微睡みの中で
この話はBL要素が入っておりますのでご注意ください。
「しゅうと?」
眠たげな声で名を呼ばれ、秀人は書類から顔を上げた。
秀人の名を呼んだ少年は、秀人の一つ年下の十七歳だというのに表情がやや幼く感じる。
少年に言わせれば秀人の方が大人びているんだと言い張るのだが、第三者から見ればどちらも的を射ている、と答えるだろう。
秀人は書類を机に置くと、ベッドに寝転がったままでいる少年の傍まで行き、腰をかける。そしてゆったりとした動作で頭を撫でた。
「どうした、冷輝。眠れないのか?」
優しい声をかけられ、頭を撫でられた少年――冷輝は、嬉しそうに目を細めてされるがままになっている。そんな様子が猫のようだ、と秀人は思った。
「秀人は……まだ仕事、なの?」
冷輝はじっと秀人を見て言う。
その黒い瞳はわずかに揺れて不安げだ。
「明日の会議に使う書類があと少し残っている。それが終わればもう休むよ」
秀人はできるだけがっかりさせないように言葉を選びながら話したのだが、冷輝はその話を聞くとすぐに瞳を翳らせた。
少し俯いた拍子に艶やかで長い黒髪が一筋顔にかかる。その様子はまるで少女と言ってもおかしくない美しさで秀人も思わず息を呑んだ。
「ねえ、秀人……それ、明日の朝じゃだめなの?」
冷輝は秀人が自分に見惚れていることに気付かず、俯いたまま小さな声で言う。
秀人が世界でもトップクラスの企業、光宮財閥の若き総帥であり、彼の仕事がどれも大切な物であることはわかっている。
それでも冷輝は秀人に願ったのだ。
秀人も冷輝のこの願いに驚いていた。
いつも冷輝は秀人の仕事の邪魔をすることはない。それどころか控えめで、もっとわがままを言って欲しいと思うくらいだった。
そんな彼が初めて言ったわがまま。
幸い、書類は後十分もあれば片付く程度にまで減っていた。朝食事を取りながらでも、車で出勤する間でも目は通せるだろう。
「そうだな。あと少しだし朝でも間に合うだろう。今日は休むよ、君の傍で、ね」
「秀人……」
冷輝の瞳が大きく見開かれる。嬉しそうで、それでいてどこか悲しげな複雑な顔をして秀人を見つめた。
立ち上がった秀人はそんな冷輝に優しく笑いかけ、机に置いたままの書類を簡単に片付けてベッドに戻り、そのまま冷輝の隣へもぐりこんできた。
冷輝は自然に広げられた秀人の腕の中に入り、抱きこまれる。暖かい体温と規則正しい胸の鼓動を感じて冷輝はほうっと息を吐いた。
「……冷輝、何か嫌なことでもあったのか?」
腕の中で力を抜いて安心する冷輝に違和感を覚えて秀人は囁く。冷輝は黙ったまま秀人の腕の中で視線を彷徨わせていたが、しばらくして根気よく話すのを待ってくれている秀人にポツリと呟いた。
「夢、見たんだ」
「夢?」
「うん、あの頃の…夢」
秀人は『あの頃』ときいて眉を顰めた。
冷輝の言うあの頃とは考える限り一つしかない。冷輝にとって地獄ともいえるあの辛い日々の夢を彼は見たのだろう。
「そうか……だから、か。冷輝、何も心配しなくていい。今はあの頃とは違うだろう? 俺が、ずっと傍にいるから……」
秀人の言葉に冷輝は薄く微笑む。
すべてを言わなくてもこうやって察してくれる秀人に、自分はどれだけ救われていることか。それなのに、秀人のために何もできない自分が口惜しい。
「うん……ごめん、ね、秀人。僕はいつも迷惑ばかりかけてる。秀人を助けることなんて一つも出来ないのに……こんな…血で汚れた僕を…僕なんかを……」
冷輝の言葉は最後まで紡げなかった。
秀人が冷輝の言葉を口付けることで防いだのだ。驚いて見つめる冷輝に、秀人は真剣な眼を向ける。
「それ以上は言うな。俺は君を血に汚れているなんて一度も思ったことない。それに君はいつも俺を助けてくれているよ。俺の心をいつも軽くしてくれる。君がいるから俺は心に余裕が持てる」
「秀人……僕は貴方の助けになってる?」
「ああ。君じゃないと俺の心は守れないよ」
だから、すっと一緒にいてくれ、そう心の中に囁かれて冷輝はぽろりと涙を零した。
「あ…りがと……秀人」
泣きながら礼を言う冷輝に、秀人は微笑を浮かべて額に口付ける。
「もうおやすみ、冷輝。嫌な夢を見ても俺が助けるから」
「うん…おやすみ…しゅ…う…と」
安心したのだろう、冷輝はおやすみと言うなり瞳を閉じ、すっと眠りについた。
「おやすみ、いい夢を」
秀人もそんな冷輝を優しく見つめ、もう一度そっと口付ける。まどろみの中、冷輝は優しい感触を感じながら小さく微笑んだ。
それ以来、冷輝が悪夢を見ることはなかった。
初めまして、夢星藤姫です。
本編を読んでくださった方、どうもありがとうございます!
この話は、実は長編用に設定したものだったのですが、スランプと文才のなさに長編にならなかったという裏話があったりします。
それでも設定は結構気に入っていたので、長編がダメならどうしても書きたいシーンを抜粋して短編で…と以前書いた作品です。
そのうち何らかの形でこの話を再構築して書きたいと思います。