団に妹を。まあ、皆大切な誰かを殺されてる」


 辺りを見渡した。ここにいる人が皆、あのリレトによって誰かを失っている。レジィも、にこやかなフーダさんも、セルファさんまでも。さっきの男の子も、もしかしたら。


「これから向かうオルガの邑というのは、殺戮者の手から逃げ延びた者たちが新地で作った、新しい邑なんだ。でも、そこは仮の邑だと、レジェスたちは考えている。いつか、リレトの手から真のオルガの邑を取り返すんだ、ってね」


 反対側に座しているレジィを見た。囲む人たちと親しげに言葉を交わしていて、でもあたしの視線に気付いて、にこりと唇を持ち上げた。

 あたしを命がけで守ってくれたこの人の笑顔の裏には、深い悲しみがあるんだ。


「サラは彼らに賛同して、共に行動し、手助けすることを誓っていた。記憶のないカサネにそれを引き継ぐことを頼まなくてはいけないのは、心苦しくもあるけど、手伝って欲しい」


 オルガの邑人って、大勢いるの? リレトの抱えている軍隊の規模は分からないけれど、一つの邑が反旗を翻して、勝ち鬨を上げられるというのは、難しいことなんじゃないの?

 その中にあたし一人が加わったところで、何の足しにもならないだろう。この世界のしきたりも何も分からないのだから、お荷物にはなるかもしれないけど。

 でも、そんなあたしが役に立つというのなら。

 レジィの、ここにいる人たちの笑顔に潜む陰りを、少しでも拭える手助けができるのなら。


「あたしに出来ることがあるなら、したい」


 カインは髪を掻きあげて、隔てるものをなくした片目を真っ直ぐあたしに向けて、ありがとうと言った。



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