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風呂屋の仙女

作者: 吉邑 正

-ただの食べ物の好き嫌い―-しかし、恐ろしい裏話がありました―-。

-昔―-伊勢の国には、おかげ参りにやって来る者が多かった(おかげ参りとは―-江戸時代、普段は自由な往来を許されていない庶民であったが、ある年齢になった男達には、伊勢神宮や、その関連の神社への参詣が許されたので、村の者達で餞別を用意し、行かせた―-)。-神宮に近い松阪の町も賑わっておって、宿屋という宿屋はいつも満杯で、あぶれた客は道端で野宿をするのが通例であった―-。


-そんな町に鶴玉つるたま湯という銭湯が在り、宿屋にあぶれた者も、せめて風呂ぐらいは入りたいと思いやって来た―-。




-風呂屋の番台には、主=千右衛門せんえもんの女房のおおいとが座っておったが、なかなかの、きりょうよしで客うけが良かった―-。




-おかげ参りの旅人とは別に、町の衆の中には、このお糸に相談事を持って来る者が多かった―-。-彼女は、何でも知っていて、困った事を話すと、不思議な解決法を教えてくれるという評判であった―-。



-ある時、瀬戸物屋の女房のおおとめがやって来て、娘のおおあめは松茸嫌い。-最近、縁談話があり、嫁いでゆく先が八百屋なので、娘の松茸が食べられない偏食は具合が悪い。そこで、直す方法は無いかとお糸に尋ねた―-。



-お糸は「本人に話を聴いてみんとなぁ―-いっぺん、お雨ちゃんを連れて来てぇなぁ―-」と言ったが、お留の家には、たらいの風呂が在り、お雨は人前で裸になるのが恥ずかしいとの理由で銭湯には来たがらないという―-。



-翌日―-やむなくお糸は、お留の瀬戸物屋=尾張屋おわりやに出掛けた―-。-店先には、お留の亭主の宗吉そうきちとお雨が居った―-。




-お糸は、瀬戸物の福禄寿を取るとお雨に「これ、いくら?」と訊いた―-。-彼女は直ぐに宗吉の方に顔を向け「おっ父―-福禄寿はなんぼやった?」とおうむ返しに訊いて、宗吉は「十文や―-」と応えた―-。



-お糸は「やっぱり、ええわぁ―-」と、福禄寿をお雨に渡したので彼女は嫌な顔をしておった―-。



-お糸はそのまま風呂屋に戻った―-。-亭主の千右衛門が「どこに行ってたんや―?-心配しとったがな―-」と言ったが、彼女は「ちょっとなぁ―-」と応えて番台に座った―-。-夕方になると、又、お留がやって来て「どうやった―-お雨の松茸嫌いは直りそうか?」と訊いたが、お糸が「あんたのご亭主は若いなぁ―-ええ男やないの―-」と言ったので、彼女は「いややわ―-お糸さんも知ってるやろ?~二回目や―-」と応え、赤い顔になった―-。



-お糸は「前のご亭主は、何で亡くなったん?」と訊いたが、お留は急に真剣な顔になって「そんな事、お雨の松茸嫌いと関係あるの?」と、少し不機嫌になった―-。



-お糸は「そりゃぁ関係無いかも知れん―-言いとうなかったら、言わんでもええけどなぁ―-」と応え、少しの間考えていたが―-。



-「お雨ちゃんの事―-難しいなぁ―-嫁に行ったら、松茸やろが、人参やろが、好き嫌い言うておれんので、食べられる様になる場合もある―-松茸の季節はまだまだ先やし、ええ縁談話やったら進めてみたら―-」と助言し、お留も納得して帰って行った―-。







-それからしばらくして、お雨は八百歳やおとしという八百屋に嫁いでいった―-。




-お糸は「吉と出るか凶と出るかやな―-」と心配しておった―-。



-ある晩、もう風呂屋も店じまいと、お糸が暖簾を片付けていると、他の商店も既に閉まって表通りは暗かったが、ふらふらと寄り添って歩く男女が通りがかった―-よく見ると女はお雨であった―-。


-すると男はご亭主か?~二人ではめを外しちゃったのか?と思ったお糸は「お雨ちゃん―-」と声をかけたが、彼女は気付かない風に通り過ぎ、酔った連れの男が「人違いじゃ―-この女は、おおはなというだよ―-」と応え、二人は夜の闇に消えてしまった―-。





-それは、確かにお雨であった―-。-そして連れの男は、おかげ参りにやって来て、この町に泊まった旅人であったのか―-。




-それから程なく、お雨は夜な夜ないろんな男と遊び歩いていると町の噂になり、八百屋から三くだり半(離縁状)をもらって、お留の家に帰って来た―-。





-そんな事があって、お留は、町の岡寺おかてら=継松寺けいしょうじに厄除けの祈願をしに出掛けたが、たまたま参詣に来ていたお糸に会って、さっそくお雨の事を相談した―-。



-「お雨は、夜遊びなんてふしだらな事をする様な娘と違うんやけどなぁ―-自分には全く身に覚えが無いて言うてるし―-」そう聴いてお糸は「それがなぁ―-うちも見たんや―-お雨ちゃんが夜中に歩いてるの―-」と応えた―-。




-お糸は考え込んでいたが「お雨ちゃんの松茸嫌いは、うちらが思ってたより根が深い様や―-こうなったら、あんたの前のご亭主が何で亡くなったんか、話してもらうでぇ」と迫った―-。




-お留は「岡寺さんでお糸さんに会うたんも因縁やなぁ―-」と覚悟をきめた様で、とつとつと前の亭主の事を話し始めた―-。




-お留の話は、次の様なものであった―-。


-お留の元亭主の安助やすすけは、酒癖が悪く飲んで暴れるので、彼女は内心では別れたがっていた―-。

-お留が身重の体になっても、安助は相変わらずであった―-。


-そんなお留を可哀想と思っていたのが、宿屋で使う瀬戸物をしょっちゅう買いに来ていた宿の下男の宗吉であった―-。



-お留のおなかの中のお雨が随分大きくなった頃、安助は瀬戸物の買い付けに出掛けたが、お留は、岡寺の如意輪観音に「安助が、山賊に会うても、崖から落ちても、何でもええから死なれます様に―-」と祈願した―-。



-果たして安助は帰って来なかった―-。



-そして、お留は宗吉と夫婦になったのだという―-。




-お糸は話を聴いて「まだ、何か隠してるなぁ―-安助はんが出掛けた時、あんたのおなかにはお雨ちゃんが居った―-宗吉はんとは何んにもなかったんかぁ―-?」と訊いたが―-。




-岡寺の境内と周辺には、毎日屋台がたち並び、縁日の様に賑わっていたが、お糸とお留が話していた付近で、何やら男女が揉め始めて、男が大声を張り上げた―-。



-よく見ると、女はお雨で、お留はあわてて駆け寄って間に割って入って「お雨―-!-どないしたの―-?」と訊いたが、町の遊び人風の男は「どないしたも、こないしたもあるかい―-このあまは―-ひとに気ぃ持たせるだけ持たせて最後に逃げやがった―-!」と怒鳴った―-。-お留は「お雨、それ本まの話か?」と訊いたが、彼女は上の空であった―-。



-男の話によると、先日の夜中、一人で歩いていた彼女に声をかけたら、のこのこ付いてきたので、知り合いの居酒屋に行き、二人で飲んでから、奥の部屋を借りたが、厠に行くと言って出た彼女はそのまま逃げてしまったという―-。



-直ぐにお糸も寄って来て謝り、文句を言って少し気が晴れたのか、男はあんまり褒められた事をした訳でなし、ばつが悪くなって去って行った―-。




-お留とお糸は、お雨を連れて帰ったが、様子がおかしい―-。-お留の瀬戸物屋に着くと、店先には宗吉が居って、お雨は彼を見るなり「宗吉は~ん―-!」と言って抱き付いた―-。



-お留は「いややわ―-この子―-何してるの―-お雨!」と怒ったが、彼女は「うち―-宗吉はんが好きやねん―-うち―-お雨と違うねん―-お華やねん―-」と応えた―-。




-お糸は、血相を変え「宗吉はんも、お留はんもここに居ってぇ―-!-部屋を借りるわぁ―-!」と言って、店と続いている家に、お雨を連れて上がり込むと、部屋の真ん中にお雨を座らせ、自分も対面して座った―-。


-お糸が「あんた―-名前は―-?」と訊くと彼女は「お華―-」と応えた―-。



-お糸は更に「宗吉はんが好きて言うたな―-いつからや?」と訊いた―-。-お華(お雨)は「おっ母のおなかに入ってた時からや―-」と応えた―-。



-お糸は「おなかの中に入ってて、外の事がわかるの―-?」と訊いた―-。-お華は「わかるよ―-みんなわかった―-おっ母が、うちの本当のおっ父を殺した事も―-―-そしたら、宗吉はんがうちの中に入って来て―-怖かった―-あれは、松茸やった―-」と応えたかと思ったら、頭を抱えて失神してしまった―-。








-翌日―-お糸は、お留の瀬戸物屋にお見舞に訪れた―-。-目覚めたお雨は、元のおとなしいお雨に戻っていた―-。



-お糸は、お留に「お雨ちゃんの事―-あんまりお役にたてんで悪かったなぁ―-」と謝ったが、お留は「何を言うてるの―-お雨が元に戻っただけで嬉しいわぁ―-お糸さんのおかげやないの―-」と感謝していた―-。


-お糸は「お雨ちゃんの松茸嫌いは、男嫌いでもあるんや―-そう簡単には直らん―-あわてて嫁に出すのもあかんでぇ―-当分は、そっとしといてやりぃ―-」と言って帰っていった―-。








-風呂屋を閉めてからの晩に、お糸はいつも日記を書くことにしていた―-。-以下は、その日に書かれたものである―-。




-「風呂屋の糸日記―-瀬戸物商お留の娘-お雨の松茸嫌いは、母親の腹の中に居る時から始まった―-母親のお留が、亭主の留守をよいことに、不義密通をはたらいた罪の気持ちと、亭主の死を祈願したら本当に亭主が死んだ恐ろしい偶然による罪の気持ち―-それは、腹の中のお雨に受け継がれたが、不義密通の相手宗吉の男摩羅の胎内への侵入がとどめとなって男が怖くなった―-しかし、嫁いだお雨は、嫌でも毎晩亭主のものを目にしなければならず、心が二つに分かれる奇病となって逃げ出した―-しかし、人の言う好きは嫌い―-嫌いは好きの裏返しである―-」。




-そこまで書いた時、奥の部屋から、亭主の千右衛門が「お糸―-もう片付け終わったやろ―-お前もこっち来て一杯飲むか―-」と声をかけた―-。



-「なぁにぃ―-あの猫なで声―-気色悪いわぁ―-」とお糸はため息まじりに呟き、続きを書いた―-。




-「人の言動や考えは皆、しもの事に左右される―-」。

































-「お待たせ―-ほな、うちも一杯よばれるわぁ―-うっふん―-」。





-いかがだったでしょうか―-。





-もうお気付きでしょう―-風呂屋の糸は、フロイトをもじったネーミングでした―-。

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